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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年4月号

ワールドナウ

ドミニカ共和国のろう学校での活動報告

広瀬芽里

Hola! 初めまして、広瀬芽里(ひろせめり)と申します。私は先天性の感音性難聴の障がいがあります。コミュニケーション手段は主に手話です。

2013年1月から青年海外協力隊員として、ドミニカ共和国の東部ラ・ロマーナ県にあるNGO「子どもの家」のろう学校で、ろうの子どもたちの指導に当たっています。毎日、元気いっぱいの子どもたちに手話、算数や基礎スペイン語を教えています。

国際協力活動への関心

私が青年海外協力隊に興味を抱いたのは高校時代です。当時は、障がい者の応募が認められていなかったのであきらめていました。社会に出ていろいろな国を旅する機会を得ると、国際協力に関する思いは一層強くなりました。

旅の目的の一つに、その国のろう者との交流があります。中国では、ほとんどのろう者は仕事に就けず、また障がい者に対する手当も全くないため、生きるためにスリや売春などで生計を立てている人も少なくないようでした。パラグアイやペルーで偶然出会ったろう者も、仕事がなく両親や親類に依存しているという状態でした。田舎の方に行くと、ほとんどのろう者は家に引きこもっていて、手話は使えずホームサインが主でした。このような状況を目の当たりにし、同じ障がい者として何かできないだろうかという思いが強くなっていくのでした。

私は、東京で世界各国の手話を学ぶ手話スクールを経営していました。海外からろう者が日本へやってくるたびに手話スクールに立ち寄ってくれました。日本に研修で来ていたフィリピンのろう者は、自分の住んでいる島(サマール島)にインターネットカフェを作りたいと意欲的でした。彼女は会うたびに将来の夢を語り、私はその考えに感銘を受けて、インターネットカフェ設立のための支援活動を始めました。文化や言葉の違いなどで設立するまで時間が結構かかりましたが、何度も慎重に話し合ったおかげでカフェは無事開店し繁盛しています。

ほかにも2002年にアメリカで行われたDEAF WAYの一環で、開発途上国に住む優秀なろう者がアメリカの大学で教育を受けられることを目的とした募金活動を行いました。世界中から集まったろう者19人で、ロサンゼルスからワシントンDCまで2か月間、自転車で横断しながら募金活動をし、10,000ドル(約100万円)を超えるお金が集まりました。

応募のきっかけ

ただこの頃、経営していた手話スクールはあまりうまくいっていませんでした。私としては、語学学校のようにビジネスとして起業したつもりでしたが、時期尚早だったようです。そんな折、アメリカでは何人かのろう者が起業し会社を経営しているという情報を得ました。実際に、この目で現場を確認し勉強したいと思いました。そこでダスキンの障害者リーダー育成海外研修派遣事業に応募し、アメリカに留学&インターンシップをさせていただくチャンスを得ました。留学中は世界各国から集まったたくさんのろう者と交流をし、各企業でのインターンシップなど貴重な経験をすることができました。

研修が終了し日本に帰国する前に、子どもの頃から憧れていた南米に3か月横断の旅をしました。ブラジルで、当時DPI日本会議から派遣されたスタッフの方と過ごす機会がありました。彼女と共に活動している方々とすばらしい交流をすることができ、これが青年海外協力隊に応募するきっかけの一つとなりました。

日本に帰国した後も、国際協力への思いは募る一方でした。あきらめきれず青年海外協力隊へ応募し、そしてついに高校時代からの夢が叶いました。

当初、赴任先はブラジルの予定でした。派遣前訓練としてポルトガル語をマスターしました。しかし、いざ出発という時にビザが取得できず、急遽(きょ)ドミニカ共和国に変更となってしまいました。そして、スペイン語をマスターするために再び訓練を受ける必要があると言われ、大変な衝撃を受けました。しかし、挫折したら今までの苦労が水の泡。プライドも許さない!ということで、再び派遣前訓練を受けることにしました。訓練中は、スペイン語なのにポルトガル語が出てきたりしていつも先生に怒られていました。でも他の訓練生たちと目標を一つに協力し合い楽しく過ごせたおかげで、晴れて青年海外協力隊員となりました。

ろう学校での活動

赴任地のラ・ロマーナは、ドミニカ共和国で随一の観光地で世界中からやってくる観光客で賑わっています。しかし、観光地を外れるとサトウキビ畑やスラム街がどこまでも続いています。配属先のろう学校は、スラム街から通ってくる生徒たちがほとんどです。なかには毎日2時間以上歩いて通ってくる生徒もいます。生徒は全部で75人くらいですが、ほとんどの生徒はスペイン語と計算が苦手です。赴任当初は、授業中の私語や席を立ったりする子どもが目立ち、大変な所に来ちゃったなという気持ちが強かったです。

ろう学校には教科書や教材がありませんでしたので、できるだけたくさんの単語カードを作ろうと決心しました。ろうの場合、すべて視覚で物事を把握することが多いので、絵カードやポスター作りに時間をかけています。動物、色、食べ物などの絵を新聞のちらしやネットでプリントアウトしたものを切り抜いて、カードに貼り付けます。表面は絵、裏面はスペイン語です。ないものは絵を描いたりしています。子どもたちに必要な単語をざっと計算したら6000語くらいありました。気の遠くなる作業ですが、毎日少しずつ時間を作って作成しています。

このようにして作った絵カードを子どもたちに見せて、これは○○だよ!と手話で教えています。ある程度言葉を覚えてきたら、今度は、カードの絵面を裏返して手話で表現しながらスペイン語で探してもらう、かるた遊びをしています。算数も石ころや果物を使って、足し算、引き算を教えています。日本には九九の歌があるのですが、ドミニカ共和国にはないので覚えてもらうための工夫をいろいろしています。

最初は、生徒たちは何を言っても知ったかぶり、私の質問に答えようとしなかったり、話を聞いてくれなかったりとひどい状況でした。しかし、今は私の話をきちんと聞いてくれるようになり、積極的に質問してきたりするなどだいぶ変わってきています。また、ろう者でもできるという自信をもってくれた気もします。

両親も家では先生となって教育する必要があるので、時々家庭訪問を実施しています。しかし、貧困街に住む両親のほとんどは教育を受けていないのでスペイン語が書けません。教育より仕事がモットーという両親を説得するのに時間がかかりますが、あきらめずに続けていきたいと思っています。

また毎週金曜日に、両親のための手話講習会を開いています。少しでも多くの両親が手話をマスターし、子どもと手話でコミュニケーションをとってくれたらと思って始めました。現在では、両親たちも手話講習会に毎週来てくれるようになりました。子どもたちと手話で話そうという気持ちが見えてきたのでうれしく思っています。

終わりに

他に、学校近くの海沿いにあるCASA DE CAMPO(カサ・デ・カンポ)という高級住宅地の住民を対象に手話クラスも行なっています。少しずつですが、聴者にもろう者に対する理解を得てもらっています。同僚たちも私の活動のために仕事の量が増え、大変申し訳ない気持ちですが、いつも彼らからエネルギーと元気をもらっています。週末は時々、一緒に踊りに行ったり、飲みに行ったり、また、カリブ海でサーフィンや釣りをしてストレス発散をしています。

今は、少しでも多くの子どもたちがろう者として誇りを持ち、自立できるようになってほしいと強く願っています。また、私がろうの教師として教壇に立っていることを、ろうの子どもたちのロールモデルにしてもらえればと思っています。

最後になりますが、JICA中間報告会のために動画を作りました。ご覧いただけると幸いです。最後まで読んでくださってありがとうございました。

https://vimeo.com/80693858