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「JANNET NEWS LETTER」
(July 2001 第30号)
障害分野NGO連絡会(JANNET)発行

<メンバーズプロジェクト>

アジアの途上国へのCBRとしての発達遅滞乳幼児の発達支援

日本ポーテージ協会会長 山口 薫

 ポーテージプログラムは、アメリカ合衆国ウィスコンシン州ポーテージ市で1972年に開発された発達に遅れや偏りのある乳幼児を主として家庭で親が中心になって育てるためのプログラムであるが、今までに40近い言語に翻案され、多くの途上国を含む世界の90カ国で使われるに至っている。
われわれは、1983年にその日本版を出版し、国内での普及を図ると共に1985年に日本ポーテージ協会を設立した。
日本ポーテージ協会は、国内での成果をもとに、19995年ごろからアジアの途上国の発達遅滞乳幼児のポーテージプログラムによる発達支援を活動の中心の一つに据え、以来今日にいたるまで、ダッカ(バングラデシュ)、ダバオ(フィリピン)、大連(中国)、台北(台湾)、カラチ(パキスタン)、カトマンズ(ネパール)、パンジャブ(インド)でそれぞれ主として3日間のワークショップを開催した。日本ポーテージ協会は、2000年4月にNPO法人の認定を受け、今後もアジア支援に力を入れていくが、これまでスリランカ、ベトナム、ミャンマー等から要請を受けている中から、さしあたり今年の11月にはフィリピンのセブで開催する準備を進めている。
これらの途上国でのポーテージ活動の特徴は、ポーテージ指導がCBR活動として行われることを目標にしている点にある。地域の資源を活用して地域で療育活動を行うことによって地域の意識を高めるというCBRの理念は、親や家族を指導することによって、家庭で家族によって発達遅滞の乳幼児の発達支援を行うポーテージプログラムにまさに相応しいものであり、特に、施設がほとんどなく、あっても遠方で利用が困難な多くのアジアの途上国では、ポーテージ指導の成果は、プログラムをCBRとして普及できるかどうかに掛かっている。
われわれは、ワークショップの開催に当たり、開催地の関係者の協力を得て、遠隔地を含めできるだけ全土から参加者を集める努力をした。われわれの意図はかなり達成され、各地ともほぼ全土から参加者が得られた。例えば大連のワークショップには、成都から列車やバスを乗り継いで4日間をかけて参加した幼稚園教諭もあった。
われわれの実施したワークショップがポーテージ指導をCBRとして普及させるのにどこまで成功したかについては、追跡研究を行っており、参加者の多くが努力をしていてある程度の成果が見られるが、確かなことを言うにはもう少し時間が必要である。
問題の一つに読み書きの出来ない親の指導がある。バングラデシュやインドでは、アセスメントのチェックリストや手引きを絵、写真、漫画に置き換えて親を指導したりしているが、もう一つの大きな問題は貧困である。
ネパールでは、日本から使い残しの短くなった鉛筆を集めて送ったら大変喜ばれたので、次に新しい鉛筆を送ったところ親が全部売って生活費にしてしまった。冬、裸足で歩いている子どもを見かねて靴を送ったときも同じであった。また、フィリピンのマニラやダバオのような都市の周辺には巨大なゴミの集積所があり、くすぶっていつも煙を出しているでスモーキー・マウンテンと呼ばれているが、その周辺には、ゴミを拾って生活している何万何十万の不法占拠の人達のバラックが建ち並び、その中には裸の赤子を裸足で抱いている母親も大勢見かけた。その中には発達の遅れた子どもも多いと考えられる。こういう子どもに対しての発達支援には一体どんな手だてがあるのだろうか。
最近予想もしなかった問題に直面するようになった。1999年にネパールでワークショップを行った時、謁見の栄に浴して親しく握手を交わした王妃が先日殺害され、カトマンズには毛沢東主義者の過激組織の爆弾テロが頻発している。また、1997年にワークショップを開催したダバオのあるミンダナオ島は、モロ・イスラム解放戦線(MILF)の勢力が強く、現在政府との和平交渉が準備されつつあるが、それに反対する過激分子によるテロや誘拐事件が絶えない。この問題の解決にはわれわれは殆ど無力であるが、各地でCBRとしてポーテージ活動をしている人達のためにも、これらの紛争が一日も早く解決され、平和が訪れることを祈ってやまない。