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巻頭言

共鳴する中から

朝日新聞東京厚生文化事業団 古山 敏雄

 朝日新聞厚生文化事業団が「アジアの障害者へ車いすを贈る運動」に取り組んだのは1992年からで、日本の障害者が使った中古の車いすを国内の障害者関係者と当事業団で組織した「アジアの障害者へ車いすを贈る市民の会」が集め、タイ、フィリピン、バングラデシュ、ベトナムの障害者へ贈ってきた。また、車いすを作る技術者養成のトレーニングをタイで開き、車いすセンターの設立にも取り組んできた。
1996年、フィリピンでの1回目のトレーニングはフィリピン各地から12人が参加、7日間のトレーニングをおこなった。この第1回のトレーニングで感じたことは受講者が、なかなか講習についてこなかったことである。車いすを作る基礎となる製図を描くことから始めたが、思うように理解してくれず、宿題にして翌日までにやってくるようにといっても、宿題などやってくる人はわずかだった。そんな中でも何人かのメンバーが頑張り、最終日にはなんとか車いすの基礎的な骨組みを組み立て上げることができた。97年に第2回のトレーニングを開始する前になって、講師にお願いしている方の体の具合が悪くなり、入院、手術というアクシデントが発生した。そのため、第2回のトレーニングは会期を遅らせ、講習を5日間に短縮して開催した。
第2回の講習会には前回の講習生を中心に6人が参加した。講師の方は体調が十分でないままに現地に入った。ホテルからトレーニング会場までは毎日、交通渋滞があり、車での移動は疲労を感じさせられた。講師の方は休みを取りながら、講義を続けた。
トレーニング2日目位から講習生の中に変化がみられるようになった。グループの中に連帯ができ、個々の活動から互いに助け合う姿勢が出てきた。2回目のトレーニングは前回より高度な内容になったが、学ぶという積極性が生まれた。最終日は昼で講習を終了し、閉会式を行い、われわれは帰国準備のためホテルに引き上げた。ところが講習生はそのまま会場を去ることなく、夕方まで自主的に車いす作りを続けていた。
こうした受講生の変化はいろいろ考えられるが、講師の姿勢はもちろん、お互いに共鳴することがあったからだと思う。
日本のすぐれた機材を提供するという一方通行ではなく、お互いにもてる力を出し合っていくことが大切なことだと思った。


出典”JANNET NEWS LETTER” Vol.5 No.2 (通巻18号)

発行者障害分野NGO連絡会(JANNET)

発行年月1998年7月

文献に関する問合せ先
(財)日本障害者リハビリテーション協会
162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
Tel 03-5273-0601  Fax 03-5273-1523

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