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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年4月号

高等学校における支援ができる組織づくりの試み
~さまざまな困難を抱えた生徒のニーズを把握し支援を開発する~

中田正敏

はじめに

高等学校で生徒と接していると、本当にいろいろな生徒がいる。しかし生徒と話してみると、さらに多様性が浮かび上がってくる。ちょっと変わっているな、と思う生徒と話す機会があると、小さい頃に診断された話とか、自分ではよく分からなかったのであるが、周囲からは疎んじられて苦労したし、今もいろいろ大変だという話を聴く。

話を聴くと、それはひとつの物語のようであり、思わず感情移入することがある。そして、その生徒の将来を考えた時、その生徒が今、必要としているものが把握できると、彼ら/彼女らがそれを手にするためには、その生徒を取り巻く環境について考えざるを得ないことがある。感情移入をしつつも、それに終始することなく、少し距離を置いて、彼ら/彼女らの状況からニーズを把握し支援を提供する必要性を痛感することがある。そして今、彼ら/彼女らのための支援プログラムがなければ、新たな支援プログラムを生徒とともに創(つく)り出さなければならなくなる。

ところで、高等学校は通常学級により構成されている。小中学校のように、特別支援学級や通級指導教室は設置されていないし、小中学校のような特別支援教育の専門的な知識をもった人はまだ少ない。しかし、これまでの高等学校でもいろいろな形でニーズを把握して必要な支援をするということは、決して十分ではないにしてもある程度できている。

この論文では、そうした高等学校がニーズを把握し必要な支援を行うという活動を持続可能な形で展開できる可能性について、神奈川県立田奈高等学校の一教員として参画の機会に恵まれた文部科学省の研究開発校としての実践を踏まえて考えてみたい。

1 学校組織全体としての取り組み

「高等学校における特別支援教育の推進について」高等学校ワーキング・グループ報告(2009年)では、「生徒指導や教育相談において発達障害のある生徒に多く対応している」という側面に着目し、特別支援教育の推進のための体制整備については、「新規に校内委員会等を設置することも考えられるが、高等学校においては生徒指導部や教育相談部が機能している」場合が多いことから、「既存の校内組織を活用する」方向性で「各学校の実態に最もふさわしい体制の確立を図るべきである」としている。

また、発達障害による困難を抱えた生徒とともに「発達障害による困難以外にもさまざまな課題を抱えている生徒がいる」として、こうした生徒たちに対応するための教育相談体制の充実が特別支援教育の体制の充実につながるものであるとしている。そして、「高等学校における特別支援教育が、特別支援教育コーディネーターをはじめとして一部の教員の取り組み」にならないよう、学校組織全体で取り組む必要性について指摘している。

ところで、「特別支援教育を推進するための制度の在り方について(答申)」(2005年)では、次のように、特別支援教育の定義をしている。「「特別支援教育」とは、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うものである。」

おそらく、学校組織全体が、特別支援教育の本質である、生徒の多様なニーズを把握して必要な支援をしていくという取り組みなしには、既存の校内組織が機能することは難しいだろう。

以下、学校組織全体としての取り組みの実践例を示したい。

2 実践(1)~支援の起点としての対話的関係性~

【廊下での対話】

「うちの生徒は話をしてみないと分からない」という表現がある。その枠組みでいろいろな場面をみているうちに、「廊下での対話」という言葉で、支援の契機となる可能性のある日常的な出来事を言い当てる必要があると考えるようになった。コンセプトにはある事象を把握するという語源がある。その意味では、「廊下での対話」はひとつのコンセプトである。

授業中、廊下で座り込んでいる生徒に対して「どうした?」と声をかけることが、生徒の声を引き出す契機となることがある。ルール違反であるから叱ることも対応のひとつであるが、何かありそうだと直感した場合には丁寧に話を聴く。すると、目の前の「困った生徒」が、実は、発達障害なども含めて、ある複雑な背景によって、一人では解決できない問題に直面して「困っている生徒」であることが分かることがある。この転換は支援への起点になる。

「困った生徒」という表現は、ある一定のあるべき水準に達していないという意味で「否定的定義」、あるいは「消極的定義」であることが多い。L・S・ヴィゴツキーは「○○ができない。○○でない」という表現は何ら生産的な動き、支援に向かう動機を生み出せないし、優れた理論や実践に結びつかないことを指摘している1)

「困っている生徒」という表現は、何らかのニーズはあり、何らかの活動をしたいと思っているのであるが、何をしたいのかが具体的につかめない状況にある生徒という把握が可能である。これは、積極的な定義、肯定的な定義に近い。だからこそ、そこが支援を創りだす起点になるのである。

ところで、その生徒の苦境を把握しても、その場ではどうしてよいかが分からないこともある。大事な話だから、後で話そうという形にして、話を聴いた教職員は職員室に戻る。

ここまでのプロセスについて考えてみると、話を聴かないで済ます対応をすると、「困った生徒」という理解は固定されたままで、支援への道筋は立ち消えになる。また「困っている生徒」であることは分かったとしても、聴き手が一人では解決できない場合、これもまた、立ち消えになるリスクがある。そこで、次の局面が重要になる。

【オン・ザ・フライ・ミーティング】

自分一人では解決ができない状況にある教職員は、職員室に戻り、居合わせた同僚に、今、出会った生徒の話をする。どう考えたらよいか、を聴いている最中に、その生徒のことをよく知っている教職員が通りかかり、何となく話し合いの輪に入ってきて、話が盛り上がり、これが実質的には協働の端緒になり、この段階でも支援の糸口が見つかることがある。

こうしたインフォーマルな対話は、ほとんどあまり意識することなく行われているが、これを言い当てる言葉、あるいは把握するコンセプトとして「オン・ザ・フライ・ミーティング」という言葉がある。これは、フォーマルな会議である「オン・ザ・シート・ミーティング」に対して、それを補完するために前後で実施されている立ち話を示している2)。多様なニーズに応じる現場では、実質的にはオン・ザ・フライ・ミーティングが主流となるし、また、ならざるを得ない。このプロセスに入ると、具体的な支援に至る道筋がかなり見えてくる。

【チーム・アプローチ】

生徒の抱える問題によっては、オン・ザ・フライ・ミーティングの延長線上に、固定したメンバーによるチーム・アプローチがとられる。かなり長期にわたる持続的な支援が、ある程度固定したメンバーによって行われる場合がある。しかし、そうした期間にも、踏まえるべき観点がある。それは「ノットワーキング」という観点である。

ノットとは結び目を意味する。このコンセプトを打ち出したエンゲストロームによれば、「協働の中でなされる仕事の中で、ノットは結ばれたりほどけたりするが、特定の個人や固定された組織がコントロールの中心になるわけではなく、ノットをそのような存在に還元することはできない。主導権のありかは、一連のノットワーキングにおいて、刻々に変化していく」動きである3)

つまり、この観点から見れば、必要に応じて、チームアプローチはオン・ザ・フライ・ミーティングに転換することもあるし、その逆の動きもあるだろう3)

3 実践(2)~さまざまな領域における支援~

【生徒支援】

生徒支援について考えてみたい。

発達障害の生徒をめぐっては、校内の生徒指導部と教育相談部が協働できない状況が時として顕(あらわ)れることがある。分掌という仕事上の単なる分担が、支援の障壁となるリスクを回避するためには、双方が「廊下での対話」や「オン・ザ・フライ・ミーティング」を通して、「困った生徒」は実は「困っている生徒」であったという転換を経験しているかどうか、が分岐点になる。こうした転換を経験しているという共通項が、分掌のあいだの障壁を崩す糸口になり、最も有効な支援が成立する。

また、生徒支援とは、生徒と生徒の関係性をどう支援するかという問題でもある。たとえば発達障害があって、日常的な学校生活で、授業中の騒がしさに耐えられないことや、他者の気持ちをよく理解できないなどの困難を経験している生徒について、周囲の生徒は、その生徒の理解しがたい、奇異とも思える行為に苛立ちを覚えることがある。全く理解することが困難であると考え、自分とは違う、理解しがたい存在と思ってしまい、望ましくない生徒同士の関係ができてしまうことがある。

しかし、そのような周囲の生徒が、教職員との対話を通して、自分も困難を経験していて、かなり理解しがたいことをしてきたことに気づき、さまざまに支えられてきて何とかなっている、という経験をしてきたことに気づいた時、「自分と理解しがたい、自分とは違う生徒」との共通点に気づくことがある。自分とは全く違う要因かもしれないが、同じように「困っている生徒」であることに気づく可能性がある。その後はすべてうまく展開するとは限らないが、そこから先はリスクは少なくなるという見通しも成立する。

【保護者支援】

何らかの要因があり、教職員が目の前の保護者を「困った保護者」として認識し、また、保護者が目の前の先生を「困った先生」として認識することがある。これは、教職員と保護者の協働を阻む障壁である。そこには、お互いに、ある基準、水準に至っていないという「否定的定義」の枠内に留(とど)まっている状況がある。お互いに「困った存在」として考えているうちは、支援には至らない。双方が、子どもが「困った子ども」から「困っている子ども」へと転換したプロセスの経験を伝え合うことにより、実は、「困っている保護者」、「困っている先生」というように認識することで協働の素地ができる可能性がある。

【学習支援】

学習に困難のある生徒については、さまざまな試みがなされているが、ここでは、学習スタイルに関する支援と支援的な研究授業について考えたい。

生徒は、自分の学習の方法について学習する機会をもたないまま、高等学校に入学してくる。それぞれの生徒がどのような学習方法が適切かについて学習相談をする支援が必要である。記憶することが苦手な生徒には、書いて覚える等の方法を試みる機会が不可欠である。生徒の苦境については把握しさまざまな試みをしてきたが、うまくいかないという場合、発達障害の専門家の示唆は貴重であるし、生徒との対話をとおしてニーズを把握している教職員には浸透しやすいのである。

授業については、教職員同士で授業者の良いところを伝え合う方法がある。そこで注目されたのは授業中のコミュニケーションである。「廊下での対話」だけではなくて、「授業中の対話」の中にも支援の糸口がある。

また、授業の際に、ビデオ撮影をする場合、被写体は生徒たちという形をとった。学ぶ様子を共有化する中で、どのような展開が生徒の学びを促進するか、阻害するかがテーマとなり、学習する主体としての生徒がどのような苦境にあるかという観点で授業をみていくことが可能である。

【キャリア支援】

生徒支援、学習支援の質が高まるにつれて退学者は減少する。しかし、卒業に至っても、さまざまな事情により、進路を決定することなく卒業していく生徒が多いという現状があった。卒業した生徒も、中退した生徒も、仕事先で困ったことがあると学校を訪ねてくる。顔見知りの先生に相談したいからである。教職員も十分には対応できないことから、在学中から専門的な立場の人がいて相談に応じることができるようにキャリア支援センターをつくり、そこで、インターンシップとアルバイトを結びつけた「バイターン」などの独自の支援プログラムを考えだす仕組みが構築された。

また、生徒が相談しやすいように、図書室にNPOの人材で、かなり広範囲のテーマに対応する第一次的な窓口機能が果たせる相談コーナーを設置するなどの工夫をしている。そこを起点として、校内外のさまざまな資源を組み合わせた支援プログラムを開発する動きが起こっている。校内の対話のできる関係性が校外のさまざまな人材を包摂し、対話的な関係性の中でこれまでにないアイデアが生まれている。

4 展望

学校組織全体としての取り組みというと、コーディネーターの指名と校内委員会の設置がよく取り上げられる。本論では、「廊下での対話」と「オン・ザ・フライ・ミーティング」、「チーム・アプローチ」が有機的に結びつくことで、対話的な関係性の中で生徒の実態を動態的に把握し、支援が生成される土壌ができていくことを示した。こうした土壌なしにはコーディネーターも動きにくいし、校内委員会も機能しにくいだろう。

しかし、こうした関係性の土壌があると、コーディネーター、養護教諭、スクール・カウンセラー、生徒指導の担当者などが、現在進行中のさまざまな問題について情報共有し、さらに支援を開発する切り口を見いだしていくためのチームを自発的に構成することもみられた。それは、オン・ザ・フライ・ミーティングの形をとることが多い、極めて機能性に富むチーム・ミーティングである。これは、校内委員会の最も柔軟で機能的な仕組みのひとつであろう。

また、こうした関係性の土壌があると校外の専門家や専門機関との連携も、一部の人に外部資源は任せるということはなく、オン・ザ・フライ・ミーティングによって外部資源が深く内部に浸透し、さまざまな資源の組み合わせが可能となり、実質的な支援を生成しやすいという側面もある。

学校組織の本体に対話のできる関係性を形成することが重要である。これがインクルーシブな学校づくりにもつながるのではないか、と考える。

(なかたまさとし 明星大学特任准教授)


【参考・引用文献】

1)Выготский, Л.С. (1929) Основные проблмы современной дефектологии. Собрание сочинений том пятый. (1983)

2)Marth E.Snell and Rachel Janney : Teachers Guides to Inclusive Practices, Collaborative Teaming (2000)

3)山住勝広、ユーリア・エンゲストローム著(2008).ノットワーキング.新曜社