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指定発言

曽田 夏記 自立生活センターSTEPえどがわ

私は28歳のとき、フィリピンで約8,000人が亡くなったスーパー台風で被災した経験があります。そのときに感じたのが、平時から取り残されている人たちは、災害時にも必ず取り残されるということでした。私がいた村でも200人ぐらい亡くなりましたが、沿岸部に住んでいた仲間の男性(障害当事者)も亡くなってしまいました。その方は、奥さんが子どもを体育館に避難させている間に、取り残されて亡くなってしまったのです。普段から外出が難しく、支援を受けることができなかった方なのです。普段から外に出られない人が、災害時に避難するのはやはり無理なんだということを強く思いました。

日本に戻ってきて、障害者運動をすることにして、今、江戸川の自立生活センター「STEPえどがわ」にいます。防災のことをやりたいと思っていたときに、北川先生が事務所の近くに住む地域の防災専門家の方とつないで下さいました。さらに、江戸川区で地域住民に対する防災活動を実施しているボランティアセンターの協力を得て、「防災ふらっとカフェ」という取り組みを今年から行っています。これは、先ほど東さんの話にもありましたが、名簿でつながる関係でなく、普段から顔の見える関係を地域で作れたらいいねということで始めました。

私たちの自立生活センターは地域とのつながりが弱かったので、町内会に入ろうとしたことがあったのですが、町内会長さんからは、いや、ちょっとそんな面倒見切れないから無理だよ、と第一声で言われてしまった経験があります。私たちは、ただ地域のお祭りなどに参加したかっただけなんですが、先方では、重度の障害者をまとめて面倒見なければならないという印象をもったのかもしれません。

防災ふらっとカフェは、今月で3回目を行いました。ボランティアセンターは、私たちにはない地域とのつながりをやはりたくさん持っていらっしゃるので、私のことを見かけると「あ、なっちゃん!」と呼んでくれる地域の方が出てきたり、防災の取り組みを通じて地域との新しいつながりができ始めているのかなと思います。

災害時に誰も取り残されない社会を作るには、やはり平時からのつながりを作っていくことが大事だろうと思います。誰も取り残されないという言葉はよく耳にしますが、実際の場面では、本当に最後の一人まで取り残されないような活動をしていけるのか-。私自身も含めて、普段から「置いてけぼりにしている人たち」がいないかということを、考えながら活動していかなければいけないと思っています。