JDF東日本大震災被災障がい者支援いわて本部
およびいわて支援センターの活動
いわて障害フォーラム事務局次長
元JDFいわて支援センター事務局長
小山 貴
1.JDF東日本大震災被災障がい者支援いわて本部
(1) 東日本大震災に関する支援活動の経緯、実施体制および活動について
2011年9月22日、東日本大震災被災障がい者支援いわて本部が結成された。震災直後に開設された宮城・福島に比べ、半年遅れての開設になったのには理由があり、岩手県では障害者団体のほか、民間支援団体が岩手県社会福祉協議会のもとに集結し、細やかな情報交換や連携を取りながら活動ができていたことによる。しかし、復興までの道のりが長期にわたることが予想されたので、宮城・福島に続きJDFの名のもとに再集結することにした。(下表構成メンバー参照)
このように、震災以降は団体ごとに支援活動を継続してきたことから、その活動は各団体が継続し、定期的に開催した本部会合では各団体の状況報告と意見交換を主に行ってきた。また、それまで障害者団体や関係団体が連名で要望書を提出することはなかったのだが、連携し要望活動を行うことができた。その他、同本部が陸前高田市に設置したJDFいわて支援センター(次項で活動報告)の活動や、その活動の中で陸前高田市とJDFが連携し行ってきた研修やシンポジウムの企画運営等も行った。
構成メンバー
県内団体(50音順) | |
岩手喉友会 | |
CILもりおか | |
岩手県視覚障害者福祉協会 | |
岩手県立視聴覚障がい者情報センター | |
岩手県自閉症協会 | |
岩手県社会福祉協議会・障がい者福祉協議会 | |
岩手県重症心身障害児(者)を守る会 | |
岩手県腎臓病の会 | |
岩手県精神保健福祉連合会 | |
全国脊髄損傷者連合会岩手県支部 | |
岩手県中途失聴・難聴者協会 | |
岩手県聴覚障害者協会 | |
岩手県手をつなぐ育成会 | |
岩手県難病・疾病団体連絡協議会 | |
日本筋ジストロフィー協会岩手県支部 | |
全国団体 | |
特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan) | |
事務局 | |
岩手県身体障害者福祉協会(代表、事務局) | |
きょうされん岩手支部(支援センター事務局) |
(2) 支援を通じ、この間感じたこと
公助のあり方について
震災が起こってから各団体はそれぞれの障がい特性に応じた自主的な支援活動を行ってきたが、それは各団体の自己財源や助成金の範囲内での活動であった。これは、国では主に被災地の障がい福祉サービス事業所が復興期において安定したサービス提供を行えることを目指した「被災地障害福祉サービス基盤整備事業」をはじめ、事業所を対象とした復興支援は行っていたが、在宅の方の震災による地域生活の変化によって生じた課題解決の方策がなかったためである。
震災後、さまざまな団体が現地の障がいのある方からの一番大きな声であった移動支援を被災各地で行ってきた。これは被災直後から交通網が寸断された地域では、通院通学や買い物に出かけることができなくなってしまった移動制約者と呼ばれる方々がたくさん生まれ、地域で暮らすことがままならなくなったためである。生きるために食べる。生きるために病院へ行く。生きるために地域の人とつながる。移動が難しくなったために、これらのことができなくなった方たちがたくさん生まれた。また、家族や介護者など「支えるひと」がいなくなったため、身動きができなくなった方たちもたくさんいたため、通院の同行や買い物や用足しの手足となる支援も行ってきた。
これらの課題に対し、民間のさまざまな支援団体は細やかな支援を行い、特に各地での共通課題であった移動支援については、新聞やテレビで繰り返し報じられた。こうした中、私たちも現地ヒアリングにおいて、移動支援への公的支援の方策がないか要望したのだが、残念ながら、移動支援を含む在宅障害者の生活を支援する資金のメニューがなかったことから、実現に至らなかった経緯がある。
事業所を使う障がいのある方は、その地域で暮らす障がいのある方の一部である。一般就労先が被災し離職した人たちもたくさんいた。サービスの前に震災により崩れてしまった地域生活をどのように支えるのかという視点こそ望まれると思う。岩手県の日中活動系の事業所は、一部を除き5月までには困難を抱えながらも事業の再開ができた。一方では在宅生活を支えるヘルパーの事業は人員不足のためから従前のサービス内容に戻るまでに1年以上もかかっており、5年が経とうとする今でも介護職員不足の問題は解決せず、支給量を持ちながら十分なサービスを受けることができない状態が続いている地域もある。
このように移動だけではなく、地域生活を支える仕組みに対しての公助が弱かったと感じている。被災により自助も難しく、地域が崩壊したことによりそれまで足りなかった部分を支えてきた共助も難しくなった。だからこそ「自分の家で当たり前に暮らす」という、当たり前の部分に視点を当て、生活を再建できるようにする支援の組み立てを検討しなければ前にはなかなか進めないと思う。
国や県は、緊急時に速やかな直接支援が困難な場合、民間の団体が足で拾い上げたニーズに対し、それぞれの災害や地域特有の課題解決を民間団体に資金を提供し解決を図るくらいの弾力的な構造を作るべきであり、そのことによって細やかな課題解決がなされていくと考える。
国民を最終的に守る責任
観測史上最大級の震災が起き、その後も大きな余震が各地で続くにつれ、次には首都圏や南海トラフが動くかもしれないといった話も現実味を帯びてきた。震災から半年が経った日、障がいのある方の死亡率2倍という悲しい事実が発表された。一方、震災から半年が経っても障がいのある方の状況が分からないという報道が繰り返しあっても、誰も動くことはなかった。
何らかの対策を講じないことには、障がいのある方はまた同じような状況に置かれてしまうことが予想されたため、JDFは陸前高田市に入り、全障がい・全年齢の個人情報を開示していただき全数調査を行うこととなった。
国・県・市町村の行政の仕組みから言えば、たとえ市町村が壊滅状態となっても、その市町村からの報告がないかぎり、数字は誰も分からないと言われている。しかしながら、障がいのある方やご高齢の方たちの地域生活を支える保健師さんの4分の3が犠牲になり、4分の1以上の職員が犠牲になった地方自治体が数字を出せないということを、その被災自治体の責任とすることはどうなのだろうか。
あのとき何が起こったのかを検証し、次に生かすためにも、なぜ数字が出ないのか、どのように実情把握をなしうるのかを重く考えるべきではないか。その重さは人の命の重さであり、それは単なる数字ではなく一人一人の人間であり、災害弱者となってしまった人たちそのものなのだ。
5年経ったが、死亡率2倍の検証もなされていない。障がいのある方とご高齢の方の死亡率を合わせれば数字はそれ以上になる。早い段階での検証と、それをもとにした対策をしていただきたいと切に願う。
(3) 将来への展望
震災から5年目を迎えることを目前に、国の被災地への予算の減額や打ち切り、また助成団体の助成金の縮小や支援団体への支援金の打ち切りの話が増えていった。
お金だけの問題ではなく、「5年も経ったのだから…」「いつまで支援が続くの…」という言葉も聞こえるようになってきた。
実際、時間だけはそのくらい経過した。
しかし、この間に何が変わり何かが改善されたのか。今、同じ災害が起きた場合、障がいのある方の犠牲は減るのだろうか。
ただ「自分の生まれたまちで安心して暮らしたい」という当たり前のことができるような状態になったのだろうか。
私たちは今からが大切な時と考える。
2015年9月27日、JDF東日本大震災被災障がい者支援いわて本部を解散し、新たに「いわて障害フォーラム」という名のもとに再結成し、いわて支援センターも今後は沿岸部全体を視野に入れての活動を考えるようにした。
震災で新たな課題となったこと、またその前からあった問題が顕在化したこと、さまざまな課題が目の前には積みあがっている。課題解決と今を発信することは地元の私たちの役目であり、ここでもう一度一つになるための再結成である。
震災後は、残念ながら障がいを理由にした不利益や差別が避難所を含めさまざまな場面で見られた。
先の「障害者権利条約」の批准に加え、今年は障害者差別解消法の施行を控えている。これらを基に「だれもが安心できる住みよいまちづくり」が求められているが、条約や法が生きるものにならなければ、まだまだ十分であるとは言えない。
「このまちに生まれて良かったね」と誰もが思えるまちづくりをめざし、そのようなまちの中にある笑顔がひとつでも増えるような活動をしていきたいと思う。
最後に、この間、物心両面で支えてくださった全国の皆様に感謝を述べたい。多くの方々に支えていただいたことにより今があると心から感謝し、その気持ちを今後の復興へ向けての力としたい。
2.JDFいわて支援センター活動報告
(1) この間の経過報告
JDFいわて支援センターが陸前高田市に拠点を構えた経緯
岩手県の障害関係は他の支援団体と岩手県社協に集い早期から支援活動を行った。そのためJDFとしての枠組み作りは他県に比べ遅く9月となった。
震災後から各障害者団体や支援団体は内陸部に拠点を構えながら沿岸に支援に通っていた。冬を迎えるにあたり冬季の峠越えのリスクと支援の効率性の点から、宮古市、釜石市、大船渡市に団体が支援拠点を移した。
そのような中でNHKの調査により「障害のある方の死亡率は2倍」という結果が出たが、そのデータには陸前高田市の名前がなかった。甚大な被害があり、支援の手も他地域以上に必要であろう地域の状況が分からないということは関係する皆が気が気でなかった。
その陸前高田市は、震災による建物の被害が、津波によるものが50.4%、それ以外の被害が49.1%、合計99.5%という甚大な被害を受けたため、支援の手が必要であるにもかかわらず、支援拠点の確保はかなり難しい状況にあった。その拠点を設置する用地交渉の中で行政の置かれた困難な状況が浮かび上がり、最後まで責任を持つとの約束の下、障がいをお持ちの方全年齢の個人情報を開示していただき調査を行うことになった。
センター設置期間:2012年4月17日~2015年3月27日(1,074日間)
2011年 | 2011年 | 3月 | 東日本大震災 |
2011年 | 3月 | JDFが被災障害者総合支援本部設置 | |
2011年度 | 2011年 | 8月 | 陸前高田市での活動を視野に入れ検討を重ねる |
2011年 | 9月 | いわて本部結成 | |
2011年 | 11月 | 土地の借用について陸前高田市との協議開始 | |
2012年 | 2月 | 土地借用の件で合意、使用賃借契約を結ぶ(2014年3月31日まで) | |
2012年 | 3月 | JDF第2次報告会(衆議院議員会館) | |
2012年度 | 2012年 | 4月 | 陸前高田市竹駒町、旧竹駒保育園園庭に「JDFいわて支援センター」開設 全国からの支援員受け入れ開始 |
2012年 | 6月 | 支援を必要とする人の被災時における支援に関する実態調査 事前調整開始 | |
2012年 | 6月 | 現地スタッフ雇用(1人目) | |
2012年 | 7月 | 支援を必要とする人の被災時における支援に関する実態調査開始 | |
2012年 | 11月 | 支援を必要とする人の被災時における支援に関する実態調査終了 | |
2013年 | 1月 | 支援を必要とする人の被災時における支援に関する実態調査 第1次報告書提出 | |
2013年 | 3月 | JDF第3次報告会(衆議院議員会館と陸前高田市役所を中継で結ぶ) | |
2013年 | 3月 | 市有地整備に伴い、竹駒町の事務所を気仙町に移転する | |
2013年度 | 2013年 | 4月 | 現地スタッフ雇用(2人目) |
2013年 | 10月 | 国連防災の日記念「障がい者と防災シンポジウム」開催(共催:国連(ISDR)、日本財団) | |
2014年 | 3月 | JDF第4次報告会(衆議院議員会館) | |
2014年 | 3月 | 調査報告書刊行 | |
2014年度 | 2014年 | 12月 | 移動支援活動終結 |
2015年 | 3月 | 国連防災世界会議関連イベント「高齢者・障がい者と防災シンポジウム」開催(共催:国連(UNDP)、陸前高田市) | |
2015年 | 3月 | JDFいわて支援センター閉所(陸前高田市) |
(2) スタッフについて
この間、移動支援を中心とした生活支援への支援員の派遣と、調査への職員の派遣を全国からいただいた。
生活支援では、まだ津波警報が出るくらいの余震が頻発していた時期に、地図にある道がない中で浸水域を走らなければ行けない状況下で朝から晩まで走っていただいた。被災地域での移動の困難さや生活の厳しさが地域生活にどのような影響が出るのかを、派遣元で普段障がいのある方と関わるスタッフは肌で感じ、次に来るスタッフに伝えながら現地に寄り添って支援していただいた。この実践が行政の仕組みとしての取り組みにつながることとなった。
また調査活動は、全国で2例目の個人情報開示であったが、障害をお持ちの方の全年齢・全種別という情報開示は陸前高田市だけであった。言葉の壁も大きく、名簿先を訪ねても家屋が流出しており所在がつかめないというような物理的な困難さのほか、地域だけでなく家族でも障害受容ができにくい地域性の中での調査は困難が予想されたが、そのような状況下でも笑顔を絶やさず何十件も回ってくださった調査員や行政の全面的な協力、また、自分たちの地元だからと最後は夜遅くまで一緒に回ってくれた「いわて障がい福祉復興支援センター気仙圏域センター」の職員等、携わる皆がこの調査の必要性を胸に最後の一人まで訪問をした。
これら生活支援、調査活動への派遣スタッフは、どちらもギリギリの人数で日常業務をこなしている事業所からの派遣であったので、来てくださった職員の皆さんや、それを送り出し、その間の事業所を支えてくださった多くの皆さんがいてくださったことで成り立った。そのすべての皆さんに感謝したい。
JDFいわて支援センター | ||||
センター長 | 1名 | センター長 岩手県身体障害者福祉協会 | ||
事務局長 | 1名 | 事務局長 きょうされん岩手支部 | ||
事務局 | 2名 | 事務局員 きょうされん岩手支部、秋田支部 | ||
現地職員 | 2名 | 2014年12月31日まで | ||
派遣スタッフ(1,000人) | ||||
生活支援スタッフ(469人) | ||||
NPO法人日本せきずい基金 | 105人 | 2012年10月15日まで | ||
一般社団法人ゼンコロ | 135人 | 2012年度、2013年度 | ||
きょうされん | 229人 | 2012年度、2013年度 | ||
調査従事者(531人) | ||||
いわて障がい福祉復興支援センター | 105人 | いわて障がい福祉復興支援センター気仙圏域センター職員 | ||
JDF調査員 | 426人 | 全救協・セルプ協・ゼンコロ・きょうされん |
(3) 移動支援事業について
この間の報告で移動支援については述べているが、ある支援団体の方がお話しになった「移動支援というのは、単なる移動手段の問題ではなく、地域生活保障の問題なのです。」という言葉が忘れられない。
地域公共交通の復旧に伴い、地域公共交通の数でみると震災前の倍以上になった個所もある。しかし、一方で移動支援が必要な方が減らないという事実もある。震災で地域が崩壊したことにより、システムではなく人々の支え合いによって成り立っていた地域での支え合いがなくなった。結果、その地域が抱える生活の困難さが浮かび上がり、移動の問題については移動支援の数字として表れた。
この問題は引き続き、陸前高田市役所、陸前高田市社協、移動支援を引き継いだNPO法人愛ネット高田が地域の公共交通問題として取り組んでいる。
移動支援:2012年4月1日~2014年12月31日までの利用合計6,367件
2012年度 | 利用件数1,978件 (月平均164.8件) | 障がい者:1,270件 高齢者: 62件 障がい児:88件 |
2013年度 | 利用件数2,622件 (月平均218.5件) | 障がい者:1,217件 高齢者:513件 障がい児:404件 児童:475件 その他:13件 |
2014年度 (4月~12月) | 利用件数1,767件 (月平均196.3件) | 障がい者:920件 高齢者:660件 障がい児:187件 |
利用者区分
障がい者 | 3,407件 | 53.5% |
高齢者 | 1,793件 | 28.2% |
児童 | 1,154件 | 18.1% |
その他 | 13件 | 0.2% |
利用区分
通院 | 4,060件 | 63.8% | |
通学通園 | 1,135件 | 17.8% | |
買物 | 183件 | 2.9% | |
その他 | 989件 | 15.5% | ※イベント参加、障害団体会合参加、 金融機関や行政窓口等への用足 |
(4) 障がい者訪問調査活動について
調査結果については、下記ウェブサイトで閲覧することができる。 本調査結果は、陸前高田市障がい者福祉計画及び障がい福祉計画(第3期、第4期)策定においての資料として活用された。
調査対象 陸前高田市の障害者手帳所持者と自立支援医療利用者
1,357人 ※うち訪問調査による面談者数 1,021人
調査方法 個別訪問による対面調査
2014年3月 調査報告書「支援を必要とする人の被災時における支援に関する実態調査」刊行
URL http://www.dinf.ne.jp/doc/JDF/iwate/2014houkoku.html
(5) 行政関係(陸前高田市)
2012年度 | 障がい者連絡会 | 2014年度途中まで参加 |
2013年度 | 第3期障がい福祉計画 | 重点施策3ワーキンググループ「市独自の助成制度・ヘルパー養成制度の創設」 |
障がい者福祉施策検討委員会 | ||
2014年度 | 第4期障がい福祉計画 | 障がい福祉計画策定委員会 |
2015年度 | 第4期障がい福祉計画 | 重点施策1ワーキンググループ「市民主体のまちづくりと、当事者参画推進体制の構築」 |
障がい者福祉施策推進協議会 ※2017年度まで |
※その他、障がい者のための防災会議や各種意見聴取会などに参加。
(6) 今後について
2015年9月、JDF東日本大震災被災障がい者支援いわて本部を発展的に解消し、いわて障害フォーラムを結成した。これまでは陸前高田市に特化した支援センターであったが、まだまだ時間がかかる復興まで沿岸部の各団体と連携をし、広い視野で活動を継続したいと考えている。