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「JANNET NEWS LETTER」
(January 2001 第28号)
障害分野NGO連絡会(JANNET)発行

<トピック>

ハワイで自立生活サミット開催さる!報告

ヒューマンケア協会 中西正司

 2000年12月4~7日ハワイ、ホノルルのヒルトン・ハワイアンビレッジにおいて世界12カ国から120名の参加者をえて自立生活サミットが開催された。99年にワシントンで第1回の自立生活サミットが開催され、世界の自立生活センターが始めてネットワークを形成することができたことを受けての第2回の会議となった。今回は日本の全国自立生活センター協議会(JIL)が財政面やプログラムつくりで主導権を取り、テキサスの自立生活資源センター(ILRU)がハワイCILと連携を取って現地コーディネートにあたった。参加者の多くは自立生活センターを運営したり、自立生活運動に従事している人たちで、今年は特にDPIアジアブロックの活発な活動の成果もあってアジアの素晴らしい若手の自立生活運動の旗手達が大勢参加したことが特筆に価することであろう。
会議は日本と米国の共同主催で開催され、会議の総合司会も合同で進めた。初日の全体会では、米国教育省の部屋にいるジュディ・ヒューマンと会場を結んで「21世紀の自立生活運動」と題して、この会議に求めるものが話し合われた。続いて午後は全体会「世界に広がる自立生活運動」でタイ、フィリピン、ブラジル、日本から当事者運動の活発な活動によって勝ち取られたアクセスや介助サービス等の現状が語られた。2日目は全体会で参加者の最大の期待を持って開かれた「行政との密接な関係は自立生活センターを危うくするか」のパネルデイスカッションである。ファシリテーターはシカゴの理論家ジム・チャールトン、パラクオッドのマックス・スタークロフ、パネラーは全米1の巨大自立生活センターをミルウォーキーで運営するリー・シュルツ、ジュディの事務所で働くジェイムス・ビィリー、それにカンボジアで全国障害者団体を主宰するイー・ビスナーであった。ジムから委託を受けることは悪いことではなく、主体性の維持とどう折り合いをつけるかという事であろうという導入の弁に対して、マックスは介助サービスの委託を受け事業費が年間50億円にも巨大化した自立生活センターの違った意味での運営の危うさについて述べた。リー・シュルツは資金が余ればこれまでできなかった移動サービス、障害児のためのプログラムなど多様なサービス展開ができると明るい未来を語った。日本の尾上は介護保険とホームヘルパー制度の委託事業化が進んでいる状況を述べ、権利擁護的活動の重要さを指摘した。世界の自立生活運動はまさにグローバル化しており、他の国に起こることはすぐ自分の国に反映されてくる。迅速な情報ネットワーキングの必要性が再認識された。
テーマ別分科会は交通環境のバリアフリー、介助サービス、教育・医療・就労があり、介護の分科会は司会がADAPTの創設者の一人であり、デンバーの自立生活センターの所長であるマイク・オーバーガーだというので評判を呼び多くの参加があった。
オーバーガーの話しでは米国では介助サービスについて連邦政府としての仕組みはない。貧しい州では2分の一の予算を負担したがらないため、フロリダ、ミシシッピー、アーカンソー等の南の州は介助サービスを行っていない。現在29の州でだけ介助サービスが行われているため、障害者はサービスのある州に移動する傾向がある。そのため3年前にADAPTでは全州で同様の介助サービスが行われるようにCASA(地域介助法)を連邦政府に提案し、その後MICASA(低所得者のための介助法)の成立を合わせて要求し運動を進めている、ということだった。
最終日に出されたハワイ宣言では2002年に札幌で開催されるDPI世界会議とこの自立生活サミットを同時開催し、国際的なネットワークの結集・発展の場として最大限活用していくこと、2004年から始まるアジア・太平洋障害者の10年を「フリー-ダム・フロム・バリアー」というテーマで、世界に当事者運動を広めていく梃子にしていこうということが強調された。
ADAPT:交通問題のためのグループとして発足したがその後介助問題に路線を変更した。グループ名はオリジナルの略称を踏襲。