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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年1月号

1000字提言

病名のつかない人びと1 私自身のこと

おしたようこ

私は、自分のことを「布団星人」と呼んでいる。抱えている“病気”のために、痛みや疲労、しびれや蕁麻疹(じんましん)…いろいろな症状が出現しては消え、週の半分ほどは布団の上で過ごさないと、最低限の日常生活を送ることすら難しいからだ。

10年前。微熱が続き、身体じゅうが何となく痛み病院に行った私は、「線維筋痛症(せんいきんつうしょう)」との診断を受けた。この病気は根本的な病因が未解明で、自分なりの「原因」を探していたところに、母が熊本県水俣市周辺の漁村出身であることにぶち当たった。私に水俣病の可能性があるとしたら、母が摂取したメチル水銀が、体外に排出される過程で胎児に影響を及ぼす「胎児性水俣病」である。しかし、海の汚染が少なくなった時期に起こっていることなので、決して否定はできないが断定もできない、というのが、私を丁寧に診察してくれた医師の説明だった。

口の痺(しび)れや四肢末端の感覚障害は、線維筋痛症には殆(ほと)んど見られない。抗うつ剤などがよく効く痛みは水俣病ではあまり経験がない。双方の専門医に「二つの病気の線引きは難しく両方の病気があると考えられる」と言われ、どちらの先生にも粘り強く私の不調と向き合ってもらっている。

線維筋痛症は治療が難しく、ふだんの日常生活に支障を来す生きづらい病気だ。患者会活動に参加して仲間と努力を重ねてきたが、いまだに指定難病として認められず、障害年金受給や、障害認定も大変難しい。復調のめどが立たず仕事をやめる時、私は月2万円強の医療費負担だけでも何とかしたいと思った。当時あった水俣病特措法による救済制度の申請をした。もともと対象外の年齢と居住地域であり、保存臍帯(さいたい)(へそのお)の水銀値もさほど高くないということで、私の申請は棄却された。

ありとあらゆる試行錯誤の結果、「線維筋痛症」の症状はいくぶんコントロールできて、元気になってきている気はする。しかし、「水俣病」は加齢とともに悪化していくと言われているので、体調が悪くなると悩んでしまう。これはどっちの病気のせいなのか、一体自分はどちらの病気なのか、それだけでもはっきりすれば楽になれるのだろうか。多分一生、この中途半端を抱えて生きていくのだろう。いのちは、人間が引く線では簡単に分けられない。白黒なんてつけられないんだ。グレーで何が悪い!と布団の上でつぶやきながら。

こんな人たちが、この社会の中にはいっぱいいると思う。いまだに自分がどんな病気か分からないまま、不調にあえぐ身体をもてあましもがいているのではないか。失業したり、家族や友達に理解されなかったりして、居場所を失っているのではないか。

自分がこうならなければ、決して気づかなかったことである。


【プロフィール】

アラフォーの主婦。難治性慢性疼痛疾患である線維筋痛症等々の持病のために、家事はほぼ放棄して、布団の中でスマホと戯れていることが多い。時折布団から這い出して「(NPO)線維筋痛症友の会」理事、「今後の難病対策関西勉強会」実行委員、など、出会った人との縁のなかで見つけたいろんなことをして、ぼちぼち暮らしている。