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「アジアの障害者文化交流協会」の活動

五十嵐紀子(アジアの障害者文化交流協会代表)

登録する文献の種類:
その他

情報の分野:
社会福祉

主題:
「アジアの障害者文化交流協会」の活動

著者名・研究者名:
五十嵐 紀子 (アジアの障害者文化交流協会代表)

掲載雑誌名:
JANNET NEWS LETTER

発行者・出版社:
財団法人 日本障害者リハビリテーション協会

巻数および頁数:
第12巻  3頁-4頁

発行年月:
1997年1月

キーワード:
1.国際協力
2.文化交流
3.民間団体(NGO)

要約:
私たちの会の活動のスタンスは、スポーツや音楽等の交流を通し楽しみながら、できることを手伝うという手法で続けてきた。現在は中国の天津市に住み、自らも視覚障害を持ちながら、中国の視覚障害者に日本語と点字指導等を行っている青木陽子女史(埼玉県大宮市)のバックアップ活動も行っている。また、ソウルの知人を通して、近いうちに韓国とのスポーツ交流も計画している。
私たち日本人は、どの分野に於いても欧米諸国を師として、様々な事を学んできた。また従来、日本社会の中では社会貢献の概念が希薄であったと感じていたが、福祉の分野では、なおさらの思いをしてきた私は、他から学んだことを望むところに伝えていく事の大切さを考え、アジアの国々と同じ福祉分野で働く仲間のネットワークと、障害当事者間の交流の場づくりをと常に願い続けて今日に至っている。

文献に関する問い合わせ先:
〒162 東京都新宿区戸山1-22-1
財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
Phone: 03-5273-0601
Fax: 03-5273-1523

「アジアの障害者文化交流協会」の活動

五十嵐紀子(アジアの障害者文化交流協会代表)

 1988年11月、シンガポールの視覚障害者のための施設と、マレーシアの首都クアラ・ルンプールにある施設を訪問した。その時に感じたのは、日本と比較し施設の整備状況はお世辞にもよいとは言える状況ではないのだが、その施設で働いている職員たちの情熱と献身的に活動する姿に対する驚異であった。また、そこにきてトレーニングを受けている障害者も、自分自身の自立に向け熱心で真剣であった。オーストラリア・ニュージーランドの帰路に立ち寄った両国の訪問であったため、その時は少額の寄付をさせて頂いただけで帰国したが、その後ただ寄付するだけではなく、相互の交流を通して何か相手方にお手伝いができないものかと時が経つにつれ、その思いが強まっていった。

 翌1989年に最初の活動計画を企てた。盲人卓球を通しての交流である。盲人用卓球の用具を全て揃えてマレーシアに送った。県内の視覚障害者たちからのカンパも含めて、送料含み約80万円は調達できたのである。交流試合と盲人卓球の指導を兼ね、欲張って私の施設(身障通所授産)の職員の研修目的も加えて出発したのが、盲人用卓球台を発送して1ヶ月後である。私たちが先方に到着し、その直後に卓球台が着くという好タイミングで、双方大喜びし一緒に荷物を開いて、交歓盲人卓球を行い、そのことが現地のいくつかの新聞記者に取材され、翌日の記事となった。他方もう一つの重要な目的であった職員研修、とりわけ意識面での研修効果は大変大きなものがあったと感じている。
この交歓会が実質的な発端となり「アジアの障害者文化交流協会」が誕生したのである。以来、音楽の交流、研修・実習の受け入れ、各種大会の日本開催時、来日した各国の障害者との交流と案内等々、相互が心から楽しみまた意義のある交流が続いている。
中でも、マレーシアの施設老朽化に伴う建て替え資金カンパも兼ねた音楽交流会を、日本とクアラ・ルンプールの両方で行った事は強く印象に残っている。日本では、藤沢市制50周年の記念行事の1つに位置づけて頂き、ライオンズクラブの応援も得て、大成功であった。その後日本の視覚障害を持つ音楽家と共にマレーシアに出向いて、クアラ・ルンプールで開催されたチャリティーコンサートは、国王を始め、各国の大使も参加され、素晴らしい会であった。
双方で開催したコンサートの収益の全ては、先方の新しい施設づくりの一部に使われており、1996年中に完成予定である。
この例に見るように、私たちの会の活動のスタンスは、スポーツや音楽等の交流を通し楽しみながら、できることを手伝うという手法で続けてきた。現在は中国の天津市に住み、自らも視覚障害を持ちながら、中国の視覚障害者に日本語と点字指導等を行っている青木陽子女史(埼玉県大宮市)のバックアップ活動も行っている。また、ソウルの知人を通して、近いうちに韓国とのスポーツ交流も計画している。
私たち日本人は、どの分野に於いても欧米諸国を師として、様々な事を学んできた。また従来、日本社会の中では社会貢献の概念が希薄であったと感じていたが、福祉の分野では、なおさらの思いをしてきた私は、他から学んだことを望むところに伝えていく事の大切さを考え、アジアの国々と同じ福祉分野で働く仲間のネットワークと、障害当事者間の交流の場づくりをと常に願い続けて今日に至っている。
会の発足から約8年が経過したが、会員数も約20名という小さな一民間団体である。しかし、一つ一つの行動を通して人間同志の交流の輪が徐々に大きくなっていくことを私たちは望んでいる。
アジアの中にも、政治・社会不安の多い国も存在している。また国情によって交流したいと願っても、困難な国もある。けれども、アジアの仲間たちの抱える問題・課題について、「こうすべきである」と言う評論だけでは何も変わっていかないこともまた事実である。各々が置かれた立場で、「あなた」ではない自分自身がまず行動を始めることが、何よりも大切と痛感している。どんなに小さな灯でも、沢山集まれば大きなあかりとなって社会を明るく照らし出す。こうした発想をもって、今後も交流可能な国を増やしていき、アジア圏で生活している障害者たちとそれを取り巻く人々の集団が段々と大きくなり、ほのぼのと暖かい空気がただよう空間づくりの一翼を担うことができたらと願っている。
“JANNET”には入会させて頂いたばかりの当協会であるが、諸先輩の活動にも学びながら、今後私たちの活動もより確かな方向性を確率していきたいと考えている。先輩諸団体のよきご指導、ご鞭撻を心からお願い申しあげる次第である。