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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年4月号

ほんの森

障害者の介護保障訴訟とは何か!
―支援を得て当たり前に生きるために―

藤岡毅・長岡健太郎著

評者 荻原康一

現代書館
〒102-0072
千代田区飯田橋3-2-5
定価(本体1600円+税)
TEL 03-3221-1321
FAX 03-3262-5906
http://www.gendaishokan.co.jp

障害者は、優生政策によって生きることや子孫を残すことを否定された時代があった。また、精神障害者は、家族の責任で家屋内に閉じ込められることを強要される時代もあった。そして、現在でも、家族介護を含んで制度が設計され、自立した生活は否定され、生命をも危ぶまれる状況がある。しかし、本来、日本国憲法や福祉関係各法の諸規定によって、人間らしく生きる権利が保障されているはずである。そこで、障害者やその家族、関係者は必死に抵抗し、その抵抗は団結をもって運動となるが、ときに国や自治体を相手に法廷で争う。つまり、人間らしく生きることを求める運動のひとつの局面が、訴訟であるといえよう。

本書の目的は、障害者の法的権利性を明示し、訴訟の背景、判決の到達点・問題点、今後の行政への対応などを述べ、障害者の介護保障の実現に寄与することである。本書の中心となる第4章「裁判での闘いと判例」では、いくつかの訴訟を扱うが、ここでは1日24時間の介護保障を求めた「石田訴訟」について紹介したい。

まず、石田さんの身体状況と生い立ちから、重い障害をもっていても、地域での自立生活を渇望する心情が伝わる。しかし、和歌山市はこれを認めず、事業所の協力でようやく実現する。その後、自宅浴室へのリフト設置、さらに、障害者自立支援法施行による新支給基準への準拠と、市の施策転換で支給量が削減される。その結果、空白時間帯の失禁による衣服等を濡らしたままの長時間の放置、それによる疾病、また睡眠不足や外出の削減など、多くの生活や生命の困難が生じ、訴訟を決意するのである。裁判は一審、二審(確定判決)ともに勝訴と呼べるものだが、画期的といわれた一審の和歌山地裁判決も実は多くの問題点があり、また二審の大阪高裁判決に対してもその意義と問題点を鋭く指摘する。

読み進めるにあたって、石田訴訟に限らず、必要な介護が否定された障害者の生活実態は心苦しく、行政には強い憤りを感じた。同時に、裁判制度の有効性や裁判官の人権感覚にも疑問を呈したくなる。ただし、障害者の人権や生活は、著者たちのような人権感覚あふれる法律家・弁護士の下支えによって成立することも間違いない。

障害者の介護保障訴訟・違憲訴訟の意義は、障害者政策ばかりか、社会保障政策にまで、また障害者運動のみならず、社会保障運動や護憲運動にまで及ぶ。

本書は、障害者の生活実態の詳細な記述も含み、人権、運動、制度・政策それぞれの意義やそれらの関係を考察するにも、最良の書である。

(おぎはらこういち 日本福祉教育専門学校専任講師)