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創立20年史 財団法人日本身体障害者スポーツ協会

No.25

●参加者の感想文

世界に示した障害者の力

マレーシア選手団団長 S.ラーダ・クリシュナン

 国際障害者年記念全国身体障害者スポーツ大会へのご招待ありがとうございました。また,その成功をお祝い申し上げます。そして,この大会を日本だけでなく,外国の方々を招待されたことは,本当に大へんなことだったと思います。それは,日本が非常に熱心に障害者の福祉を推進しているからだと思います。この国際障害者年という記念すべき年に,世界のどの国もこのようなスポーツ大会を開催しようとは考えませんでした。それだけに,本当にすばらしい企画だったと思います。これはスポーツの世界において,障害者も同じようにできることを,世界の人々に示しました。
 私たちは,開会式の参加のため,また大会に参加した選手たちのご激励のため,はるばる東京からこられた皇太子殿下,妃殿下にお会いでき,大へん光栄でした。また,開会式はとても印象的で,非常にすばらしい演出でした。競技場の中には,選手たちを応援するため全国各地から集まった人たちでいっぱいでした。それはみんなすばらしい感動を与えました。そして,それは,みんながスポーツ,特に身体障害者スポーツを理解しているということです。
 たった2日間の大会でしたが,日本や外国の参加者とのふれあいは,とてもすばらしいひとときでした。言葉は少し不自由でしたが,通訳ボランティアのおかげで日本の友人たちと話すことができました。私たちは,スロープや車いす専用バス,身体障害者用トイレ,介助など身体障害者のための施設にとても喜んでいます。また,私たちはいたるところであたたかい歓迎やおもてなしを受け,大へん感激しています。10月26日の1日観光では,大津や京都の美しい町を見ることができました。今でも,すばらしい町やおみやげ,そして短い間でしたが,大津の友人たちのことを思い出しています。
(マレー盲人協会職業相談員)

写真をありがとう

タイ選手団団長 チャレンシー

 お手紙と写真を送っていただいて,どうもありがとうございます。私たちみんな,日本,特に大津では大へん楽しかったとよろこんでおります。私たちをお世話いただいた方々や県民の方々には,大へん親切であたたかい歓待をしていただきました。どうもありがとうございました。どうぞ,同僚のみなさんによろしくお伝えください。
 本国に帰ってすぐ,いま,毎年行っているタイ身体障害者スポーツ大会を来月行うことになっており,大へん忙しい毎日を過しています。
 私たちが体育館でとった写真を2枚同封してあります。どうもありがとう。ぜひタイへお越しください。心からお待ちしています。
(卓球競技役員 大石住子氏(大津卓愛会会長)への手紙から)

すばらしい友情と文化

ミシガン選手団団長 マイクル・P・ミュシェット

 ミシガンチーム5人の仲間は,国際障害者年記念全国身体障害者スポーツ大会の開催された滋賀県大津市を訪れ,大へん楽しく過させていただきました。私たちは,このような大きな大会に招待をうけたことをとても誇りに思っています。大会の企画はすばらしく,施設は美しく,そのうえ,私たち選手4人は8つの金メダルを持ち帰るという,すばらしい成果を収めました。
 しかし,実際の競技以上にもっと印象的でだったのは,大会委員や他のチームのコーチや選手,とりわけ滋賀県民のみなさんのお心づかいです。日本の人達は,世界中で最も友好的で思いやりがあります。心あたたまる歓迎のおかげで,多くのすばらしい人々に会うことができ,また,美しい友情と文化に触れることができました。
 どうもありがとうございました。大会役員の方々とわたしたちに温かい心の手を差しのべてくださったすべての人たちによろしくお伝え下さい。

あわれみよりも手助けを

マカオ選手団団長 アントニオ・フェルナンデス

 全国身体障害者スポーツ大会に参加したわが国の選手団への滋賀県の方々のあたたかくすばらしい歓迎ともてなしに,マカオの身体障害者スポーツ協会を代表して心から感謝します。私たちは,このスポーツ大会をはじめ日本で開催されたアビリンピックと車いすマラソンに参加しましたが,これを機会に全世界の人々に障害者問題が理解されるだろうと思います。そして,日本の障害者の人たちが使っていた「完全参加と平等」,「慈悲よりも障害者への手助けを」という言葉を思い,これらの言葉によってこそ障害者を手助けするための方法が見出せるものと思います。
(マカオ身体障害者スポーツ協会副会長)

来賓としてご招待したい

スリランカチーム一同

係員のみなさんへ
 大へん親切にしていただき,また,毎日楽しく過すことができたことをスリランカチーム全員,とても感謝いたしております。

スリランカチームの入場行進の写真

スリランカチームの入場行進

 みなさまがたをスリランカへご招待したく思います。ぜひお越しください。
さようなら!
ありがとう

国際親善の一助に

インド選手団団長 ドクター S・バルマ

 全国身体障害者スポーツ大会に参加し,滋賀県の方々のわがインドチームへのすばらしいおもてなし,どうもありがとうございました。私たちのために一生けんめい尽してくださった係員のみなさん,その身にあまるほどの親切と手助けと友情をどうしても忘れることができません。びわこ大会は,本当に大成功でした。
 また,国際親善の一助になったものと確信します。そして,宿泊,競技への出場,観光,さまざまな行事,特に後夜祭,すべて万全に運営されていたことに驚嘆しています。これらすべてのことが本当になつかしく,いつまでも忘れられないものとなるでしょう。特に切符の手配を心配していた私を手助けしていただいたことが忘れられません。そして,すべてうまくいきました。

外国選手団をお泊めして

外国選手団宿舎役員 佐藤良治

 第17回全国身体障害者スポーツ大会でアジア諸国を中心とした17か国に及ぶ外国選手団の宿泊をお引き受けして体験したことは,私どもにとって心に残る素晴らしい思い出となることでしょう。人種はもとより言語や生活様式,そして宗教も異なり,それまでは全く知らなかった人たちと,たった1週間足らずであんなにもお互いが心を開き,交流できるなんて。人とひと,人間って本当に素晴らしいものだと思いました。
 障害者は精神障害者も含めて現在,この地球上におよそ4億5千万人もいると聞いております。国際障害者年記念であるこの大会に参加した人たちは,その中のわずか一握りにしかすぎません。しかしながら彼らとのふれあいの中で感じたことは,五体満足な我々が本当に心身共に健常者であるかどうか,むしろ身体障害者と言われている彼等の方が精神的にはよっぽど自立心が強く勤労意欲も旺盛ではないか,ということでありました。今我々がなすべきことは,我々健常者自身が真に自立することであり,そうすることによってはじめて本当の意味で彼等の人間としての生き方に援助の手を差しのべることができるのではないでしょうか。
 数多くの感動は限られた字句ではとうてい言い表し得ませんが,この大会を通して素晴らしい国際親善の成果をあげ得たものと信じております。

びわこ大会を取材して

サンケイ新聞大津支局 佐藤正廣

 10月25日。閉会式。2日間にわたった熱戦のフィナーレは,私にとって一生忘れることのできない感動的なシーンだった。
 「蛍の光」のメロディーが,たそがれの皇子山陸上競技場に流れる。
 滋賀県選手団が去っていく。
 言葉では伝わらなくても,涙にぬれた温かい手が差しのべられる。選手たちが車いすの女子選手を肩ぐるまにしている。その笑顔はもうくしゃくしゃだ。
 「滋賀のみなさん,ありがとう。来年はふれあいの島根県大会へどうぞ」横断幕がグラウンド内をかけめぐる。いつまでもつづく涙の別れ。その言葉に「さようなら」はなかった。「がんばろう」,「がんばれよ」-それはともに手をとり合って人生を前進する決意だった。
 取材にあたっていた私は,とめどもなく涙が流れてどうしようもなかった。
 なぜかといえば,人間の温かい絆(きずな),目に見えない美しい友情があったからだ。
 たとえ身体に障害があっても,みんなで助け合って,力強く生きている。
 その実感が,私自身の胸に強く刻み込まれた。
 新聞記者としてではなく,一人の人間として,私はこのすばらしい思い出を,これからの人生に役立てていきたいと思うし,障害者のみなさんも,社会の荒波にくじけずにがんばってほしいと思う。
(記者)

強靱な意志の強さに圧倒

びわ湖放送 森田和夫

 私自身,大会記念番組「明日へはばたけ」を担当したことがあり数多くの障害者の人たちと知り合うことができました。
 障害にうち勝つために非常な努力をされている姿や,その強靱な意志の強さに圧倒され,また大いに勉強させていただきました。
 びわこ大会はたった2日間という短かい期間でしたが,国際障害者年スタートの年にふさわしい大会であったと思います。
 大会一日目だったと思います,「明日へはばたけ」でも取材したKさんが車いす60m競争に出場された時のことです。Kさんは右手がわずかに自由がきくだけの重度障害者です。案の定,他の選手より大きく出遅れました。しかしKさんはめげることなく額に汗をうかべながらも必死に車いすを走らせました。するとスタンドのどこからともなくKさんを応援する拍手がわき起こりました。
 拍手は徐々に大きくなり,あたたかくKさんをつつみました。これこそ障害者と健常者という枠をとり一つのことを成しとげた人間におくられた称賛の拍手であり,まさに国際障害者年のスローガン「完全参加と平等」を具現化したものであったと思います。
 この大会を単なるおまつりで終わってしまうのでなく,これを契機に,障害者があらゆる分野に参加できる社会になることを願うものです。(ディレクター)

インタビューに輝く笑顔を見た

日本放送協会大津放送局 谷本雅昭

 寒さの中で,聾話学校児童たちのけんめいな鼓隊演奏が,今もまぶたに焼きついています。
 この大会で,私は大津市内にある全盲の男性を知りました。38歳で初めて走ることに挑戦した人です。出場が決まってからの練習の積み重ね…何度も何度も自分にはできないと断念しかけたそうです。練習の時には常に大津市役所の人たちが,そばで励ましている姿を見かけました。
 競技の時,冷たい向かい風が吹いていました。付き添いの人が体を摩擦し,緊張した心と体を暖めています。『ヨーイドン。』60メートル向こうで鳴らされる鐘の音をたよりに,顔をまっすぐ上げて,胸を張って走ります。
 インタビューに『練習ほどうまく走れませんでした』と答えるその顔に,私は,輝く笑顔を見ることができました。後夜祭で会った時,その人の顔には,とどまることを知らないかのように大粒の涙が流れ落ちていました。この大会をきっかけにして,さまざまな交流の輪が広がっているそうです。大津市内の小学生と選手たち,選手と選手の間に,便りのやりとりが生まれ,友情が深まっています。大会で生まれた,ひとつひとつの小さな芽が,たくましく,大きく育って欲しい,そんな気持ちでいっぱいです。
(記者)

車いすの足音

近畿放送滋賀総局 阪本剛康

 さまざまな障害をのりこえ,全力を尽くした選手。さわやかだった選手とボランティアとの交流は,多くの人々に強烈な印象を与え,“車いすの足音”は,何不自由ない私たちに生きる勇気と尊さを教えてくれた。
 「わたしにも こんな力が 生きがいが」をスローガンにした第17回全国身体障害者スポーツ大会は,びわこ国体の余韻を残す湖都・大津でくり広げられた。全国から集まった940人の選手。国際障害者年を記念して,バングラディシュ,ビルマ,ブータンなど,世界17カ国からも103のすがすがしい笑顔が,色彩豊かに国旗とともに参加した。
 「希望と友愛の火」がオレンジ色の炎をふき上げた皇子山総合運動公園陸上競技場。3万5千人もの人々で埋め尽くされたスタンド。車いすに乗りボールを追いかけたバスケットボール選手。片足を失いながら力泳したあの青年。すべての選手が,身体障害者スポーツ大会の産みの親,イギリス人医師,故ルードイッヒ・グッドマン博士の言葉どおりに,その技を競った。
 しかし,大会を終えて,半年が過ぎた今,あの興奮がどのようなかたちで県民の心に残っているだろうか。互いに手を取り合い涙したあの“連帯”を生かすためにも「完全参加と平等」。この言葉を今一度私たち一人ひとりが問い直すことこそ,大会で芽ばえた輪を将来に,広げていくものと思う。(記者)

“完全参加と平等”とは

中日新聞社大津支局 佐野信好

 実家(愛知県大崎市)近くに県立の養護学校がある。その学校で身体障害者の世話をしている人がいる。大学時代,その人から,「ある子たちは,いくら学校施設を整備しても喜ばない。体の不自由な子ばかり集めるのは,ある意味で“隔離”。本当は,普通の小,中学校に行きたがっている」という話を聞いた。
 これには言葉が出なかった。「健常者の都合で,養護学校を設けているのでは」という思いが脳裏をかすめた。
 そして迎えた身体障害者スポーツ大会。健常者の企画であるという印象を,どうしてもぬぐい切れなかった。例えば,「わたしにも こんな力が 生きがいが」というスローガン。健常者が机上で考え,悦に入ってる姿が目に浮かんだ。私(身体障害者)“にも”という言い方は,身体障害者を特別視している健常者の目があるように思えてならないからだ。
 これは,言葉の揚足を取っただけだろうか-。身体障害者ばかりを集めたスポーツ大会が本当に生きがいと言えただろうか。「完全参加と平等」の真意は,身体障害者を特別扱いしないことのような気がする。
 びわこ大会の閉会式。国体とは比べものにならない感動を生んだ。退場する選手を見送りに,まずグランドに降りて行ったのは“身体障害者として眺める目”のない子どもたちだった。そして,はにかんていた大人たちもそれに引き込まれていった。いつまでも別れを惜しむ,企画にはない風景がうまれた。何度もシャッターをきった。松葉づえをついた選手が「バイバイ」と手を振る2歳ぐらいの女の子を高々と抱き上げた笑顔がいつまでも目に焼き付いている。
(記者)

すばらしい人間賛歌

京都新聞社滋賀本社 横井聡

  '81国際障害者年。国連が「完全参加と平等」をうたい,県民が「うちかつ障害 ささえる社会」と呼びかけた湖国で全国身体障害者スポーツ大会が開かれた。集った1,043人の選手,スタンドを埋めた観客。各競技会場は2日間,すばらしい人間賛歌につつまれた。
 感動は,なぜそれほどに深かったのだろう。
 車いす60メートル走に出場したインドのアガワルさん(28)は筋ジス症だった。萎えた腕が押し出す車輪は1秒間に22センチ。仲間がテープを切った時,わずか5メートルしか進んでいなかった。「どうしたのだろう」。いぶかっていたスタンドも,場内放送で病名を知り大声援に変だ。4分28秒でゴール。「より強く,速く,高く」に慣れた目に,渾心の力走がズシリと重い価値となって飛び込んできた。
 ソフトボール投げに出た大津の大林弘さん(38)は三歳の頃,光を失った。ソフトを握ったのは盲学校での体力測定の時ぐらい。投げ方も知らなかった。仲間らにボール拾いを手伝ってもらって練習を重ねた。そして本番。銀メダルを手にしたものの目標の30メートルは超せなかった。
 「これからもソフト投げは続けます。なぜって,あんなに大勢の人がボール拾いをしてくれたのですから…」
 アガワルさんの笑顔,大林さんの言葉の中にキラリと輝くものがある。現代が失いかけている,強く豊かな心が…。
 閉会式。皇子山陸上競技場を去る選手団を,観客はトラックにせり出し,スタンドで涙して見送った。「いのち」をふれた時,人は手を差しのべないではいられない-障害者年の意味を,標語を百万回唱えるよりも鮮明に,教えてくれた大会だった。
(記者)

総参加への提言

毎日新聞社大津支局 森田栄二郎

 ハンディキャップにめげない,選手たちの,ひたむきな姿が,今も目に焼きついている。選手と県民の交流,熱心なボランティアの協力ぶりは,感動の一言に尽きる。セレモニーとしての,全国身体障害者スポーツ大会は,確かに成功を収めたといえる。いたるところで,関係者の努力がキラリと光り,頭の下がる思いだった。「わたしにも こんな力が 生きがいが」の大会スローガンに参加選手のすべてが胸を張っておられたのも当然,に思えた。
 しかし,今だに残念に思うことは,再び競技場で顔を合わせることができないからである。というのは,この大会が,より多くの人に参加のチャンスを与えよう,との趣旨で個人競技では「一生一度」と参加を制限しているためだ。この規定は,大会を終えて満足感にひたっている選手たちから,今後の努力目標を奪うことに,つながりはしないだろうか。
 また開催時期も遅すぎる。大会初日の10月24日,県下は初雪を見る寒波の来襲。あまりの冷え込みに,選手たちは震えあがり満足に競技ができるコンディションではなかった。これも大会の開催が,秋の国体の後にする,という慣例の犠牲,といえなくもない。
 そこで提案したいのが,国体との一本化である。国体は夏期大会が4日間,秋期大会は6日間だった。この期間に身体障害者スポーツ大会を組み入れ一本化すれば,それだけ多くの障害者が出自言うすることになり「一生一度」の制限も撤廃できることになる。
 国体が,スポーツにもっとも適したシーズンに開かれるのは国民スポーツの奨励という目的があるからで,一本化による障害者との融和は,国体の意義をより高めることにもつながると思う。「完全参加」をうたう,国際障害者年に開催された,記念すべき今大会を契機に,開催団体はもちろん後催府県に,大会運営を見直し,実のある大会開催への提言を勇気をふるって行なわれることを望みます。(記者)

国体と比べられない感動

朝日新聞社大津支局 堀川清

 全国身体障害者スポーツ大会を担当してくれへんかとデスクから宣言されたのは,びわこ国体が秒読みに入った時だったのだ。それまでも何度となく,第17回全国身体障害者スポーツ大会を前に…と関連記事は書いてきたが,競技の内容や種目,県選手団の顔ぶれや受け入れ体制はどうなっているのか,といえたデータはまだ白紙もいいところだった。
 街の雰囲気はもちろん,各紙紙面も国体一色。従って取材は国体と同時進行。しかし,県代表選手とインタビューを重ねるうちに,練習の苦労から障害の原因など立ち入ったことまで,話にのめり込んでいかざるを得なかった。と同時に,びわこ大会は国体のつけ足しかとぐちりたくなっていた。国体に比べ準備不足のまま大会終了まで出たとこ勝負の取り組みとなった。
 国体成功の翌日から,湖上での採火式をはじめぎっしり凝縮されたスケジュールがふき出し,紙面もみごとに変身。とくに競技の消化はすさまじく,皇子山陸上競技場いっぱい広がっての熱戦に右往左往させられた。その競技の1つひとつは甲子園以上のドラマだった。ひたむきに走り,投げ,跳ぶ選手たちの姿をまのあたりに見るのは初めての観客たちは拍手と声援を送り続けていた。
 競技終了。後夜祭のテレビ中継を囲んでいると誰ともなく「国体よりよほど感動的やったなぁ」と感想をもらし,その後もよく耳にした。国際障害者年はスタートしたばかり。この感動がどう生かされていくか注目していきたいと思っている。(記者)

車椅子選手をかついで退場する写真

車椅子選手をかついで退場

2.第30回国際ストーク・マンデビル競技大会

昭和56年7月26日~8月1日
イギリス グットマン障害者スポーツセンター
参加38ケ国 約1,300人(選手792人 役員等約450人)
日本選手 15人 役員10人 計25人

役員
役名 氏名 現職
団長兼医師 木村哲彦 国立身体障害者リハビリテーションセンター
マネージャー 小島良信 日本身体障害者スポーツ協会
コーチ 藤原進一郎 大阪市身体障害者スポーツセンター
コーチ 小林順一 社会福祉法人太陽の家
コーチ 渡辺清 神奈川県総合リハビリテーションセンター
コーチ 水田賢二 国立身体障害者リハビリテーションセンター
コーチ 寺尾徹 国立身体障害者リハビリテーションセンター
看護婦 田中和子 国立身体障害者リハビリテーションセンター
通訳 稲本裕子 日本赤十字社語学奉仕団(上智大学)
10 参与 黒沢貞夫 国立神戸視力障害センター
11 参与 金近晶夫 日本自転車振興会

選手

都市県名 氏名 男女 年令 障害程度 持ち点 種目
障害名 クラス
埼玉県 石田均 25 セキ損 Th12以下完全 4 2 スラローム 100m走 100m平泳 1500m走 800m走 ローンボウル(P) 200m走 バスケットボール(補欠)
埼玉県 岡田哲夫 27 セキ損 Th10以下完全 3 1 スラローム 100m走 50m平泳 ローンボール(P) 400m走
東京都 安藤郷美 19 セキ損 Th11,12以下不完全 4 - スラローム 100m走 200m走 800m走 1500m走 ローンボウル(S・P)
東京都 岩崎満男 26 セキ損 Th11,12以下完全 4 2 スラローム 100m走 200m走 800m走 1500m走 ローンボウル(P) バスケットボール(補欠)
神奈川県 榊京子 21 セキ損 Th12以下完全 4

5
- スラローム 100m走 800m走 1500m走 ローンボウル(S・P)
神奈川県 城ノ上友一 34 セキ損 L2以下完全 4 - アーチェリー(ショートメトリック) やり投 円盤投 砲丸投 ローンボウル(S)
兵庫県 松本英雄 30 ケイ損 C7以下完全 10 - アーチェリー(ショートメトリック) スラローム 卓球(S) 100m走 砲丸投
大阪市 中村正則 31 セキ損 Th9以下不完全 4

5
2 100m走 スラローム 1500m走 800m走 200m走 ローンボウル(P) バスケットボール(補欠)
宮城県 斉藤光広 23 セキ損 Th6以下不完全 - 1 バスケットボール
10 茨城県 小松崎進 29 セキ損 Th6以下不完全 - 1
11 栃木県 小曽戸義雄 30 セキ損 Th12以下不完全 - 2
12 岐阜県 古川久四 33 セキ損 L2以下不完全 - 3
13 奈良県 伊藤平太 26 セキ損 L1以下完全 - 2
14 香川県 岡田健志 27 セキ損 Th12以下完全 - 2
15 川崎市 太田悌治 24 セキ損 Th12以下完全 - 2

日本の競技成績

1位7 2位6 3位2 計15(38カ国中12位)

1位

  • 男子 スラローム Class 4
  • 男子 アーチェリー Class 1c
  • 男子 スラローム Class 5
  • 男子 スラローム Class 3
  • 女子 スラローム Class 4
  • 女子 100メートル走 Class 4
  • 女子 スラローム Class 5

2位

  • 男子 スラローム Class 4
  • 男子 スラローム Class 1
  • 女子 200m走 Class 4
  • 女子 1,500m走 Class 4
  • 女子 1,500m走 Class 5
  • バスケットボールチーム

3位

  • 女子 200m走 Class 5
  • 女子 800m走 Class 5

◎個人競技 出場種目

100m,200m,400m,800m,1,500m,砲丸投,
円盤投,やり投,卓球,ローンボール,アーチェリー,水泳

◎バスケットボール DV2

7/26 対イスラエルB 86:37 勝
7/28 対デンマーク 80:34 勝
7/29 対バングラデシュ 111:24 勝
7/29 対オーストラリア 62:38 勝
7/30 セミファイナル 対南アフリカ 73:60 勝
7/31 ファイナル 対オーストリア 73:84 敗 銀メダル

3.第14回世界ろうあ者競技大会

  1. 主催
    ドイツろうあ者競技委員会
    CISS(国際ろうあスポーツ委員会)
  2. 開催地
    西ドイツ,ケルン市
  3. 期間
    昭和56年7月23日~8月1日
  4. 参加国
    33カ国
  5. 参加総人員 1,761人
    選手 1,445人
    役員 316人
  6. 日本選手団 45人
    選手 34人
    役員 11人
  7. 日本選手団獲得メダル
    金メダル 7個
    銀メダル 4個
    銅メダル 2個 計13個

役員

役職 氏名 所属
団長 土屋準一 全日本ろうあ連盟連盟長
日本ろうあ体育協会参与
副団長
マネージャー
竹島昭三郎 全日本ろうあ連盟副連盟長
第14回世界ろうあ者競技大会派遣準備委員長
監督 田畑宏 全日本ろうあ連盟常任理事
日本ろうあ体育協会会長
コーチ
陸上
小川稔 日本陸上競技連盟
卓球 古川敏明 日本卓球協会強化コーチ
バレーボール 宮里孝三 日本ろうあ体育協会参与
日本バレーボール協会公認審判
水泳 寺尾豊 日本水泳連盟競技委員会強化コーチ
視察員 井手精一郎 日本身体障害者スポーツ協会
日独通訳 金田安正 国立身体障害者リハビリテーションセンター
手話通訳 秋間尋子 全日本ろうあ連盟
手話通訳 山脇由美子 全日本ろうあ連盟

選手

- 氏名 性別 年齢 出身県 出場種目
1 中里和明 21 青森県 バレーボール
2 佐藤誠 24 東京都 バレーボール
3 浜本也寸志 22 広島県 バレーボール
4 島尻寛俊 28 沖縄県 バレーボール
5 儀保盛光 27 沖縄県 バレーボール
6 砂川昇一 25 沖縄県 バレーボール
7 榎貞雄 25 沖縄県 バレーボール
8 金城秀 25 沖縄県 バレーボール
9 朝倉幹夫 27 愛知県 バレーボール
10 和田恵美子 19 栃木県 バレーボール
11 渡辺純子 21 栃木県 バレーボール
12 藤田春美 23 栃木県 バレーボール
13 辻生子 24 山梨県 バレーボール
14 木田桂子 22 東京都 バレーボール
15 浅野喜久子 26 京都府 バレーボール
16 木村みどり 21 鳥取県 バレーボール
17 木村一枝 23 鳥取県 バレーボール
18 幾島政幸 29 埼玉県 卓球
19 鈴木重治 27 東京都 卓球
20 吉田清繁 25 東京都 卓球
21 旅川正人 23 東京都 卓球
22 竹島春美 21 東京都 卓球
23 恒川正子 19 愛知県 卓球
24 加藤春美 19 愛知県 卓球
25 小原靖子 22 高知県 卓球
26 高橋英子 21 香川県 卓球
27 八重樫隆久 19 埼玉県 陸上
28 片山勲 26 富山県 陸上
29 森浩 20 長崎県 陸上
30 石原直美 18 鹿児島県 陸上
31 吉田厚子 23 大阪府 陸上
32 中田進康 20 大阪市 水泳
33 沢和信二 18 広島市 水泳
34 漆島睦晃 18 東京都 水泳

日程表

日次 月日(曜) 地名 現地時間 交通機関 予定
1 昭和56年7月19日(日) 東京(成田)発 20:45 LH651 大型ジェット機にてアンカレッジ経由ハンブルグ乗り換え,ケルンへ (機中泊)
2 7月20日(月) ハンブルグ着
ハンブルグ発
ケルン着
6:00
9:55
10:50
LH681
特別バス
ホテルにて休養 (ケルン泊)
3 7月21日(火) ケルン - - 各種競技参加者練習 (ケルン泊)
4 7月22日(水) ケルン - - 各種競技参加者練習 (ケルン泊)
5 7月23日(木) ケルン 15:00~
17:00
- 「第14回ろうあ者競技大会」開会式 (ムンゲルドルファーにて) (ケルン泊)
6 7月24日(金) ケルン 9:00~
21:00
- 各種競技 バレーボール男子・女子,卓球等 (ケルン泊)
7~13 7月25日~7月31日(金) ケルン - 各種競技 バレーボール,卓球,水泳,陸上等 (ケルン泊)
14 8月1日(土) ケルン 17:00~
18:00
- 閉会式 (ムンゲルドルファーにて) (ケルン泊)
15 8月2日(日) ケルン発
アムステルダム着
8:00
13:00頃
特別バス アムステルダム市内ろうあ者との交流及び関係施設視察 (アムステルダム泊)
16 8月3 日(月) アムステルダム発
ロンドン着
13:00
13:00
BA409 ロンドン市内ろうあ者との交流及び関係施設視察 (ロンドン泊)
17 8月4日(火) ロンドン発
ハンブルグ着
ハンブルグ発
8:55
11:20
12:45
BA732
LH650
大型ジェット機にてアンカレッジ経由
18 8月5日(水) 東京(成田)着
大阪着
13:05
15:20
- 着後:解散

日本参加選手の結果成績

- 卓球 陸上 水泳 男子バレーボール 女子バレーボール 参加選手
第10回大会(アメリカ) 女子シングルス 2位 25㎞マラソン 3 位 - - - 7人
第11回大会(ユーゴスラビア) 男子シングルス 2位
女子ダブルス 2位
女子団体 2位
100m競争 2位 - - - 9人
第12回大会(スウェーデン) 男子団体 1位
女子団体 2位
男子シングルス 1位 2位
男子ダブルス 1位
男女混合 1位
- - - - 9人
第13回大会(ルーマニア) 男子シングルス 1位 4位
女子シングルス 1位
男子ダブルス 1位
女子ダブルス 1位
男女混合 1位 2位
走高跳(女子) 5位 6位
走幅跳(女子) 7位
1500m自由形 2位
400m自由形 6位
男子チーム 4位 - 17人
第14回大会(西ドイツ) 男子団体 1位
女子団体 1位
男子シングルス 1位 2位
女子シングルス 1位 2位 3位
男子ダブルス 1位
女子ダブルス 1位 2位
男女混合 1位 2位
走高跳(男子) 10位
走幅跳(男子) 4位
100m自由形 (男子) 4位
400m自由形 (男子) 4位
200m自由形 (男子) 3位
200mバタフライ (男子) 5位 6位
男子チーム 7 位 女子チーム 5位 34人

参加国一覧表

- 略号 国名 選手数 役員数
1 AUS オーストラリア 11 6
2 BAN バングラディッシュ 3 1
3 BAN ベルギー 31 4
4 BUL ブルガリア 31 9
5 COR コスタリカ 0 1
6 DAN デンマーク 44 11
7 DDR 東ドイツ 12 5
8 FRG 西ドイツ 135 44
9 FIN フィンランド 35 1
10 FRA フランス 88 20
11 GRE ギリシャ 5 3
12 GBR イギリス 48 11
13 HOL オランダ 62 14
14 IND インド 12 2
15 IRA イラン 10 2
16 IRL アイルランド 19 10
17 ISR イスラエル 22 2
18 ITA イタリア 75 15
19 JAP 日本 34 11
20 JUG ユーゴスラビア 38 6
21 CAN カナダ 51 5
22 COL コロンビア 20 2
23 MEX メキシコ 22 4
24 NZL ニュージーランド 14 3
25 NOR ノルウェー 54 7
26 AUT オーストリア 15 3
27 POL ポーランド 27 5
28 POR ポルトガル 0 2
29 ROM ルーマニア 35 5
30 SWE スウェーデン 66 12
31 SUI スイス 35 7
32 URS ソビエト 113 7
33 ESP スペイン 40 10
34 SUA 南アフリカ 0 2
35 HUN ハンガリー 40 11
36 USA アメリカ 184 44
37 VEN ベネズエラ 14 4
1,445 316

各国メダル獲得数

順位 国名
1 アメリカ 45 29 35
2 ソビエト 19 20 15
3 イラン 7 5 2
4 日本 7 4 2
5 イタリア 6 6 4
6 ユーゴスラビア 4 0 0
7 西ドイツ 3 9 14
8 ブルガリア 3 6 5
9 オーストラリア 3 3 3
10 オーストリア 3 2 0
11 フィンランド 3 0 0
12 フランス 1 6 5
13 東ドイツ 1 2 0
14 ポーランド 1 2 4
15 スウェーデン 1 1 1
16 ニュージーランド 1 2 0
17 デンマーク 1 0 3
18 オランダ 1 0 0
19 カナダ 1 3 4
20 ベルギー 0 2 2
21 ハンガリー 0 2 2
22 インド 0 2 1
23 スイス 0 2 0
24 イギリス 0 2 4
25 ノルウェー 0 1 1
26 スペイン 0 1 1

バレーボールをプレイする風景

バレーボール 男子

〔Aグループリーグ戦〕

  1. ソ連 (3勝)
  2. イタリア (2勝1敗)
  3. フィンランド (1勝2敗)
  4. 日本 (3敗)

〔Bグループリーグ戦〕

  1. ブルガリア(3勝)
  2. アメリカ (2勝1敗)
  3. オランダ (1勝2敗)
  4. 西独 (3敗)

〔決勝リーグ戦〕

7位決定戦   日   本 3-0 西 独
5位決定戦 フィンランド 3-0 アメリカ
準決勝戦    ソ  連 3-0 アメリカ
          イタリア 3-1 ブルガリア
3位決定戦   アメリカ 0-3 ブルガリア
決勝戦     ソ  連 3-2 イタリア
優勝 ソ連
 2位 イタリア
 3位 ブルガリア
 4位 アメリカ
 5位 フィンランド
 6位 オランダ
 7位 日本

バレーボール 女子

〔Aグループリーグ戦〕

  1. アメリカ (3勝)
  2. カナダ (2勝1敗)
  3. オランダ (1勝2敗)
  4. 西独 (3敗)

〔Bグループリーグ戦〕

  1. ソ連 (3勝)
  2. デンマーク (2勝1敗)
  3. 日本 (1勝2敗)
  4. イスラエル (3敗)

〔決勝リーグ戦〕

7位決定戦  西  独 3-0 イスラエル
5位決定戦  オランダ 0-3  日 本
準決勝戦   アメリカ 3-0 デンマーク
          カナダ 0-3  ソ 連
3位決定戦 デンマーク3-2 カナダ
決勝戦    アメリカ 0-3 ソ 連
優勝 ソ連
 2位 アメリカ
 3位 デンマーク
 4位 カナダ
 5位 日本
 6位 オランダ
 7位 イスラエル(不戦)

4.第7回国際身体障害者スキー親善大会

  1. 名称 第7回国際身体障害者スキー親善大会
  2. 主催 国際身体障害者スポーツ連盟(ISOD)
  3. 主管 スイス身体障害者スポーツ協会
  4. 派遣者 (財)日本身体障害者スポーツ協会
  5. 共催 日本身体障害者スキー協会
  6. 後援 日本自転車振興会
  7. 期日 1982年3月8日~18日
  8. 場所 スイス国デイアプルレ
  9. 参加国 18カ国
  10. 日本選手団 役員5名(団長1名,マネージャー1名,ドクター1名,通訳・エスコート1名,コーチ・エスコート1名)

日本選手出場種目及び成績

アルペン

CLS 名前 大回転 滑降 回転
A-1 斎藤 房子 失格(旗門不通過) - -
A-4 高橋 一恵 9位 - 失格
A-4 土赤 遙子 10位 - -
A-2 桜井 忍 29位 28位 25位
A-2 若林 行男 21位 34位 24位
A-2 太田 雄一 23位 36位 失格
A-4 戸ケ瀬 勝男 失格 20位 12位
A-4 原田 誼 19位 21位 失格
A5/7 柳沢 浩 4位 6位 4位
A5/7 佐藤 稔 6位 10位 失格
A6/8 後藤 文男 16位 17位 失格
リュージュ 鷺谷 金次郎 4位 - -

派遣選手団名簿

- 名前 出身地 クラス 備考
団長兼監督 笹川 雄一郎 新潟 - -
ドクター 栗山 廉二郎 東京 - 日本医科歯科大 内科
マネージャー 尾久 元一 東京 - -
通訳・エスコート 林 孝雄 千葉 - -
コーチ 藤井 證 大阪 - -
コーチ(エスコート) 志水 淳 兵庫 - -
コーチ 関根善 一郎 東京 - -
選手・コーチ 戸ヶ瀬 勝男 宮城 A-4 -
選手・女子エスコート 土赤 遙子 東京 A-4 左-足首固定
選手・通訳 柳沢 浩 群馬 A-5/7 -
選手 桜井 忍 新潟 A-2 左大腿切断
選手 太田雄一 長野 A-2 右大腿切断
選手 山崎幹夫 新潟 A-2 右大腿切断
選手 原田誼 名古屋 A-4 右下肢切断
選手 佐藤稔 新潟 A-5/7 両前腕切断
選手 斉藤房子 北九州 A-1 両下肢切断
選手 高橋一恵 岡山 A-4 ポリオ
選手 芦野芳男 山形 (A-4) 左下肢機能
選手 後藤文男 山形 (A-9) 右上腕切断
選手 若林行男 長野 (A-3) 右大腿切断
選手 宮本聖史 京都 (A-9) 右大腿切断
選手 鷺谷金次郎 神奈川 (A-1) 脊髄損傷 同行村田豊

アルペン競技

選手団日程

日次 月日(曜) 都市名 現地時間 交通機関 概要
1 3月7日(日) オリンピックセンター集合 13:00 - アンカレッジ経由
(機中泊)
オリンピックセンター発 15:00 -
東京(成田)発 21:30 JL411
2 3月8日(月) チューリッヒ着 08:55 - チューリッヒにて航空機乗換えジュネーブへ ジュネーブ到着後,専用バスにて ディアプルレへ
チューリッヒ発 10:35 SR682
ジュネーブ着 11:15 -
ジュネーブ発 - -
ディアプルレ着 午後 専用バス
3 3月9日(火) ディアプルレ - - 健康診断 開会式
(ディアプルレ泊)
4 3月10日(水) ディアプルレ - - 大回転トライアル リーダーミーティング
(ディアプルレ泊)
5 3月11日(木) ディアプルレ - - 大回転競技 リーダーミーティング
(ディアプルレ泊)
6 3月12日(金) ディアプルレ - - 滑降トライアル リーダーミーティング
(ディアプルレ泊)
7 3月13日(土) ディアプルレ - - 滑降競技 リーダーミーティング
(ディアプルレ泊)
8 3月14日(日) ディアプルレ - - 回転トライアル リーダーミーティング
(ディアプルレ泊)
9 3月15日(月) ディアプルレ - - フリー練習 リーダーミーティング
(ディアプルレ泊)
10 3月16日(火) ディアプルレ - - スペシャルスラローム リーダーミーティング
(ディアプルレ泊)
11 3月17日(水) ディアプルレ - - 閉会式
(ディアプルレ泊)
12 3月18日(木) ディアプルレ発 午前 専用バス 移動日
ジュネーブ着 - - -
ジュネーブ発 16:35 AF665 -
パリ着 17:35 - パリ到着後ホテルへ (パリ泊)
13 3月19日(金) パリ - - 午前:パリ市内見学
午後:自由 (パリ泊)
14 3月20日(土) パリ発 11:30 JL404 アンカレッジ経由 (機中泊)
15 3月21日(日) 東京(成田)着 15:25 - -
オリンピックセンター着 17:00 バス -
成田発 19:30 - -
解散 20:00 - -

主題:
創立20年史 No.25

発行者:
財団法人日本身体障害者スポーツ協会

発行年月:
昭和60年3月31日

文献に関する問い合わせ先:
〒162
東京都新宿区戸山1-22-1
戸山サンライズ内
TEL 03-204-3993