音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「JANNET NEWS LETTER」
(October 2001 第31号)
障害分野NGO連絡会(JANNET)発行

<メンバーズプロジェクト>

「アガペ交換研修プログラム」 
―双方向の研修から共同事業実現に向けて―

日本キリスト教奉仕団 研修担当 赤星福子

プログラムの歴史
「アガペ交換研修プログラム」は、1980年9月に開催されたESCAP会議の中で協議された国際障害者年の行動計画の一事項、「障害を持つ人々のために働く人材養成」に協力する国際福祉活動の実施を目的として発足した。
母体である日本キリスト教奉仕団は戦後の救済活動終了を機に発足している。太平洋戦争の敗戦直後、日本国民救済のためにアメリカ・カナダの団体によって開始されたララ物資活動(1946-1951)や、それに続くCAC物資活動(1951-1963)などがあったが、これらの活動に深く関わったChurch World Service(国際キリスト教奉仕団)は、物資の配分終了後も数々の社会福祉活動を経て、当時最も必要とされていた身体障害者の職業訓練に的を絞ることとなった。日本キリスト教奉仕団はこのような歴史的背景のもと、1958年社会福祉法人として新たに発足し、現在は傘下のアガペセンターと東京都板橋福祉工場で障害者福祉活動を行なっている。
プログラムの具体的なきっかけは、奉仕団の障害者と非障害者による東南アジア視察旅行で、障害者の置かれている状況に深い衝撃を受けたことであった。過去の太平洋戦争で多大の犠牲を強いたこれらの国々への償いとして、障害者福祉の為に何が適切であるかを熟慮した結果、単なる技術援助でも資金援助でもない、「アガペ交換研修プログラム」が発足した。

プログラムの内容

障害者福祉の指導者養成を目的として発足した「アガペ交換研修プログラム」には、東南アジア各国から毎年2‐4名の研修生が招聘される。1980年~2000年の間に、12カ国61人の研修生を受け入れている。1964年に身体障害者の授産施設として開設され、1999年には療護施設も加わったアガペセンターを研修実施のベースとして、研修生は利用者と寝食を共にしながら5ヶ月間を過ごす。1ヵ月目は日本語研修に、2ケ月目は日本の社会福祉制度とその実践の研修に、残りの3ヶ月はそれぞれの専門分野の研修に当てられる。研修生は現在社会福祉事業に携っている中間管理職で、少なくとも数年のキャリアを持っていることが条件となる。これは帰国後に研修で学んだ事を母国で実践または提案出来る事を期待する為である。研修生は健常者、障害者であることを問わない。事実ここ3年間は継続してフィリピンから車椅子使用の研修生を受け入れている。このことによって施設の限られた世界にこもりがちであった日本の障害者が触発され、連帯意識をもって海外に目を向け始めたのは、大きな収穫であった。「交換研修」と名付けた理由は、研修を一方的なものでなく、「共に学ぶ」姿勢を示したもので、職員と利用者がボランティアと共に研修生の出身地を訪問し、ワークショップや研修を通して自らも学び、国際交流を果たしている。2000年度には同年研修生の出身地フィリピンの障害者協同組合BBMCに、アガペ情報処理科の職員と利用者を派遣して、新しいコンピューター・センター設立の技術的援助を行なうと同時に、同国の障害者の置かれている現状に接し多くを学んできた。
共同生産事業開発に向かって
近年の社会情勢の激変と、それに伴う日本の社会福祉制度の基礎構造改革の波は、アガペの授産部門の在りかたにも変革を迫ってきている。一方、アジアの国々の中には歴史的民族的背景から語学や数学に優位性をもち、IT関連事業で優れた成果を示しているところがある。アガペに最も多くの研修生を送っているインドなどがその例であり、現に10余年前にアガペの研修によって触発された元研修生2名が、コンピューターを通して障害者のリハビリテーションと就労援助を行なうリハビリテーション・センターを開設し、地域の障害者の自立と社会参加に貢献している。
そこで、日本と海外の障害者が得意な分野で協力し、新しい共同生産事業が出来ないかとの模索を始めている。IT関連事業は障害者がグローバルな規模で活躍できる分野であると考える。本年2月に研修担当者とアガペの受注開拓プロジェクトの責任者がインドを視察訪問し、2001年度の研修プログラムもこの方向で進めることを確認し、その目的をもって元研修生をリフレシャーコースに招聘し、プロジェクト具体化への第一歩とする。