音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

タラ・フラッド(Tara Flood)さんインタビュー (2012年7月) 【イギリス】

Alliance for Inclusive Education(インクルーシブ教育同盟)
http://www.allfie.org.uk/

聞き手:浜島恭子(DPI日本会議)

タラ・フラッドさんの略歴

生後16ヶ月から16歳の誕生日まで障害児の特別寄宿学校で育つ。20代は金融業界で働き、また1992年バルセロナ・パラリンピックの水泳50m平泳ぎで金メダルを獲得。その後、障害啓発行動(DAAN)でレイチェル・ハースト(元DPI世界評議員)の下で働く。現在はインクルーシブ教育同盟(アルフィー)代表。2008年にアルフィーの「インクージョンは功を奏する」キャンペーンが Sheila McKechnie 財団により表彰された。

連絡先
The Alliance for Inclusive Education(Allfie)
336 Brixton Road, London SW9 7AA, UK
Email info&allfie.org.uk (→&を@に替えてください)
URL http://www.allfie.org.uk/

インタビュー

―今日はお時間をとっていただき、ありがとうございます。日本の障害のある女性の人たちにイギリスの障害女性活動家のことを伝えたくて、インタビューに参りました。前もってお送りしていましたいくつかの質問、あなたが活動家になった転機とか、あなたの主な役割などについてお聞きしたいと思います。

タラ:いい考えですね。ご存知のとおり、障害のある男性の運動(アクティビズム)への参加に比べて、障害のある女性は見落とされがちですから。ただ、世の中に男性が達成することは女性がすることよりもより重要だというメッセージが、社会の中にまだそれほどあるとは思いません。以前よりはかなりよくなりました。でも、残念ながら私たちはまだ不平等な世界に住んでいると思います。

―最初の質問です。現在の仕事の上でのあなたの役割は何でしょうか?

タラ:私は「インクルーシブ教育同盟(Alliance for Inclusive Education)」の代表(ダイレクター)です。略称で「アルフィー」、こっちの方が呼びやすいですから。
 ここは全国的な運動(キャンペーン)を行っているネットワークで、障害者によって運営管理されています。アルフィーが英国の他の障害者団体(DPO: Disabled people's organisation)と若干異なっているのは、支持者(allies)が特定の役割を持っていることです。支持者は非障害者で、障害児の親だったり教師だったり、教育者だったり、アルフィーのビジョン(構想、展望)を支援する人なら誰でもなれます。アルフィーのビジョンとは、インクルーシブ教育は権利でなくてはならず、苦労であってはならないということです。

―あなたはこの団体の設立者の一人なのですか?

タラ:いいえ。でも設立者は障害のある女性でした。

―この人ですか?(インタビュアーが本[Micheline Mason著 'Incurably human']を示す)。

タラ:その通り! 'Incurably human'(『施しようのないほど、人間』)、いい本です。その本を読んで、それで「すべての人のための教育同盟」(アルフィー)に連絡しました。「私が子どもだったときにしたのと同じような経験をした人がいる」と思って(訳注:本の最後に、インクルージョンを実現するために集おうという人々への呼びかけ、アルフィーの住所、著者のEメールアドレス、アルフィーのホームページアドレスが書かれている)。そうです、ミシェリン・マーソン(Micheline Mason)が1992年にこの同盟(アルフィー)を始めました。そして私はここにダイレクターとして6年半います。

―政府などから活動資金を得ているのですか?

タラ:いいえ、いいえ。政府からも地方自治体、市町村からも助成はありません。民間の信託や助成団体、それから会費から資金を得ています。
 私たちは団体と個人からなる約250会員を有しています。私たちはあえて政府から資金を得ようとしていません。なぜなら、政府から資金を受け取っていると、政府に反対する運動を行うことがとても難しくなるからです。資金を受けながら政府に対して運動することも可能ですが、もっとずっと困難になります。なぜなら、政府に対し運動しながら政府からお金をもらっていると、しばしば独立していないことについて人々から非難されるから。
 それに、現在の、インクルーシブ教育に敵意を抱いている英国政府の風潮の下では、たとえ私たちが政府から資金を得ようとしても成功しないだろうと私は思います。それで、他のところから資金を得ることに私たちの全てのエネルギーを使っています。
 でも資金調達は非常に難しい。私が思うのは、どこの国でも私たちがしているような仕事に資金を得るのはたぶん難しいだろうと思います。なぜならこれはとても挑戦的な仕事だから。人びとが外に出て、何が悪いと叫び声を挙げることに対して、多くの人たちは居心地悪く感じています。今政府がやろうとしていることは障害者の上に悪い影響を与えています。多くの人たちは、特に障害者がキャンペーンをしていると、非常に受け入れ難く感じます。つまり、ほとんどの人が望むのは、障害者がおとなしくて受身の慈善の受け手であることです。でもどう? 障害者はもはやそういう存在ではない。とりわけ私の団体においてはね、ともかく。

―あなたは活動家(アクティビスト)と呼ばれていますが、あなた自身は活動家とはどういう意味だと思いますか?

タラ:活動家の正式な資格、定義というものは何か私は知らないけれども、私の個人的な視点からいうと、活動家とは、こういう人のこと。つまり、既存のシステムに挑戦する覚悟を決めた人のことで、しかもその最終的な目的として根本的な社会変化を持っていること。それで、自分の運動(アクティビズム)の基本となる一連の指針を持っていることだと私は思う。だからそれは、自分で分かっていることだと思う。どこへ到達したいのか。どうやってそこへ到達するのか。そして誰と、これがとても大事なことだけれど、あなたが誰と一緒に、つまりその道程を共有していくつもりなのか。
 なぜなら私が考えるに、活動とはとても孤独になりかねないものだから、あなたが他の人たちと一緒に取り組まない限り。どんな本当の社会変化も、孤立した状況にある個人によって達成されたことはない。運動(アクティビズム)の鍵は誰があなたの支援者であるのか知ること、誰と一緒にやるのかだと思う。それで、このことは私自身の考えが随分過去数年間ですごく、どのくらいかな、たぶん10年、いやそれほど長くないか、8年間くらいで変わってきたところです。
 私はずっと、ディスアビリティ・アウェアネス・アクション・ネットワーク(DAAN;障害啓発行動)で活動していた頃には、今私が話してきたような種類の変化は障害者自身によって達成されるもので、ほかの誰のよってでもないと考えていました。でも実際、もちろん障害者がリーダーシップを取らなければいけないけれど、他の人の支援がなくては私たちが考えているような種類の変化を達成することはできない。わかる? つまり認識すること…その変化のリーダーシップにあることは絶対、でも、私たちがそのリーダーシップを行う上での支援のため、他の人たちのことを見ていかなければいけないと認識すること。それが本当の運動だと思う。
 私は、運動というのはいろんな意味でとても個人的な経験だと思う。なぜなら自分自身によって動かされるものだから。ほら、女性が知っているように、個人的なことは政治的なこと。私が今やっていること、つまりインクルーシブ教育同盟をやっていくのは、まったくこれが個人的なことだから。私が生後16ヶ月で両親から離されて隔離された住居教育施設に送られ、16年後までそこを出なかったというような教育の経験があったから。その時まで私は家族と何も関係をもっていなかった。コミュニティとの関係もまったくなかった。それで、そこに取り残されながら私はこう考えた、「こんなことが今後、ほかの子どもにはけして起こってはならない」と。悲しいことに、それから30年、いやそれほど長くないか、25年経っても、今でも障害のある子どもたちは分離教育にある。どんな社会であっても、こんなことは正しくない。私が幼い子どものときしたような経験が再び起こることを止めるという、この熱望、これが非常に大きな思いです。

―あなたが最初に参加した活動を覚えていますか?

タラ:もちろん。私はディスアビリティ・アウェアネス・アクション(障害啓発行動)にいて、「介助された死」(assisted dying)法制に対する街頭抗議行動に出ました。そして私たちはウエストミスター広場、つまりウェストミンスター宮殿(国会議事堂)の外側で交通を止めた。そう、すべての交通を止めて、道路に座り込んで。それはすばらしく、私の人生でもっとも力づけられる体験でした。そこで、何人だったか、百人の障害者と支持者と一緒にいて交通を止め、音を立てて、叫んで。すばらしかった。一人残らずすべての障害者にお勧めします。たとえそれが人生に一度だけのことであっても、その連帯の経験は人生を変えるものです。

―それはいつでしたか?

タラ:えーと。それは、たぶん1998年だと思う。私は運動(アクティビズム)に参加したのはずいぶん遅かったと思う。それは私が子ども時代にした体験のせいだと思う。どうしてだか、子ども時代に隔離されたダメージを消し去るのにすごく時間がかかった。たぶん私が20歳代後半になるまで、それどころか30歳代初めになるまで、私が世界を違った視点で、もっとポジティブな視点で見ることは始まらなかった。私自身をもっとずっと積極的な人生として見るようになった。
 何がそれを変えたかというと、たぶん喜んでもらえると思うけれども、ある障害のある女性に出会ったことです。その人は活動家で、私に障害の社会モデルについて話してくれました。それは私が30歳のときです。ありがたいことに、それが私を変える始まりだったわけです。でも私が障害の社会モデルを理解するのに、それが各人にとって個人的どんな意味があるのかを理解するのに、とても長い時間がかかりました。障害の社会モデルはこういうふうに定義されているというのはとても簡単だけれど、あなた自身の核心部を理解するのには、もっと長く時間がかかると私は思う。

―障害の社会モデルを別の言葉で言い換えてみていただけませんか?

タラ:私にとって障害の社会モデルがどんな意味をもつかということ? もちろん。あなたは私の話を録音しているのだから、もちろん私がどんなふうに見えるかはわからないでしょうけれど、私にとってはとても個人的な意味があります。
 社会モデルとは、私の生活を困難にさせているものは、私の機能障害(インペアメント)ではないと理解すること。私に両手がないという事実や、人工的な足を付けているという事実ではないということ。そうではない。私の生活を難しくしているのは、私に手がないという事実や、人工的な足を付けているという事実に対して人々が反応するそのやり方です。それが私にとっての社会モデルです。
 もっと分かりやすい言い方をすると、私が思うに、一般的な言い方では、障害者の機能障害(インペアメント)や健康状態が問題なのではない。私は障害をこう見る。障害の世界は政治的なアイデンティティーだと。私の身体性や他の障害者の身体性を記述するやり方ではない。そうじゃない? とてもポジティブな理解。ポジティブな経験と言ってもいい。
 それに、障害者、それもその人の人生の初期に医療モデルに囲み込まれてきた人たちにとって、その見方から別の見方に移動するのはかなり難しいシフトだと思う。なぜなら社会は完全に医療モデルに囲み込まれているから。私たちがサービスを利用としようとするとき、手当を受給しようとするとき、支援を得ようとするときのやり方は、全部が、何ができないかを言うことであって、何が私たちが望むことを行う上でバリアとなって私たちを妨げているのかということではない。大勢の非障害者がそれを当然のことと受け止めているし、それが変わるまでは、障害者自身が私たちをどのように考えるかの視点を個人的に変えることは非常に難しいと思う。それに、公正に言えば、たぶんあなたも聞いたことがあるように、1200万人の英国の障害者のうち大多数が今も自分自身を社会モデルの観点から見てはいないと言えるでしょう。なぜなら、障害者を医療化するということは従来備わっている制度だから。だから、多くの意味で、社会モデルを理解している私たちはまだ少数派と言えるでしょう。

―新たに障害を負った人が自殺幇助を受けたという報道(注:2008年にスイスで自殺幇助を受けた元ラグビー選手のダニエル・ジェームズの事件)を聞くとそのように感じます。

タラ:そのとおり。悲劇です。障害者は長い間機能障害や健康状態を抱えた人ばかりではありません。とりわけ、メンタルヘルスの問題と共に生きている人は人生を終えるために尊厳へのアクセスを求めてスイスへ行きます。豊かな国でこのようなことが起きるのを許すのは悲劇です。
 でもこのことは、障害者の医療化の力強い特性を現していると思います。そうじゃない? 私たち障害者の生活はそんなに悲惨だから、明らかに私たちは人生を終える方法を見つける必要があるなんて。私がいつも非常に興味深く思うのは、異なる言説があるということ。つまり、障害者が自殺を考えるか、非障害者が自殺を考えるかで。そう、もしあなたが非障害者なら、人々は、なんていうか集まってきてこう言うでしょう。「ああ、何か助けになることができる? なんてひどいこと。あなたの人生は重要だ」と。で、障害者が自殺しようとするとどんな言説がある? 「ああ、わかった。そう、あなたが自殺するのを誰かが助けられるよう、どんなふうに法律を変えたらいい?」と。根本的に異なる言説です。あなたが自分自身について違ったやり方とか、ポジティブなやり方で考えることを助けるのではないのだから。違う! 「あなたを助けるために何ができる?」と障害者に言うべき。一体どんな社会に私たちは住んでいるのだろう? これら2つの異なる言説が障害者と非障害者に対して存在するなんて。人々の会話の中にあるこの違いを許している、これらの反応は何か根本的に社会を騙していると思う。

―あなたの過去5年間での主要な闘いについてお聞きします。

タラ:死の幇助の問題は続いていると思います。私の考えでは、残念ながら、とりわけ不況の時期には、社会の中で誰が費用がかかるか、あるいは負担になるかというようなことを考える傾向が強まります。そして、そういう人たちの人生を終わらせようという法律への支援も高まります。これは私の闘いの一部だと思います。
 それに、私たちがここアルフィーで闘っているインクルーシブ教育については、インクルーシブ教育を終わらせたいと考えている今の政府下でのほうがもっと大変になりました。現政府は、もしこういう言い方がよければ、障害児と障害のある若者のチャンスを分離教育の中で増やしたいのです。非常に大きな闘いです。それに障害者の権利にとって根本的な闘いがあります。今や私たちはますます多くの公共サービスが民営化され、これらサービスへのアクセスがより難しくなり、もっとずっと高価になる時代に向かっています。それに私たちは「支援に値する、値しない」の言葉(注:1834年の新救貧法下で使われた)が再び戻ってきた時代に向かっていると思います。そして現政府が障害者を表現している扱いからいうと、障害者は明白に「値しない」とうわけです。福祉改革と手当(注:手当の制度を変革した2007、2009、2012年の福祉改革法)をめぐってマスコミ報道の中で使われる言葉を見てみなさい。まったく障害者を費用がかかる存在として、たかり屋として、「値しない」誰かとして扱おうとしている。非常に根本的な人権のレベルでの、非常に、非常に危険な表現です。

―そのメディアにおける言葉使いはとりわけいつ頃始まったのでしょうか? デビッド・フロイド氏(注:前労働党政権のために一連の福祉改革法を提案するレポートを書き、現保守党・自民党連合政権下で福祉改革の責任者となった)からですか?

タラ:いいえ、ずっと前からです。フロイドがしたことは、実際、本当にこれらヘイト・スピーク(いやがらせ表現)を強めることをメディアに許しました。そう、私たちがいまマスコミで目にすることは、ヘイト・スピークです。つまり、フロイドはそれをより一層進める機会を与えただけだということ。
 このヘイト・スピークは、政府によって、特に雇用年金省によって、生み出されたと思う。彼らが、メディアが障害者についてまったく受け付けられない言い方で話すのを許していると私は思う。なぜなら、彼らは自分たちが押し進めている福祉改革を全面的に支持してもらいたいから。そしてそれをやる方法として、その結果最も悪く影響を受けることになる特定のグループから人間性を奪っている。もっとはっきり言うと、福祉改革の結果として悪化することになる、影響を受ける人たちのグループを非人間的に表現している。わかるでしょう? これらの言葉使い。私たちは厳しい時代にある、財源は逼迫している、予算を効率的に使うよう確実にしなければならない。そして障害者は明らかに効率的ではないというわけ。これが今やメディアで使われている言葉です。そう、私たちは社会のお荷物ということ、残念なことに。
 この障害者が見ている言葉は1930年代に使われていた言葉の再現だということを指摘しなくてはなりません。知っての通り、ナチスが障害者はただ飯ぐらいだという言葉を使った。つまり、誰もその通りの言葉は使っていないけれども、でも、障害者に費用がかかるとか、社会の負担だとか、だから彼らをどうするべきだとか、そういう表現の調子や強調のされ方から見て取れる。つまり、私が思うに、障害者は社会や政府が私たちについて話す調子の変化に非常に神経質になり、非常に懸念している、メディアが私たちについて話すそのやり方に。これらのネガティブな表現で私たちについて話すことがますます表に出てきている。すごく危険になっていると思う。
 例えば、障害者に対してのヘイト・クライム(嫌がらせ犯罪)がすごく増えている。人々はメディアの中で読んだことに影響されているから。「わかった。障害者は怠け者、障害者は費用がかかりすぎる。ということは、非障害者の私が障害者に罵声を浴びせてもOKなんだな」と。それが今起こっているのです。政府がヘイト・クライムを助長していると言いたいです。そう、あまり良いニュースはありませんね(笑)。あまりいいニュースを聞きません。
 でもいいニュースもあります。それらの動きに対して障害者による運動が声を1つに集め、連帯感が高まっていることです。「財政カットに反対する障害者(DPAC)」がそうです。これはインターネットを使ったキャンペーンで3人の女性から始まりました。そう、またも女性です。資金もない中、ただこの大きな全国的キャンペーンを始め、今や本当に大きく成長しています。すばらしい。でも、とにかく、こういうことはたびたび起こることです、活動家でない障害者が突然に何が起こっているのか理解することは。多くの障害者が突然、何か自分たちがすべきだ、何かに参加すべきだ、他の障害者と一緒に集まるべきだと考えています。今まで自分のことを活動家と一度も呼んだことがない人たちが活動家のキャンペーンの仲間になっていると思います。これが良いニュースでないはずがありません。

―国連障害者権利条約批准の話に移ります。イギリス政府は教育条項24条を留保しましたが。

タラ:教育条項が批准に含まれていないということではないのです。つまり、政府は国連権利条約を批准しました。すなわち、全ての条項を批准するけれども、いくつか例外があるということです。私の考えは非常にはっきりしています。政府はそれでも条約24条の下で責務があるということです。今のところ、世界中でイギリスだけが24条に反対した国だというのは恥ずかしいことです。
 でも有効なのは、政府の解釈宣言(interpretative declaration)で、見てみる価値があります。その文書にはこう書いてあります。インクルーシブ制度を進めるためにメインストリーム教育能力強化に熱心に取り組む、と。これが重要です。条文24条に対する非常に否定的な反応の中、この鍵となる文章が、私たちがインクルーシブ教育のキャンペーンを行っていく上で唯一のかすかな光です。

―今、あなたにとって一番大事な課題は何かでしょうか?

タラ:一般的に? アルフィーにとって? この団体にとってなら、間違いなく、政府の教育の問題です。1つは教育の民営化、もう1つは増えつつある障害児と障害のある若者の分離教育です。それを止めるのが私たちの優先事項です。

―民営化というのは、親が一種の私立学校を設置するということですか?

タラ:それです。でも親だけではないですよね。たくさんのプライベート・セクター、つまり民間企業が今や学校を運営しています。今では彼らが学校に資金を提供し、影響を与えることができます。いいですか、そうして学校が既に民営化されたところでは、障害児や障害のある若者がいる可能性はあまり高くありません。フリースクールについてもね(注:2011年から導入された、保護者等さまざまなグループにより設立され、中央政府から直接予算を獲得し運営される学校で、従来の学校とは異なり地方自治体の管理を受けない)。私たちが見てきたことでは、国務大臣に新たなフリースクールを申請した全ての学校でインクルーシブ教育の気風が破棄されてきている。民営化と分離教育の増加。そう、だから、私たちのキャンペーンにとって明白に(笑)これが優先事項です。

―ローカリズム法(2011年)は教育の供給に影響を与えていますか?

タラ:その法律は地方自治体の予算の使われ方に関する法律だと思います。知っての通り、地方自治体の役割は前よりずっとずっと弱くなっています。今では本当の調整の役割というのは教育の供給に関しては、もはやありません。ただ、地方自治体は今でも特別な教育ニーズの認定書を持つ障害児と若者に対して責務があります。でも私はその役割もいつまで続くものかと危ぶんでいます。そう、学校は本当に自身の予算を持っていて、障害児と若者のための合理的配慮にどのくらい予算が使われるべきかなどを決めるにあたって、地方自治体の関与はすごく少ない中で、やりたいようにやっています。

―子どもたちがメインストリームの学校に行けるかどうかを地方自治体がアセスメントするのではないのですか? 

タラ:いいえ、全部がそうだというわけではありません。1996年教育法の27条3項と2001年特別な教育のニーズ法3条1項6号、この2つの法律を合わせて地方自治体と学校が反対できるのです。
 例えば、あなたが親で障害児がいる。それで、その子のための特別な教育ニーズの認定書には、あなたは自分の子どもをA学校に行かせたいと書く。その地方自治体と学校は、あなたの子どもを受け入れたくない。その場合、彼らは先の法律を使って、なぜ彼らがあなたの子どもがその学校に来て欲しくないのかを主張します。「選択」という言葉がここで使われます。実際には、障害児と若者、それに彼らの両親にとって、選択は存在しません。なぜなら、もしあなたが「A学校に行かせたい」と言い、自治体が「いいえ、B学校に行ってください」と言う場合、あなたの選択は存在しないからです。裁判に訴えることはできます。勝てるかもしれませんし、A学校へ行けることになるかもしれません。でも、同じような難題は非障害児と彼らの親には降りかかりません。地域のメインストリーム学校に行くのはあなたの権利、以上、というわけです。これはとても複雑です。地方自治体はこう言うこともできます。「あなたの子どもがA学校にいることは他の子どもによくない影響を与えるかもしれない」と。非常にショッキングなことです。このメッセージの意味が何なのか考えなくてはいけません。親であるあなたにとって、あなたの子どもにとって、非常にネガティブなメッセージです。

―障害者差別禁止法(DDA)がある国でそのような状況なのですか?

タラ:そうです。でも、DDAは最初は教育を対象にしていなかったでしょう。覚えていますか? 1995年の障害者差別禁止法(DDA)は教育を対象にしておらず、2001年の特別な教育のニーズと障害法が対象にしました。これによってDDAに一種の次元を追加したということです。でもそれはDDAの規定よりも弱かった。地方自治体や学校に、障害のある子供が他の子どもによくない影響を与えると言うことができるよう、許してしまった。差別は現存している。
 でも、これだけは言えます。今や平等法になったことで、差別に挑戦する機会は前進しました。かつてよりも事態は良くなっていることを軽視してはいけないと思います。しかし、現政府はこの平等法の責務を弱めたいと思っています。それでも、障害者差別禁止法(DDA)の1995年版と1996年版の両方で、公的機関、これは学校、大学他の教育機関も含めて、どのように彼らが障害の平等を推進しているかを示さなければならないという責務ができました。でもそれはなくなってしまった。今でもまだ平等を推進する責務はあります。しかし公的機関は今ではどの平等に力を入れるかを決めることができます。基本的には、黒人と民族的少数者(BME)であったり、女性であったり、あるいは信条や宗教であったり、障害であったり。私たちがわかっているのは、本当に、障害がバケツの底の方になってきているということです。なぜなら、それらに付いた役職があるという誤った通念があるからです(ささやき声)。
 2010年の平等法ができたのはすばらしいことです。しかし、同時に障害者差別禁止法(DDA)の下では強力だった多くの責務が弱められてしまった。でも、低く評価してはいけないと思います。知っての通り、イギリス人は生来、世界の見方がネガティブですからね(笑)。私はそう思っています。私たちは物事を見るのにポジティブであるよりもネガティブに見がちです、文化的に。でも、障害者にとって、私たちの権利に関して長い年月の間にどれほどのことが変わってきたかを低く評価するべきではありません。むしろ、障害者にとって今の本当の懸念事項は、後退への動きが見えるということ。これが本当の懸念だと思います。私たちが一生懸命に闘い、勝ち取ってきた権利の多くが、侵食されているように感じています。これこそが本当の闘いだと私は推測します。

―次の質問ですが、あなたを動機付ける人やものごとについてお聞きします。どこから刺激を得ていますか?

タラ:いい質問だこと。

―このインタビューを少し個人的に、読む人が何かしらあなたと共通点が見つかるといいと思ったものですから。

タラ:そう。初期の頃は、疑いなくレイチェル・ハースト(Rachel Hurst)です。ディスアビリティ・アウェアネス・アクション(障害啓発行動)にいた頃です。障害のある女性にとって、すばらしいロール・モデルです、本当に。今でも彼女は非常に大きな影響力を持っていると思います。今の私にとっては、もはや1人の人からインスピレーションを得るということではなく、多くの時に出会う多くの人から刺激を得ています。

―次の質問はどうでしょう? 1冊の本とか映画を読者にお勧めしてもらえませんか?

タラ:いいですね、ちょっと考えてみます。あなたが'Incurably human'(『施しようのないほど、人間』)を持ってきたのは本当に面白い、なぜなら私は、特別教育を生き延びた人は誰でもこの本を読むべきだと思うから。すばらしい本。それにとても読みやすくない? 
 そう、いい質問。それで、私が思う他のすばらしい本は、たぶん今から読むと時代遅れだろうけれど、バーンズ、コリン・バーンズ(Collin Barnes)の`Disabled people and discrimination'(『障害者と差別』)です。障害者差別禁止法(DDA)ができる前だから、古い本です。とても小さな本です。
 それから、私は昔の本を考えているのだけれど、ジェニー・モリス(Jenny Morris)の'Pride against Prejudges'(『偏見に対抗する誇り』)はすばらしい本です。すごく読みやすいです。私は学者肌ではないので、とても個人的なものを読むのが好きです。

―ありがとうございました。では、最後の質問です。日本にいる障害のある女性、特に性差別が普通に存在しているような場に直面している人たちに対して、メッセージをいただけませんか?

タラ:私が思うには、つまり、私にとっての確かなターニング・ポイント(転機)は、セクシズム(性差別)であれ、ディスエイブリズム(障害差別)であれ、何であろうといわゆる偏見を取り込んでいるところで、それを理解している人たちに会うことでした。それを理解している人たちに会うことが私の理解を助けました。それら、いわば、一種政治的なメッセージを自分流に理解することができる人々に会うこと、それだと思います。社会的な解放が起こるのはそういうところです。
 ひとりで自分自身を政治化することは、とりわけ障害者にとっては、とてもむずかしいと思います。なぜなら私たちの人生を医療化するメッセージは相当強いし、そこら中に蔓延していて、そこから逃れることは不可能だから。あなたの障害(インペアメント)や健康状態が生まれつきのものであれ、そうでなくて後天的に障害を得たのであれ、これらのメッセージはとても強くてそこを抜ける道を自分ひとりで見つけるのはすごく困難です。
 だから、私が思うのは、どんなときも、私たちが自分自身を見る上で違うやり方、肯定的な見方をすることを理解している他の人たちを見つけ出すことです。自分ひとりでそれをやるのはたぶん可能だろうけれど、それはもっとずっと難しいと思います。だから、人々を見つけること、何と言えばいいかな、自分自身が同一化できる人たちを見つけ出していくことだと思います。

―ありがとうございました。

インタビュー中に出てきたお勧めの本

Micheline Mason (2000) Incurably human. Inclusive solutions

Colin Barnes (1991) Disabled people in Britain and discrimination. British Council of Organizations of Disabled People

Jenny Morris(1993) Pride against prejudice. The Women's Press