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JDFみやぎ支援センター 東日本大震災に関する支援活動報告

JDF宮城
事務局長 池田 裕道

 2011年3月11日に発生した東日本大震災を受け、3月18日、日本障害フォーラム(JDF)は「JDF東日本大震災被災障害者総合支援本部」を設置、3月30日に「JDFみやぎ支援センター」を仙台市内に開設した。宮城県内の障害者団体で構成された「被災障害者を支援するみやぎの会(3月23日発足)」と連携するとともに、全国のJDF関係団体等から多数の支援員の派遣を受け、震災発生直後の救援物資運搬、障害当事者の安否確認、避難所や仮設住宅における相談支援や移動支援、生活状況や被災状況についての調査活動など、さまざまな活動を行った。また、情報交換会を開催して、行政を含む関係機関との情報共有や意見交換を重ね、生活再建や復興に向けた取り組みへの対応を検討した。避難所から仮設住宅等への移行に伴い、同年12月に支援員による支援活動を終結した。その後「被災障害者を支援するみやぎの会」が発展的な解消を遂げることとなり、2012年3月9日、県内の障害者団体で構成する「JDF宮城」を新たに発足し、「みやぎの会」の活動を引き継ぎながら、JDFみやぎ支援センターの事務局を担い、被災障害者や障害者団体の支援と復興再生に特化した活動を行っている。

JDF宮城の取り組み

 JDF宮城は、2016年1月現在、県内の60団体から構成されている。事務局は3名から成り、会計担当1名と主な支援活動を2名で行っている。取り組みの内容は、県内60団体とJDF支援本部に毎週報告し、さらに詳細な報告を、年1回の全体会および年数回の支援本部会議(東京)で行い、課題共有を図っている。
 支援活動の柱は仮設訪問である。1市1町から情報提供は受けたものの、実際に被災障害者がどこにいるかまでは把握できず、各地の仮設訪問を通して「草の根的な」被災障害者支援活動を行っている。
 未曾有の大震災から5年が経過しようとしている今、被災された方の生活再建の状況はますます多様化しており、それぞれが抱える課題も異なっている。災害公営住宅への転居や自宅再建にて新たな生活を始められた方がいる一方、さまざまな事情から仮設住宅での不自由な生活を選択せざるを得ない方々がいる。我慢することが多いであろう日々の生活において、「特に困ったことはない」「ここにタダで居させてもらえるだけでもありがたい」と自分に言い聞かせながら、「なんとか生活している」という声を多く聞く。支援した障害者宅を再訪問してみると、「転居先は未定」と話される方が思った以上に多かったことが事態の深刻さを物語る。理由として多く聞かれたのは、「希望する場所に復興住宅等がない」、または「経済的な問題」とのことであった。災害公営住宅の建設工事の遅れにより完成待ちをしている方も多いが、転居後の環境への適応や新しい人間関係の構築に不安を感じているという方も大勢いる。
 未訪問の仮設住宅を訪問しつつ、再訪問先では近況を伺い、物資支援、行政機関や専門機関へのつなぎおよび連絡調整、引越し等の支援など、「今」上げられている声に耳を傾けながら、出来うる限りの支援を続けている。

訪問した仮設住宅宮城県内406か所中およそ330か所(2016年1月現在)
(気仙沼市・南三陸町・石巻市・女川町・東松島市・塩竃市・七ヶ浜町・多賀城市・仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町)
支援した物資手すり・杖・バスマット・ベッド・マットカバー・座椅子・ブレンダー・ 液晶TV・インターフォン・光るチャイム・畳・おむつ・パッド・膝サポーター、ソファー、歩行車、衣装ケース 等
その他の支援・活動 ・災害公営住宅申込の手続き
・保健師や地域包括支援センターとの連絡調整
・清掃
・使用できなくなった車いすの処分
・引越しに係る支援
・南三陸町障害者自立支援協議会の委員(外部識者)として参加
・他県からの物資支援先の仲介等
訪問した自治体および関係機関気仙沼市・南三陸町・美里町・石巻市・女川町・ 東松島市・塩竈市・七ヶ浜町・多賀城市・仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町

今後の展望

 震災から5年が経つ今、まだまだ支援を必要とされている方がいるということを日々の活動を通して痛感している。個人情報保護の壁により居場所の特定は難しいが、仮設住宅や災害公営住宅の自治会長や関係機関の協力を得ながら、支援を継続していきたいという思いはある。しかし、復興支援のための寄付金は激減しており、活動を続けるためには資金面の課題もある。
 また、時間の経過とともに震災の記憶が加速度的に風化していくことが懸念される。被災された方の「その時」の声に寄り添い続けながら、東日本大震災の教訓を伝え続けていかなければならない。今回の震災における障害者(障害者手帳所持者)の死亡率は全住民の死亡率と比べて2倍、もしくはそれ以上だったという重い事実を受け止め、差別・偏見のない社会実現を基本としながら、平時からの行政・関係団体等との協力体制の構築、地域住民とともに行う避難訓練や防災・減災教育(災害発生時に誰もが情報にアクセスでき避難できるための基盤づくり)、福祉避難所の整備および周知等の必要性を継続して発信し、より多くの方と課題を共有していけるよう、勉強会やセミナーの開催等を検討し未来に備えていきたい。
 本報告書でも、JDF宮城と関係の深い方々からの「声」を掲載させていただく(後半のコラム参照)。ぜひ、この「声」が多くの方に届き、ともに未来を考えていただければと願っている。

みやぎ支援センター 活動の経緯について(2011~2012年)

JDFみやぎ支援センター前事務局長 株木孝尚

〈2011年〉

◎3月11日(金) 14:46頃 マグニチュード9.0 震度6強(仙台市宮城野区)

◎3月11日(金) 14:49大津波警報発令、約30分後、大津波襲来(仙台港津波高さ約7m)

◎3月23日(水) 「被災障害者を支援するみやぎの会」発足

  • JDFみやぎ支援センター設立承認
  • 事務局:(財)仙台市障害者福祉協会(現:(社福)仙台市障害者福祉協会)

3月30日(水)~ JDFみやぎ支援センターを開設。

  • 場所:(社福)共生福祉会 仙台ワークキャンパス(仙台市太白区)

4月28日(木)~ 北部支援センターを開設。

  • 場所:(社福)恵泉会 若葉園(登米市東和町)

◎5月1日(日)~ JDFみやぎ支援センター移転

  • 場所:(社福)共生福祉会 萩の郷第二福寿苑(仙台市太白区)

8月15日(月)~ 東部支援センター開設

  • 場所:遠田郡涌谷町

10月2日(日)~ 北部支援センターを東部支援センターへ統合

12月4日(日) 東部支援センター閉所

 全国各地のJDF関連団体より817名の支援員が来県、開設以来8か月間、延べ6,867名の派遣があった。連日数十名の支援員を2~4名の班に編成し、車両は、現地支援車両のほか、遠方にも関わらず燃料持参で来県された方の車を活用して支援活動を展開した。その後、(株)本田技研工業より新車のオデッセイ(レンタル無料)や(社福)清水基金、(公財)日本財団などの協力により支援車両の配備を充足することができた。
 避難所から仮設住宅への転居や支援状況の変化に伴い、10月に北部支援センターを東部支援センターへ統合し、2011年12月4日、東部支援センターを閉所、全国からの支援員派遣を終結した。

〈2012年〉

3月9日(金)

  • 「被災障害者を支援するみやぎの会」の発展的解消と「JDF宮城」の設立
    宮城県内の障害者団体が、関係機関の協力を得ながら、震災復興の諸課題や支援に、その後も長く取り組む体制を整備する目的で、「JDF宮城」を結成した。
  • JDFみやぎ支援センターの事務局は「JDF宮城」に設置。