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熊本県氷川町における地区防災計画作成と障害者

北村 弥生
国立障害者リハビリテーションセンター研究所・社会適応システム開発室長

熊本県氷川町における地区防災計画に注目した理由は2つあった。第一に、平成29年度に本研究事業で1741自治体を対象に実施した「障害者の災害対策に関する調査」1)において、熊本県氷川町(人口約1万2千人)からの回答には「町内全39地区で地区防災計画を作成する」という記載があったことから(1地区当たり単純平均309人)、地区防災計画の中で、障害者がどのように位置づけられているのかに関心をもった。

第二に、氷川町は、町内の全5校(3小学校、2中学校)が共同で平成24年度文部科学省からコミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)の委託を受けていたことであった2)。学校は防災教育および障害に関する教育の場としても、地域の避難所としても機能するため、コミュニティ・スクールという「地域と学校の連携の仕組み」が地区防災計画や障害者の災害対策にどのように効果を上げているかを知りたいと考えた。

本稿では、平成30年10月9日に、本島洋一主幹(氷川町役場総務課生活安全推進室)、勝枝健一区長(氷川町野津地区)西村敏昭校長(氷川町立竜北中学校)にお話をうかがった内容を中心に紹介する。

(1)取り組みが始まったきっかけ

氷川町は過去に高潮の被害経験もあり防災意識が高かったと言われている3)。しかし、直近の大きな災害は、平成11年台風18号で高潮が堤防を越えたことによる床上浸水で、海からの距離によって地区の危機意識には差があった。平成17年に八代郡竜北町と宮原町が合併して氷川町になったことも地区による意識の差の背景にはあると推測される。平成19年には、全地区で自主防災組織(会長は区長が併任)も結成され、消火器やAEDの使い方を消防署が指導する防災訓練は行われていたが、避難訓練は行われたことはなかった。

平成26年4月熊本地震で全壊34戸、半壊194戸、一部損壊799戸の被害を受けたのは大きな契機であった。街の地域防災計画の改定(平成27年)では、全地区の地区防災計画作成(3年間)のほかに、庁舎内の危機管理室増設、防災行政無線デジタル化と屋外スピーカーの増設、全世帯の個別受信機の更新(町村合併による機種の統一)、車中泊場所を確保するために庁舎駐車場の増設(260台分)などが盛り込まれた。

(2)組織体制

39地区の自主防災組織は、各地区の消防団(全633名)・広域消防本部・小中学校・社会福祉協議会(ボランティアセンター)と連携をとっていた。学校と地域で共同の避難訓練も開始された。町内の主な事業所と従業員数も防災マップに登録されていた。災害が勤務時間中であれば職員は被災者にも協力者にもなるからである。防災マップを作成するために地区で行ったワークショップは、町役場総務課生活安全推進室を窓口として業者委託された。「防災活動の主体は住民であることを確保するために、行政はアドバイザー的な立場をとり、自分の地区は自分たちで守るという心構えを持っていただくことが、一番重要なことであろう」と行政担当者は話した。

中学生の協力も期待されていた。熊本地震では、教員からの申し出により中学生が避難所での備蓄や支援物資の配布、高齢者の話し相手を務めた実績があったという。

住民の主体性を求める行政の姿勢は、近年の旧宮原町は熊本市・八代市のベッドタウンとして発展し、行政と住民の意識が乖離した状態から住民主体のまちづくりを活性化しようという動きが平成元年ころから始まったことが背景にあると推測する4)。

(3)取り組みの内容

地区防災計画の成果は冊子ではなくA3サイズの3枚のシートとされた。一枚目は、地区防災計画概要として下記が記載された。一般的な防災マニュアルの記載でなく、熊本地震での地区の経験に基づいた具体的な記載であった。1)対象地区名、2)計画策定主体(区長名、運営委員人数)、3)世帯数・人口、4)事業所名・人員、5)知っておくべき地区の特性(地形・地勢、災害、暮らし・備え:消火栓、防火水槽、消防団員数、空き家、標高、訓練・行事)、6)災害に対しての心構え、7)災害に強い地区づくりのための行動計画(①資機材の備蓄、②消防団の強化、避難方法、定期的な避難訓練等)、8)避難の基準、9)避難場所、10)地区内の防災資機材。

二枚目には、地区の防災組織の運営体制(8班の正副役員名、平常時と災害時の役割)と連絡体制の枠組み、災害体制への移行判断基準(震度5、役場の避難所開設放送または区長による号令)指定避難所の電話番号、行政・ライフラインの電話番号、消防団・民生委員・社協および担当職員の電話番号、避難情報を得るホームページが記載された。

三枚目は防災マップで、住民は自分の家から安全な避難経路を書き込むことが期待された。防災マップを作るためには3回のワークショップが実施された。1回目には、地区の危険個所、過去の災害被害箇所を住民が出し、2回目には現場確認。その間に、連絡体制・運営体制を自主防災組織で決めた。また、空き家や要支援者に関する情報を地区役員から得て地図上に名前は伏せてマッピングされた。

桜が丘地区防災マップ

地区役員は1年から3年で交代するので、運営体制と連絡体制の変更を簡単にできることは冊子でなくシート状の防災マップにした理由の一つであった。自主防災組織で定期的に地区防災会議を開き、シートの情報を更新するたびに町役場に報告されることが期待されている。

地区の運営体制・連絡体制

(4)災害時要配慮者支援

要配慮者の担当は健康福祉課で、災害時要援護者名簿は手上げ式で約900人が登録されていた。そのうち、自治会への開示承諾者は714人(平成30年9月)であった。熊本地震の時には、名簿を基に消防団が安否確認に行ったが、名簿の住所と実際の家屋の対応がつかない場合もあったことは反省点だった。そこで、地区防災計画では名簿ではなく、住民からの情報で要配慮者を共有し図示した。ある地区(126世帯:7班)では、消防団員12名を要配慮者14名に割り当て、災害時には避難の呼びかけと異常の有無を確認・報告することとした。区長はリヤカーを使うなどの方法での要配慮者の避難支援を考えていたが、要配慮者に避難の意思が薄く避難訓練に至っておらず、小中学生の声掛けによる避難の説得が期待されていた。

要配慮者のほとんどは独居高齢者と高齢世帯で、障害者は同居家族が避難誘導すると考えられていた。例えば、昨年亡くなった視覚障害者も自転車に乗ってはりきゅうあんまの仕事に通っていて地域の支援が必要とは考えられておらず、中学校の特別支援学級に在籍する知的障害の生徒3名は普通高校への進学を希望していて、「学校の避難訓練では支障がない」と語られた。障害福祉事業所は複数あり、福祉施設からの一時帰宅者が被災することも想定されていたが、その災害時の対策は課題と認識されていた。総務課生活安全推進室と区長からは熊本地震での障害者の困難事例についての情報は得られなかった。避難所での要配慮者支援には保健師1名を常駐させ、支援体制の人員不足には救急救命士が依頼された。

(5)学校運営協議会による避難訓練

防災マップを活用した避難訓練は、平成29年から数か所で実施され始めたところであった。学校運営協議会は、学校・教育委員会・地域で組織され、在宅あるいは通学中の子どもに避難先は地区の公民館であることを認識させることが避難訓練の目的であった。自主防災組織や自治会は高齢者が主な構成員で、60歳以下の住民の参加はまれなため、小中学生の避難訓練から小中学生の親の世代が防災活動に参加することも期待されていた。学区は複数の地区にまたがるが、複数の地区との合同訓練は実現していなかった。地区の間で、新しい行事を行うことへの温度差があるとのことであった。

平成30年に実施された野津地区(北野津)の避難訓練は、地区の区役(川さらい、草刈などの清掃活動等)の後に引き続き実施され、198名が避難所に集合した後、「釜石の奇跡の経験」などの資料が防災訓練教材として配布された。区役は年に2回、75歳未満の住民が参加する。避難訓練には、75歳以上の住民の参加も区内の放送で促した。区役は参加すれば有報酬であるが、参加しない場合の罰金も設けられている。成人住民が障害者だけの世帯は区役を免除されており、お祭りなどの行事へもあまり参加しない。障害のある人の地域との関わりについては、当事者・支援者と共に参加を検討する余地が多いと感じられた。

  1. 日本障害者リハビリテーション協会. 障害者と防災施策に関する全国自治体調査. 2017-12.
    http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/bf/201712/index.html
  2. 文部科学省. コミュニティ・スクール.
    http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/community/school/detail/1361007.htm
  3. 西日本新聞. 2017.4.12. 氷川町が全行政区に防災計画 住民主体、地域の実情反映
    http://qbiz.jp/article/107415/1/
  4. 国交省.  事例番号 141 小さな町の大いなる挑戦(熊本県氷川町・宮原地区).まち再生事例データベース
    http://www.mlit.go.jp/crd/city/mint/htm_doc/pdf/141hikawa.pdf