創立20年史 財団法人日本身体障害者スポーツ協会
No.3
2)東京大会ひらく
東京大会は,昭和39年11月8日から12日まで車椅子選手による国際ストーク・マンデビル競技大会を第1部として,これに引き続いて日本国内の車椅子選手を除いた他の身体障害者に,西ドイツ選手の特別参加を加えた盲,ろうあ者などの身体障害者の競技大会を13,14両日第2部として行ったのである。
1 第1部 国際大会のプログラム
期間 昭和39年11月8日~12日
場所 第1会場 代々木オリンピック選手村内織田グランド
第2会場 国立屋内総合競技場本館
第3会場 国立屋内総合競技場別館
第4会場 別館付属仮設バスケットボール・コート
第5会場 選手村内原宿ゲート付近広場(洋弓場)
第6会場 東京体育館水泳場
プログラム
11月8日(日曜)
午前の部
11:00 開会式 第1会場
名誉総裁 皇太子殿下・同妃殿下御来場
選手入場行進
国旗・大会旗掲揚
会長あいさつ
グットマン博士あいさつ
祝辞(厚生大臣・東京都知事)
名誉総裁おことば
選手宣誓
名誉総裁 選手御激励
アトラクション
12:00 終了
総裁皇太子殿下が皇后陛下をご案内して競技を御観覧
午後の部
14:00 ダーチャリー 第5会場
14:45 槍正確投 第1会場
15:45 五種競技(フィールド競技) 第1会場
夜間の部
19:00 フェンシング・重量挙・卓球 第2会場
11月9日(月曜)
午前の部
9:00 槍 投 第1会場
砲丸投 第1会場
円盤投 第1会場
棍棒投 第1会場
卓 球 第2会場
フェンシング 第1会場
午後の部
13:30 槍 投 第1会場
砲丸投 第1会場
円盤投 第1会場
棍棒投 第1会場
卓 球 第2会場
フェンシング 第2会場
スヌーカー 第2会場
バスケットボール 第3・4会場
15:30 五種競技(洋弓) 第5会場
17:15 表彰式 第3会場
夜間の部
19:00 重量挙 第2会場
フェンシング 第2会場
水 泳 第6会場
21:00 五種競技(水泳) 第6会場
11月10日(火曜)
午前の部
9:00 卓 球 第2会場
スヌーカー 第2会場
フェンシング 第2会場
バスケットボール 第3・4会場
洋 弓 第5会場
午後の部
13:30 卓 球 第2会場
スヌーカー 第2会場
バスケットボール 第3・4会場
洋 弓 第5会場
17:15 表彰式 第3会場
夜間の部
19:00 卓 球 第2会場
水 泳 第6会場
11月11日(水曜)
9:00 卓 球 第2会場
スヌーカー 第2会場
フェンシング 第2会場
バスケットボール 第3・4会場
洋 弓 第5会場
10:00 車椅子競走 第1会場
11:00 車椅子リレー 第1会場
午後の部
13:30 卓 球 第2会場
スヌーカー 第2会場
フェンシング 第2会場
バスケットボール 第3・4会場
洋 弓 第5会場
17:15 表彰式 第3会場
夜間の部
19:00 重量挙 第2会場
フェンシング 第2会場
卓 球 第2会場
グッドマン博士より御説明をうける皇太子妃殿下
11月12日(木曜)
午前の部
9:00 卓 球 第2会場
スヌーカー 第2会場
フェンシング 第2会場
洋 弓 第5会場
バスケットボール 第3・4会場
10:00 車椅子競走 第1会場
11:00 車椅子リレー 第1会場
午後の部
13:30 卓 球 第2会場
バスケットボール 第3・4会場
洋 弓 第5会場
14:00 フェンシング 第2会場
14:30 車椅子競走 第1会場
14:50 車椅子リレー 第1会場
15:00 スヌーカー 第2会場
15:30 車椅子スラローム 第1会場
16:00 バスケットボール 第3・4会場
17:00 閉会式 第3会場
名誉総裁,皇太子殿下・同妃殿下御来場
各国旗入場
妃殿下からトロフィー授与
会長あいさつ
グットマン博士あいさつ
国旗・大会旗降納
次期関催予定国メキシコ紹介
選手団退場
17:50 終了
卓球競技を御覧の常陸宮殿下、同妃殿下
2 第2部 国内大会のプログラム
期間 昭和39年11月13日~14日
場所 第1部と同じ
プログラム
11月13日(金曜)
午前の部
9:00 開会式
名誉総裁,皇太子殿下・同妃殿下御来場
選手入場
国旗掲揚
会長あいさつ
祝辞(厚生大臣・東京都知事)
名誉総裁おことば
選手宣誓
名誉総裁 選手御激励
10:00 終了
11:00 100m競走(肢体不自由・男) 第1会場
3段跳(視力障害・男) 第1会場
走高跳(視力障害・男) 第1会場
砲丸投(聴力障害・男・女) 第1会場
11:15 60m競走(肢体不自由・女) 第1会場
11:20 100m障害競走(肢体切断・機能障害・男) 第1会場
午後の部
13:00 走高跳(肢体不自由・男) 第1会場
立巾跳(肢体不自由・男・女) 第1会場
走巾跳(肢体不自由・男・女) 第1会場
ソフトボール投(視力障害・男) 第1会場
砲丸投(視力障害・男・女) 第1会場
卓球(聴力障害・男・女) 第3会場
13:10 卓球(視力障害・男) 第2会場
13:50 ハンドボール投(視力障害・女) 第1会場
14:00 100m競走(視力障害・男・女) 第1会場
14:10 1,500m競走(聴力障害・男) 第1会場
15:00 棍棒投(肢体不自由・男・女) 第1会場
砲丸投(肢体不自由・男・女) 第1会場
槍正確投(肢体不自由・男・女) 第1会場
立巾跳(視力障害・男・女) 第1会場
夜の部(水泳)
18:00 100m自由型(聴力障害・男) 第6会場
18:15 50m自由型(肢体不自由・男) 第6会場
18:35 50m自由型(肢体不自由・女) 第6会場
18:40 100m平泳(聴力障害・男) 第6会場
18:45 50m平泳(肢体不自由・男) 第6会場
18:55 100m背泳(聴力障害・男) 第6会場
19:00 50m背泳(肢体不自由・男) 第6会場
19:05 50m背泳・平泳(聴力障害・男・女) 第6会場
19:20 45m自由型(視力障害・男) 第6会場
19:40 25m自由型(肢体不自由・男) 第6会場
19:55 25m背泳(肢体不自由・男) 第6会場
20:10 25m自由型・背泳(肢体不自由・女) 第6会場
20:15 25m自由型(視力障害・女) 第6会場
11月14日(土曜)
午前の部
9:00 100m競走(肢体不自由・男) 第1会場
洋 弓(肢体不自由・男) 第5会場
走巾跳(聴力障害・男・女) 第1会場
9:15 60m競走(肢体不自由・女) 第1会場
10:00 棍棒投(肢体不自由・男) 第1会場
車椅子スラローム(肢体不自由・男) 第1会場
槍正確投(肢体不自由・男) 第1会場
砲丸投(肢体不自由・男) 第1会場
走巾跳(視力障害・男・女) 第1会場
11:00 立巾跳(肢体不自由・男・女) 第1会場
走巾跳(肢体不自由・男・女) 第1会場
100m円周走(視力障害・男・女) 第5会場
1,500m競走(聴力障害・男) 第1会場
11:30 5,000m競走(聴力障害・男) 第1会場
午後の部
13:00 卓球(肢体不自由・男・女)
400m競走(聴力障害・男)
13:10 200m競走(聴力障害・男・女) 第1会場
13:15 100m競走(聴力障害・男・女) 第1会場
14:00 走高跳(聴力障害・男・女) 第1会場
14:50 3段跳(聴力障害・男) 第1会場
17:00 閉会式 第3会場
名誉総裁,皇太子殿下・同妃殿下御来場
各都道府県旗入場
あいさつ
国旗降納
18:00 終了
3 第1部 国際大会の経過
国際身体障害者スポーツ大会は,昭和39年11月8日から5日間,代々木の選手村織田フィールドでひらかれた。この大会には22ヵ国からはるばる369名の選手たちが参加,同じ身体上の障害をのりこえて,平素の訓練を競い,励まし合い,いたわり合って,スポーツによる親睦をふかめた。
第1日 11月8日は,朝からからりと晴れわたり,開会式場である織田フィールドには初冬の日ざしがいっぱい,大会名誉総裁の皇太子殿下,同妃殿下をはじめ,一般の観衆4千人が仮設スタンドを埋めつくし,心からの声援を送った。午前10時,太鼓がなって,まず,黄色いユニホーム姿の全日本バトン鼓笛連盟の小中学生100名が行進,つづいて陸上自衛隊のバンドがマーチを演奏してつづき,選手が入場した。先頭は黒色のブレザーコートを着た大会技術顧問のアトキンソン氏,赤と緑地に地球を車椅子の輪でとりまいたSMG(ストーク・マンデビル)旗がつづく,旗手は関東労災病院の船田中選手と神奈川県身体障害者更生指導所の小笠原文代選手の2人,選手のトップは,この競技を開始したイギリス代表103名の選手が,おそろいのグリーンのトレーニングシャツ,胸にユニオンジャクのマークつけて入場,つづいてアルゼンチン,オーストラリアとアルファベット順に,選手はみんな車椅子ですべるように行進する。14番目はメキシコが次期開催地として役員3名だけが参加,マーチが「上を向いて歩こう」に変わり,しんがりの日本選手が入場,エビ茶のトレーニングシャツを着けた53名が元気に行進する。トラックを半周した選手団はフィールド正面,ロイヤルボックスに向って整列,厳かな君が代演奏のうちに日の丸とSMG旗,大会旗が掲揚され,太宰大会副会長の開会式宣言が告げられると同時に,ファンファーレが高らかに鳴りひびき,葛西大会会長あいさつが行なわれた。
会長あいさつ
菊花咲き誇る今日,名誉総裁皇太子殿下および皇太子妃殿下の御臨席を仰ぎ,ここに国際身体障害者スポーツ大会を開催できましたことを,全国民のみなさんとともに,無上の光栄に存じます。
親愛なる外国選手はじめ役員,関係者のみなさん,ようこそ御参加下さいました。
日本の選手はじめ役員,関係者のみなさん,ようこそ御参加下さいました。
本日,御参会の世界22ヵ国,369名の選手諸君は,平素,スポーツを通じて,身体の障害を克服し,すでに社会復帰され,あるいはされようとする方々であります。なにとぞこの機会に,平素鍛練された成果を競われ,お互いに励ましあい,誼を深め,そしてまた,国際親善の実を挙げられますよう願ってやみません。
御承知のとおり,このストーク・マンデビル競技大会は,回を重ねること,既に13回目に当りますが,アジアの地で開催されるのは今回がはじめてで,その意義はまことに大きいと存じます。
全参加選手諸君の公明真摯な競技態度と,役員はじめ全関係者の御協力によって,本大会がみごとな成功を納め,身体障害者の福祉向上に,画期的な貢献をするものと信じて疑いません。
終りに,本大会の開催にあたり,施設の利用等万般の便宜をはかって下さいましたオリンピック関係の方々,厚生省はじめ政府の関係諸機関,東京都および各地方公共団体,諸団体ならびに関係職員の方々の,献身的な御奉仕,御協力に対して,衷心謝意を表して,御あいさつといたします。
ついで,この競技の生みの親であるグットマン博士が,次のようなあいさつを行なった。
グットマン博士のあいさつ
皇太子殿下,大臣,東京都知事,御来賓の皆さま,御参会者の皆さま,国際身体障害者競技大会委員会を代表し,皇太子殿下に対し奉り,下肢マヒ者のための1964年競技大会に,御来臨の栄を賜わり,東京で開会の運びに至りましたことを衷心から感謝申し上げます。
日本の皇室が,このスポーツと人道の祭典に示された温い御関心に対し組織委員会と,ことに世界中から,この東京に於ける第13回国際身体障害者競技会で親しい仲間と競技するために集まった下肢マヒ者は深く感謝し,感銘するところであります。
日本運営委員会は,葛西氏を会長としてこの大会を組織するために,非常な努力をされました。その御熱意と成果と友情は,われわれの賞讃をほしいままにするところであります。その仕事の遂行に当っては,政府および東京都ならびに日本の代表的諸団体の全面支援を受けました。この国際競技大会は1948年にささやかな出発を遂げてから世界的なスポーツ運動にまで発展してきましたが,その基本は常に三つの原則,即ち,友情,結合,スポーツマン精神にのっとっています。これらの理想はいまやわたくしたちの旗に示された三つの車輪に象徴されています。1964年の国際身体障害者競技大会が,これらの理想に忠実に運営されることであり,この東京大会が肢体不自由者のためのスポーツ大発展史上一紀元を画するものであり,人道の,世にも美しい功績の一つとして歴史に長くとどまるよう切望するものであります。
あいさつが終るとグットマン博士はロイヤルボックスに向い,皇太子殿下に記念メダルを贈呈,葛西会長,神田厚相,東都知事にも同じメダルを贈った。ついで,名誉総裁皇太子殿下からおことばがあった。
つづいて参加選手を代表し日本選手団の青野繁夫(国立箱根療養所)選手が右手をあげて宣誓を行ない,同時に500羽のハトが放たれ大会を祝福した。このあと皇太子殿下,同妃殿下はフィールドに降り,22ヵ国代表選手にひとしく握手をたわまって激励,11時三木大会副会長が閉式の辞をのべ,剣道野試合のアトラクションに移り,正午,100発の花火を合図に式を終え,午後1時30分から洋弓,ヤリ正確投げ,五種競技など6種目がそれぞれの会場にわかれて開始された。昼の部では,織田フィールドでヤリ正確投げ,車椅子回転競技,五種競技のうちの円盤投げ,砲丸投げ,コン棒投げ,第5会場ではダーチャリーが行なわれ,また夜は第2会場でフェンシング女子フルーレ,重量あげウェザー級,卓球が行なわれ,選手たちが精神を集中して行なう競技は,観るものの心を緊張させた。
第2日 9日は,ヤリ投げ,砲丸投げなどのフィールド競技をはじめ,この日からはじまった水泳,スヌーカー(玉つき)など12競技が行なわれた。午前中は快晴であったが,午後からは北風の曇り空になり,悪コンデションの中にゲームがつづけられた。午後3時から皇太子ご夫妻はフィールド競技,バスケットボール,洋弓をごらんになり,各国選手の奮戦ぶりに熱心な拍手をおくられた。また午後5時50分から,大会はじめての表彰式が代々木体育館別館で行なわれた。表彰は車椅子スラローム(男子)重量あげに対するもので,自衛隊音楽隊のファンファーレにつづいて優勝者に金,2位に銀,3位に銅のメダルがおくられ,国旗掲揚と国歌吹奏が行なわれた。
第3日 10日,午前は卓球など5競技,午後はスヌーカーなど3競技,夜は水泳など2競技が行なわれ,午後6時すぎには常陸宮ご夫妻も男子自由型,平泳ぎ,背泳をごらんになった。一方午後5時30分から屋内競技場別館で第2日目のフィールド競技で入賞した表彰式が行なわれ,ヤリ投げ,円盤投げなど入賞者にそれぞれメダルが与えられた。
第4日 11日は,朝から快晴にめぐまれ,織田フィールドを中心に4つの会場で卓球など8つの競技が行なわれた。皇后陛下もはじめて会場におみえになり皇太子殿下ご夫妻の御案内で,午後3時ころからバスケットボールやアーチェリー(洋弓)をごらんになった。また常陸宮ご夫妻も午後7時から重量あげとフェンシングをごらんになった。一方,午後5時30分から体育館で,この日の午後まで競技を終えた種目の表彰式が行なわれ,ダーチャリーで銅メダルの日本チームにはじめて日の丸があがり,水泳も銀メダル,銅メダル各一個を獲得した。ダーチャリーは10,11日の試合でベルギーと並んで3位を分けあった松本毅,安藤徳次両選手組に銅メダル,10日夜の男子50m背泳2位の青野繁夫選手に銀メダル,同自由型3位の牧岡節美選手に銅メダルが与えられた。
第5日 12日は午前は車椅子リレーなど7競技,午後はバスケットボールなど9競技が行なわれ,5つの会場で,最終の日を飾る選手の奮戦がつづけられた。
第1部の閉会式は12日午後5時から,代々木総合体育館で,約4千人の参加者を集めて行なわれた。名誉総裁皇太子殿下,同妃殿下を会場にお迎えして音楽隊のマーチに合わせて各国旗の入場があり,上野学園の女子約100名の合唱「パラリンピック讃歌」が力強く会場を流れると,美智子妃殿下がロイヤルボックスからフロアに降りたたれ6個のトロフィーを各国選手に手ずから渡される。まず男子フェンシング・サーブル優勝チーム,フランスにトロフィーを授け激励のことばをかけられると,選手は力強く妃殿下の手をにぎり金色のサーベルを右手に高くかかげ,場内の拍手にこたえた。5番目に,日本の卓球男子ダブルスC級優勝の猪狩靖典選手がトロフィーを受けとると,ひときわ大きな拍手がわき起った。
つづいて葛西会長から次のような閉会のことばが述べられた。
閉会のあいさつ
御参会のみなさん,開会式から5日間,今日,再び一堂に会し,名誉総裁皇太子殿下ならびに皇太子妃殿下の御臨席を仰ぎ,この閉会式を開き得ますことを,みなさんとともに,お喜び申し上げます。
5日間にわたり,世界22ヵ国369名の選手諸君は,友好と国際親善の空気につつまれつつ,平素鍛練された技をいかんなく発揮され,幾多の好記録を作られ,世人の注目を集めました。
しかし,申すまでもなく,この大会はただ単に記録を競うだけのものでなく,身体障害者スポーツを通じ機能の回復増進を図り,旺盛な意欲をかきたて,社会復帰に役立てるところにこの使命があります。
5日間にわたる堂々たる選手諸君の競技ぶりによって,諸君の優秀な機能と,強じんな意欲は,大いに社会一般の認識をたかめ,身体障害者の福祉向上に資するところ実に大なるものがあったと信じます。
いま,ここに,あらためて世界各国選手諸君の5日間にわたる健斗をたたえ,心から拍手をおくりたいと思います。
外国の選手諸君とは,これをもってお別れになりますが,どうかお体をたいせつにされ,今後とも相携えて,身体障害者の福祉向上に邁進しようではありませんか。
最後に,本大会を,こうして盛大に,有効に終了することを得ましたことは,名誉総裁殿下の御統督と,グットマン博士はじめ遠来の役員諸氏ならびに日本側役員諸氏の昼夜を分かたぬ献身的な御努力とと,各方面の方々からの絶大な御支援の賜物であります。ここに厚く謝意を述べて,閉会のあいさつといたします。
感激のグットマン博士は「東京大会がこれだけりっぱに行なわれたのは,日本国民全体のお力添えによるものである」と感謝のあいさつを行ない,次期開催地メキシコの紹介があって,日章旗,SMG旗,東京大会旗の降納,皇太子ご夫妻退場,各国旗退場して閉会が宣せられ,会場に「ホタルの光」が流れると,観客も選手もいっしょになって大合唱,しばらくは,その場を動こうとはしなかった。
4 第2部国内大会の経過
第1部のあとをうけ,13,14の両日,東京代々木の選手村を中心にして第2部がひらかれた。第1部の国際大会の下半身マヒ者の競技と違い,第2部の国内大会は盲,ろうあ者などすべての身障者が参加する競技会なので,46都道府県および沖縄代表の選手480名が,特別参加の西ドイツ選手を加えて元気いっぱいに競技をくりひろげた。
第1日 13日は,午前10時から織田フィールドに皇太子ご夫妻をお迎えして開会式が行なわれた。全日本バンド鼓笛連盟の小中学生100名による演奏によって開幕,花火をあいずに大会名誉総裁の皇太子ご夫妻がロイヤルボックスにお着きになり,あいにくの曇り空であったが,元気いっぱいの選手団は,陸上自衛隊音楽隊の「上を向いて歩こう」にあわせ,北海道チームを先頭に,青森,秋田とつづき沖縄の選手も盛んな拍手を浴びて行進,主催地東京チームのあと西ドイツの選手団が入場行進した。「君が代」演奏のうちに日章旗,大会旗,東京都旗の掲揚が行なわれ,ファンファーレが響きわたる。ついで葛西会長の,次のようなあいさつがあった。
会長あいさつ
秋色いよいよたけなわな今日,ここに名誉総裁皇太子殿下および皇太子妃殿下の御臨席を仰ぎ,国際身体障害者スポーツ大会第2部が開催できましたことは,身体障害者の社会復帰と,その福祉向上に寄与するところ大なるものがあると存じ,誠に御同慶のいたりに存じます。
御承知のとおり,本大会の第1部は,きのうをもって無事,成功に終了いたしました。
世界22ヵ国,369名の選手諸君が平素鍛練された妙技を十二分に発揮され,お互いに励まし合い,友情を深め,国際親善の実を挙げられましたことは,誠に壮観でありました。
これによって,身体障害者は,大いに更生の意欲をたかめたでありましょうし,また,関係者はもちろん全国民,いや全世界の人々は,身体障害者の福祉向上に関する認識を,さらに深められたことと思います。
これからいよいよ国内選手お待ちかねの第2部の開催でありますが,これにドイツ選手諸君が,番外参加されることになっております。選手諸君は,常日ごろスポーツに親しまれ,これを通じて障害を乗り越え,既に社会復帰され,あるいはされようとしておられる方々であります。この機会に,選手諸君は,第1部にまけずに,平素鍛練の技を十分発揮されて,意気けんこうたるところを披露され,満天下に,身体障害者の壮志と更生の意気とをお示し下さるよう願ってやみません。
これによって,一般社会の身体障害者に対する関心は,さらに深まり,身体障害者の福祉向上に,期して待つべきものがあると信じます。
終りに,本大会開催にあたり,施設の利用等万般の便宜をお与え下さいましたオリンピック関係の方々,厚生省はじめ政府関係の各機関,東京都および各地方公共団体,諸団体,諸機関ならびに役職員の方々のなみなみならぬ御協力,御奉仕に対し,心から厚く謝意を表して,御あいさつを終ります。
ついで神田厚生大臣の祝辞のあと皇太子殿下が立たれ「この大会がみなさん自身にも,その友人にも必ず大きな自信と勇気,希望を与えることを信じます。同時にわが国でなお不十分といわれる身障者に対する理解をふかめ,関心を強めるのに良い機会と思います。」と激励され,選手団を代表して金口泰三選手(国立東京視力障害センター訓練生)が力強く宣誓を行ない,300羽のハトが大空に舞いあがった。開会式が終わると,皇太子ご夫妻はフィールドに降りられ,北海道から西ドイツまで各都道府県代表をはげまされた。
競技は,午前11時から織田フィールドで開始され,肢体不自由者の100m競走を皮切りに,午前中はフィールド競技6種目,午後はハンドボール,卓球などを交えた14種目,夜は都体育館屋内水泳場で水泳競技14種目が行なわれた。いったん御所にお帰りになった皇太子ご夫妻も,午前11時すぎ再びロイヤルボックスにおみえになり,砲丸投げ,3段とびなどの競技を約30分にわたってごらんになった。
第2日 14日は,朝から快晴にめぐまれ,午前中は織田フィールドの60m競技をはじめ洋弓などを含め14種目が行なわれ,午後は第2会場で卓球,第1会場で400m競走など5種目が行なわれた。この日午後1時,佐藤首相が神田厚相の案内で織田フィールドに姿をみせた。
2日間の競技を終わり,午後5時から閉会式が行なわれた。ファンファーレが鳴ってあかあかと照明がともり,大会名誉総裁皇太子殿下,同妃殿下がロイヤル・ボックスに着かれ,行進曲にのって参加46都道府県と沖縄の旗が会場両側から入場,パラリンピック讃歌の女性コーラスがあって,葛西会長の次のようなあいさつが行なわれた。
閉会のことば
選手のみなさん,御参会のみなさん,今日再び名誉総裁皇太子殿下ならびに皇太子妃殿下の御臨席を仰ぎ,こうして盛大な閉会式を開き得ますことを,みなさんとともに誠に光栄に存じます。
本大会の成功は,数次にわたり御臨席を賜りました名誉総裁皇太子殿下ならびに皇太子妃殿下の御激励のたまものと存じ,誠に恐くにたえません。
2日間にわたり,全国475名の諸君と,はるばるドイツから参加下さった選手諸君が,真摯,敢斗,34種目の競技に妙技をふるわれましたことには,いい知れぬ感激を覚えました。
しかし,本大会の成果は,ただ単にこれだけで終わるものではありません。
申すまでもなく,身体障害者のスポーツは,単に競技のためのスポーツだけでなく,スポーツを通じてその機能の増進回復と,さらにスポーツによって旺盛な意欲を燃え上らせようとするところに真のねらいがあります。
この2日間にわたる選手諸君の活躍は,十二分にその本旨を発揮して下さいました。
この大会を目のあたりにされた方々はもとより,新聞,ラジオ,テレビ等々マスコミを通じ,これに接しられた社会一般の方々には身体障害者の優秀な能力と,盛んな意欲を感得され,身障者福祉に関する認識をさらに深めていただいたことと信じます。
最後に,本大会を無事終了することができましたのは,ひとえに名誉総裁殿下の御統督と,大会役職員,全関係者の寝食を忘れた御尽力と,全国各方面からの御支援の賜物であります。会を閉ずるにあたり,心から感謝を捧げてあいさつを終わります。
ついで,特別参加したドイツ代表がドイツ身障者スポーツ連盟旗と栄誉杯を葛西会長におくった。君が代吹奏のうちに日章旗,大会旗,東京都旗が降納され,皇太子ご夫妻は選手団に手をふりながら退場され,選手たちは「ホタルの光」に合わせ,帽子や手をふりながら去って行った。
5 皇室の御激励
国際身体障害者スポーツ大会の開催にあたり,わが国の関係者はもちろん,グッドマン博士をはじめ諸外国の関係者は等しく皇室の御参加を期待申しあげ,とくに本大会では皇太子殿下を大会名誉総裁に推戴申しあげたところ心よくお引き受けいただき,大会の開催にあたっては,第1部国際大会,第2部国内大会の両開閉会式典に,四度にわたり皇太子妃殿下と御臨席賜わり,加えて競技開催中は再三にわたり親しく御観覧,御激励を賜わった。
また,大会に際しては予定申しあげていなかった皇后陛下の行啓を賜わり,このことは大会関係者はもちろん参加各国に対しても非常な感銘を与え,このうえない光栄であり,恐く感激の極みであった。
なお,競技開催中は,連日,各宮家からも,御多忙のところを競技会場に御臨場賜わり,親しく競技を御観覧のうえ参加選手に御激励をいただいたことは,参加選手はもちろん大会関係者にいっそうの奮起をうながし,大会のふんい気をいやがうえにもたかめ,本大会が,終日熱戦をくりひろげながら有終の美を飾りえたことは,ひとえに名誉総裁皇太子殿下ご夫妻をはじめ皇室各宮家から寄せられた御激励の賜ものであるといわなければならない。
なお,皇室関係大会御臨場の御日程は,次のとおりであった。
御日程
11月8日(日)
名誉総裁皇太子殿下御夫妻 第1部国際大会開会式典御出席
午前10:10~11:00 選手村内織田グラウンド
三笠宮殿下御夫妻 第1部国際大会競技御観覧
午後2:00~3:00 選手村内織田グラウンド
槍正確投,車椅子スラローム,五種競技(フィールド競技)
午後3:05~3:45 選手村内洋弓場
アーチェリー
秩父宮妃殿下 第1部国際大会競技御観覧
午後2:30~3:00 選手村内織田グラウンド
槍正確投,車椅子スラローム,五種競技(フィールド競技)
11月9日(第2日)
名誉総裁皇太子殿下夫妻 第1部国際大会御観覧
午後3:00~3:20 選手村内織田グラウンド
フィールド競技,槍投,砲丸投,円盤投,棍棒投
午後3:25~3:45 国立屋内総合競技場別館
バスケットボール
午後3:48~4:00 選手村内洋弓場
五種競技(洋弓)
11月10日(第3日)
常陸宮殿下御夫妻 第1部国際大会競技御観覧
午後7:00~7:20 国立屋内総合競技場本館
卓 球
午後7:25~8:00 東京都体育館屋内水泳場
水 泳
11月11日(第4日)
皇后陛下,皇太子殿下御夫妻 第1部国際大会競技御観覧
午後2:50~3:22 国立屋内総合競技場別館
バスケットボール(日本対英国)
午後3:28~3:40 選手村内洋弓場
アーチェリー
常陸宮殿下御夫妻 第1部国際大会競技御観覧
午後7:00~7:30 国立屋内総合競技場本館
重量挙
午後7:35~8:05 選手村内ショッピング・センター
フェンシング(エペ)
11月12日(第5日)
三笠宮殿下御夫妻,寛仁親王殿下 第1部国際大会競技御観覧
午前9:00~9:30 選手村内ショッピング・センター
フェンシング(サーベル)
午前9:35~10:30 国立屋内総合競技場別館
バスケットボール
名誉総裁皇太子殿下御夫妻 第1部国際大会閉会式典御出席
午後5:00~5:38 国立屋内総合競技場別館
11月13日(第6日)
名誉総裁皇太子殿下御夫妻 第2部国内大会開会式典御出席
午前9:00~9:40 選手村内織田グラウンド
第2部国内大会競技御観覧
午前11:00 ~11:30 選手村内織田グラウンド
100m競走,3段跳,走高跳,砲丸投,60m競走,100m障害競歩
11月14日(第7日)
常陸宮殿下御夫妻 第2部国内大会競技御観覧
午前9:00~9:30 選手村内洋弓場
洋 弓
午前9:33~10:30 選手村内織田グラウンド
100m競走,走巾跳,棍棒投,砲丸投,立巾跳,車椅子スラローム
三笠宮殿下 第2部国内大会競技御観覧
午前10:30 ~11:30 選手村内織田グラウンド
1,500m競走,5,000m競走,砲丸投,走巾跳,立巾跳
名誉総裁皇太子殿下御夫妻 第2部国内閉会式典御出席
午後5:00~5:20 国立屋内総合競技場別館
大会役員を御慰労
皇太子殿下は名誉総裁として大会開催中,連日妃殿下とごいっしょに各会場をおまわりになり,選手を御激励遊ばされたが,11月9日午後5時,国際ストーク・マンデビル競技委員のグットマン博士(英),マリオ博士(伊),シモン氏(オーストラリア),ハウサ博士(ベルギー),グーベ氏(仏),チベス少佐(オランダ),リプトン氏(米),葛西会長(日)およびスクルトン書記長(英),アトキンソン技術顧問(英)と日本側の運営委員会の太宰,東,三木の三副会長ならびに牛丸社会局長が東宮御所にお礼を申上げに参上した際,皇太子ならびに皇太子妃殿下は各人にお茶を賜り,慰労のことばをかけられたほか,各委員から申上げる各国身体障害者の実情や施策などを熱心におききになった。
また大会も成功のうちに終わった直後の11月24日午後4時30分,大会役員を東宮御所にお招きになり御慰労を賜わった。その席上,皇太子殿下から次のような御趣旨のおことばがあった。
「今回のパラリンピックを見て,外国の選手は非常に明るく,体力も勝っているように感じました。日本選手が病院や施設にいる人が多かったのに反して,外国の選手は大部分が社会人であることを知り,外国のリハビリテーションが行きとどいていると思いました。日本では身体障害者の正確な数は把握されていないと聞いていますが,このような企てが行なわれたことは,身体障害者の方々に大きな光明を与えたことと思います。このような大会を国内でも毎年行なって皆さまもこれから身体障害者の福祉向上のためさらにいっそう努力されることを希望します。皆さまの御苦労のお蔭で成功のうちに終ったことを感謝いたします。」
葛西会長は「パラリンピックの開催中,たび重なる御台臨を賜わり御激励をいただき,お蔭様で成功裡に無事大会を終ることのできましたことを一同に代り厚くお礼申し上げます。国内大会は今後毎年国体のあとを追いかけて開催するようにいたしたいと思っております。こんごとも,わたくしどもは皇太子殿下の御趣旨に副いたてまつるよう身障者福祉のため最善を尽すことをお誓いいたします。」
とお答えし,皇太子殿下,同妃殿下は親しく各役員のそばに寄られて歓談され,いかに両殿下が身障者福祉に深い関心をいだかれているかが伺われ,予定時間を1時間以上も経過されて,一同は感激のうちに御殿を辞去した。当日の参会者は次の32名であった。
葛西嘉資(会長),牛丸義留(厚生省社会局長),斎藤勇一(厚生省連絡参事官),今野恒雄(厚生省社会局更生課長),稗田正虎(国立身体障害者更生指導所長),颯田琴次(国立ろうあ者更生指導所長),高田秀道(国立東京光明寮長),北見幸太郎(東京都民生局長),高鍋三千雄(東京都民生局保護部長),三宅恭治(東京都民生局総務部長),石田政夫(鉄道弘済会身障福祉部次長),河村定治(中央共同募金委員会広報部長),鈴木正信(厚生団事務局長),橋本祐子(日本赤十字社青少年課長),森川邦造(東京厚生年金病院医長),寺田宗義(朝日新聞厚生文化事業団),堀場平八郎(NHK厚生文化事業団),藤原岩市(自衛隊第一師団長),副田忠夫(自衛隊支援群長),竹下五郎(自衛隊支援副群長),氏家 馨(運営委員会事務局長),中村 裕(日本選手団長),渡辺弥太郎(競技部審判団陸上),鈴木正三(同バスケットボール),野中義治(同重量挙),高島憲蔵(同撞球),小沼英治(同洋弓),菊地 章(同),矢沢善五郎(同フェンシング),真田幸勇(代々木警察署長),立山清治(警視庁第三方面本部長)
グットマン博士に勲章伝達
昭和39年11月18日正午,厚生大臣室で神田厚生大臣から,グットマン博士に勲三等旭日中綬章が伝達された。これは同博士の身障者スポーツ振興の功労に対して,とくに日本からおくることになったものである。
[グットマン博士の功績調書]氏はイギリス国立ストーク・マンデビル病院の院長として,下半身マヒの重度障害と人々の社会復帰に強い関心をもち,リハビリテーションの一環として,つとにスポーツを導入することに着目,ストーク・マンデビル競技会を開催し,これを国際的なものに高めた。その成果はわが国にも導入され,身体障害者本人および更生指導業務関係者に,著しい影響を与えることになり,国際身体障害者スポーツ大会が,わが国で開催される機運をじよう成することになった。
13回脊髄損傷学会
大会開催中,必ず開かれることになっている国際脊髄損傷学会専門家会議は,昭和39年11月10日午前9時30分から東京プリンスホテル2階プロビデンスホールで開催された。集まった専門医学者はオーストラリア,オーストリア,イギリス,スコットランド,アメリカ,イタリア,アルゼンチン,西ドイツ,ボリビア,日本の代表者300名で,まず午前中の第1部は日本の岩原博士が議長となり,脊髄損傷についての最初の取扱い方,午後の第2部は辻博士議長の下に,付随する症状について,第3部は水野博士議長の下に物理的回復について,それぞれ議題と提案理由の説明があり,午前5時50分まで研究討論がつづけられた。なお,閉会後一行は椿山荘における日本医師会の歓迎セプションに出席した。
身体障害者スポーツ創設の苦心談
太陽の家理事長 中村 裕
国立別府病院在職中,厚生省より出張を命ぜられ,昭和34年5月より英国国立脊髄損傷センターに留学し,スポーツをダイナミックなリハビリテーションの手段として社会復帰に抜群の成績をあげているグットマン教授の門下に入れていただいたのが,私が身障者スポーツに足を踏み入れた端緒となった。1960年ローマオリンピックの後開催されたパラリンピックは成功裡に終り,次の東京パラリンピックをめざして彼と私は情熱を燃やしていた。帰国後直ちに大分県身体障害者スポーツ協会を創設し,昭和36年10月12日全国に先がけ第1回大会を開催した。時の県の厚生部長が体育畑出身の平田準さんであったのが幸いであったが多くの役人や医師,マスコミ関係者の半分以上は身障者を見世物にするとか危険なことだと批難して猛反対を受けたことをよく覚えている。一方,何とかして英国のストーク・マンデビルに日本から参加しようと再々上京し関係者に熱っぽく訴えた。昭和37年5月迄に準備委員会が形成され葛西嘉資先生が委員長になり初の外国派遣が決定。朝日新聞やNHKの寺田,堀場両氏の保証で大分銀行から借金し大分から伊藤,吉田の2名の車椅子選手と共に第11回のストークマンデビルゲームに参加した。帰国後に時の池田総理大臣に面会,マスコミや行政もやっと身障者スポーツに理解を示し,葛西会長の指導のもとに東京パラリンピックに向って火の手があがった。その頃世界にはグットマン教授の創始した車椅子使用者だけのストークマンデビルゲームと西独のブリンクマン氏,ローレンチェン教授を中心とした全ての身障者を含む大会を行うグループとがあり対立していた。葛西会長の大英断で昭和38年7月,オーストリアのリンツ市で行われた西独派の大会に5名,ストークマンデビルに2名の選手が参加し,会長自ら6名の役員と共に渡英してグットマン教授と面会し,東京パラリンピックの開催が決定された。葛西会長の頭には全ての身障者を含む大会があり私はその指示に従ってグットマン教授を口説いた。帰国後,会長を先頭に氏家事務局長を中心に関係者は日夜開催に向けて努力した。昭和39年6月11日東京での準備状況視察のためグットマン教授,スクルートン事務局長,アトキンソン技術主任が来日し会長や関係者と代々木のオリンピック選手村や競技場を視察。グットマン教授が私の手を固く握り,素晴らしいと喜びを満面に浮かべた姿が今も忘れられない。その後九州に来遊され,大分で第6回大分県身障者スポーツ大会を視察し6月9日帰国された。私は日本選手団長に命ぜられ,50名の選手を国立別府病院,箱根療養所を中心に集め訓練するのに箱根の故富田忠良博士と共に苦労した。当時,日本にはスポーツをする施設は皆無であった。直前になって我が国には脊損用の収尿器がないことがわかり,ニューヨークに電話して空輸して貰いやっと間に合った。11月5日に英国などヨーロッパ勢が羽田着,11月18日に離日した。その間,11月8日~12日迄車椅子のみの国際大会,続いて13日~14日が全ての身障者を含む国内大会が行われた。とにかく昼夜をわかたず駆け回り,18日にイギリス隊の見送りの後全く動けなくなったことを覚えている。東京パラリンピックの時に夜間グットマン教授をひそかに訪ね,日本はやっとのおもいでバスケットボールチームをつくったので一番弱い国と対戦させてくれるように懇願しフィリピンチームと対戦。丁度皇后陛下が御観戦になっている前で大敗しまさに汗顔のいたりであったが現在日本には70のバスケットボールチームがある。また,身障国体が始まって20年になる。グッドマン教授の死後,身障スポーツ界も各国に群雄割拠し再編成されようとしている。日本の身障スポーツは遅れてスタートしたが葛西会長のもと着実にどの国よりも正しい方向に進んでいる。
(中村裕氏は昭和59年7月13日逝去)
皇太子殿下のおことば
国際競技大会の開会式にあたり,わが国を含め,各国から参加された選手諸君の,心身ともに元気な姿に接し,一言あいさつすることを,たいへんうれしく思います。
わたくしは,みなさんが日頃の努力によって健康をとりもどし,はるばるこの大会に参加されたことを知っています。また,この中の多くの人たちが,社会の一員として,りっぱに活躍されていることも知っていますが,そうした努力のうちには,スポーツがあなた方の心身のささえとなり,社会復帰される早道であったと確信いたします。
わたくしは,世界中の身体障害者に希望と価値ある生活をもたらすストーク・マンデビル大会の業績と精神に敬意を表します。わたくしは,この名誉ある大会の主催者側であることをうれしく思います。それは,この大会が,わが国の身体障害者に大きな希望と激励を与えてくれると思うからであります。どうぞこの競技会のすべてに全力を発揮するようにして下さい。
第18回東京オリンピック大会のスローガンであった「世界は一つ」という理想をあなた方のスポーツマンシップを通じてなしとげることができましたら,みなさんとともによろこびに堪えないところであります。
終わりに,世界のすべての身体障害者の上に,希望と幸福がもたらされることを念願し,この大会が,あなた方に,楽しく意義あるものになることを望みます。
3.国際身体障害者スポーツ大会運営委員会の解散と日本身体障害者スポーツ協会の創立
1)パラリンピック東京大会成功裡に終了
名誉総裁皇太子殿下をいただいて,11月8日から14日まで7日間にわたって行なわれた大会は,無事成功裡に終了したが,国外選手団との友好を深めるとともに我が国身体障害者に幾多の示唆と教訓を残した。次に,その成果を述べる。
車椅子に乗った下半身マヒの人々が,自分の身体的能力の最善をつくして技を競いあったパラリンピックは,身体障害者のすばらしいスポーツをみせた。たとえば,ほとんどが車椅子の競技だから転倒する選手も多い。転倒すれば,くずれるように倒れてどうしようもない。ボーイスカウトがかけつけて抱きおこし,椅子にすわらせる。選手は再び競技する。その表情は非常にあかるく,競技のみ関心があるかのようである。再三転倒したイギリスのある女性選手は,車椅子から投げ出されたままトラックの上にひっくりかえり,ひっくりかえったことがおかしいらしく,大口をあいて笑いだした。こういう底抜けのたのしさは,ほかのスポーツ大会では,絶対にみることはできない。寝たままバーベルを持ちあげる重量あげは,みるものに感動を与えずにはおかないだろう。バスケットボールでは,倒れかかる椅子を,相手チームの選手がささえてやるというシーンも,しばしばみうけられた。特に水泳は,足を全く動かせない人々が,上体の力だけで懸命に泳いだ。オリンピックのように,ハデに水しぶきをあげて,分秒を競うのがパラリンピックではない。ある外国の女性選手。ご主人に抱きかかえられてプールに入り,スタート,彼女は一生懸命に泳ぐが,先頭の選手がゴールインしたとき,まだ5mしか泳いでいない。ブクブク沈みかけては浮かぶ,2mくらいうしろから救助員が,何度目かのブクブクを助けようとすると,プールサイドのご主人は手を振って助けないようにという。あと2m,1m,なかなか進まない。25m泳ぐのに3分以上かかったが,とうとう泳ぎきり,観衆の盛んな拍手を浴びた。パラリンピックは勝つことが目的ではない,最善をつくすことがいかにたいせつであるかを,教えるものであった。
2)身体障害者スポーツ協会の発足
昭和40年4月22日,国際身障者スポーツ東京大会の結末も完了したので,決算案を提出し,同時に国際身体障害者スポーツ大会運営委員会の解散について理事会を開催した。
議題
1.昭和39年財務諸表及び収入支出決算の承認について
2.本法人の解散について
3.残余財産の帰属について
理事会は,沖理亦男理事が議長となり,議事を進めた結果,全会一致をもって収支決算の承認,法人の解散を議決した。残余財産の21,044,730円は新しく財団法人として設立する日本身体障害者スポーツ協会が設立した時に寄附する旨の承認を得た。
引続いて財団法人日本身体障害者スポーツ協会設立発起人会を開き設立発起人葛西嘉資より法人設立の趣旨等について説明が行われた。
議題
1.財団法人日本身体障害者スポーツ協会の設立について
2.財団法人日本身体障害者スポーツ協会寄附行為の承認について
3.寄附財産について
4.事業計画及び収支予算について
5.財団法人日本身体障害者スポーツ協会設立当初の役員について
理事(会長) 葛西 嘉資
〃 堀場 平八郎
〃 沖理 亦男
〃 太宰 博邦
〃 寺田 宗義
〃 木村 斗鬼雄
〃 江原 繁
監事 甲賀 春一
なお,この副会長の人選は会長に一任した。
この役員会の議決に従って,昭和40年4月28日,監督官庁である厚生大臣あて「財団法人日本身体障害者スポーツ大会運営委員会の解散及び残余財産の処分許可申請書」を昭和40年4月30日に「財団法人日本身体障害者スポーツ協会設立許可申請書」を提出した。
昭和40年5月24日厚生大臣より上記申請書にもとづく法人の解散及び設立についての許可があり,ここに身体障害者のスポーツ振興を目的とする全国団体が始めて我が国で誕生した。
協会の事業は,スポーツ大会の開催及び開催の奨励,国際競技大会への選手団の派遣,指導員の養成が主なものであるが,その概要について述べる。
国際身体障害者スポーツ大会への選手団派遣については,東京大会の成功によってスポーツが身体障害者のリハビリテーションに大きな効果をもたらすことが明らかとなったので,厚生省はこの機会をとらえて更に国際的視野に立ったスポーツ大会への参加を推進することとした。
昭和40年4月厚生省社会局長より,国際大会への対応について通知された。即ち国際的な身体障害者スポーツ大会に積極的に参加することにより,わが国身体障害者スポーツの振興をはかるとともに身体障害者の自立更生と各種リハビリテーション技術に関する問題の国際的経験が必要であるとして昭和40年度以降設立準備中の財団法人日本身体障害者スポーツ協会を通じて選手団の派遣を行うこととされた。その要点は次のとおりである。
○選手団派遣の実施主体
財団法人日本身体障害者スポーツ協会
○選手団派遣計画の事務処理
協会と協議の上厚生省社会局更生課より通知し都道府県民生主管課で処理する。
○選手団の編成
選手 各都道府県(指定都市)の推せんにより協会内に設置される選考委員会により決定する。
役員 協会の会長が委嘱する。
全国身体障害者スポーツ大会の開催については,国際身体障害者スポーツ大会の成功をふまえて,昭和40年度より全国身体障害者スポーツ大会を開催することとした。その要点は次のとおりであった。
[大会主催者]
厚生省,大会開催都道府県
財団法人日本身体障害者スポーツ協会
その他関係団体
[大会実施概要]
開催期日 秋季国民体育大会の直後
施設 国民体育大会の施設
参加選手 身体障害者手帳交付台帳登載数を基準として決定
この通知にもとづいて厚生省と協会は,開催予定県である岐阜県と直ちに準備に入った。最初の大会であるし,国民体育大会は既に二年前から準備に入っているにもかかわらず,身体障害者スポーツ大会は漸くこの時期から動き出したので期日も切迫し,関係者は懸命の努力を傾注した。とくにこの種の事業については全く経験のない厚生行政の分野のものばかりでとまどいが多くあったが,幸いに日本体育協会や地元岐阜県厚生部を始めスポーツ団体,福祉団体等民間の力を結集することができ成功するメドがついた。
また,各都道府県,指定都市における身体障害者スポーツ大会は,厚生省で,昭和38年度予算において身体障害者スポーツ大会の運営費補助が予算化された。このため厚生省は同年5月身体障害者体育大会実施要綱を定め,この要綱に準拠して行われた大会について補助することとなった。この体育大会の要綱が我が国身体障害者スポーツの方向を示したものであったが,リクリエーションとしての身体障害者運動会は行われていたが,スポーツ大会そのものの実施にふみ切る都道府県は少なかった。
併し乍ら,昭和40年第1回全国身体障害者スポーツ大会が開催されるやこれに出席する選手の選考もかねて,この要綱による各都道府県単位のスポーツ大会が積極的に開かれることとなった。このため地方大会は概ね春から初夏にかけて行われるようになり,一挙に身体障害者スポーツの視野がひろがったわけである。
洋弓の練習
(身体障害者スポーツについての厚生省通知)
社発第370号
昭和38年5月20日
各 都道府県知事 指定都市市長 殿
厚生省社会局長通知
身体障害者スポーツの振興について
身体障害者のスポーツについては,すでに諸外国では機能回復その他心理的及び健康保持の面から更生上の効果が極めて著るしい点に着目し,広く実施され,また国際的な競技会の開催等も行われている現状である。
しかるに,わが国はおいては,近年ようやく全国的に身体障害者スポーツの振興の気運が高まりつつあるが,未だ必ずしも十分な状態にあるとはいい難いので,今後国としても身体障害者スポーツの振興を身体障害者更生援護の一環として積極的に推進することとなった。
ついては,身体障害者スポーツの振興施策に関しては下記事項に留意のうえ,所要の対策の充実強化に格段の配慮を煩わしたい。
なお,昭和38年度において別添「身体障害者体育大会実施要綱」に準拠して行われた大会の運営費に対し,予算補助を行うことになったので,了知のうえ,遺憾のないよう措置されたい。
記
- 身体障害者スポーツの振興は,身体障害者がその適性及び健康状態に応じてスポーツに親しむことができる諸条件の整備を前提として身体障害者の体力の維持,増強,残存能力の向上及び心理的更生等の効果を図り,身体障害者の更生援護に資することを目的とするものであること。
- 関係機関との協力
身体障害者スポーツの振興は,管下市区町村はもとより,関係行政機関,身体障害者関係施設,身体障害者福祉関係団体,医療関係者,体育,教育関係諸機関の協力を得て初めて成果を得ることができるものであることに留意し,それらの指導啓発に努めるとともに協力を得る必要があること。 - 身体障害者スポーツ行事の実施及び奨励
(1) 身体障害者が広くかつ積極的に参加できる運動競技及び体育活動(キャンプ活動その他野外活動を含む。)等の身体障害者行事を実施するように努めること。
(2) 身体障害者の適性に応じたスポーツの講習会,研究集会等の開催その他必要な措置を講ずるように努めること。
(3) 前記1,2に掲げる事項については,管下市町村はもとより,関係諸機関に対しても,これが実施について奨励するとともに,これらの指導連絡に努めること。 - 指導者の達成
身体障害者スポーツは,健常者のスポーツに比し,身体障害者に対する医学的及び心理的効果との関連性又は事故防止の方法等について特別の配慮を必要とするものであることにかんがみ,身体障害者スポーツの指導に習熟した指導員の育成に努める必要がある。 - 施設の利用
スポーツ施設を支障のない限り,身体障害者スポーツのための利用に供するように努めるとともに,管下スポーツ施設設置者に対してその旨を普及指導されたいこと。 - 事故の防止
身体障害者スポーツ参加者の事故を防止するため,スポーツ参加者の健康診断,補装具の調整,スポーツ施設及び競技用具の整備,指導員の充実,事故防止に関する知識の普及その他必要な措置を講ずるよう配慮すること。
身体障害者体育大会実施要綱
- 趣 旨
身体障害者体育大会(以下「大会」という。)は身体障害者の医学的,心理的更生効果の促進を図るため,身体障害者福祉法の趣旨にのっとり諸般の条件を満たした適切な配意のもとに実施される運動競技として運営するものとする。 - 目 的
大会は,身体障害者が参加することにより,運動競技を通じ,体力の維持,増強及び残存能力の向上を図るとともに,明朗,快活かつ積極的な性格と協調精神を養ない,身体障害者に対して明るい生活の形成に寄与することを目的とする。 - 主 催
都道府県及び指定都市とする。 - 大会参加資格
身体障害者福祉法(昭和24年法律第283号)第15条の規定により身体障害者手帳の交付を受けた者とする。 - 大会の運営
- 主催者は関係行政機関,身体障害者関係施設,身体障害者福祉関係団体,医療関係者,体育,教育関係団体等関係諸機関の協力を得て大会運営に万全を期するものとする。
- 大会の運営を円滑かつ効果的に実施するため,関係者による運営委員会等を設けて企画ないし立案を行い,計画かつ組織的な運営をはかるものとする。
- 大会の実施については,「大会実施要綱」等を作成し,綿密周到な実施計画のもとに行うものとする。
- 大会の執行機関として事務局等を設け,実施計画を適確に遂行するものとする。
- 大会の周知については,関係行政機関,報道関係機関等の協力を得てその徹底を期するものとする。
- 大会の実施
- 参加者
- 一般家庭,職場等における身体障害者の参加を奨励し参加者が施設収容者,学生等特定の身体障害者のみにかたよることのないよう配慮するものとする。
- 参加者はあらかじめ専門医の診断等により競技の種目に応じ参加に適しているものと判定された者とする。
- 実施時期
実施時期は広く一般の身体障害者が参加できる時期を選び,開催日程を概ね1日とする。 - 競技種目
競技種目の選定にあたっては,次に掲げる事項を留意するものとする。
なお,競技種目と障害別との関係は別紙を参考とされたい。- 身体障害者の更生上有効適切であること。
- 身体障害者の体力,気力を養うに適したものであること。
- 場所,用具,競技の方法,競技管理,経費等から見て,実施が容易であること。
- 健常者による一般スポーツとの関連性があること。
- 可及的に国際性を有し,かつ国内の生活様式に適したものであること。
- チーム・ワークの愉快さが自発的に楽しめるチーム・スポーツを取り入れること
- 用具の規格,競技の実施方法等,競技採点基準については,次の事項に留意するものとする。
- 競技の実施にあたっては,参加者に競技規則の周知徹底を図るものとする。
- 競技の用具については,参加者の実態に即応したものを適宜選択して使用すること。
- 競技の採点は,障害の程度に応じ,著しく不均衡の生ずることのないように配慮すること。
- 事故防止
身体障害者の特性にかんがみ、次に掲げる事項に留意するものとする。- 医師その他指導員の看視によって,事故防止を図るとともに事故発生に備え,救護班による救急の万全を期すること。
- 事故防止のため補装具の適否,競技用具の整備,介護方法,補助位置等について十分注意すること。
- その他留意事項 その他次に掲げる事項に留意するものとする。
- 競技の記録に重点をおきすぎないよう特に配慮すること。
- 身体障害者と健常者とを混合編成することは本来の目的に照して望ましくないこと。
- 参加者
社発第283号
昭和40年4月10日
各 都道府県 指定都市市長 殿
厚生省社会局長
国際身体障害者スポーツ大会への選手団の派遣について
身体障害者のスポーツ振興については,かねてより御高配を煩わしているところであるが,客年わが国で開催された国際身体障害者スポーツ大会(パラリンピック)が身体障害者の更生意慾の助長のみならず広く国際親善に寄与したことは誠に意義深いところにあるので,今後とも国際的な身体障害者スポーツ大会(以下単に「国際大会」という。)には積極的に参加することにより,わが国身体障害者スポーツの振興をはかるとともに身体障害者の自立更生の助長と各種リハビリテーション技術に関する問題の国際的な経験を盛んにする必要が認められるところである。 ついては,昭和40年度以降わが国から国際大会へ選手団を派遣することについては財団法人日本身体障害者スポーツ協会(設立準備中以下単に「協会」という。)を通じて行うこととされたので次に掲げる事項を了知の上格段の御協力をお願いしたい。
1.選手団派遣の実施主体について
選手団の派遣は,協会が実施主体となって行うものであり,当協会は客年パラリンピックを主催した財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会にかわりわが国の身体障害者のスポーツの振興とその他社会復帰の援助を行うことを目的として設立されるものであること。
2.選手団派遣計画の事務処理について
国際大会への選手団の派遣に係る事務処理については,当局と協会と協議のうえ,すべて厚生省社会局更生課より各都道府県,指定都市あてその都度実施要領等をもって通知するので遺漏のないよう措置されたいこと。 したがって,選手団派遣にかかわる事務処理等については,各都道府県,指定都市民生主管課において直接は握のうえ処理されたいこと。
3.選手団の編成等について
選手団は協会の事業計画に基づき,それぞれ役員および選手をもって編成するが,選手の選出については,各都道府県,指定都市の推せんにかかる選手のうちより協会内に設置される選考委員会により決定し,派遣するものであること。
なお,役員は協会及び各都道府県,指定都市及び関係福祉諸団体の職員より協会の会長が委嘱するものであること。
4.選手及び役員の推せんについて
国際大会への選手の推せんについては,原則として各都道府県,指定都市主催の身体障害者体育大会又は全国身体障害者スポーツ大会等の参加選手で記録及び人格識見共に優秀なるものを対象として十分検討のうえ推せんされたいこと。
また,役員については,協会会長より推せんの依頼があった場合において,今後ともわが国の身体障害者の福祉に関連のある業務にたづさわる者であり,かつ身体障害者の福祉についての経験と理解を有する者を推せんされたいこと。
5.選手団派遣費用について
国際大会の選手団派遣に要する費用については,協会においてその一部を負担する予定であること。
従って協会の事業計画に基づき,選手団派遣に要する費用についてその一部を当該役員又は選手を推せんした都道府県,指定都市においてその確保について考慮されたいこと。
競技種目 | 適用者 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|
肢体不自由 | 視覚障害 | |||
1 競走競技Ⅰ | 100m(60m)走 | 一側上肢切断者 一側下肢切断者 一側上肢機能障害者 | 半盲者 | - |
400m走 | 一側上肢切断者 一側上肢機能障害者 | 同上 | - | |
1500m走 | 同上 | 同上 | - | |
60m鉄線競走 | - | 全盲者 | - | |
2 競走競技Ⅱ | 50m(30m)片脚跳 | 一側下肢切断者 一側下肢機能障害者 | - | - |
40m(30m)〃 | 一側上肢切断者 一側上肢機能障害者 | - | - | |
3 跳躍競技Ⅰ | 立巾跳(立巾跳) | 一側下肢切断者 一側下肢機能障害者 両側上肢機能障害者 | 全盲者 | - |
立高跳 | 一側下肢切断者 | 全盲者 | - | |
立三段跳 | 上肢切断者 上肢機能障害者 | 全盲者 | - | |
4 跳躍競技Ⅱ | 走巾跳(立巾跳) | 一側上肢切断者 一側上肢機能障害者 | 半盲者 | - |
走高跳(走高跳) | 同上 | 半盲者 | - | |
三段跳 | 同上 | 半盲者 | - | |
5 砲丸投 | 車椅子上 | 両側下肢切断者 両側下肢機能障害者 | - | 砲丸5.45㎏(4㎏) |
投擲台上 | 同上 | - | ||
直立 | 一側下肢切断者 一側下肢機能障害者 一側上肢切断者 一側上肢機能障害者 | 半盲者 | ||
6 バスケットボール投 (女子用バスケットボール投) |
車椅子上 | 砲丸投と同じ | - | - |
投擲台上 | 全盲者 | - | ||
直立 | 半盲者 | - | ||
7 競歩競技 | 1000m(500m) | 両側下腿切断者 両側下腿以下機能障害者 一側大腿切断者 一側大腿以下機能障害者 | - | 補装具使用 |
500m(300m) | 一側大腿一側下腿切断者 | - | ||
8 杖競歩及び松葉杖競歩 | 300m(200m) | 両側大腿切断者 両側下肢機能障害者 | - | - |
9 重量挙 | 俵さし 15㎏時間 | 一側上肢切断者 一側上肢機能障害者 | - | - |
砂のう片手水平保持重量 | 同上 | - | - | |
10 車椅子競技 | 50mスラローム(50mスラローム) | 両下肢切断者 両下肢機能障害者 | - | 両手手動輪付車椅子使用 |
11 水上競技(水泳) | 自由型25m 50m | 一側上肢切断者 一側下肢切断者 一側上肢機能障害者 一側下肢機能障害者 一側下肢一側上肢切断者 一側下肢一側上肢機能障害者 両側下肢切断者 両側下肢機能障害者 | 全盲者 半盲者 |
一肢障害者は50m 二肢障害者は25mとする。 |
背泳25m 50m | ||||
平泳25m 50m | ||||
12 弓(弓)(洋弓,和弓) | 車椅子上20m 30m | 両下肢切断者 両下肢機能障害者 | - | - |
直立20m 30m | 一側下肢切断者 一側下肢機能障害者 | - | - | |
13 卓球(卓球) | 車椅子上 | 両側下肢切断者両下肢機能障害者 | 全盲者 | - |
直立 | 一側上肢切断者 一側上肢機能障害者 | 半盲者 | - | |
義手ラケット握 | 義手ラケットを操作する。 | - | - | |
14 バドミントン(バドミントン) | - | 一側下肢切断者 一側下肢機能障害者 一側上肢切断者 一側上肢機能障害者 一側下肢一側上肢切断者 同機能障害者 | - | - |
15 車椅子バスケットボール | - | 両下肢切断者 両下肢機能障害者 | - | - |
16 ソフトボール | - | 一肢切断者 一肢機能障害者 | 全盲者 半盲者 |
- |
17 テニス(テニス) | - | 同上 | 全盲者 半盲者 |
- |
18 相撲 | - | - | 全盲者 半盲者 |
- |
19 盲人野球 | - | - | 全盲者 半盲者 |
- |
注
- 競技種目と適用者の関係は,当該競技種目についてここに挙げた障害より軽度の者は,競技に参加することはできないこと。
- 競技種目は,ここに挙げた種目のほか,次に掲げる種目についても適宜実施することができること。円盤投,槍投,はんまー投,槍正確投,メジシンボール投等
- 競技種目の( )の動きは,女子に適用するものであること。
社更第283号
昭和40年4月10日
各 都道府県 指定都市 民生主管部(局)長殿
厚生省社会局更生課長
「昭和40年度国際身体障害者スポーツ大会への選手団派遣について」
標記については,本日,別途社会局長通知をもって基本的な取扱いについて通知されたところであるが,昭和40年度においても各種の国際身体障害者スポーツ大会(以下「国際大会」という。)の開催が予定され,わが国からも,財団法人日本身体障害者スポーツ協会(設立準備中,以下単に「協会」という。)においてそれぞれ選手団を派遣することになったので,次に掲げる事項に御留意のうえ選手の推せん及び所要経費の準備等については何分の御協力を願いたい。
なお,第10回国際ろうあ者競技大会への選手団の派遣については別添「第10回国際ろうあ者競技大会選手団派遣実施要領」により行われることになったので了知のうえ遺憾のないよう措置されたい。
- 国際大会への選手団派遣計画について
昭和40年度国際大会への選手団派遣計画については,別紙のとおり開催が予定されるので,それぞれ選手団を派遣する計画であること。 - 選手派遣費用について
国際大会の選手団派遣に要する費用については,協会においては本年度の事業計画に基づき選手については,旅費,支度料等の概ね2分の1を負担する予定であるので残りの経費については当該選手の派遣にあたり推せんを行った都道府県,指定都市において準備をされたいこと。
なお,都道府県,指定都市等から役員の派遣につき協力されるむきにあっては当該経費の全額を負担されたいこと。 - 参加選手の推せんに当り留意すべき事項
- 原則として,国際身体障害者スポーツ大会にすでに派遣された者は推せん対象者から除外すること。
- 推せんに際しては,医師による健康診断及び競技実施の可能性に関する判定に忠実に従うこと。
- その他
第10回国際ろうあ者競技大会への参加候補者の推せんについては期日も切迫している関係上,別添「実施要領」第2の4に示す本月26日まで当課あての推せん書の提出期限は必ず厳守されたいこと。
社更第380号
昭和40年6月25日
各 都道府県知事 指定都市市長 殿
厚生省社会局長
「全国身体障害者スポーツ大会について」
昨年11月我が国で開催された国際身体障害者スポーツ大会(パラリンピック)が身体障害者の自立更生の促進と一般国民の身体障害者に対する関心と理解を深める等我が国における身体障害者の更生援護に大きく寄与したことは,すでにご了知のところであるが,国においても身体障害者福祉施策の一環として,今後より一層,身体障害者のスポーツの振興を積極的に推進することとし,その具体的方策として,昭和40年度より全国身体障害者スポーツ大会(以下「大会」という。)を開催することとしたので,次の事項に留意のうえ,これが参加の予算措置及び準備等につき,格段のご配慮を煩わしたい。
- 大会実施の意義
大会の開催は,全国の身体障害者がこの大会に参加したスポーツを通じて体力の維持,増強,残存能力の向上及び心理的更生等の効果を図るとともに,一般国民については,身体障害者に対する深い理解と関心の高揚を図り併せて我が国における身体障害者の自立更生の助長に寄与することが大であること。 - 大会の主催者
大会の主催者は,厚生省,大会開催都道府県(指定都市も含む。以下同じ。)財団法人日本身体障害者スポーツ協会及びその他の関係団体との共催により開催するものであること。 - 大会実施の概要
- 大会開催期日等
大会開催期日については,各都道府県の参加選手の選出その他の諸準備等を考慮し,原則として毎年実施される秋季国民大会の直後とし,大会開催場所は当該国民体育大会開催都道府県において実施するものとすること。 - 施 設
競技場等の諸施設については,国民体育大会として使用された施設を原則として利用するものであること。 - 参加選手の割当て
参加選手の割当ては,大会開催年度の前年度の12月末日現在の身体障害者手帳交付台帳登載数を基準として各都道府県別に参加選手数を決定するものであること。
- 大会開催期日等
- 大会の実施細目
大会実施に関する細目については,開催の都度,別途通知するところであるが,管下の関係機関,関係諸団体及び身体障害者に対する周知徹底については遺漏のないよう配慮されたいこと。 - 大会への参加
大会開催の趣旨に照らし,すべての都道府県から身体障害者の参加が期待されるので,これがための諸準備及び参加費用の予算化については,格段の考慮を煩わしたいこと。
昭和40年度選手団派遣予定の国際身体障害者スポーツ大会の概要 | |||
名称 | 第10回国際ろうあ者競技大会 | 第3回国際身体障害者スポーツ大会 | 第14回国際ストークマンデビル競技会 |
日時 | 昭和40年6月27日~7月3日(7日間) | 昭和40年7月16日~20日(5日間) | 昭和40年7月24日~26日(3日間予定) |
開催地 | 米国 ワシントン市 | 仏国 パリー郊外(フォンテンブロー) | 英国 ロンドン郊外 |
主催者 | 国際ろうあ者スポーツ委員会CISS | フランス身体障害者競技連盟 | 国際ストーク・マンデビル競技委員会 |
参加資格 | ろうあ者 | 1.パラリンピック参加資格者 2.切断者各種肢体不自由者(男女)盲人(男) |
下半身まひ者(主として脊髄損傷者) |
- | 陸上[100m,200m,400m,800m,1000m,1500m,5000m砲丸投,槍投,ハンマー投,円盤投走巾跳,棒高跳,三段跳,走高跳80m(女)110m(男)障害1600mリレー,25㎞マラソン20㎞競歩] 卓球,庭球,籠球,サッカー,体操,自転車,レスリング,水泳,射撃 |
1.下半身まひ者 ・籠球(不完全まひ) ・洋弓(30m及び50m-36本)(個人・団体) ・フェンシング,サーベル(或はフォイル)及びエペ(個人及び団体) ・五種競技 1洋弓30m,40m,50m 2車椅子競走60m 3棍棒投 4槍正確投 5重量挙(仰向,肘伸)(個人) ・卓球 完全まひ0.10以上(SW) 不完全まひ0.9 以下(SW) ・トラック リレー60m スラローム,障害物240m (注)洋弓と五種競技はダブッテよい。 2.切断及び各種障害 (A)男子 ○大腿切断(下肢) ・40m競走,補装具なし或は50m ・自由型競泳 ・走高跳 補装具なし ・走巾跳 ・砲丸投(5㎏)補装具をつけて ・槍投(ジュニア)補装具をつけて ○上肢切断 ・60m競走,走巾跳,高跳 ・砲丸投(6.25㎏)槍投(ジュニア) ○各種障害(最低80%) ・50m競走,或は50m自由型競泳 ・高跳,走巾跳,砲丸投(6.25㎏) ・槍投(ジュニア) (B)女子 ○大腿切断及び下腿切断 ・砲丸投(4㎏)或は棍棒投 ・槍正確投(ジュニア) ・水泳 (盲人) ・60m競走(呼声) ・巾跳(1mの旗をおく) ・砲丸投(6.25㎏) ・高跳 ・水泳 |
洋弓,卓球,籠球,棍棒投,槍投,槍正確投,砲丸投,円盤投, フェンシング,ダーチャリー,スヌーカー,ボーリング,重量挙,車椅子競技 |
派遣者1人当り経費概算 | 430,000円 | 524,000円 | 524,000円 |
選手派遣予定人員 | 概ね7人 | 概ね10人 | 概ね3人 |
主題:
創立20年史 No.3
発行者:
財団法人日本身体障害者スポーツ協会
発行年月:
昭和60年3月31日
文献に関する問い合わせ先:
〒162
東京都新宿区戸山1-22-1
戸山サンライズ内
TEL 03-204-3993