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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年11月号

3.11復興に向かって私たちは、今

夢にむかって

井出美由紀

福島県双葉郡川内村の小学校と中学校を卒業。高校には行かず就職をしました。

仕事場では注意されることが多く、やめてしまいました。両親の仕事を手伝っていました。18歳の時に村の役場の人から紹介されて、自立に向けて施設に入所しました。アフターケアセンターで自活訓練をして、富岡町のグループホームにはいり、就労継続支援B型事業所に通っていました。

平成23年3月11日は、B型事業所で仕事をしている時に地震にあいました。クリーニング業の仕事場は、物がたおれてすごくこわかった。みんなと一緒にひなんできたので安心でした。富岡町にある入所施設⇒川内村にある入所施設⇒川内村小学校へと、グループホームの人たちと一緒にひなんしました。そのあと家族と合流しました。『自分だけ家族と一緒にいていいのかな?』とつらい気持ちになりました。

それから家族と千葉県の親せきの家にひなんしました。親せきの人たちはとてもやさしくしてくれました。「何もしなくていいよ」と言われましたが、することがなくていづらいような感じがしました。1週間くらいおせわになって、田村市までもどってきました。グループホームのともだちのことを考えると、自分だけ家族といることが悪いことのように感じてしまい、家にひきこもりになってしまいました。

郡山市に仮設住宅ができたので、6月からおばあちゃんと一緒にすみました。お父さんとお母さんもとなりにすみました。

郡山市にきてから、お父さんが私のそうだんをできるところをみつけてきてくれて、仕事のそうだんをしました。就労継続A型事業所を紹介してもらって、はたらくことにしました。老人のグループホームのお弁当などを作る仕事です。

川内村が帰村(村にかえってもだいじょうぶです)せんげんを出したので、おばあちゃんは川内村にかえりました。おばあちゃんは、すみなれた川内村がいいそうです。お父さんとお母さんもおばあちゃんがしんぱいだし、仕事があるので川内村にかえりました。

私は、仮設住宅で一人ぐらしがはじまりました。できるだけ自分で料理を作って食べるようにしようと思っていたのですが、作るものがいつも同じになってしまい、かんたんな鍋をよく作りました。めんどくさいと、一人で外食したり、コンビニでお弁当をかったりしていました。栄養のバランスよく食べられないし、量もいっぱい食べてしまっていました。体重がふえて、血圧がたかくなってしまいました。

そうだんいんさんとそうだんして、ヘルパーさんに来てもらうことにしました。一人で料理すると、きまったものしかできなかったけど、いろいろな料理をおしえてもらえるのでうれしいです。オムレツにロールキャベツにハンバーグ、酢のものにマリネ、煮物などをおしえてもらいました。料理の組み合わせもおしえてもらっています。

きゅうにひなんすることになった時はふあんもありましたが、郡山にきてから、買い物もべんりになったし、自分で料理もできるようになったし、ひなんしてきてよかったと思っています。

A型事業所では、自分で仕事をさがしておこなうこともできるようになってきました。今はお年寄りに関係する仕事ができてうれしいです。好きな事が仕事になるのはうれしいです。

私は、もじをよんだり、かいたりするのがにがてです。時計をよむことやけいさんもにがてです。病院の先生の話がわからなかったり、はじめての場所やはじめての人もきんちょうしてうまく話ができません。そうだんいんさんはいつでもそうだんにのってくれます。書類をよんでくれたり、くわしくせつめいしてくれます。病院に一緒にいってくれて、先生に私のことを話してくれたり、先生のせつめいをきいて、私がどうすればいいのかおしえてくれます。

余暇時間は、手芸をやっています。あみものやビーズアクセサリーやさきおりを作っています。お母さんやおばあちゃん、職場の人や友だちにプレゼントしています。

これからのもくひょうは、ヘルパーの資格を取って一般就労で老人しせつではたらくことを目指しています。

(いでみゆき 知的障がい31歳女性、就労継続支援A型事業所あすなろ会)