音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「JANNET NEWS LETTER」
(April 2000 第25号)
障害分野NGO連絡会(JANNET)発行

<巻頭言>

国際協力を想う

(社)日本知的障害福祉連盟 有馬 正高

 日本人が国際協力といえるものを体験した最初は、第二次大戦後に米国が行ったフルブライト奨学金制度のように思う。多数の社会人が英語の試験を受けて奨学資金を得、米国の大学や研究所で学んだ。その後、有給の研究員としての門戸が開かれ、博士号を取得したような研究者は、将来への登竜門というような気持ちで留学を希望するようになった。2-4年間のうちに給与に見合う研究実績を上げることが期待されるので、後者は国際協力というよりも企業への短期就職といえるものであったかもしれない。この両者は、弱い国の人に対する思いやりとともに、役に立つと思えばどんな国からでも受け入れるという幅の広いお国柄が支えていたのであろう。
きっかけは何であれ、米国が受け入れた若い社会人は、人数、領域とともに抜きんでており、その人達の持ち帰った技術や考え方が日本を豊かにすることに大きく貢献したことは疑う余地がない。また、その多くの人達が、裕福ではないけれど米国で過ごせた数年間を永く懐かしんでいたことも否定しがたい事実であろう。
近年、日本も公的または私的な基金によって多くの発展途上国の人達を招くことができるようになった。また、現地に住み、現地の言葉や習慣を体験しつつ技術的な支援に従事する日本人もかなりの数に達しつつあるといえよう。これらは、欧米から独立した国々の人達にとっては初めての外国人体験かもしれない。できることなら、来日経験者や現地で日本人と仕事を共にした人達には、日本において数年間の専門を生かした職場と給与を提供できないものかと思う。各種の障害をもつ人たちの相互体験が、複数の国で実現できればなおよい。
国際協力には人と物があるが、協力というのは人あってのことであろう。人と人との交流としては、短期であるが国際会議も頻繁にもたれている。欧米の人達は、世界のどこであってもすぐにお互いの意見交換の場所にするが、日本人にとっては交流が不得意であって、すぐ日本人だけの集団になりがちである。そのような壁を感じさせないアジア各国等からの参加者が増加するなかで、孤立したいくつかの集団を形成しているようにみえる。日本が主催国となる会議の時には、ぜひ、このような孤立から脱却するチャンスにしたいものである。。