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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年8月号

列島縦断ネットワーキング【埼玉】

障害者就労支援から生まれる日本の未来!

新井利昌

就労支援に関わる経緯

埼玉県熊谷市にある埼玉福興(株)は、1996年、障害者の働く場所がない状況を知り、大手の下請けからスタートしました。現在は農業生産法人として、農業分野での障害者雇用を進めています。スタッフは9人のうち、重度知的障害者1人、精神障害者1人です。

会社を立ち上げるきっかけは、両親が行なっていた縫製業からの事業転換です。1993年、ある社会福祉法人の理事長の方と出会い、その法人の知的障害者の生活寮としてスタートしました。自宅を改装し、障害者を受け入れ、家族の一員として共に暮らすことになりました。彼らの生活を身近で見て、障害者が働く場がないことを知ったのです。

1993年にスタートした生活寮は、その後NPO法人となって独立し、現在は会社とNPO法人を運営し、障害者の自立支援を中心とした生活支援・就労支援・障害者雇用など、すべての分野をサポートしています。入寮している障害者は知的障害、精神障害、発達障害、引きこもり、触法障害者など、20歳から80歳までの30人で、福祉施設でも受け入れが困難なケースを支えています。

現在は、新たにグループホームを作り、「働く」という理念をしっかりおいた生活の場を確保し、同時に、働く場として農業分野での可能性を広げていくことを計画しています。

下請け業務から農業への転換

企業の下請け業務では、縫製や組み立てなど、さまざまな作業に携わってきました。毎日同じ作業を繰り返す仕事を常時確保することが、持続可能な雇用を成り立たせていました。しかし、企業の海外移転や単純作業が機械化され、下請け整理で受注が減り、仕事自体がなくなりました。仕事ができても仕事がなくなるということの繰り返しでした。そして、下請けをすべて集める会議が開かれることになった時、下請けの仕事はやめてスローライフで生きていこうと決断しました。

食料は人間が生きていくうえで欠かせない物で、仕事だけは続けられます。機械化できない作業に人手が必要とされることや、担い手不足といったことから、農業こそが生き残れる道なのではないかと思い、農業に舵を切りました。

障害者も作業ができる農業

2004年から個人で農家となり、障害者でも農業ができるシステムの研究を始めました。地域の農家や農林振興センターの方たちの支援を受けながら、2007年、埼玉県ではじめて異業種からの農業生産法人の認可を得ることができました。

農業を始めたころ、土にこだわりさまざまな失敗の中、先の見えない日々が続きました。ある時、富山県にある「有限会社野菜ランド立山」は農業分野の水耕栽培で障害者を雇用しているパイオニアであることを知り、すぐに助けを求め見学に行きました。そこで水耕栽培を知りました。天気に左右されないハウスの中に整然と並ぶ一面のサラダほうれん草を見て、今までのこだわりを捨て、その場で直接師事し、ノウハウを取り入れて、サラダほうれん草を育てるハウスを建てることを決めました。

水耕栽培をきっかけに就労支援B型事業所も立ち上げました。さまざまな障害者を受け入れるため、農作業は自然と畑から水耕栽培へと広がりました。水耕栽培以外の畑や施設栽培の状況は、現在3ヘクタールの圃場(ほじょう)で、玉ねぎを中心とした野菜とオリーブの果樹栽培、特例子会社と連携した花卉(かき)栽培、地元の資材会社との連携による野菜苗などの生産を行なっています。

農業は有機農法。畑にしても、水耕栽培にしても、消毒・農薬は使いません。玉ねぎは基本的に特別栽培をしています。消費者のみなさんに安心して食べてもらえるものを作っています。

どうしたら障害者でも農業ができるのか、仲間を作りたい希望も込めて少し紹介したいと思います。私は農業のことを何も知らずに素人から農業を始めたため、初めは地元の農家の方に教えていただきました。スタッフ、障害者ともにまずは農業という空気に慣れてもらいました。作業は、袋詰めから始め、そこから作物を一緒に作ろうかという流れにもっていきました。

農業は苗を作るところから分業できます。種をまく人、土をかぶせる人、水をまく人、畑を耕す人、苗を植える人など、できる部分をみつけ、作業に人を当てはめていきました。そして、収穫は全員での作業。障害があってもできる作業は必ずどこかにあります。水耕栽培では、一番大事な苗作りの部分は工場的にできる苗テラスを導入しました。それ以外はすべて手作業です。365日、繰り返しの作業を作ることができています。

協働事業で地域が変わる

私たちは障害者雇用を進めるということ以外に、企業と福祉の中間支援組織をつくることが必要だと考えています。さらに、国の一番大事な食料問題を解決すべく農業の担い手となり、農業と福祉の中間支援組織としての役割も必要であると考えています。

農業でいえば、栽培指導は農家の高齢者が、そのほかの農作業は障害者が担うことで、高齢者と障害者のワークシェア農業を進めてきました。このほか、農業資材を扱う企業から機械や資材などの提供を受けて協働事業を始めました。また、産直団体との販売の連携や他の社会福祉法人に栽培指導し、仲間を増やして作付面積を広げ、できた農産物の買い取りまでの事業、農家の方たちとの共同出荷など、外部のサポートを受けながら共に事業を展開しています。そして現在も、企業や地元農家、行政機関などの支援を受けながら規模拡大を進めています。

昨年は日ごろお世話になっている農家やレストランシェフ、行政、販売会社、福祉関係者、学童保育に通う子どもたち、特例子会社等を招いて、オリーブ収穫祭を催しました。これは、社会の中でさまざまな関わりを構築してきた弊社で働く障害者たちの活動の成果だと考えています。収穫祭を開催して、地域から社会が変わり始めてきていることを実感しています。

100万本のオリーブの木を目指して世界へ

下請け業務をやめると決断した時、熊谷にないものをやろうと考えていました。苦しみ考えた末に「オリーブ!」が閃(ひらめ)きました。何のあてもない中、小豆島に飛び、そこで運命的に井上誠耕園の会長さんと出会い、師事を求め、当時の池田町の振興課からオリーブの苗木を譲っていただくことができました。オリーブの苗木を車で小豆島まで取りに行き、みんなの手で植えた300本のオリーブの苗木も今年で10年目を迎えました。

その苗木をもとに、市内にオリーブ園を展開しています。オリーブは温暖な気候で栽培されますが、関東圏でのオリーブ園として世界進出も目指したいと考えています。

幸い、そんな想いが少しずつ実現しつつあります。今年3年目の出品となる熊谷産オリーブオイルが、OLIVE JAPAN 2014で世界各地から出品された400本の中から銀賞を受賞しました。

これからの夢

私の一番の思いは、社会での適応が困難な障害者などが「働く」ことで社会での役割を果たし、社会から必要とされる環境づくりをしていきたいと考えています。そして“その場だけ”ではなく、一生涯の暮らしを考えたトータルな支援を創造し続けることを目指して、これまでの経験や考えにとらわれることなく、チャレンジする精神を持って、障害者雇用・就労支援の輪を広げていきたい。

(あらいとしまさ 埼玉福興株式会社)