音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年4月号

時代を読む54

全日本ろうあ連盟の創立
~当事者による活動がスタート~

全日本ろうあ連盟が創立され67年、あと3年で、連盟は70周年を迎えることになります。

戦前、ろう者は「オシ」「ツンボ」などと呼ばれ、一人前の人間としては扱われず、いじめや差別の対象でした。一人ぼっちのろう者が仲間同士で心ゆくまで手話で話し合える集いの場がほしいという願いをもったのは自然の流れだったと思います。

ろうあ運動は、全国各地の聾学校を卒業したろう者が集まって作った同窓会が原点であり、これがろう者の組織の始まりと言われています。

このようにして作られた同窓会が中心となり、大正14年「社団法人日本聾唖協会」を発足させ、組織的な活動を始めました。しかしながら、この組織のトップや主な幹部は聾学校の校長などで占められており、結局は健聴者主導の団体であり、ろう者はその人たちの判断にただついていくだけの状態でした。この協会の活動は、第二次世界大戦で団体活動が停止されるまで続きました。

戦後の荒廃の中、聴覚障害者自身の自立性や独自性を持った活動が推進されるようになり、昭和21年頃から、障害当事者団体として「全日本聾唖連盟」設立を目指して、全国各地に点在する戦前の日本聾唖協会時代の関係者へ手紙で会の発足を呼びかけるなどの運動を始めました。

そして昭和22(1947)年5月25日、群馬県伊香保温泉の「木暮旅館」に約250人の活動家が集まり、全日本聾唖連盟創設の話し合いが行われました。その後、全日本聾唖連盟を結成し、翌年第1回大会を京都で開催することになるのです。

設立当時、汽車(煙のすすで顔は真っ黒になり)に乗るのも大変な時代です。切符を購入するために徹夜で並び、敗戦後の食糧不足で旅館での食事のために各自が米を持っていかなければならないという時代に、全国から約250人のろう者が、その苦労を押してでも木暮旅館に集りました。群馬県伊香保温泉は「ろうあ運動の発祥の地」といっても過言ではありません。

昭和23年5月10日、全国55団体、約5,000人の会員が見守る中、連盟は正式に発足し、全日本聾唖連盟の第1回全国ろうあ者大会が京都で開かれました。

私たちの団体は「ろうあ者による、ろうあ者のための手話言語を基本とした組織的な運動」という方針で立ち上げられています。連盟創立期から現在まで、ろうあ運動は、「ろう者の自己選択、自己決定の環境実現」を一貫して目指してきました。

これからも、これまでの67年に渡る歩みの上に立ち、「情報コミュニケーション法」や「手話言語法」の制定実現を目指して取り組みを続けていきたいと思います。

(長谷川芳弘(はせがわよしひろ) 一般財団法人全日本ろうあ連盟副理事長)