音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年4月号

当事者研究の意義とこれからの活動

綾屋紗月

初めての集団生活である幼稚園に通った時から、私は子どもたちの輪の中に混ざることができなかった。子どもたちと私との間にはガラスの壁があるようで、私には遊びのルールや楽しさが伝わってこなかった。しかし時々、ふいにその壁が消え、大声で話しかけられたり、突き飛ばされたりするので、私は不安と緊張でギュッと身を固め続けていた。

いずれ集団に溶け込めるようになるのだろうと思っていたが、小・中学生になっても、そのような自分はやってこなかった。張りつめた心身は高校生の時に耐えきれずに壊れ、しばらく学校に通えなくなった。私の中にはずっと「私は一体何者なのだろう」という問いがあり、ぐるぐると抜け出せない悩みを綴ったノートは何十冊にもなった。

30歳を過ぎた頃、私が抱えている困難とよく似た症状について、当事者自身が記述した本に出逢った。そこには「アスぺルガー症候群(自閉症スペクトラム)」とあった。私の困難が他者に伝えられるならば、私もその名前がほしい! 私は医者を探した。

診断書を手にした日、「これでもう、自分が何者かを説明できるし、あとはひっそりとおだやかに暮らしていける」と心が軽くなった。しかしその期待はすぐに裏切られた。アスぺルガー症候群の診断基準は「社会性/コミュニケーションの障害」といったものであるため、他者とのすれ違いがあった際に、「コミュニケーション障害があるあなたが悪い」と、私だけが悪者にされる経験が続くようになったのである。これはおかしい。コミュニケーションは相互作用なのだから、「コミュニケーション障害」という現象も、どちらか一方に帰責することはできない、人と人との「あいだ」に生じるすれ違いのはずである。

この診断名では危ない。急いで別の名前を探さなければならない。でも自分探しの旅はもう疲れた・・・そんな時「当事者研究」に巡り逢った。当事者研究とは、困りごとを抱えた本人が、自分自身のことを研究(観察・仮説・実験・検証・共有)するというものである。自分に対するわからなさが長年のテーマだった私にとって、自らを研究対象とするというアイデアは、とてもわくわくするものだった。

研究の結果、私は自身に対し、「身体内外からの刺激を、細かく大量に等しく受け取ってしまうので、意志や行動をまとめあげるのがゆっくりである」という仮説を立てた。その仮説をもとに、幼少期からの数々の困難を人に伝わる言葉にできるようになっていった(綾屋・熊谷、2008)。今では診断名への過度な依存も薄れ、社会や環境が変わるべき部分と、自分自身が変われる部分をその都度、慎重に検討、調整できるようになってきたのではないかと思う。

2011年8月からは、困りごとを抱えた当事者と共に当事者研究会を行なっている。現在、仲間と共に当事者研究を進める上でのポイントとして、私が意識しているのは以下の三つである。

一つ目は「具体性」。悩みを抱えた私たちは自らに問いを立てる際に、「なぜ私にはみんなの楽しさがいつも伝わらないのだろう」というように、「みんな」「いつも」といった抽象的な言葉を使いがちである。それは他者から「あなたっていつも○○だよね」と一般化した解釈を負わされてきたことによる場合もあれば、知識不足によって大雑把な認識に自らはまり込んだ場合もありそうだ。しかしそれでは研究は進まない。「いつもって本当に毎回?」「みんなって誰?」と仲間同士で問い返しながら、具体的なデータを、時間軸に沿って徹底的に出し合うことが、まずは不可欠な作業だと考えている。

二つ目は「構造性」。何か問題が生じた場合、私たちには「悪いのはあなただから謝れ」「私のせいなので辞めます」と責任問題にする習慣が身についている。しかし私たちの研究目的は、犯人探しでも責任追及でも謝罪を要求することでもなく、ただ、何が起きているのかメカニズムを解明することなのである。

三つ目は「共有性」。仲間同士では、記憶の仕方にばらつきがあったり、不安が高じて妄想に走ってしまったりすることによるすれ違いが生じやすく、研究ミーティングの内容であっても、後から「言った/言わない」の争いのもとになることが少なくない。そんな中、複数名で研究データを共有することは命綱になってくる。また、困りごとを人に打ち明けることに怯え、「誰にも言えない」「あなただけに話す秘密よ」と、つい密室に閉じ込めておきたくなることも多い。しかし、人に伝えようとする時に初めて言葉は生まれるものなので、あきらめずに安全な場所を探し続け、多くのさまざまな聞き手と語りをわかちあうことが必要だと痛感している。

社会とのすれ違いを個人の持つ特性として押しつけるかたちで記述する「社会性/コミュニケーションの障害」という発達障害概念によって、教育・就労・司法・家庭など、さまざまな領域から排除されてきた仲間たちが抱える困りごとには当然、多様性がある。そのため、当事者は自らの抱えるニーズを把握しづらく、他者に伝わるかたちで説明するための言葉も持ちづらい現状がある。そのような状況において自分自身を仲間と共に研究する当事者研究という取り組みに、私は少なからぬ可能性を感じている。今後も細く長く、研究活動を続けていきたい。

(あややさつき 東京大学先端科学技術研究センター特任研究員)


【参考文献】

・綾屋紗月・熊谷晋一郎(2008)『発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい』医学書院