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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年5月号

心を解き放してくれる海外への旅

上原公子

ダウン症のある一人息子と家族との旅、特に海外旅行について振り返りたいと思います。

0歳から長距離移動もなんのその

息子・悠太は、1989年生まれの28歳でダウン症があります。養護学校(現 特別支援学校)卒業後、福祉就労して丸10年になります。

生まれつきの心臓病のため、1歳3か月のときに、大阪市にある国立循環器病研究センター病院で根治手術。地元の病院や療育施設、そして大阪の病院と、0歳の頃から必要に迫られて車で移動する機会は数多くありました。また、私の実家が岡山のため、里帰りもかなりの長距離移動でした。そんなことから、自然と長距離移動に慣れていったようです。

手術が無事に終わり元気になってからは、大阪の帰り、岡山への帰省の折に、途中で一泊旅行を企画することもよくありました。

海外旅行にも行けるんだ!

ちょこちょこと国内旅行を楽しんでいたある日、たまたま一冊の本が目に留(と)まりました。日本ダウン症協会の事務所で見た『ダウン症というパスポートを持って』という自費出版の本です。母親が書いた、ダウン症のある息子さんと海外旅行を楽しむご家族の本でした。「ダウン症があっても、家族で海外旅行にも行けるんだ!」――当時の私には考えられないことで、そのタイトルは衝撃的でした。

1998年:初の海外は友人を訪ねた香港

ダウン症があり成長がゆっくりなうえに、少食で小柄な息子。それでも徐々に体力がつき、小学校へ上がる頃には丈夫になりました。

そろそろ大丈夫だと判断し、息子が小学3年生のとき、私の友人が住んでいた香港へ。事前に友人には説明していたこともあり、息子は友人とすぐに仲良くなれました。大人が行きたい所・食べたい物ばかりだとかわいそうなので、途中で小さい子がたくさんいる公園に寄って遊んだりもしました。

2000年:ニューヨーク・ボストンデビュー

息子が小学5先生のとき、夫のいとこがニューヨークに住んでいたので訪ねました。本場ブロードウェイでミュージカル「キャッツ」を観ましたが、時差の関係で眠くて眠くて。息子もほとんど印象に残っていないと思います(その後日本で、劇団四季のものを観劇)。

ひと晩だけ、大人の外出時に、日本人でベビーシッターをしてくれる方に預けました。和食のお店で作ってもらった白いご飯(とにかく白米が大好き!)が入ったお弁当を食べ、優しいお姉さんと楽しく過ごしたようです。

2002年:おじいちゃん・おばあちゃんも一緒にドイツ

息子が中学1年生のとき、初のツアー旅行を体験。行く先はドイツ南部で、前泊・後泊含め11日間の長旅でした。ツアーメンバーは添乗員さん含め13人と、割と少人数でした。

旅行前に添乗員の方から挨拶の電話をいただいたときに、息子にダウン症があることを伝え、他の方に迷惑をかけないよう親がしっかり息子をフォローすることを伝えました。

食事に時間がかかったり、歩くのが遅かったりはしましたが、大きな問題はありませんでした。ツアーの場合、すべて体験しようとせず、時間がかかりそうなところは飛ばしたり、途中で止めたりと、調節することで対応できますし、添乗員さんも協力してくれます。男の子の場合、父親等男性の協力が必須です。

息子とともに13か国を旅して

ツアーだったり個人旅行だったりはしますが、これまでに計13か国に降り立っています。

息子との旅行でいつも感じるのは、「どこに行っても変わらない」息子の様子。考えてみれば、日本語もすべてが理解できるわけではないし、言いたいことが伝わらないこともよくあるので、息子にとっては国内も海外もあまり変わらないのかもしれません。

予定を知り、先が見通せると落ち着くので、旅行前にはどこに行って何をするのか、できるだけ伝えるようにしています。地球儀で場所を示し、ガイドブックを身近に置きます。

準備のときには、パッキングは難しいので、とりあえずは紙に必要な物と数を大きく書き出し持ってこさせます。旅先では、着替えなどがすぐに出せるようリュックを持たせます。

帰ってきてからも、息子はガイドブックや写真をよく見ています。そうすることで、楽しかった旅の記憶が定着していくようです。

親子ともども健康に気を付け、国内・海外を問わず、リフレッシュできる旅をこれからも楽しんで心身の栄養にしたいと思います。

(かみはらきみこ 公益財団法人日本ダウン症協会(会報担当)、日本ダウン症協会富山支部(つなGO)支部長)