■事例報告1 愛媛県大洲市三善地区:西日本豪雨での地域避難の成功事例での障害者 パネリスト :窪田 亀一 愛媛県大洲市三善地区自治会長 聞き手・構成:北村 弥生 国立障害者リハビリテーションセンター研究所  最初のシンポジストとして、愛媛県大洲市三善地区から自治会長の窪田亀一さんにお越しいただきました。スライドを私のほうで作らせていただいて、質問形式でお話を伺いたいと思います。愛媛県大洲市は瀬戸内海側に長浜で流れ出る肱川を取り囲んでいます。三善地区は瀬戸内海から12Kmくらい上流に位置します。 〔図表〕大洲市地図(大洲市HP、Google mapより転載)  三善地区は、今年(2018年)7月の西日本豪雨で浸水したけれど人的被害、怪我も死亡もなかったことで有名です。テレビでもYouTubeでも内閣府の報告書でも成功事例として紹介されていて、2019年1月13日にもNHKの特集番組で放映されると伺っております。日本障害者リハビリテーション協会の原田さん、堂西さんと一緒に、10月に大洲市をお訪ねして、三善公民館において、窪田会長を含めた3名からお話をうかがいました。 平成30年9月26日現在 三善地区写真(公民館周辺) 平成30年7月7日 三善地区災害状況写真(公民館周辺)  公民館からいただいた写真です。下が浸水時。左は公民館周辺で床上浸水です。右は民家の1階が水没しています。上の写真は、晴れたときの同じ場所です。  これは公民館のお向かい側の家で、矢印した線の部分に、くっきりと浸水を示す跡がございました。〔家屋の写真〕  発災当日の動きをまずご紹介します。  7月7日午前3:45に、三善地区に土砂災害に関する避難準備高齢者等避難開始情報が発令されると、公民館主事として出勤。ご自宅は大洲市内ですので、小さなお子さんを置いて、車で15分くらい。窪田会長のご自宅の作業所は浸水したそうなんですけども、会長は奥様に「逃げろよ」と言い残して公民館に駆け付けられました。  4時半には、あらかじめ決めておいた手順通りに、三善公民館で避難所を開設されました。  5時には、新聞配達員や住民から「近くの春賀駅前が浸水した」という情報が公民館に入ってくる。春賀地区に避難準備高齢者等避難開始情報が発令されたのは5時40分でした。  7時には春賀地区に避難勧告が発令されて、三善公民館に住民が避難してきます。  7時半には大洲市全域に避難指示が出ます。  8時には、三善地区で管理している有線放送で、「避難指示が出ているから、避難カードを持って避難してください。避難所に来られない人は自主防災組織が決めた避難場所へ行きなさい。行ける人は避難所に行きなさい。」と放送されました。市の防災無線ではなくて、町内会が判断して情報を出されていました。避難カードは、全町民がこれをあらかじめ準備していました。 〔図表〕大洲市 三善地区「災害:避難カード」 1人1枚 オモテ わたしの情報 名前、性別、血液型、生年月日、住所、電話番号、留意事項(持病、飲んでいる薬など) 避難時はこのカードを持っていく! ウラ 家族(頼りになる人)の緊急連絡先 氏名、連絡先(職場、携帯など) 電話がつながらないときは、171(災害用伝言ダイヤル)  窪田会長は電話で各区長に住民の安全と誘導を依頼するほか、公民館からの二次避難が必要と判断されて、四国電力変電所の所長に「行ってもいいかな」という依頼を電話でされました。その場で「いいよ」という返事はなくて、変電所でも県に照会してから折り返し承諾の電話が来たということです。  10時頃には30人くらいいた避難者に昼食を提供して、変電所へ移動を開始された。そうこうするうちに断水が始まり、隣接する三善小学校も浸水が始まりました。11時半には避難所から変電所への移動が完了して、「変電所へ避難所を変更しました」という連絡を市に入れられました。変電所の近くの方も含めて、全部で60人ぐらいが避難されたということでした。  翌日、浸水した水が建物から引いて、2階建ての人は「1階が浸水して、ドロドロでも2階で暮らす」ということで、1日〜2日でお帰りになったけれども、平屋の方は10日間ぐらい水道が復旧するまで三善公民館にいらして、その間、自主防災組織で支援物資の配給をしていたそうです。以上が、水害の時の流れです。  窪田会長には、避難カードなどを作り始めようといったきっかけについて、まず教えていただけますでしょうか。 窪田 私どもの三善地区という、ただいま紹介のありました地区は、常に水害に悩まされてきております。もう私ちょうど昭和18年生まれでございますが、昭和18年の7月16日に大洪水がございました。松山周辺も重信川が氾濫ということでございましたが、この肱川も氾濫がございまして、そのときには大勢の死者も出、そして家屋が流されました。私の家も床上から1メーターぐらい浸かりました。それで私の命名式には、大変苦労したということを親から聞いておるとこでございます。その水害のときに亀が1匹入ってきましたので、亀一とつけたというような話を聞いています。昭和20年の水害につきましては、親から聞いておりますのは、母屋の庭先まで来たということでございました。今回も庭先まで来ましたので、73年ぶりの水害かなと考えております。大なり小なりの水害は平成になりましても出ております。田畑の被害、それと低地にあります住宅につきましては、やはり床下浸水を繰り返しをしておったわけでございます。そういう中で先人がやはりこの水害に対するその関心というのが強うございましたので、「地域がそれぞれの組織の流れの中で、防災の組織を対応できるように作っていこうではないか」というふうなことで考えてやってまいりました。平成27年に、防災マップ作りを始めたわけでございます。最初は、地域をまとめておりますリーダーたちが地域の防災マップを作り上げとったわけでございます。そこで、内閣府の事業に応募しましたら、ちょうど通過をいたしましたのが平成28年度でございます。 北村 平成28年度に内閣府の災害避難カードモデル事業に採択されました。実は27年度にも応募したんだけど落ちてしまって2年度目を申し込んで採択された。応募条件としては防災マップができてるということだったそうです。お話にあったように、最初の防災マップは自治会の役職の方がお作りになった。採択されると、県や気象庁などから避難判断に関する指導者が来て、ワークショップを3回ほどして、避難マップと避難カードを作っていった。  ネットからモデル事業の報告書を4枚、見つけましたので、あとで、ご覧いただきたいと思います。 〔図表〕第1回 三善地区「自然災害から自分を守る! ワークショップ」意見交換資料  これがワークショップで使った三善地区全体像です。事業での成果としては、三善地区は4部落で構成されているので、部落ごとに避難マップを作ったと伺っております。水色(網掛け)のところが、水が来ると予測されるところです。その地域に住む方たちがどう逃げるかを居住者で検討されました。 〔図表〕大洲市 三善地区災害・避難カード「わたしの避難行動」 深部部落(大谷・坂本)  こちらが話し合いの結果できあがった「三善地区災害・避難カード」です。下の方に横に走る線が肱川。水色のところが浸水予想地域。「指定避難所の三善小学校も三善公民館も浸水地域に入っている。このあたりで広い場所というと『変電所に逃げるしかないよね』と。『避難所になっていないけど、逃げるしかないよね』というようなことを地域でお話し合いになったというような経過でよろしいでしょうか。 窪田 はい。 北村 このきれいな地図は、モデル事業として内閣府やコンサルさんが入って作ってくださった。 〔図表〕災害時に気を付けるべき情報の入手先(テレビ、メール、電話、インターネット)  裏側には、避難の判断基準になる以下のような情報入手の方法が書いてあります。 @テレビのdボタンで川の水位や雨量の情報 Aメール(要事前登録):大洲市災害情報メール、愛媛県防災メール、えひめ河川(川)メール B緊急速報メール(NTTドコモ、ソフトバンク、au):市内にいれば、自動的にメールがとどく C電話:川の水位を知りたい時(国土交通省アナウンス情報)、防災行政無線が聞こえないとき Cインターネット: a) 川の防災情報(河川事務所HP):河川の水位情報を図やライブカメラ映像で確認できる。 b) 高解像度降水ナウキャスト(気象庁HP):250mm単位で1時間先までの降水の強さを5分間隔で確認できる。  このように、インターネットのここから取るとか、どこに電話するとかという情報があって、各自で判断ができるようにする。さらに、情報を取りまとめて、地区としての判断をするのが公民館長でもある会長や公民館主事というような作戦を立てられました。 A3サイズなので、パウチして冷蔵庫に貼っておきます。すばらしいのは、このマップを作った後、各地区の方たち、500世帯850人、全世帯の方たちが何度も何度も集まって、ワークショップに参加して、表の空欄を埋めていったということでした。  マップの表の欄を読み上げますと、「避難場所」について、「水から避難の場合、土砂から避難の場合」で空欄があります。「そのときに持ち出すもの」「気にかける人」「その人は何を持っていくべきか」を書く欄があります。それから「自分の避難の合図」。「どういう条件だったら逃げるのか」をワークショップで、地域で考え合いました。  この「気にかける人」は、災害時避難行動要支援者名簿から抽出するのではなくて、ワークショップで「あの人は気にかかるよね」という話から、内側から気にかける人を出していきました。  お話をうかがって、モデル事業の活用が成功した背景に3つの理由があったのではないかと思いました。 @地区のサイズは500世帯ぐらい Aリーダーシップのある方がいる Bモデル事業の後、活動を継続して続けている です。  窪田会長から、ご追加ありますでしょうか。 窪田 はい、そこの中でわれわれが一番によかったなと思いますのは、地域のリーダー的な立場の者が作り上げたものでなしに、この内閣府のモデル事業につきましては、私どもも内閣府の講師の方から3回の指導があったわけでございますが、その間にはかなりの回数を夜な夜な集まって、論議をしてまいりました。方向づけ、どういう流れにするか、どういう風にお願いするかということであったわけでございます。そのときに、私どもは、有線放送を管理しておりますから、マップ作りについて、皆さんに呼びかけて参加者を募ったわけでございました。大体80名から100名の方が3回の行程に集まっていただきまして。それぞれの地域ごとに相談をして、その方々が直にお住みになっとるところを中心として、お考えになったマップ作りというのが、われわれとしては、今回の災害に対しても功を奏したところがあるかなと考えております。 〔図表〕三善地区防災計画 表紙、災害対策組織図 北村 28年度の内閣府のモデル事業に先立って、27年度には「三善地区の防災計画」という計画を作られました。そこでは防災組織を決め、各班がすることも非常に具体的に書かれているのが、とても印象的でした。 〔図表〕組織別役割分担 消火・救出班 平常時の役割:器具点検・訓練指導 災害時の役割:初期消火活動・負傷者などの発見・救出・救護活動など 避難誘導班 平常時の役割:避難路の確認・危険箇所の確認など 災害時の役割:住民避難の誘導・要援護者の避難支援など 連絡調整班 平常時の役割:地域内団体・受け入れ体制の確認など 災害時の役割:被害状況の把握・受け入れ・備蓄等の配分・備品の貸し出しなど 炊き出し班 平常時の役割:食材料の確保・個人備蓄の啓発など 災害時の役割:食材料の搬入・炊き出しの実施・備蓄物資の配分など 清掃衛生班 平常時の役割:避難所等の衛生用品の確認など 災害時の役割:トイレの確保・防疫対策など  自治会は、地域では上の図に示す様に、公民館運営審議会、社会福祉協議会理事会の構成員であり、さらに消防団を加えた組織を自主防災組織としていました。各部落には三役が置かれています。 日常の活動: 組織編制・役割分担 防災知識の普及 家庭内対策の推進 地域の災害危険の把握 避難行動要支援者対策(訓練への参加、交流) 防災資機材などの備蓄 備蓄物資の確保 防災訓練 人材育成 災害時の活動: 情報収集・伝達活動 避難誘導活動 避難行動要支援者の避難支援(支援者に連絡、要望があったら避難誘導班と連携、支援者・緊急連絡網で安否確認) 救出・救護 出火防止・初期消火活動 避難所開設・運営(定められた地区住民、住民リーダー) 炊き出しなど 情報収集・伝達活動 避難誘導活動 避難行動要支援者の避難支援(支援者に連絡、要望があったら避難誘導班と連携、支援者・緊急連絡網で安否確認)  平時の活動と災害時の活動という表がありました。要援護者関係ですと、平時には要援護者対策で訓練への参加と交流を促す。災害時には避難支援をするのに、町会長から支援者に「支援に行ってね」と連絡する。要援護者から要望があったら、避難誘導班と連携して助けに行く。そのほかに支援者と緊急連絡網というのもあって、「安否確認をしよう」というようなことがあらかじめ決められていたということです。今回もこの通りに機能したということでよろしいでしょうか。 窪田 はい。奥様が車椅子の方がおられました。マップの中には、指定避難所以外にも地域の集会所を書き込んであります。一番近いところということで、この方は集会所へ7時頃には、もう行かれとったということです。障がいを持たれておられる方々は、いち早く家族で判断をされて、行動を起こされました。  それと、大洲ホームという施設がございます。デイサービス、それから障がいの方々の入居をずっと受け入れておられる大きな施設でございますが、その施設の管理というのは、その地域のリーダーの方が施設長さんと相談をしながらやっていくというふうなことで事前に準備し、「避難場所としても、いつでも協力しますよ」ということで、やっていただいておりますので助かりました。 北村 三善地区では、東京のように障害者が一人で暮らしているというのはなくて、ご家族と住んでらっしゃるということですね。ただ、独居の高齢者はとても多い。足腰が弱くて集会所まで行けない方は民生委員などが、車でピストン輸送を随分されたとうかがいました。それから集会所から変電所までも車のピストン輸送をされたそうです。三善公民館の一階は事務室で、二階の和室とホールが避難に使われたので、階段を上り下りしなければいけなかったので、階段では両側から抱えるように介助されたそうです。トイレも2階ですので、翌日以降は2階までバケツリレーで水を運んで、トイレの水洗を流したりとかっていうのを地域の方がされていたということでした。会長も70代でいらっしゃるんですけど、70代の方が80代以上の方を助けた。そういう構造にならざるを得ないんじゃないかなという感じがしますので、70代で健康に暮らしていただくことの支援も同時に必要だろうと思いました。  ただそのときに遠慮する人が結構いらっしゃると思うんですけど、いかがでしたでしょうか。 窪田 はい、ございました。声かけも、私どもの組織(自治会)と民生委員、地元の消防団が連携を常に取って、防災組織の対策本部としておりました。民生委員さんは、お年寄り、独居老人、それぞれの要配慮者の把握をされております。固定電話と携帯電話で連絡をして、避難の呼びかけをしたわけですが、なかなかかたくなに、「私はもう2階で住むから」と、おっしゃる方もありました。1回目に声掛けしたときは、まだ水位が低かったため、「まだ、大きな水にはならんから」というふうなことで、かたくなにお断りをされたんですが、2回目にはかなり水位が増してきた段階で、私どもも「最後の連絡ですよ。どうでございますか。」と言いましたら、もう「お願いします」というふうなことでした。そのときには消防団の分団が船外機を一艘持っておりますから、それを出動していただきまして、その船で避難をしていただきました。  公民館の自主避難所の近くの方にも、かたくなに「家でおる」という方もおりました。水が増してきますと、テレビとか、冷蔵庫とかいうのがかやる(倒れる)んですな。水が増えてきますと、安定感を失って。その方は、もう一生懸命にそれを直しながら壁に押し当てるけれど、またかやる。それの繰り返し。そのうち、水が増してきましたもんですから、「もう早く避難をしてください」ということで、その息子さんも一緒になって、呼びかけをしたんですが、「家財道具がかやったり、いろいろするんで、それを置いとかないけんのじゃ」っていうようなことで。最終的にその方がもう下着1枚で出てこられましたけども。室内は腰上ぐらいなんで。それが、玄関降りたら、胸までになるんです。これでたまげられて、「もう早よう本当に声かけのときに出とったらよかった」と。われわれももうちょっとずぶって行って、手を添えて避難をしていただいたんですが、やはりそういうことがないような、流れを作りたいなと考えております。 北村 次のときは、その方は早めに逃げてくださりそうでしょうか。 窪田 ええ、無論もう反省の念しきりでございました。今もう日頃の話の中にされておりますから、恐らく、逃げてくださいます。 〔図表〕7 活動目標と推進計画(5か年計画) ○防災知識の普及・啓発に関して次のような活動を行う。 防災チラシ: 作成・各戸配布する 毎年1回 講習会・研修会: 市内外から講師を招き、講習会等を開催する H28年度 パネル展: ふるさとまつりで啓発活動 H29年度 ○災害危険個所の把握に関して次のような活動を行う。 深辺地区検証: 深辺地区を歩き、危険箇所マップを作成 H27年度 多田地区検証: 多田地区を歩き、危険箇所マップを作成 H28年度 和田地区検証: 和田地区を歩き、危険箇所マップを作成 H29年度 東宇山地区検証: 東宇山地区を歩き、危険箇所マップを作成 H30年度 土砂災害危険個所確認: 確認しマップ化する H31年度 北村 この地区計画の中には、5か年計画がありましたが、このあと整備したいことについて、ちょっとご説明いただいてもよろしいでしょうか。表の30年、31年のあたりでしょうか。 窪田 自主防災部長のほうで検討をしておりますのは、今年度は12月1日の防火デーにちなみまして、消火栓の扱い方を消防団のご指導をいただきました。12月1日には、有線で呼びかけまして、全地区民に呼びかけて、参加していただいた方々が、それぞれに経験をしていただきました。例年は、防災に対する訓練は、夏にしとったんですが、ああいう水害でございましたから、引き延ばしにして12月1日にしました。自宅でおるのは年寄りが多ございますから、年寄りでもどのようにしたら初期の消火活動ができるかというふうなことで、消火栓を使えるようにしました。  来年は、土砂災害のマップを、山間部につきましては作っていくということです。山間部におきましては、土砂崩れ、土砂災害が起きたときに地域が分離される。そのときには、どこへ避難をするかというふうなことを現地を歩いて、それぞれの状況をチェックしていこうということでございます。  平坦地につきましては、水害について、避難をどのようにしていくかということの見直しを、4つの部落ごとに、1年ごとに、防災に対する研修をしていく計画です。意識を低下させないようにしていこうじゃないかというのが狙いでございます。 北村 内閣府のモデル事業で始まった災害準備を継続していこうっていうことですね。 窪田 はい。 北村 地区防災計画に最後に標語がありましたので、会長さんからご説明いただけますでしょうか。 窪田 防災の基本として、私どもが防災計画を立てたときに、何を基本にしてものごとを作り上げるかという、基本理念として、私どもはやはり「自分の命は自分で守る。地域は地域で守る。」ということでございます。といいますのは、今、大洲市も変わりつつあるとこでございまして、自治というものになってきます。地域のリーダーを含め地域のものが一つになって地域を守っていって、「自分たちでできること」「行政にお願いをすること」とそれぞれの分野というものを明確にして、「災害、有事の際には、お互いが守り合う、命を助け合う」そういうものを作り上げるべきではないかというのを基本理念として、この防災計画を三善の場合には作らしていただきました。 北村 内閣府の災害避難カード事業というのは、いろんな地区が応募されていて、報告書がネットに上がってます。事例書としても上がっていますし、報告会も毎年行われていて、そのときの記録もネットに上がっていますので、ぜひご覧いただければと思いまして、ここに情報を挙げさせていただきました。 〔図表〕内閣府防災担当 災害・避難カード事例集(表紙写真) http://www.bousai.go.jp/oukyu/hinankankoku/pdf/saigai_jireisyu.pdf  今日は遠くから、会長、どうもありがとうございました。 窪田 いえいえ、どういたしまして。 以上