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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年7月号

「65歳の壁」
~高齢期の障害のある人たちの生活の現状

西牟田宏

長崎県障害者福祉事業団(以下、事業団)は昭和48年に発足し、当初より身体障害者の支援に取り組んできた。発足当初は施設入所支援を中心に事業を行なっていたが、現在は施設入所支援だけでなく、通所生活介護、共同生活援助、居宅介護(重度訪問介護)、同行援護、相談支援事業と地域生活者の支援にも力を入れて取り組んでいる。また、65歳を迎え、障害福祉サービスを受けることができなくなる在宅の方が増えてきたことを受け、平成26年には介護保険の訪問介護事業を新たに開設した。

また、発足時より事業団が運営していた障害者支援施設「つくも苑(県立コロニー)」は、設立から約50年が経過し建物の老朽化が進んだことから、平成28年3月に移転し、現在は施設名を「にじいろ」と改称して新たなスタートを切っている。

入所施設は多い時で、障害者・児を合わせて200人を超える方が生活をしていたが、現在は135人の利用者が生活をしている。約半世紀にわたる事業団の歴史の中で、多くの方が「地域で自立した生活を送りたい」という夢を持ち、施設から旅立って行かれた。地域移行に際し、自立に向けた訓練や物件探し、家族との相談、行政側との調整などの支援を行なってきた。家族のもとに戻った方、出身地の施設へ入所した方、県外・市外で生活をする方もいたが、同じ佐世保市内で生活をする方の中には、地域に移行してからも事業団の通所生活介護や計画相談で関わる方もおり、その後の生活を我々が側面的にサポートしている。

Aさん(脳性四肢マヒ、障害支援区分6)は昭和52年に施設に入所し、平成19年に県営住宅に当選し地域生活を始めた。重度の四肢マヒがあるが、持ち前の明るさと人懐っこさで誰からも好かれている。

地域移行後は、居宅介護や2か所の通所生活介護を自分のライフスタイルに合わせて利用し、電動車いすを顎で操作し、近場であれば、ヘルパーの付添なしで散歩を楽しんでいた。特に大きな病気や入院をすることもなく、安心できる地域生活を送っていたが、65歳を迎え、Aさんを取り巻く生活環境が大きく変化した。

まず、長年利用していた通所生活介護事業所の利用ができなくなった。事業団が運営している通所生活介護事業所では機械浴槽による入浴を提供しており、Aさんは週に1回、大きな浴槽でゆっくり入浴することを楽しみにしてきた。何より残念そうだったのは、長年付き合いのある友人やスタッフと会えなくなることだと話されていた時である。

そして、最も生活に直結した問題は、居宅介護サービス提供時間の大幅な削減だ。これまでは、重度訪問介護サービスを月に約230時間利用していたが、介護保険(Aさんは要介護5)では、約半分の時間になってしまった。当初、そんなに変わらないだろうと思っていたAさんは、ケアマネジャーから提示された時間を見て愕然(がくぜん)とした表情を浮かべた。何とかならないものかとAさんから相談を受け、担当の相談支援専門員が各関係機関に助言を求めたが、制度の壁は如何(いかん)ともしがたいということを実感するに終始した。制度である以上どうしようもない部分もあるが、Aさんの尊厳や障害を考慮して、これまでに近い生活を送れないかと多方面と協議を行なった。

しかし、とある関係機関との相談の中で、「そんなにお金のかかる重度の人は施設に戻ったほうがいい」とか「介護保険では(今利用しているような)サービスを出す理由がない」等と言われたこともあり、障害者(特に重度障害)に対する理解や、制度が違うことで支援者の考え方そのものが全く違うという印象を受けた。

Aさんは現在、限られたサービス提供時間の中でやりくりをして生活をしているが、以前のように外出する機会は減ったと言っている。友人のBさんが最近訪問をした折、「前の方(障害福祉サービス)がよかった。何とか生活できているけど、ただそれだけ」と寂しそうに話していたということであった。

そのBさんもあと数年で65歳を迎える。Bさん(脳性四肢マヒ、障害支援区分6)は事業団の入所施設を昭和49年から利用し、平成21年に事業団が新たに設立した共同生活援助事業所に移行後、現在もそこで生活をしている。施設で生活をしていた時から地域での生活を夢見て、宿泊訓練や自力でできることを増やす努力を重ね、実際に地域へ移行する時は大変嬉(うれ)しそうな様子であった。

地域移行に対し、当初は家族の強い反対があったが、本人の必死の説得もあり、最後は応援してくれるようになった。今では家族が、「近くに住んでいるから」とよく面会に来ている。

Bさんは地域に移行してからも「いつかは単身生活を送りたい」と年金からこつこつ貯金をし、県営住宅の募集にも毎回応募をしていた。しかし、最近Bさんが「自立は諦(あきら)めたよ」と言うので、どういうことかと驚いて尋ねると、県営住宅の募集に一向に当選しないということ以上に、Aさんの現状を目の当たりにして、間近に迫ってきた65歳からの生活が不安になったとのことである。

Bさんは、自分用に工夫した専用のマウスを使ってパソコンを自由に操作する。インターネットでも介護保険の情報を集め、周囲の友人や支援者の意見を聞いた上で、自分なりに考えての結果ということであった。Bさんは重度の四肢障害と併せて、気管支の持病もあることから、今のまま共同生活援助で生活をしているほうが、自分は先々安心して生活を送ることができるのではないかと言っている。そして「障害年金だけじゃ介護保険サービスではやっていけないよ…」とも言う。以前は、単身生活を想像していきいきとした表情で話をしていたBさんであったが、長年相談を受けてきた立場として、この決断を聞いた時は驚き以上にやるせなさを感じた。

また、同じ生活援助事業所で生活をしているCさん(びまん性脳症、障害支援区分3)は65歳になる少し前から移行の準備を進め、介護保険の通所事業所の見学に行った。その結果、そこを利用している方々が自分の親の世代ということもあってか、「話が全く合わない」、「いつかは介護保険を使わなきゃいけないんだろうけど、65歳になったからって、いきなり高齢者って言われても困るよね」と困惑の表情を浮かべている。

Cさんは数年前から就労継続支援B型を利用しており、働くことを生きがいにしている。そのこと自体が本人のQOLの向上に大きな役割を果たしているのだが、介護保険に就労サービスはない。Cさんのようにまだ働く気力と体力がある人にとって、介護保険サービスは似合わない。行政担当者と協議の上、Cさんは継続して就労サービスを利用しているが、「働くのは大変だけど、これが自分の生きがいになっているよ」と笑顔で話してくれる。

AさんやBさんのように、長年施設で生活を送り、努力の末ようやく地域生活という夢を実現した方は「施設には戻りたくない」という話をされる。自分の望む場所で自分なりのスタイルで生活することは、私たちにとっては当たり前のことなのかもしれないが、彼らにとっての地域生活は特別な思い入れのあることである。

今年6月に「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律及び児童福祉法の一部を改正する法律案」が賛成多数で参議院を通過した。改正法の中には、介護保険で生じる自己負担を給付として支援するとしているが、まだ不明瞭な部分も多く、今後の詳細が注目されている。

夢を持ち地域で生活を送る方が、夢や希望ではなく当たり前に、そして年を重ねても安心して自分らしく生活を送ることができるよう、一日も早く「65歳の壁」を解消できる制度の実現が求められる。

(にしむたひろし 社会福祉法人長崎県障害者福祉事業団地域支援課)