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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年1月号

時代を読む51

福祉のまちづくり半世紀(3) 福祉のまちづくり条例が生まれるまで

1968年アメリカで建築物のバリアフリー法が制定され公的な建築物のバリアフリー化が始まる。スウェーデンでも1968年に就労施設のバリアフリー化が建築法で規定され、1975年には住宅まで拡大した。この間、イギリスやアメリカで建築物のバリアフリー基準の改訂が続く。一連の動きに、1969年に制定された国際シンボルマークの制定が拍車をかける。

日本では1974年、町田市が福祉環境整備要綱を制定し「車いすで歩けるまち」を標榜する。数年後には、全国の地方公共団体で福祉環境整備要綱や整備指針の策定が60団体近くに達した。同時に市民運動として、車いすガイドブック作りが全盛期を迎える。前者では町田市に続いて、1977年神戸市が「神戸市民の福祉をまもる条例」を制定した。後者では1973年の車いすTOKYOガイドや京都車イス観光ガイドブックが有名だ。革新市政がまだ一定の影響力を持っていた時代である。神戸条例は、ちょうど要綱や指針による整備実効の限界が見え始めた時に伝わり始め、私たちに多くの期待を抱かせた。整備要綱や指針は「お願い」であり、届け出の義務を求めても、整備の実効に繋(つな)がらない。条例は議決を経ることから遵守される条例として「重み」が違って受け止められたのである。さらに神戸条例の大きな特徴はハードとソフト、人材育成を一体的に整備する「地域福祉」の理念を有していたことである。

神戸条例の附則には、次のように記されている。いま読み返しても新鮮だ。

「すべての市民が、その所得、医療及び住宅を保障され、教育、雇用等の機会を確保されるとともに、不屈の自立の精神を堅持することによって、人間としての尊厳を守り、人格の自由な発展を期することのできる社会こそ福祉社会といわなければならない。市民の福祉は、権利と義務、社会的保障と自助、社会連帯と自己責任の望ましい調和、結合によって達成されるものである。それは、市民のひとりひとりが手をこまぬいていて他から与えられるものではなく、ひとりひとりの努力だけで獲得できるものでもない。また、市民の福祉は、単に社会的な環境や条件を整備するだけでは達成され得ない。それは、みずからの生活をみずからの英知と創意と努力とによって高めるという、主体的、内面的な心がまえと姿勢がなければ実現されないものである。」

神戸市では、この条例に基づいてハード面の基準が制定され、1981年国際障害者年のポートアイランドの整備で開花する。脳性マヒ者らへの川崎のバス乗車拒否事件が1976年冬から77年春、アメリカ・リハビリテーション法504条の差別禁止規定の施行が77年であるから、これらの動きの先駆性が分かる。しかし、条例から法へ移行する1990年代後半までにはさらに障害当事者運動の高まりが必要であった。(髙橋儀平(たかはしぎへい) 東洋大学教授)