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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年5月号

1000字提言

障がいは不幸ではない

浅野史郎

「障がいは不便である。しかし不幸ではない」(ヘレン・ケラー)。これは、乙武洋匡さんのベストセラー「五体不満足」のあとがきの最後の言葉である。この言葉の意味を改めて噛み締めているのは、「津久井やまゆり園」事件を思い出したからである。

事件の犯人植松聖は逮捕後の供述で「重複障害者が生きていくのは不幸だ。不幸を減らすためにやった」と語った。障害者を不幸だとして、そこから大量殺人にまで至るのは異常であるが、障害者を不幸だと思う人は少なくない。「障害者はみんなかわいそう」というぐらいに感じている人はいっぱいいる。

「かわいそうとは差別のことよ」は、自閉症の息子を持つ父親が私に言った言葉である。植松容疑者が障害者を不幸とする心情は、彼がやまゆり園の職員として重度障害者と接するうちに強化されていった。自分では何もできない、そんな重度障害者は生きていても意味がない不幸な存在だと決めつけてしまったのだろう。

「障害者はみんなかわいそう」と感じる人たちは、障害者は何もできないと思っている。ほんとうに何もできないのだろうか。重度の障害者もできることがたくさんある。豊かな感情もある。夢も希望も持っている。やまゆり園を外から眺めている地域の人たちは、「あそこに入っている重度の障害者は、自分では何もできないから全面的介助を受けて生活している」と見ているだろう。

障害者のことをかわいそうとしか見られないのは、障害者だって働いている、芸術活動もしている、地域で生活できているという場面を見ていないからである。そういう場面を増やすことによって、地域の人たちの障害者観も変わるだろう。

やまゆり園のような入所型施設の利用者も、グループホームで暮らすなどして地域での生活に移行することができる。グループホームで暮らす重度障害者には、地域の人たちと関わりを持つ機会もある。地域の人たちは、重度の障害者が地域の中でいきいきと生活する様子を見ることが多くなる。そんな機会を通じて、「障害者は何もできない、かわいそう」といった思いで障害者を見ることはなくなるだろう。

やまゆり園の利用者全員が、一生そこで暮らすことを望んでいるのだろうか。やまゆり園の利用者の多くが、地域での生活に移行して、地域でいきいきと暮らすようになったとき、やまゆり園は事件を乗り越えて再生することができる。

やまゆり園を現地建て替えするという、神奈川県の方針を知った時に味わった違和感が私にはまだ残っている。やまゆり園を「不幸な障害者が全面的な介助を受けながら、死ぬまで暮らし続けるところ」として建て替えてはならない。それでは、事件で命を落とした19人の御霊は浮かばれないではないか。


【プロフィール】

あさのしろう。神奈川大学特別招聘教授。1948年生まれ。仙台市出身。東京大学法学部卒業後、1970年厚生省(現厚生労働省)入省。児童家庭局障害福祉課長、社会局生活課長などを歴任。93年11月宮城県知事に当選。3期12年務める。06年4月慶応大学総合政策学部教授。13年3月慶応大学を定年退職。13年4月から現職。