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インドネシア・ソロCBR海外技術協力プロジェクト
5か年計画を終えて

日本理学療法士協会国際部長 田口 順子

1993年に発足した日本理学療法士協会のインドネシア・ソロCBRに対する海外医療技術協力と銘打った少し大げさなプロジェクトは今年5年の経過を経て終了した。

新しい試みと無計画な5か年プロジェクトの立ち上げは実に不安であり、時には出発を後悔もしたが、大きなトラブルもなく極めて順調に進み成功裡に終了したといってよい。

我々が期待以上の成果を上げ実績を評価されるまでに至った理由は3つある。一つはCBR活動の拠点をソロにしたこと。この時点で要請国は他に2か国あった。ハンドヨ博士という強力なキーパーソンがすでに存在し、そのシステムのもと我々の活動は即効性を示した。二つめは厳しい不況下にあって財政的困窮を来たし事業縮小化にあった国際医療技術協力財団が最後まで我々の事業を継続してくれたこと。三つめは協会から派遣した理学療法士が人格的にも申し分なく現地活動にとけこめたこと、5年間、1日も穴のあくことなく連続性をもたせた活動が質的変化なく行われたこと。優秀な人材提供ができ、連携プレイのできたことはプロジェクト編成上、最も重要なことであった。

一次派遣・山本正義、二次派遣・久野研二、三次派遣・久野研二、工藤俊輔、四次派遣・首藤奈保、五次派遣・大澤諭樹彦、以上の5氏であった。

一方でこの間、国内支援委員会(委員長:小林義文)が組織され、またインドネシアからの研修生受け入れ体制は緊密度を増し、CBR派遣事業を知った協会会員から積極的に快く受け入れてくれる研修施設が増えていった。

派遣者としてはインドネシアに出かけることのできなかったCBRに関心を持つ者を募りCBRスタディツアーを編成し15名のメンバーが現地で実際のCBR活動を見ることができた。行く先々でハンドヨ博士の講義とディスカッションのプログラムも組まれたことはお互いの理解を深めることとなった。その折にCBRモービルカー(トヨタワゴン車)を一台寄贈することができ、今も車体に協会のロゴマークをつけて走っている。

9月7日には戸山サンライズに於いてハンドヨ博士ご夫妻を現地より招いてプロジェクト終了総括会議を開催した。会議の内容は総括にふさわしく誠に充実したものであり各次派遣者の報告とハンドヨ博士によるプロジェクト総括でしめくくった。ハンドヨ博士の講義内容は世界の理学療法士にとって歴史的なものであったといってよい。プロジェクト開始時にはCBRの中の第一線に理学療法士は要らない、重要ではないと言われていた博士が5年の間、CBRの中の理学療法士の姿をみて、その存在と役割をここで明確にされたのである。CBR創始者自らがCBRの中の理学療法士の役割について触れ、具体的にその役割と業務について述べたことはない。

プロジェクトは一旦、発展的解散をみるが、これまでの実践をどのように活かすのか5年間に育まれた人材を中心にこれからも積極的に国際貢献へ寄与していく方針である。


出典

”JANNET NEWS LETTER” Vol.4 No.4 (通巻16号)

発行者
障害分野NGO連絡会(JANNET)

発行年月
1998年1月

文献に関する問合せ先
(財)日本障害者リハビリテーション協会
162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
Tel 03-5273-0601  Fax 03-5273-1523