音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年6月号

1000字提言

個人通報制度

林陽子

女性差別撤廃条約をはじめとする国連の人権条約には、差別(被害)を受けた当事者が直接、国連の委員会に救済の申し立てができる個人通報という制度がある。しかし、この制度を利用するためには、締約国が条約のほかに個人通報にも参加することを受け入れていなければならない。

残念ながら、日本政府は加盟するどの人権条約についても、個人通報制度を受け入れることをしていないので、日本の市民がこの制度を利用できる可能性は閉ざされている。

日本が足踏みしている間に、世界の現実はどんどん先に進んでいる。

女性差別撤廃委員会にはすでに、障害をもつ女性に対する複合差別のケースが、個人通報事件として複数申し立てられている。そのうちのひとつ、2014年3月に委員会が決定を出したフィリピンのケースは、性暴力被害を受けたろう者の女性が申し立てたものである。

7人兄妹のうち3人に聴覚障害のある貧しい家庭で育った申立人のRは、未成年の時に隣人の男性から自宅でレイプされる被害に遭う。姉が手話通訳をして被害を警察に届け出るが、フィリピンではろう者に対する教育はほぼすべて英語の書物で行われるため、警察がタガログ語で作成した供述調書をRはほとんど理解することができなかった。加害者が起訴され公判が始まっても、Rに十分な形で手話通訳が提供されることはなく、揚げ句に、事件当日、Rが「抵抗」した証拠が十分ではないとして、被告人は無罪とされてしまった。

女性差別撤廃委員会はこのようなフィリピンの司法の在り方に疑問を投げかけ、レイプ(強姦罪)の構成要件の見直しを求めると同時に、「手話を含む法廷通訳に関する立法の見直し」「刑事司法が性、年齢、障害の有無に関する偏見から自由なものであること」をフィリピン政府に勧告した。

アジア経済研究所が最近刊行した『アジア諸国の女性障害者と複合差別:人権確立の観点から』(小林昌之・編)によれば、フィリピンにおけるレイプ事件数一般は減少しているものの、ろう女性の被害は増えており、加害者が逮捕されても、司法の過程で被害者の声を伝えられる適格な手話通訳がいないために、司法手続が公正に行われていなかったケースが多数報告されているという(同書、森壮也「フィリピンにおける『ジェンダーと障害』」)。

日本でもまず実態調査の上で法改正をし、それでも権利が守られない部分については、個人通報制度を通じた政策担当者との対話が必要だと思う。一人ひとりの人権が守られることは、地球上から差別や排外主義をなくしていく出発点である。


【プロフィール】

はやしようこ。茨城県出身。1983年より弁護士(現在、アテナ法律事務所所属)。外国人女性のためのシェルターなどで女性の権利擁護の活動に取り組んできた。2008年より国連女性差別撤廃委員会委員。2015年より2017年2月まで同委員長を務めた。