音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年1月号

座談会
条約批准で新たなステージに

石野富志三郎(いしのふじさぶろう)
全日本ろうあ連盟理事長
太田修平(おおたしゅうへい)
障害者の生活保障を要求する連絡会議参与
久保厚子(くぼあつこ)
全日本手をつなぐ育成会理事長
三宅祐子(みやけゆうこ)
福祉新聞社編集部次長
司会 石渡和実(いしわたかずみ)
東洋英和女学院大学教授、本誌編集委員

条約批准までの活動で心に残っていること

石渡 新しい年を迎えました。今日は条約批准後、社会がどう変わっていくかについて、お話をしていきたいと思います。2006年12月13日に条約が採択され、2007年に日本が署名しました。2008年に条約が発効後、それぞれの活動の中で印象的なこと、心に残っていることからお話しいただけたらと思います。

★「手話は言語」が通り、感動

石野 2006年、ほぼ条約が承認されるとなった時に、国連障害者の権利条約特別委員会(以下、特別委員会)を傍聴する機会がありました。加盟国は193か国だったと思いますが、会議では条約第1条から順番に丁寧に議論して、何か異議があった場合は、別の場所で賛成・反対の国がワーキングチームを作って話をしていました。

第2条の定義に「言語とは、音声言語及び手話その他の形態の非音声言語をいう。」とありましたが、中国政府が「言語の定義」の削除を要求したのです。説得役を任された私たちがロビー活動を行い、休憩時間を利用して各国に言語が必要だとポイントを説明しました。

一方で、「2003年のESCAPの会議で合意したのに、土壇場になって反対するのは納得できない」と中国代表に申し入れ、英訳を渡して説得をしました。最終的に世論に押されて中国代表から「手話の重要性を認識する。提案を取り下げる」との発言が出て、全会一致の拍手で条約が通ったことにとても感動しました。

もし、これが通らなかったら、今のように「手話は言語」という法律ができなかったかもしれませんね。

★入所者からの反響に感激

三宅 私は2006年、2週間ほど国連に行き、条約案を作っている会議を取材しました。ロビー活動の場面や、障害当事者を交えて条約案をじっくり作り上げていく会議の様子、そして条約案が完成する歴史的な瞬間も目の当たりにしました。なので、条約の中身、日本にどう影響するかなど、きちんと伝え続けなければという思いで現在まで記事を書いてきました。

その間の印象的な出来事は、条約に関する記事を出すと読者の反響がぴんぴん伝わってきたことです。条約への期待が大きい証しです。なかでも、入所施設にいる障害のある人から「日本も批准するのですか」という質問の手紙をいただいた時は、感激しました。条約の情報が行き渡ることがどんなに重要かを実感しました。

石渡 三宅さんが国連から帰って、「社会を変えたい」というタイトルで記事をまとめてくださいました。障害分野に限定しないで、日本社会全体という発想で発信してくださったのは大きな意味があったと思っています。

★プレッシャーがあった差別禁止部会

太田 僕も35年くらい前、施設にいたのですが、施設の廊下に福祉新聞のバックナンバーが綴じてありました。福祉新聞が権利条約や自立支援法などの身近な問題を取り上げることが多くなり、だんだん紙面が変わってきたのは大きな意味があると思います。施設の利用者が読む機会が増えてきたのは何よりだと思います。

いわゆる民主党を中心とする政権交代があり、障がい者制度改革をしましょう、批准に向けた国内法の整備をしましょうと、障がい者制度改革推進会議(以下、推進会議)を立ち上げことは非常に大きな出来事だったと思います。その前に批准の話が出た時、障害者団体は差別禁止法の実態がないので批准を待ってほしいと言いました。それを受けての推進会議でしたので非常に意味があり、障害者基本法の改正が不十分ではありますが、障害者総合支援法という流れになり、私自身も障害者政策委員会差別禁止部会に参加したのは大きかったと思います。

差別禁止部会は、正直に言うと、何でもいいからしゃべることが自分の仕事だと思っていたので、当事者として非常にプレッシャーがありました。

石渡 推進会議ができて、当事者主体で制度が変わっていったことも大きかったと思います。推進会議の運営の仕方は、情報保障をはじめとしてお一人お一人の当事者が尊重されていて、まさに「多様性の尊重」という条約の理念が実現した一つの場でもあったと思います。

★すばやかった公選法の改正

久保 育成会は知的障害者の団体ですので、印象に残っていることは成年後見制度の公職選挙法の改正です。欠格条項があると知らずに成年後見を使い、後見人を徐々に付けていったのですが、前回の選挙までは選挙はがきが来ていたのに、被後見人になった途端に来なくなった。

地方選挙では、候補者はこまめに回るので、ご本人とも話をされます。また、周りの人たちの候補者についての情報を聞いていないようで聞いているんです。「知っているおっちゃんは、こういうおっちゃんか」と自分なりに選んでいるのに、投票できなくなって、がっかりしている。本人のことを心配して成年後見を付けたのに、被後見人になったら基本的人権である選挙権を奪ってしまったと、親が負い目を感じてしまうという現状がありました。

そこで、全国4か所で裁判をしました。動員をかけて傍聴に行き、また育成会だけでも41万余りの署名を集めて、総務省に持っていきました。今回はわりとすぐに法律を改正していただけました。2013年3月14日に東京地裁で違憲判決が出ましたが、「選挙権を行使して胸を張って生きてください」という裁判官の言葉は感動的でした。

同年7月の参議院選挙からみんな胸を張って投票に行けたことが印象に残っています。投票の仕方、政見放送などを本人にどう分かりやすく届けるかはまだ課題として残っています。ほかにも成年後見を使うと権利が奪われるという欠格条項のようなことがありますから、皆さんのお力や知恵をお借りしながら、変えていく必要があると思っています。

条約批准で新たなステージに

石渡 2008年に条約が発効してから5年ほど経ちますが、日本の条約批准をどう受け止めますか。

★国際的な責任も果たそう

太田 私は障害者団体の立場で、国内法の整備が先であるから、きちんとできるまでは批准すべきではないと考えていました。

一方で、いわゆる大国と言われる2つの国、日本とアメリカがそれぞれの事情で批准をしていないことは、国際社会に対して申し訳ないという気持ちがありました。批准後は、障害問題について国際社会に対して貢献し、役割と責任をきちんと果たしていくことが重要なのではないかと思います。

日本人は、ともすれば日本の国のことしか見ようとしません。世界には病気や飢えや貧困に苦しんでいる人たちが圧倒的に多いことをきちんと自覚しないといけない。

今の時点での批准は、タイミングとしてほぼ妥当だと思いますが、このような国際的な現実を常に意識していることは重要です。そういう視点に立って、国内の制度改革をさらに進めていくことが大事だと思います。

石渡 権利条約の批准に向けての当事者の皆さんの活動は、障害だけではなくて、貧困、虐待されている子どもたちなど、厳しい状況にある人たちが生きやすい社会の実現に目を向けているところがすごいと思います。

★国内に障害者差別はたくさんある

石野 私たちは世界ろう連盟の仲間に会うことが多いのですが、日本は経済大国で生活は豊かなのに、なぜ批准しないのか不思議だと言われます。私はそうではないと説明をします。2009年の内閣府の障害を理由とする差別に関する意識調査では「差別があると思う」という回答は90%以上。車いすのスロープを作るとか、手話通訳を付けるとかの合理的配慮に関しては「思う」「どちらかを言えば思う」を合わせると52.8%です。つまり、国内では障害者差別は横行しています。

手話に関しては、ろうあ者が受診する時、手話通訳を連れて行くと医者が「通訳は外に出るように」という事例、把握しているだけで1,200事例もあります。その数字をどう見るか。推進会議の場でいろいろなことが明らかにされ、どう対処していくかも話し合ったと思いますが、それはとても大切なことだと思います。

子どもの権利条約が1994年に批准されていますが、子どものための貧困対策が欠けていたとか、教育権が改善されていないとか、問題がありますよね。この教訓を生かして、障害者の権利条約はきちっとした国内の法整備が必要だと思ってきました。ポイントは、インクルーシブ社会をつくる、障害の定義をきちんと出す、差別の定義をきちんと謳う、合理的配慮の4つのポイントを踏まえた法整備だと思います。

推進会議の皆さんが約2年半かけて議論して、第一次、第二次意見、そして骨格提言を出されました。そして2011年から改正障害者基本法、障害者総合支援法、障害者差別解消法が次々に成立しました。これまでに障害者団体は団結して国内法整備を頑張ってきたと思っています。

★本人たちの意思を応援したい

久保 早く批准をしてほしいという思いをみんな持っていたと思いますが、国内の法整備をする前に批准してしまい、きちんとやっていない国もあることを思うと、この5年6年、批准に向けて議論がされて一定のところまで法整備をやってきたのは無駄ではなかったと思います。今の段階で批准をして、さらにこれからだと思います。

特にアジアの国々から見ると、日本は福祉が進んでいると見られています。批准後は、社会福祉の向上の一翼を担わないとだめだと思います。参考人の意見陳述の時もそういう話をさせていただきましたが、日本がどう進めていくのか、これからが本当に問われると思いますので、私たちはますます頑張らないと、と思っています。

また、オーストラリアの知的障害のあるご本人が特別委員会でしっかり発言したことは素晴らしいと思います。知的障害があっても、そういう場がきちんと与えられるべきで、それだけの能力をお持ちの方もたくさんおられます。知的障害があるから分からないだろうと門前払いをせずに、参加できる工夫をしてほしい。本人に分かりやすく伝える、本人の思いを聞き取る。附帯決議にも意思決定への支援が謳われていますが、本人の思いを生かす機会が奪われてきたという思いがありますので、そこがこれからの大きな課題です。

石渡 90年代あたりから本人活動が活発になり、本人が発言をするようになって、私たちも気づかされたことや発想の転換をさせられたことはたくさんありました。

久保 育成会の全国大会は、以前は親の大会でしたが、最近は本人がどんどん増えてきました。そのうちに本人が主の大会になるのではと思います。私たちのことを決めるのに、私たち抜きで決めないでくださいという思いを持って、しっかり発言されるようになってきましたので、応援したいと思います。

★条約は物差し。素人感覚、一般市民の感覚を大切に

石渡 マスコミの役割が問われてくるのではと思いますが、三宅さんはいかがですか。

三宅 記者は、素人感覚とか一般市民の感覚とか、素朴な疑問としてどうなのかという発想を持つことが大事だと思っています。そのうえで条約は物差しです。世の中がおかしいのかどうか判断する時に役立つ、すごく良いものを得たと思っています。

たとえば、福祉的就労で働く知的障害がある人から、「なんで職員と私で給料が全然違うの?」というセリフを聞いたことがあります。この人は一般就労をしていた経験があるから余計に不満があるわけですが、同じ場所で働いていて、どうして障害のない職員は給料が高くて、障害のある自分は給料が安いの?という素朴な疑問ですよね。私は、その問いに納得してもらえるような説明、答えができませんでした。市民感覚だと、給料が月数千円、数万円でも仕方ないでしょうとは思えません。

こんな体験もしました。私が小学校5年生の時、脳性マヒで車いすを利用している子が養護学校から転校してきました。同じクラスで2年間過ごし、とても仲良くなったのですが、彼女は、中学校は養護学級に、高校は養護学校に行きました。一緒に進級したいという彼女の思いは、かないませんでした。大人になってからは疎遠になってしまっていたのですが、ご両親が病気で面倒を見られなくなり、施設に入ったのだそうです。思いつめた彼女から「ここで人生が終わるのはいや。私はキラキラ輝きたい」「友達の声が聞きたい」と10年ぶりくらいに連絡があり、近況を知らなかった私は胸がつまる思いでした。じっくり話を聞きながら応援できればと思っていますが、障害がなければもっと人生の選択肢はあったはずで、ごく普通の希望すらかなっていないことが問題だと思います。

条約を物差しに、「よくよく考えたらおかしくない?」「それって、障害のない人の世界でも通用することなの?」という素朴な疑問を持ちながら、これからも取材に取り組みたいです。

条約批准後の取り組み

石渡 条約批准をした時、条約のもとで国内の法制度の改革に向けてどう動いていくのでしょうか。また条約批准後、新たにどのようなことが見えてくるでしょうか。

★欠格条項の洗い出し、意思決定への支援

久保 私たちの団体としては、成年後見制度の欠格条項を一つ一つ洗い出して解決していくことが大きな課題だと思います。障害があるからとほかの方と差別されることをなくしたいし、できるだけみんなと同じように参加できるように力を入れたいと思いますので、ほかの団体の方と協力してやることがたくさんあると思います。

もう一つは、意思決定の支援です。親でありながら自分で悲しいなと思うのは、わが子が今何を考えているか分からないことがあるんです。どんなに障害が重度であっても意思があるのに、重度になるほど本人の思いを汲み取っていくのが難しい。自分のことを自分の言葉で話せない人がたくさんいるので、そこを何とかしたい。自分らしくこう生きたいと思っている本人のニーズをかなえられるような条件整備がなかなかできないのが、今の段階としてあると思っています。

石渡 欠格条項は障害者差別解消法とも絡んでくると思います。意思決定支援のシステムをどう作っていくかは、地域でインクルーシブな社会をどう実現するかの大前提になる課題だと思います。

久保 親自身が、親の安心のために施設に入れたり、あなたはこうしておきなさいとか、この子にはこれがいいのですと決めてしまっているところがあります。入所施設で何十年も暮らすのは、自分に置き換えたら「それはちょっと……」となると思います。親自身も襟を正さなくてはならないことはたくさんあると思います。

石渡 私たち支援者も襟を正さなくてはならないことがたくさんあるという意味でも、条約はいろいろな気づきや振り返る視点を与えてくれたと思います。

久保 もっといえば、社会の環境ですね。地域で暮らせるはずなのに、その方の周りの環境が整っていなかったから入所するしかなかったことがあります。条約批准を機に、社会が壁を作ってしまっていることに気づいてくれることも大切だと思っています。

★貪欲さと夢を持とう

石渡 この場には精神障害関係の方がいらっしゃらないのですが、入院生活の厳しさも大きいと思います。欠格条項や障害者差別にどのように取り組むか、これからの政策、あり方についてお考えを聞かせていただけますか。

太田 障害者問題は得てして、福祉の問題にすり替えられていますが、同時に差別の問題だろうと考えているわけなんですね。福祉は大事ですが、障害者問題は本質的には差別の問題です。先日の参考人の意見陳述で川島聡さんがおっしゃっていた社会モデルと差別は表裏一体のものと思います。たとえば、アメリカの黒人は昔、アパルトヘイトがありました。政策によって人々の意識をうまく使って巧妙に差別政策を行なっていたわけです。それと同じで、障害は大変だろうという意識がまだまだあります。

しかし、一人一人の能力、資質は違って当たり前です。この座談会の場にいる人たちも、それぞれの能力や資質は違います。60億人いれば、60億とおりの能力と資質と個性を持った人たちがいるわけで、障害という言葉でくくると簡単なので、障害と言っていますが、実際、資質、能力によってうまく適応できない集団や組織、個人を、とりあえずは障害をもっている人たち、あるいは障害のある人と言っているのだと思います。

久保さんのお話を伺って、親がいろいろなことが分からないのは、障害に関係なく、親子だから分からない。親子で分かろうとするのは無理なんですよ。私の親も、私を理解しているような理解していないような……(笑)、今となっては、闘う精神を身につけさせてくれた厳しかった親に感謝しています。

あきらめずに貪欲に、自分の人生を取り戻そうとしている三宅さんのお友達の話は素晴らしいと思いました。

私は今、障害者全体にそういう貪欲さが欠けているのではと物足りなさを感じています。障害者の中にも、まぁいいやという風潮があって、制度・政策を語っていれば、一応の形をつくれてしまうというような…。

もっともっと自分の人生を大事に貪欲に夢をもってほしい。結婚したいとか、恋人がほしいとか、そういう思いをなぜ求めていかないのかと思います。必要があれば、差別社会と闘っていく姿勢がほしい。30年前の闘う姿勢がなくなって、制度・政策に何となく寄りかかって解決してしまっているのではという気がして仕方ないのです。もちろん政策も大事ですが、闘う時は闘ってほしいと思います。

石野 私も尊敬する弁護士からいつも「闘うことを忘れるな」と叱咤激励を受けています。

石渡 障害のある人が夢がないだけではなくて、今の若い人全体がそのようになっている社会状況があります。障害の分野で、生き方とか姿勢を改めて問うていくことが、また、社会へ向けての大きな発信になると思います。

石野さんのお立場では、課題は情報保障になりますか。

★いかなる場でも情報保障を

石野 3年前に、ろうあ連盟を中心として聴覚障害者関係団体が集まって、情報・コミュニケーション法の制定を目指して全国的な運動を展開しました。さまざまな立場の団体の方たちも運動して、116万筆の署名を集めることができました。

2011年3月11日に東日本大震災が起きて、津波に遭った岩手県沿岸部から震災後に署名が送られてきました。千筆ぐらいありましたが、行方不明になられた方もいらっしゃるだろうと心を痛めました。やはり、署名は重いものがあります。

東日本大震災で亡くなった障害者の死亡率は、一般の方の2倍という数字が出ています。日本障害フォーラム(JDF)が制作した「生命のことづけ」というドキュメンタリーがありますが、特に情報コミュニケーション環境は何があってもいつでも対応できるという考え方が必要です。

個人的な話で申し訳ないのですが、私は息子も娘も重度の知的障害をもっております。ろうあ連盟の理事長の立場と同時に、障害をもっている子どもの親の立場もあります。息子は悪性リンパ腫で6か月間、自宅で看取りをしていたのですが、最後に息子が病院で亡くなった時、別の場所にいた家内に緊急連絡しようと思っても、院内では送受信防止のため携帯がつながらない。やむなくお医者さんにお願いして連絡してもらいました。情報アクセスもきちんと整備しなければならないと思いました。

障害者基本計画の中に情報アクセシビリティという分野がありますが、聞こえない方々だけでなく、幅広く市民に理解を求めたい。アクセシビリティという考え方を広めたいと、2013年11月に東京の秋葉原で、ろうあ連盟として初めて「情報アクセシビリティフォーラム」を実施しました。3日間で延べ1万3千人を超える入場者があり、半分ぐらいは若い方々でした。若い方々に関心を持ってもらえたことは非常に意味があったと思いますし、市民に理解を求めていく取り組みは大切だと思いました。

石渡 市民にもっともっと広げていくことは、改めて私たち全員の大きな課題だと思います。

★当たり前の人間関係が結べる社会に

三宅 2009年に政府が条約を批准しようとした時、障害者団体は「先に法整備をしないと、批准したからもういいということになりかねない」と反発しましたね。当時、政府の関係者からは、「批准するからこそ、法整備しなければならない効力が出てくる。批准が先だ」という意見を聞きました。理屈は確かにそうですが、長年運動をしてきた障害者団体の皮膚感覚は当たるだろうと私は思いました。結果的には、今回のやり方でよかったと思います。障害者基本法の改正、障害者差別解消法の制定など、完璧に整ったわけではないのでしょうが、主な法整備はされました。

批准によって、堂々と国の義務と法整備を迫る根拠ができたわけで、これからはもっと条約が活用しやすくなると思います。

たとえば、公職選挙法の改正は、私にも印象的な出来事でした。すばやい法改正で被後見人に選挙権が開かれたことはすばらしかった。ただ、選挙権はあっても使い方が分からない人や、投票に行ったことがない人たちもいて、どう選挙権の行使を保障していくのかが次の課題だと思います。

また、批准の条件がだいたい整ったことの一つに、障害者虐待防止法の制定がよくあげられますが、どうやって虐待を発見するのか、虐待されている人が声をあげられるようにするにはどうすればいいのか、根本的な問題までは解決できていないと思います。

私は、知的障害のある女性と仲良くなって、6~7年ぐらい付き合いが深まったところで、彼女から「実は家庭内や職場で虐待されていた」という生い立ちを打ち明けられた経験があります。辛い過去に驚きました。

彼女は今、ヘルパーを利用しながら一人暮らしをしていて、かつて入所施設にいた時代の支援者が今も見守ってくれる存在としてつながっているのですが、心配をかけたくないという思いもあったそうです。彼女は支援者を、プライベートを打ち明ける相手とは思っていなかったんですね。打ち明ければ真剣に協力してもらえたとは思いますが、福祉関係者としか人間関係がないのは、ちょっと寂しいことではないでしょうか? 虐待の問題から派生して、女性障害者に埋もれている問題の発掘は気になっていることの一つです。そもそも友達と呼べる人間関係を作るチャンスが当たり前にある世の中にすることが、条約の目指す究極の目標のような気がしています。

条約という物差しを得た以上、絶えず既存の法律と実態を照らし合わせて、ぶつかるところがないか検証したり、対応できる法律が存在しないなら法律を作るべきだと問題提起したり、課題のあぶり出しをマスコミもやらなければと思います。

石渡 制度や法律で対応できるところもありますが、人間が生きることの基盤として、当たり前の友達関係は大切ですね。

太田さんが福祉ではなくて差別の問題だとおっしゃいましたが、差別を考えることは改めて人権とは何かを問うことにもなります。障害者の権利条約が人権条約として成立したことの意味を考えさせられます。当たり前の生き方を地域でしていく基盤としての人間関係をどう作っていくか。障害のある方たちが本来の自分を取り戻して、言えなかったことを言えるようになる、エンパワメントされることを見据えつつ、法改正、制度改正を考えていくことが大事なのだと思います。また、情報コミュニケーションの支援は人と人との関係性を作る基盤でもあるし、そういうところが意思決定支援にもつながっていくのかと思います。

これからの障害当事者団体、マスコミの役割

石渡 条約批准後、新たなステージに立つことになります。今後の運動の方向性やあり方、当事者団体としての役割などについて、お一人ずつご意見をお願いします。

★障害のある人もいて当たり前の社会に

久保 障害者である前に、○○という名前の一人の人間ですとよく言います。一人の人間として当たり前の生活を実現したいというのは、どんな障害があっても同じだと思います。そういう意味での横のつながりを持ちながら、一般の市民に私たちのことをどう伝え、どう理解してもらって、障害者もいて当たり前でしょう、という社会をどうつくっていくのかということが大きな課題だと思っています。

たくさんの国民が、差別があることを認識している。だけれど、なかなか改善されない。権利条約の中に差別禁止があることを知っていますかというと、知っているという割合がずっと低くなります。差別があると漠然と分かっていても、具体的に何が差別になるのかが分からないことも、改善に向かわない原因であると思います。

根本的なこととしては、障害者の問題そのものが国民の目や耳にしっかりと届いていないことが関心事とならない点も大きいと思っています。

今回、権利条約を批准することが国会で成立したことも、大手の新聞にはあまり記事として取り上げられていないこともとても残念でした。国民の皆さんの頭の隅に、障害のある人たちがいて当たり前の社会、その人たちが同じように参加できる社会という感覚を持ってもらえるように、団体としても力を合わせて活動しなければならないし、マスコミの影響力も大きいと思いますので、ぜひマスコミにもプッシュしていただけるとありがたいと思います。

石渡 権利条約のパンフレットをJDFが作った時に、「みんなちがってみんな一緒!」と差異の尊重を分かりやすい言葉で表してくれました。ここまでたどり着けたのは、JDFのようなさまざまな団体がしっかり結びつく場があったことも大きかったと改めて思います。

★過重な負担、合理的配慮…課題は山積

石野 戦後、新しい憲法ができて民主主義になり、国民には基本的人権があることが謳われ、それ以後、当事者団体の取り組みで、障害者差別が少しずつ変わりつつあるという経過があります。

法律の矛盾を見抜く力は、昔に比べるとかなり出てきていると思います。ただ、見抜く力は一人では難しい。一人ひとりの知恵や団体の知恵を出し合って育ってきたと思っています。政府が法律を作る場合、机上で作ります。現場が分かる当事者団体がもっと発言していかないと、いいものができないと思います。

2016年に障害者差別解消法が施行されますが、検討課題は山積しています。三権分立で司法府・立法府・行政とありますが、障害者差別解消法には裁判所・国会は含まれていない。三権分立の観点からそれぞれの対象機関に含められないとの考えがあるようですが、条約の理念を考えると、三権すべてに対応すべきで、司法、立法にどう盛り込んでいくかが課題だと思っています。

また、特に考えなければいけないのは、負担の考え方、過重な負担に関してです。

2年前の秋頃、情報コミュニケーション施策等に関してイギリスに視察に行きました。数年前に330校あったろう学校が15校に減少していることを聞いてショックを受けました。イギリス政府に「ろう学校から普通校などに転入した実態を把握されているか」と聞きましたら、そこまで正確に把握していないという回答で、手つかずの状態に驚きました。この背景には人工内耳の普及や医学モデルの考え方があるのではと思いますが、それだけではなく、イギリスでは障害者差別禁止法から平等法に変わっているのです。

新しい平等法にいい面もあると思いますが、聞こえない国家公務員にたまたま外国に出張の命令があり、手話通訳が必要だと求めたら、予算がかかるので一人で行けと言われた。納得できないので本人が第三者機関に申し立てをしましたが、過度の負担がかかるから当てはまらないという理由で却下された。残念なことに第三者機関に当事者がいなかった。もし、日本で同じような事例があった場合はどうなるのかと考えさせられました。

石渡 日本では権利条約が話題になってから、ろう学校の役割、意義が再認識されました。デフカルチャーの概念なども定着しつつあって、条約のいい影響かと思っていたのですが。

石野 イギリスは、条約の議論の前に減ってしまったそうです。もっと早く条約が出されていれば、こんな状態にはならなかったと思います。

ろう者コミュニティという言葉がありますが、ろう者だけではなく、障害者もそれぞれのコミュニティが大切です。ろう学校が減って普通の学校にインテグレートされていると、卒業後、コミュニティに入ることができるのか、差し迫った問題だと思います。

また、合理的配慮に関しても、民間企業に対しては努力義務にとどまっています。大企業の研修などでは手話通訳の情報保障はしていますが、中小企業はできていない。なぜかというと、雇用助成金制度はありますが十分ではない。要約筆記は対象外だそうです。現場でないと分からない課題、提言を発信するのは我々の団体の役割だと思っています。ガイドラインについても、これから見直す時が来ると思います。

最後に、これからは地方自治体に新しい挑戦が求められると思います。千葉や長崎などで障害者差別禁止条例が成立しましたが、それぞれの県がもっと積極的に作るべきだと思います。

私たちは「手話は言語だ」という取り組みをしていますが、鳥取県手話言語条例が成立しました。北海道の石狩市などでも同じ条例はできています。この新しい挑戦を求めていきたいし、期待をしています。

★常に闘いを。思いを共有し、世界の変革を

石渡 一つ一つのコミュニティを尊重することも、地域で生きる、インクルーシブ社会を考えていく時の大事な視点だと思いました。太田さん、当事者や団体の役割、運動についてお願いいたします。

太田 障害者の問題は本質的には差別問題であると言いましたが、差別解消法はもろ刃の剣的なものがあります。国が差別禁止法を持ち出す時は落とし穴があって、国の責任を棚上げにして市民のあいだの問題にすべてを置き換えてしまう。現にアメリカやイギリスでも、保守政権の時に差別禁止法はできています。法律は運用のあり方によって大きく変わってしまうので、常に闘いが必要だと私は言っているわけです。

この間、厚労省と懇談を行いましたが、新しい施設の申請があったらすべて認めているという発言がありました。それは、権利条約の考え方とも障害者基本法との考え方とも相反しますが、口先では施設政策を進めると言うのです。そこに対してノーを絶えず言っていかないとだめですし、地域で当たり前に生きたいのだ、一般の市民とふれあいたい、そういう場を多く作ってほしいと積極的に言うことが大事だと思います。その時に、石野さんがおっしゃった障害のコミュニティが必要だろうと思います。同化するのではなく、障害者の集団、グループが思いを共有し、そのグループが主体となって社会を変革することが必要なのだろうと思います。

社会福祉については、確かにいい面もあると考えますが、どうしてもかわいそうな困っている人たちに対する施策という感はぬぐいきれず、インクルーシブという考え方に立った時、僕の立場では注意したいところです。

最後に、今回、国連に対する一般通報制度は見送られていますが、現実に人権侵害が起きた場合の最後の手段となるわけで、これについても批准すべきだと考えます。

行政や国は、情報保障はあまりやりたくないと理解しています。教育や雇用は差別解消法とは別に進めていくなど、面倒なことは避けたいということに対して、障害者団体はそれは違うよと言わないといけないと思います。障害者権利条約と障害者差別解消法もこれから中身をきちんとしていくことが重要で、障害のある人とない人の差別のない社会の実現を早めるのかどうかは、私たちの力次第だと思います。

石渡 当事者として、自分の思い、どう生きたいかを発信し続けること。皮膚感覚は、生活の場から出てくる生の声という感じかと思います。そこが人が生きる、人権を考える時の原点なのかと思います。

★分かりやすく伝えることを大切に

三宅 私は、当事者の皮膚感覚を感じ取れるセンスが記者に備わっていなくてはいけないと日々思っています。

マスコミの人間として障害者団体に期待したいことは、一般の人にも分かる言葉で話を聞かせてもらいたいということ、政府に反対するのでしたら、何がどう問題なのか分かりやすく教えてもらいたいということです。記者は、どう書いたら伝わるだろうかと考えながら取材をしています。差別や合理的配慮など、難しい話をどう報じるか、悩みながら仕事をしているので、力を貸してもらいたいと思います。

そこで、私が気に入っている話を紹介します。千葉県が障害者差別禁止条例を作ろうとした時、タウンミーティングを何度も開きましたよね。研究会の副座長は、視覚障害のある高梨憲司さんという方だったのですが、高梨さんの話はユーモアがあってとても参考になるんです。

――神様がいたずらをして、この町で目の見えない人の人口が多くなったらどうなるか。私は市長に立候補します。当選するでしょう。そして公約には「財政は厳しいし、地球環境にも配慮すべきなので、街の明かりを撤去する」と掲げます。目の見える人たちは慌てて、夜危なくて歩けない、なんて公約をするんだ、と言ってくるでしょう。市長になった私はこう言います。一部の人たちの意見ばかりは聞けません。少しは一般市民のことも考えてください――

大多数がどういう人かによって環境は変わります。大勢の人に合わせることで一部の人が我慢させられる、排除される世の中は息苦しくないですか。大勢のグループの側の人は、配慮されていることに気づきもしないで、一部の人が要求すると「わがまま言うな」となるわけですが、そんなことを考えさせられる話だと思います。

差別解消法はできましたが、この法律のことをどうやって広く伝えていくかが大事です。当事者が分かりやすく教えてくれたら、マスコミはもっと分かりやすく伝える努力と工夫ができます。

それから、情報保障は大事です。推進会議が情報保障に取り組んだのはよかったと思います。手話や字幕だけでなく、挙手をして「○○です」と名乗ってから、ゆっくり、分かりやすく簡潔に話しましょうというルールにのっとって、皆さん努力されました。傍聴しているマスコミも、分かりやすいと喜びました。このような会議の運営や情報保障の仕方は、どの省庁、自治体などでもスタンダードにしていってほしいですね。

石渡 知的障害者が置き去りにされている審議会がたくさんありますが、推進会議は誰一人置き去りにはしない、差異の尊重、多様性の尊重が実現していたと思います。分かりやすい情報の発信は、すべての人を大事にすることにつながると感じました。そういうことがマスコミ関係者の理解を深めるとか、市民の意識を変え、社会が変わることになっていくのかと思います。

権利条約では、働くことと教育が別の枠で議論されていて、当事者の視点が入り切れていないという思いがあります。ここは真剣に向き合わなければいけないと感じています。

私たちが生活感覚、皮膚感覚のようなところから発信していくことが、差別をなくし、障害がない人との平等な社会を実現していく時の大事な基盤なのだと再確認させられました。充実したお話をいただきまして、ありがとうございました。