音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

取り組み事例

池松 麻穂、吉田めぐみ、早坂 潔、下野 勉、向谷地 悦子 (福)浦河べてるの家

河村 宏 国立障害者リハビリテーションセンター研究所

 

●河村 皆さん、こんにちは。国立障害者リハビリテーションセンターの河村です。浦河べてるの家の皆さんが、全部で5人、壇上に並んでくださる間に、私が前座を務めさせていただきます。

これまで、障害者放送協議会の災害に関する講演会で、実は浦河べてるの家からは、2004年、2007年、そして今年と3回、いらしていただいています。2004年は1人、2007年は2人、今回は実に5人の皆さんが来てくださっています。

私がご説明申し上げるのは、浦河で今、何を注目してもらいたいかという背景です。

私は2003年から浦河に通わせていただきました。合計60回ぐらいです。その都度、皆さんとの研究を通じて新しい感動をいただきながら、ずっと勉強を続けています。

浦河という地は、皆さんご存じのように、日本で一番地震が多いところです。人口は1万4000人です。標高4mのところに埋め立て地があり、その埋立地の海岸沿いに、警察署、町役場、消防署と3つ並んでいます。

なぜ埋め立て地に防災拠点が3つ並んでいるのか、役場の防災担当に聞いたら、浦河には津波は来ないという想定になっている、というお返事を、2003年頃にいただきました。

ところが一方で、漁師さんに聞いてみますと、地震が起きると、皆さん船を沖に出す行動をとっています。それでいながら、地震のときに、皆さんは津波の避難行動をとっていなかったのです。そして役場のマニュアルには、今は改訂されたと思いますが、防波堤の先端に津波の観測に走っていくとありました。

しかし、インドネシアの大津波以降、状況は一変しました。それまで4メートルと想定していた最大の波の高さが、場所によっては10m以上と、一度に倍以上になりました。

地域の標高4メートルのところに人口密集地域があり、べてるの多くの皆さんもそこに住んでいます。どうしたらいいかは行政も検討していますが、安心安全に関わる大変な課題になっています。

ところがべてるの皆さんは、2003年か2004年くらいから、勉強会を始めています。「津波、どうしよう」という勉強会です。インドネシアの大津波の前に、すでに津波に対して、自分たちでまずどんなものかを理解し、安全な行動を身につけることをしていました。頭で理解して、さらに体でそれを身につけていくことを、ずっと継続して今日まで来ています。その成果は、この後皆さんから紹介いただけると思います。

ここで一番重要なのは、なぜべてるの皆さんがこういう取り組みを始めたのか、その根拠の1つに、神戸の大震災の教訓があったということです。最初に生き延びること--それがなければその先はない、ということから出発しています。津波は、その場所に留まれば、確実に生命の危険があります。高いところに逃げれば助かるチャンスがあります。それをひとりひとりが理解することで解決していくこと。後で紹介されますが、べてるがこれまで積み重ねてきた「認知行動療法」と見事にマッチさせて、防災の取り組みを結実させたことを、私はこれまで学んできました。

その際に、少しお手伝いできたと思うのは、ITの活用だったと思います。先ほど、設備や機器はどうなんですかという質問がありましたが、まさにそこは重要なところです。誰もがわかる知識、それを適切なときに、適切な、わかる形式で伝えることが必要だと思います。それを事前の備えから積み上げていき、隣近所との連携もつくり、自治会や行政との関係も築きながら、今日まで歩んできたのが、べてるの防災の取り組みです。この取り組みについて、ご紹介いただきたいと思います。では池松さん、よろしくお願いいたします。

 

●池松 べてるの家で、精神保健福祉士をしている、池松と申します。今日は2人で来る予定でしたが、ほかの予定もあったので、全部で5名で来ました。最初に簡単に自己紹介をします。

●吉田 こんにちは。浦河べてるの家から来ました、メンバーの吉田めぐみです。よろしくお願いします。

●早坂 こんにちは。北海道浦河町からきました、精神バラバラ状態の早坂です。

●下野 こんにちは。浦河べてるの家からきた、下野勉です。よろしくお願いいたします。

●向谷 こんにちは。べてるでスタッフをしている向谷地です。

 

●池松 先ほどから寸劇を交えて発表すると噂になっているようですが、ちょっと体の動きを使って表現する場面もあります。べてるの取り組みについて話をしていくなかで、なぜ精神障害を抱える人がそういう活動をしているのかも、わかると思います。ぜひ、楽しんで見ていただければと思います。

私たちは北海道の浦河町から来ました。襟裳岬に近いところで、新千歳空港から車で3時間くらいかかるところです。人口は1万4千人程度で、馬と、日高昆布などの水産加工が主な産業です。課題としては、人口が減っていき過疎化が進んだり、産業の衰退や、アイヌ民族の方が多く、歴史的差別の課題などがあります。

その中で、私たちべてるの家の歩みは、今から30年前に、浦河の赤十字病院の精神科を退院した佐々木実さんの活動から始まりました。今もそうですが、浦河という田舎の町で生活するなかで、精神科に入院することは一番惨めなことです。

でもやはり、退院して地域で生活することを非常に大切にしていて、どんな病気があっても人として尊重され、地域で役割を持って暮らすことを30年間大事にしてきました。自分たちの病気の体験や、そこからわかってきたことを地域に還元して、伝えていくことも大切にしています。

地域で生活する中で、自分たちの病気を隠さず、「苦労を取り戻す」とか、「弱さを絆に」などたくさんの理念が生まれています。

主に精神障害を抱えた人たちの活動拠点ですが、今では、有限会社、社会福祉法人、NPO法人があって、いろんな組織に分かれています。役割としては、メンバーたちが仕事をする場と、グループホームという生活の場、そして自分たちを助ける自助、共助のケアの場という3つの側面を持っています。

駆け足でべてるの説明をしましたが、べてるの家には、統合失調症や躁鬱病、人格障害、知的障害、肢体不自由の方も含め、100名以上が参加しています。

今日来ている人も、精神障害の当事者として、いろんな苦労があると思います。具体的にどんな苦労があるのか、潔さんから紹介してください。

 

●向谷地 べてるでは「自己病名」と言いますが、具体的にどんな病名なのですか。

●早坂 爆発系パピプペポ障害。

●向谷地 研究テーマはなんですか。

●早坂 仲間のところに行きコミュニケーションを取ることとか。3つありますが、お金、女、パチンコです。

●向谷地 それに弱いということですね。いつも潔さんは頭の中が地震で言うと? 

●早坂 震度5ぐらい。

●向谷地 幻聴さんも聞こえるということですが。

●早坂 寝ているときに、あまり思い詰めてると、こっちの右側の方から幻聴さんが「おーい」って女性の声で。

●向井地 やってみてください。(実演する)ベッドで寝ていて。

おーい潔さん・・・ パチンコに行っておいで。

●早坂 今、寝てるからおっかなくて行けないよ。幻聴さん、寝てるから静かにしておいてね。

●向谷地 こういう状態が毎日なんですね。これでスタッフや仲間に内緒にパチンコに行ったり、ちょっとエッチなビデオを見たりすると?

●早坂 すぐ人に知られてるんじゃないか、通じてるんじゃないかという「お客さん」がいて、僕が超悪者になるんだよね。ビクビクしながら生きてるから、そういうときは、べてるの仲間のところにいって、実はこうだと言って、昨日、ビデオ見たとか、パチンコに行ったと言わないと・・・。何でもないことなんだけど、自分に納得しないと、ビクビクして、自分にとってどきどきしたり、落ち着かない毎日になります。

●向谷地 自分を助けることで手一杯で、地震が起きたり、火事が起きたりしても、そこに振り向くこともできなくなっちゃう? 

●早坂 自分の体で言うと、災害ということと、自分のことが、震度5以上で火災が起きているようで、ケツに火がついて飛び上がっているような感じです。

 

●向谷地 下野さんはどうですか? 

●下野 僕の自己病名は、統合失調症妄想依存子ども返りタイプです。

●向谷地 下野さんも妄想がすごく強くて、お店に買い物に行けないんですよね? 店員さんに、どういうことをされるとか?

●下野 まずコンビニとかに行くと、監視カメラと目が合っちゃって、僕が怪しい人かなと思い込んじゃうんですよね。お店の人との会話で、バカとかアホと言っているような気がして、いじめられているような気になって。

●向谷地 スーパーやコンビニにも行けないなら、避難場所にはどうですか?

●下野 厳しいですね。

●向谷地 仕事は何をしていますか?

●下野 べてるの家で送迎の仕事をしています。

●向谷地 べてるではマイナス思考のことを、マイナスの「お客さん」って言ってますよね。運転してると、ここに「ダメ男」がトコトコとやってくるんですよね。(実演する)「おまえは役に立ってないぞ。スタッフでは失格だ」と、聞こえてくるんですよね。どういうことが起きるんですか? 

●下野 すると落ち込んで、運転した後に何にもやりたくない気持ちになったり、仕事中なのに、仕事場で寝てしまったり。

●向谷地 寝てますよね。今はダメ男との付き合いがテーマで研究してますね。

では吉田さん、お願いします。

 

●吉田 自己病名は、心と体の誤作動系人生の方向音痴です。

●向谷地 どんな方向に音痴なのでしょうか。吉田さんは里子として中学からずっと生活していましたが、よく泣いていましたよね。どんなときに涙がこぼれてくるんですか? 

●吉田 すごく緊張してて、自分が人様に迷惑をかけているようなマイナス思考がいつもあって、圧迫がひどくなってくると涙が出てきたりしてきます。

●向谷地 研究テーマが何でしたっけ?

●吉田 涙の失禁状態です。

●向谷地 アクションで表現すると、圧迫を感じるときはどんなふうですか?

●吉田 空気が刺さってくる感じというか、刺さってきて、どんどん締め付けられるような。

●向谷地 孫悟空の輪のような? どうぞやってみて。締め付けられるような感じで、それで、予定外のことに弱いんですよね。頭が真っ白になって固まっちゃう。涙がボロボロなってしまう。こういう病気ですね。

 

●池松 一言で精神障害といっても、人それぞれ症状は様々で、目に見える病気ではないので、幻聴さんがいたりマイナス思考な人がいたり、圧迫を感じたりと、実は生活にかなりの支障があったりします。そういった苦労を持った人たちが100人以上べてるで活動しています。

そんな私たちが防災活動、津波防災に取り組む理由についてですが、先ほど河村先生からも紹介がありましたが、私たちは2003年に十勝沖地震で、震度6弱を経験しました。

このときの津波は130cmでした。震度6弱って、地震の多い浦河でもあまり来ないので、スタッフもメンバーもかなりびっくりしました。みんなで避難もしましたが、長期入院から退院してきた人が、非常事態だということがうまく理解できず、避難に手こずったり、スタッフの連絡体制もうまくとれなくて、海沿いの危険な住居に何度も別のスタッフが見に行ったりとか、様々な混乱がありました。

地域でメンバーが生活する上で、これじゃいかんなとわかってきて、2004年から国リハの様々な方の協力のもと、防災プロジェクトを行いました。活動のポイントとしては、仲間とのコミュニケーションがあります。いろんな人からの報告にもありましたが、普段からのコミュニケーションをしっかりして、自分たちの弱さはこうだから、こういう支援が必要だと、お互いに報告しあうコミュニケーションを大事にしたことです。

地域防災のノウハウの開発と蓄積をしていきましたが、障害があっても避難しやすく、防災活動ができるということは、一般の方にも避難しやすかったり、理解しやすかったりすると思うので、私たちの考えた防災ノウハウを地域の方にも共有していただいて、町に還元していこうという活動もしました。

実際の防災訓練では、練習や研究をしながら取り組みました。練習や研究というキーワードも後ほど紹介します。

私たちの活動拠点は、浦河町の浦河赤十字病院です。スクリーンに写真が出ていますが、右下にあるこの病院から、左上にあるべてるの家までが浦河のメインストリートで、全部海沿いに住居や活動拠点は広がっています。吉田さん、地域でいろんな苦労がありながら生活するのは結構大変ですよね?

●吉田 そうですね。それだけで精一杯です。難しいことも多いです。

●池松 仕事にもなかなか出てこれなかったり、買い物にも行けなかったり、生活そのものに苦労がある。でも、浦河にいたら地震もたくさん来るし、災害から身を守ることも非常に重要ですよね。

●吉田 そうですね。

●池松 震度6弱のとき、いました?

●吉田 いました。あの時は共同住居に住んでいました。1人だったら、きっと固まってたんですけど、住居のみんなと一緒だったので、協力して逃げたりしました。

●池松 そういうときでも仲間の支え合いが大事だったんですよね。私たちの活動理念に、「3度のメシよりミーティング」というのがありました。今は、「3度のメシとミーティング」に変えようかと思っています。ご飯よりミーティングが大事というんじゃなく、ご飯の数よりミーティングをたくさんしてるぐらいということです。こうして自分がどういう状況にあるかを伝えることで自分を助ける方法を開発しています。ミーティングの基本構成は、自分の体調や、よかったことを報告し、その後、何に苦労しているかや、さらによくする点を報告します。30年間、こういう基本方針でやってきましたので、防災についても、このやり方を続けて来ました。

幻聴のことを「幻聴さん」とよんだり、マイナス思考のことを「お客さん」と呼んだり、先ほど寸劇のようなことをしたのもそのためです。「当事者研究」をし、「苦労を外在化」するために、「自己病名」をつけるなどの方法をとっています。

ここで、私たちの活動の理論的背景として、「認知行動療法」という手法を使っているので説明します。

スライドにありますとおり、認知行動療法とは、「自らの認知と行動を観察し、それを上手に工夫することによって、ストレスの問題に上手に対処できるようになるための考え方と方法。認知とはある場面や物事に対して 自然に頭に浮かぶこと。(自動思考)」・・・

ちょっと、難しいですよね。簡単に、認知とはどんなことかを説明します。ここが学校の場面だとして、早坂先生が生徒に向かって一言いいます。

●早坂 早坂教授です。お前ってほんとうにバカだよな。

●池松 それに対してある学生さんはこう思うかもしれません。

●吉田 先生に嫌われた、もうダメだ。

●池松 しかし同じ言葉に、もう一人はこう思います。

●下野 俺に突っ込みを入れるなんて、先生、相当俺のこと気に入ってるんだな。

●池松 同じ一言でも、人によって考え方、捉え方が違う。これを認知といいます。

認知行動療法では、1つの出来事に対して、体の中、自分の中に起きることを4つに分けて考えます。

今のように、どう考えたのかを「認知」といいます。

そしてどんな行動に出たのかが、「行動」です。

それから、その出来事に対する「体の反応」と、「気分」があります。

この4つに分けて考えます。これも具体例を挙げてみましょう。

例えば1つの出来事として、「彼女からメールの返事が来ない」とします。そのときにまず頭に浮かぶのは?

●下野 浮気しているんじゃないか? もし友達といたとしても、俺は後回しか。

●池松 こういう考えが頭をよぎり、気持ちとして怒ったり傷ついたりし、体の反応としては頭に血が上ります。その結果、実際にどんな行動に出たか?

●下野 怒りのメールを、連発。以後、1時間ごとにメールするよう強要する。

●池松 こういうことをしたら、あまりよい結果は出ません。これは下野さん自身の話じゃなくて、例ですけど。

こういう1つの例を考えてみますと、実は認知と行動は修正が可能です。

気分や体の反応でしたら、落ち込んだ気分を上げようとするとかえってストレスになりますし、ドキドキする心臓をとめるのは無理です。しかし、頭に浮かぶ考え=認知と、実際にする行動は修正が可能なのです。

先ほどの例では、彼女のメールの返事が来ないことに対して、浮気しているのではないかと思っていましたが、これを例えば・・・。

●吉田 入浴中なのかな。

●池松 こう考え方を変えてみます。相変わらず傷ついているし、頭に血が上っているのですが、行動としては、メールを強要するのではなく・・・

●吉田 返事が来るまで読書しようっと。

●池松 こう変えることで、お互いのペースで順調な交際ができるかもしれない。このように認知と行動が変われば、ハッピーな未来が待っているかもしれない、という理論です。

SST=Social Skills Trainingという精神療法があります。現実に苦労していることに対して、今の理論を使って、実際に場面を作り練習するという、認知行動療法の1つです。

下野さんは、先ほど言ってた、「おまえなんてダメなやつ」というマイナスの認知に対して、SSTでかなり練習しましたよね。実際にどんな練習をしましたか?

●下野 自分のマイナス思考の役の人を作り、その向こうにゴールを作りました。ゴールが自分のいい認知で、自分の頭のマイナス思考と会話して、自分で自分を励ましました。

●池松 認知変えの練習をして、その結果はどうですか、最近?

●下野 お店にも行けますし、仕事をしても、まだ落ち込むこともありますが、それも少なくなりました。

●池松 相変わらずマイナス思考のお客さんは来るけど、それとうまくつきあえるようになってきた、ということですね。

そしてもう1つ、SSTやいろんな事から発展して、浦河から始まった活動があります。「当事者研究」です。これについて、吉田さん、説明をお願いします。

●吉田 当事者研究は、当事者や、最近では誰もが持っている、私たちで言えば病気の苦労や、生活する上での生きづらさをテーマにあげて、研究を行う活動です。

1人でいろいろ考えていると、やっぱり行き詰まることも多いですが、仲間と一緒に話し合ったり、研究の視点を持つことで、何かが起きても、研究しよう、練習しよう、実験しようという気持ちになれるので、その中で前向きに、対処法とか、いろんな技を見つける、そういうプログラムです。

●池松 具体的に、病気や幻聴さんとの付き合い方の例ですが、当事者研究では苦労を具体的に挙げます。例えば、幻聴さんにジャックされて行動が制限されてしまうとか、引きこもったり、リストカットしてしまうときは、「悩んでいるときに幻聴さんが来やすい」と考えて、じゃあお腹がすいてるなら食べればいいし、仲間に相談したりすればいい、というふうに研究を進めます。

こういう背景で、やっと防災に話が戻りますが、防災研究も始めました。

まず苦労を具体的に挙げます。みんなも一緒に「津波」の勉強をしましたよね。潔さんも、はっきりと津波や地震の特徴を知るということでやったことがあると思いますが。

●早坂 4分で、地震が来たときに、10m、逃げると・・・(笑)。

●池松 4分で10mというキーワードは覚えてますね。

●早坂 ・・・ええと、何を話したらいいんだろう(笑) 練習したときには、まず地震がおきて、4分たって黙っていると。2分か1分以内に人を助けてこなくてはならないんだけど、そういうことをしたら波にさらわれるかもしれないから、まず自分の命を大事にと、教わりました。

●池松 ということで、浦河の津波は、4分で10mのものが来るかもしれないと学んだので、それに対応できる避難訓練をしました。

そして吉田さんたちも、住居でもミーティングして、どこに避難したらいいか考えましたよね? 

●吉田 どこに逃げたらいいか考えたり、逃げるための避難経路の確認をみんなでしたりしました。逃げるときに混乱しやすいので、避難マニュアルをDAISYで作ってもらったり、防災リュックと防災グッズの作成も協力してもらってやりました。

●池松 避難グッズについては、精神障害ということで薬を飲まなくてはならないのと、その副作用で喉がかわくので、水は多めに持った方がいいなど、障害特性に応じて作ったりしました。

それからDAISYを使って、避難マニュアルを作りました。時間がないので再生は省略しますが、DAISYは音声とテキストと画像を同時に表示できるので、これが精神障害の方でも非常に理解しやすいことがわかりました。同時に、複数の感覚器官に働きかけるので、認知に障害のある方でも、見て、聞いて、実際に確認できるので、非常にわかりやすく避難経路を確認できました。そして実際に練習もしました。

先ほどの認知行動療法のアセスメントシートで言うと、地震が発生して津波が来る危険性があったときに、私たちもこの活動前にはどうしたらよいかわかりませんでした。頭をよぎったのが・・・

●吉田 逃げた方がいいの? 逃げた方がいいの? どうしたらいいかわからない・・・と、テレビの津波情報をチェック。時間を過ごす、固まる。

●池松 そうすると逃げ遅れて、命の危険にさらされる可能性が高かったわけです。

ですが認知と行動は修正可能なので、これを研究したことによって、逃げた方がいいのかわからなかったという頭の考えを・・・

●下野 4分で10m。仲間ととにかく逃げる。幻聴さんもつれていく。

●池松 そのように認知と行動を変えたところ、命の安全も確保できます。このようにして今は活動しています。

また私たちの活動を、自分たちだけではなく、地域にも伝えるために、地域の自治会の方と一緒に避難訓練をしたり、防災フォーラムとしてお互いに報告しあったりと、町内でも様々な活動をしています。

その成果が、2月28日のチリ津波のときにも表れたのではないかなと思っています。

このときに、私たちの住む浦河でも、800世帯、1700人に避難勧告が出まして、最大で70㎝の津波がやっていきました。

このとき私たちは、普段練習しているとおり、べてるのメンバー、スタッフも避難所に迅速に避難することが出来ました。避難所が何カ所もあったので、それぞれ分かれて避難しました。吉田さんも実際に避難して、よかったことをお願いします。

●吉田 はい。当日、実際津波が来るまで時間があったので、その間に情報を整理したり、私はちょっと避難するのが遅かったんですが、みんなから連絡をもらったりして、相談しながら避難をすることができました。今まで住居でもべてるでも、何度か避難訓練をやってきたので、そのお陰で混乱しないで済んだことと、仲間と一緒だったので安心してできたことがよかったです。

●池松 ありがとうございます。たっぷり時間のある中、避難訓練どおりに避難できてよかったし、あと町役場の方も非常に協力していただいて連携も取れました。

苦労した点は、やはり「いつ帰ってよいのか」が、非常に不安だったんですよね。そのへんは、まだまだ私たちも、さらによくしていかなければいけないなと実感しました。

今回、町役場の人やスタッフ、メンバーとみんなで振り返りをしましたが、これまで避難訓練をしてきたことが、現実の場面で実践できて、ある意味いい経験ができたのではないかという確認をしました。今後さらによくするために、これからも防災活動を続けたいと思います。

最後に潔さんから、防災活動をしての感想をお願いします。

●早坂 こないだチリ地震が来て、テレビにも大きく出たりしましたが、そのときに体験したのは、その前の前の週に、国リハの人と避難グッズを点検したんですよね。いざというとき、そのグッズを自分の玄関に置いて使おうと思って、ラジオとか食品とかを集めました。ですが、いざ地震や津波が起きたとき、何をしたらよいか、本当に自分自身わからなかったです。

ラジオを聞いて、テレビも見て、テレビとにらめっこしていました。あるスタッフが、「魚釣りにいかないで、海に行かないで」と言っていましたが、海を見たら、チカという魚を釣っている釣り人がいっぱいいました。海には絶対行かないでと言われたので、家に閉じこもっていました。いざ避難となると、僕も避難したかったですが、でも僕の所は11mぐらいあるのでいいと思ったのですが・・・寂しさが体ににじみ出て、みんなに苦労をかけました。

でもこういう津波を経験して、避難訓練はバカにしちゃいけないなと思って、改めて考えさせていただきました。ありがとうございました。

●池松 潔さんは、実は今日もこんな大きなラジオをもって、東京に来てくれました。

時間を過ぎてしまって申し訳なかったのですが、べてるからの報告を終わります。ご清聴ありがとうございました。

参考 当日配布資料

池松 麻穂、吉田 めぐみ((福)浦河べてるの家)

河村 宏(国立障害者リハビリテーションセンター研究所)

1.べてるの家とは

べてるの家(以下、べてる)は、1984年に設立された精神障害等を抱えた当事者の地域活動拠点である。10代から70代までの100名以上のメンバーが活動しており、地域で暮らす当事者たちに「住まいの提供」「働く場の提供」「ケアの提供」という3つのサービスを提供している。

べてるの始まりは、1978年に浦河教会旧会堂にて浦河赤十字病院精神病棟を退院した精神障害を持つ仲間たちの会「回復者クラブどんぐりの会」の有志たちが始めた活動である。その目的は、孤立を防ぎ、過疎化が進む地域の活性化に、精神障害を持った町民の立場から取り組もうというものであった。その一環として、1983年には、浦河教会の片隅で地元の名産、日高昆布の袋詰めの下請け作業を始め、その後、「'地域の抱える苦労'への参加」と「'自分らしい苦労'の取り戻し」をスローガンに、浦河の特産物である日高昆布の産地直送や介護用品の提供をする事業を立ち上げ、1998年に有限会社福祉ショップべてるを設立、2003年に日高昆布の産地直送を仕事とする社会福祉法人浦河べてるの家を設立し、地域の中に10数箇所の住居を整備した。

これらの活動は総体として「べてる」と呼ばれている。当事者が社長や理事長の職を担いながら事業を展開し、最近では当事者支援を目的としたNPO法人セルフサポートセンター浦河や、「一人一起業」の精神から生まれた当事者が立ち上げた起業グループ等が活発な活動を展開している。

この30年の歩みを通じて、幻覚や妄想を披露する「幻覚&妄想大会」、当事者が自分自身の経験を仲間と共に研究という視点からアプローチする「当事者研究」などの活動が育ち、世界の精神医療の最先端の試みとして精神保健福祉のみならず、多くの分野で広く注目を集めている。べてるでは、「自立」とは、「一人でなんでもできる」ことではなく、「一人では何もできないからこそ助け合いができる」というところにあると考えている。そして精神障害を持つ町民として、様々な苦労の体験を好条件として活かし、地域のために当事者の力を活かすことを目指している。

「弱さを絆に」「病気でまちおこし」等をキャッチフレーズに始められたべてるの活動は、現在国内外からの年間見学者2500人(延べ)を迎えるまでになった。また、2007年に厚生労働省から日本を代表する精神保健福祉のベスト・プラクティスに選定されている。

2.べてるの家の防災の取り組み

べてるの家がある北海道浦河町は人口約1400人(2009年現在)の小さな町で、えりも岬に近く、太平洋に面していると共に、日本国内でも、有数の地震地帯である。2003年9月26日早朝には、北海道十勝沖を震源とするマグニチュード8.3、震度6弱の地震に襲われた。この地震による日本全国の重軽傷者は400名以上、北海道でも、苫小牧市で灯油タンクの炎上や、列車の脱線などの被害が起こり、浦河では1.3メートルの津波も観測された。2006年には日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震防災対策推進地域の指定を受けて、浦河沖、十勝沖、三陸沖北等で発生する地震に伴う津波対策の必要性も改めて確認されている。

2003年の十勝沖地震直後、浦河の支援スタッフ(浦河赤十字病院、べてるの家スタッフ)が各住居ぞ巡回し、避難場所として指定されている高台への避難を促した。しかし中には、睡眠導入剤を内服しているメンバーは、地震に気付かずぐっすり寝ていたり、長期入院から退院したメンバーは、緊急事態と認識することができず、避難を拒むという状況が起こった。結果的に時間はかかったが、支援スタッフや同じ共同住居に住む仲間に促され、やっと避難できた、というエピソードもあった。

一般的に、障害者や高齢者は、非常災害時に逃げ遅れて二次災害に巻き込まれることが多いと言われている。これらの状況を踏まえ、べてるでは、2004年から地震と津波対策に重点を起き、町行政及び国立身体障害者リハビリテーションセンター(現 国立障害者リハビリテーションセンター、以下、国リハ)の協力の下、「地域でメンバーが安心して生活できるよう」非常災害時に対応できるための防災プロジェクトを発足させた。2007、2008年度には、厚生労働省から「平成19・20年度障害者保健福祉推進事業(障害者自立支援調査研究プロジェクト)」の認定を受け、べてるの活動拠点・住居からの避難マニュアルを作成し、避難訓練を実施した。防災プロジェクトは地域の方の協力が欠かせないため、いずれも町役場、地域自治会などの協力を得て実施した。

3.防災も「練習」すればいい

べてるの防災事業は、「仲間とのコミュニケーション」「地域防災ノウハウの開発と蓄積」「防災訓練」の3つの領域で構成されている。これらの3つの領域は独立して展開していくものではなく、それぞれの活動が連動することで始めて地域で暮らす精神障害者の安全を確保できると考えている。

その具体的な方法として、べてるで大切にしている取り組みの「SST(social skills training:生活技能訓練)」や「研究」という視点を取り入れている。SSTとは、生活や病気の苦労やその背景にある認知や行動上の苦労を具体的な課題として挙げ、ロールプレイをし、コミュニケーションの練習をする場である。参加した仲間の正のフィードバックやスキルのモデリングを大切にする認知行動療法の一つだ。これは、自分たちの生活課題をテーマとして取り上げ、仲間たちと話し合い、メンバーそれぞれが対処方法を編み出そうとする実践活動であり、不安があっても「学べばいい」「練習すればいい」「研究すればいい」という共通認識を確立するものである。この共通認識の下、既存の防災に関する事前の知識と安全確保のポイントを明確にした上で、防災も研究/練習すればいいというスタンスを防災事業に取り組んだ。これが日常的に当事者研究やSSTを実践しているメンバーにとっても防災への取り組みを身近な具体的な出来事として体験する背景となっている。

防災事業の取り組みの中では、精神障害者による津波防災活動の発展として、避難計画の立案、避難マニュアルの作成、避難訓練の実施を行なった。その際、精神障害や発達障害の特性を踏まえ、どんなメンバーでも安心・安全が得られるような工夫を加えながら行なった。避難場所は「地震発生後、4分以内に10メートル」と具体的な目標を設定し、べてるの各活動拠点から行ける避難場所に適した場所をメンバー自身が検討した。また、避難マニュアルはDAISY(Digital Accessible Information System)という音声・テキスト・画像を同時に表示するデジタル録音図書を使用。同時に複数の感覚器官を通じて情報を提供できるため、認知に障害のある精神障害者などに対する行こうな情報伝達ツールとして活用できた。その他にも、障害者関連施設と自治会・周辺住民との連携方法の開発にも取り組んだ。

先の2010年2月28日のチリ津波に伴う浦河町沿岸に出された津波警報による避難勧告の際は、べてるのメンバーたちは速やかに避難を行い、町役場や自治会との連携を実際に実行することができた。このことは、今までべてるで蓄積してきた津波防災活動の大きな成果の一つであると考える。