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「JANNET NEWS LETTER」
(April 2001 第29号)
障害分野NGO連絡会(JANNET)発行

<メンバーズプロジェクト>

アジアの障害者に車いすを贈る運動

朝日新聞大阪厚生文化事業団 益田博

まず贈ることから始まった。
「自らで、自分たちが置かれている状況を改善したい。教育を受け、仕事がしたい。社会に参加したい。そのために、今必要なものは車いすだ」
90年代初頭、東南アジアで展開できる福祉事業を模索していた本団は、タイの肢体障害者組織リーダーなどからこんな声を聞いた。そのころ、タイで手に入る車いすといえば、重さ30キロほどの鉄製、ちょうど病院で見かける介護用のように大きなものだった。
一方、日本ではモノ余りの事情は車いすも同様であった。それならばということで、体格にそれほど差がない日本の車いすを集め再生し、タイの肢体障害者に届けようと、この事業は始まった。この企画に共感した日本国内の障害者グループが「アジアの障害者に車いすを贈る市民の会(代表・大分タキ、上野茂さん)」を結成し、実際の車いす集荷、再生を受け持ち、本団が輸送、贈呈先の選定・現地との交渉、経費調達等を担った。また、車いすがどんなところで使われるのか、修理維持はどうするかなどについても、現地組織を交え、検討が重ねられた。
結果、初年度の92年度は100台の車いすが市民の会の10団体で再生された。キャスターやタイヤなど、現地で手に入れにくい部品もあわせて贈られた。市民の会と本団で贈呈訪問団を組織し渡航、車いすをタイで待っていた大勢の障害者との交流も行った。訪問団の帰国にあわせ、タイで選ばれた下肢障害の若者2人を、別府市の大分タキに招聘した。彼らはここで1か月にわたり、車いすの修理から組み立て、溶接、基本的な製図などの研修を受け、タイに帰国後は車いすのメンテナンスの中心になっていくという構想であった。
このように、車いすを贈ることが事業の当初の目的だった。そして贈った車いすができるだけ長く使えるような支援をすることが視野にあったぐらいである。日本とアジアの障害者同士の協同事業としてはパイオニア的な事業であったが、モノを贈った後にどうしていくか、という戦略にやや欠いた部分があったかもしれない。


「贈る」から「贈らなくてよくなる」事業へ
92年度以降、本事業は継続されている。贈呈国もタイ、バングラデシュ、フィリピン、ベトナム、ラオスと広がってきた。大分で行った技術研修も、93年度からはタイ、バングラデシュ、フィリピンなどで実施。また、95年度からはタイへ周辺国の障害者などを招聘し、国際的な車いす製造技術研修会という形に発展させ2000年度まで実施してきた。講師は車いすを自ら使う上野茂氏と、その研修で技術を磨いたタイの肢体障害の若者たち。周辺国からの招聘を含めほとんどの費用を本団が用意し、現地での運営はAPHT(タイ肢体障害者協会)の全面的な協力を得て、5回にわたり研修会を実施してきた。これまでの参加国は先に上げた贈呈国以外に、スリランカ、インド、マレーシア、カンボジアがある。研修会を継続することで、これらアジア諸国の障害者団体とのネットワークが出来上がりつつある。研修会は、折りたたみ式の車いすの製造から組み立てまでを一通り体験する実習が中心。寝食を共にしながらなので、研修生同士の交流も早く進み、作業では助け合い場面も数多く見られてきた。このような交流は研修会終了後も続くようで、中には、日本のNGOに請われてラオスでの車いす製造を支援する研修生OBまで現れている。
APHTでもこの事業がきっかけとなり、車いす製造が事業化され軌道にのりつつある。もちろん、タイ国内の法整備が進み、車いすへの需要が増加したことや、本事業とは別に、日本に本社を置く世界的な自動車部品メーカーがアジアの肢体障害者を支援するNPOを近年設立し、その支援をうけることになったことが背景にある。
当初は、住宅のガレージを利用し車いすの整備を細々と行ってきた。その後、眠っている官舎をかりながら、車いすの修理や製造を行い、いまでは新しい建物で特別に調整された機械をつかって6人の障害者が車いすの製造販売を行っている。夢はタイだけでなくアジア諸国の車いすのセンターになり、技術支援や商品開発で協力することだ。またAPHTから独立し車いす製造業を起業した若者もでてきた。マーケティングがうまくいけば、ニーズが高いだけに、事業としても成り立つ勢いである。
このような元気の出る話しは、研修会に参加してきた周辺国にとっても大いに刺激になるようで、ますます車いす製造技術支援へのニーズが高まってきている。


モノを通じて伝えたい想い
技術研修会とは別の大きな意味をもっていたのが、日本からの訪問団の存在である。この事業をささえる市民の会には様々な想いをもつグループが参画している。車いすが贈られ技術が伝わることに意義を感じる人もいればそうでない人もいる。「車いすはいわば、手土産。むしろ、その車いすをつかってどんな社会作りをするのか?障害者としてどう社会に関わるのか?」ということにこだわるグループが、その想いを伝えようとしたのが、訪問団事業である。日本の障害者が行っている自立運動の実際を伝え、各国から集まった障害者の報告もあわせ情報を交換する貴重な機会であった。
このように車いすをキーワードにアジアの障害者の支援に関わろうとしているさまざまな人たちの想いでこの事業は続いてきた。諸般の事情でやむを得ず、贈呈事業だけに絞り今年度を持ってこの事業は終了予定である。しかし、大きくなる一方のニーズに応える、これまでの蓄積を無駄にしないためにも、組織としてまた個人として今後も継続して関わっていきたい。