創立20年史 財団法人日本身体障害者スポーツ協会
No.28
●参加者の感想文
思い出
島根陸上競技協会 須山春雄
回を重ねること18回。この大会を「ふれあい大会」と名付けて,当島根県で開催することになり,陸上競技は島根陸上競技協会がお手伝いすることになった。この大会の趣旨,目的に沿って,いかに大会をスムーズに運営するかということが,つねに私を初めとした陸協関係者の念頭にあった。
身障者の方々が一堂に会し,お互いがスポーツを通じて体力の維持と機能回復に努力した成果を観客にアピールすること,そして身障者自身がたくましく生きていく気持を醸し出すことのできる競技運営を熟慮した。それがために,過去の大会で見られた,待機している選手はもとより,スタンドの観客にも競技を理解し,観覧することが見苦しかった競技場内を整然としたスポーツの場とするため,介助者の入場に制限を加えることにした。
この方法は,ここ2ケ年における本県の身障大会で実施し,何ら支障はないという確証のもとに,県実行委員会と鋭意検討した結果によるものであり,更に中央団体との競技を経て,各県に通知されたものである。
しかしながら,全国代表者会議の席上,2,3の選手団から,新しい試みへの反発,競技運営に対する不安感・不信感等から,厳しい反対を受けた。私は議論が長時間にわたるのを恐れて,監督の良識にしたがい,介護の必要欠くべからざる者に入場許可の腕章を交付するよう譲歩せざるを得なかった。
さて,両日にわたる大会においては,参加選手団大多数の協力と良識を得,更には関係者の努力により,身障者自身のスポーツへの積極的な参加と自己の障害に負けず精いっぱいの活躍が数々に出て,県民への理解度を高め,大成功の競技大会であったと自負している。
「ふれあい大会」の反省を各審判主任に求めたところ「数々のドラマを生み,深い感銘を受けた。身障大会をますます意義深いものにするには,介護者のあり方について,島根の運営状態をふまえて前向きの検討を望む。」声も2・3あったところであり,群馬県を始めとした後催各県にあって,真の身障スポーツの原点を見極められ,一層充実した大会を期待する。
水泳競技大会をふり返って
島根県水泳連盟 野島格己
夏期・秋期の国体,それに続く身障者スポーツ大会も,大成功であった。とマスコミは報じてくれた。これは,いささかでも大会に関係した者にとっては,肩身の広いことである。
特にふれあい大会は,選手の方々が,満足されたと聞くとうれしい。
しかし,この大会の運営をふり返って見ると,競技役員以外の方々に支えられた事柄が多かったと,しみじみ思われる。
複雑に分かれる障害区分。われわれ素人にはなかなか理解しにくい障害の実態。そうした方々の障害の程度を勘案し編成した,プログラム作成作業を手初めに,既設の屋内プールの施設・設備の改善のためには,県実行委員会の一方ならぬご尽力をいただいた。
また,コンパニオンや,高校生の補助員の諸君が,分掌した職務は当然のことながら,それ以上に選手に気を配って対応してくれた。その姿は,三無主義などと評される現代の生徒の認識を覆すものであった。
しかし見方によっては,これも選手の競技に取り組む真剣な気迫が,会場全体に反映した賜であったかもしれない。
更に皇太子御夫妻の観戦,選手への激励は参加選手にとってこの上ない喜びで大変な励みになったことと思う。
こうした要因が集結し,競技では18の新記録が生まれる成果を納めることが出来たが,昨年度の大会では想像もできないところでのロスタイムの発生等で,競技進行が予定より若干遅れる結果となり,この競技の現行制度の見直しを図る必要が生じたと痛感したところである。
こうした中で自己の障害に負けず,精いっぱいの活躍をされた選手の方々の姿は,われわれ関係者をはじめ一般観衆に深い感銘を与え,いろいろな形でのふれあいの輪が広がっていった。
例えば,本県のように水泳競技参加選手が中心となり,広く障害者に呼びかけ水泳愛好者によるクラブが誕生したことを考えると,この大会が身障者への理解を高めたこと,身障者自身のスポーツへの積極的な進出に果たした役割の大きさをしみじみと思い返している。
卓球競技を運営して
島根県卓球協会 福田信夫
身体障害者スポーツ大会についてはほとんど知らなかった私が,この大会について考えさせられるようになったのは「長野大会」の記録映画を観てからです。何てすばらしい大会なんだろう。そこに出てくる人たちのひたむきな姿に感動しました。そのようなすばらしい大会のお世話ができるなんて幸せだ。「ふれあい大会」も今までに負けない大会にしなくてはとの思いでいっぱいでした。
競技運営は平素から幾度となく行っており不安はありませんでした。ただ障害者の立場に立った競技運営をするには障害者の方と一緒に取り組み,アドバイスを受けていくことも必要だと考え,障害者の方にも役員としてお手伝いをしてもらいました。
リハーサル大会として島根県身体障害者卓球大会を行いましたが,この大会は大変反省すべき点がありました。それは,せっかくのリハーサルであるのに会場設営が本大会と異なっていたり,当日棄権者が多くタイムテーブルが大幅に狂ったことです。そのためにリハーサル大会後にミーティングを繰り返して行っていきました。
本大会で一番心配したのは雨でした。卓球は室内競技であるにもかかわらず雨を心配したのは,選手控室が会場の外にあり,しかもそこから会場へはテントの下を通って行かねばならないからです。今大会から聴覚障害者バレーボールの種目が新たに加わったため会場が変更になり,狭い会場ではやむを得ない措置でした。しかし当日は心配した雨もなくホッとしました。
身体障害者スポーツ大会の存在さえも知らなかった私たちがこの大会を通じて身体障害者に対する理解を深め,又以上に一度しかできない競技運営に携わることができ,しかも大会が成功のうちに終わったのは喜ばしいことでありました。
体を毛布にくるみ敢然と挑戦!!
島根県アーチェリー連盟 熊野節雄
この風と寒さでは棄権者が出るかも。毛布にくるまった選手の立姿,このままで次の行射を待つ。この反復動作で敢闘した選手の姿が今も瞼に残っています。従来の6本の矢を連続6回発射させるのが良かったなあと思うと,心配になって来たりしました。
然しながら,最後まで選手は真剣に試合をしてくれました。役員も真剣でした。競技会が終り会場がざわめくと,九州の選手団から「今までにない大会で良かった」と褒められ,驚きと同時に安堵し苦労が実ったと思いました。
又皇太子殿下同妃殿下の御臨場も仰ぎ,今回の競技上の特徴も説明でき,色々と御関心を頂いた両陛下の御言葉も賜り感動いたしました。選手団からはアナウンスにもお褒めの言葉を頂き,これ又自他ともに感激しました。特徴と言えば,3射ずつAの立ちBの立ちそれぞれの選手が交互に替って発射する一般の協議会と同じ方法をとりました。色々と議論はしましたが,慣例を打破しハンディのないスポーツアーチェリーと言われるだけに,選手が生涯に一度の参加のためのアーチェリー競技に終わらせないという競技運営の精神で,準備にかかり実行をしました。
記録集計作業にはコンピューター処理を採用し,それが速報板には見事威力を発揮し,役員一同一様に満足しました。
この様に色々な成果がおさめられた競技運営を支えてくれたのは私の心配を吹きとばした,生涯も苦とせず真剣に試合に望んだ選手の態度に負うところ大であったと思います。
ふれあい大会にふさわしいと思いました。一時は役員緊急配備により競技妨害者の排除も競技運営の範ちゅうとは成りましたが,事故もなく競技会を終了することが出来ました。
競技中,観覧者の拍手は思わず選手のうまさをたたえ,遺憾ながら静粛をお願いしましたが,表彰式が終わって,競技者の涙は思わず感動を呼びおこし,そこここにそれぞれ充実感と感激が漂っていました。
コンパニオン,役員の拍手に送られてその人垣の中を退場する選手の姿は自信に満ちていました。
最後に,ふれあい大会アーチェリー競技会を主管しました本連盟のためにお世話頂いた関係各位の絶大なる御協力,担当者の御苦労に深甚なる感謝の意を表し「思い出」の一節とします。
盲人野球競技をふりかえって
島根県ソフトボール協会 白名高
「ふれあい大会」のテーマのもとに「手をつなぎ心をつないでわく力」をスローガンに掲げ,皇太子殿下,同妃殿下をお迎えし,神話のふるさと,そして水の都松江市の湖南中学校グラウンドにとおいて,盲人野球競技が開催され,8チームによる好試合が展開された。
視力障害者というハンディを乗り越え,立派な社会人として活躍しながら,この大会に向って練習に練習を重ね,栄あるブロック代表として参加された精鋭のチームである。2日間の熱戦は強風をものともせず持てる力を十分に発揮し,グラウンドを走り廻る光景,見る者をして感動のルツボにおとし入れるものがあった。表彰式においてメダルを受ける各選手の顔は実に晴れ晴れとしており,その微笑がまぶたに焼きついた。勝敗は別として,全力を尽くした満足感と全国の代表とともに戦った親近感に満ち溢れていた。
選手退場……役員,観衆のおしみない手拍子の内に選手は会場から去って行った。そして大会は成功裡に無事幕を閉じ,関係者の顔に安堵の色が浮かんでいた。
この大会を円滑に運営するためには,正確な判断と機敏な動作を必要とする審判員の養成が急務であり,このためには3年前から技術の練習に取り組んだ。今年2月からは毎日曜日吹雪や雨にもめげず,ルール,審判実技の研修,またチームと一緒になって練習試合を続けた。それでも万全なる大会運営ができるだろうかと心配な面もあった。然し,リハーサル大会,競技役員養成と順調に推移した時点に何んとか自信が持てるようになった。これは,選手の皆さんが毎週県内各地から集り,Vを目指し練習に打込む姿に,われわれも一層頑張ろうと誓い,研鑽を積んだ結果すばらしい大会となった。この陰には,各家庭の奥さまがたの認識と協力によるものであり,感謝に堪えません。
最後に,この競技に懸命なご協力をいただいた,競技役員,補助員等皆さんに心からお礼を述べます。
選手の皆さんは,それぞれの郷里において,立派な社会人として,そしてよき指導者として更に活躍あらんことをお祈りします。
出会い
島根県バスケットボール協会 野津多智夫
第18回全国身体障害者スポーツ大会の開催にあたって,3年前から車椅子バスケットボールの各種講習会で,審判の見習いとして,私は幾度となく指導を仰いだ。これが私のスポーツを志す障害者との出会いであった。バスケットボールを媒体とし,時には彼らと浸食を共にし,酒を汲み交わしながら,夜を徹して語り合ったことは今でも記憶に新たである。彼らの心の豊かさには,未熟な私にとっては,ただ感服するだけであった。私はその感激がさめないうちに,精一杯に職場の生徒に,又同胞に伝え,私自身,彼らとのきずなをさらに確かなものとして,心の中に秘めたものだった。
あのシュートが決った時の,選手の全身をはねあげ,心から喜び合う姿は,今でも私の脳裏に焼きついてはなれない。数々の長い苦難の道を完全に征服し,まさしくスポーツ精神の根底を全うした姿であった。彼らのすばらしい人生を象徴するかのシュートであった。彼らは我々に,いや私に,私の軽薄な心に対する憤りと,これからの勇気を教えてくれた。心から感謝している。
今後,障害者のスポーツが,社会にさらに根強く広がることを念願し,私は島根の車椅子バスケットボールチームが,これを契機に一層強くなることを目指して,彼らと手をつなぎ,頑張っていきたい。
聴覚障害者バレーボール競技会を運営して
島根県バレーボール協会 石橋宣治
滋賀県への視察では主にバスケットボール会場へ足を運んだ。聴覚障害者バレーボール競技は「ふれあい大会」から始まる。視察内容も余りなく,不安材料ばかりであった。是非「くにびき国体」と「ふれあい大会」を成功させたい,させなければならない。運営を任された以上,片手落ちになってはいけないという使命感のようなものがあった。国体終了後1週間で開催という日程はきつかった。どういう内容をどう取りくめばよいのか。競技の運営,役員養成,経費,会場,施設,用具,輸送等さらに行啓など様々な問題がある。これらの中で協会に果せられた課題を県(身障者スポーツ大会実行委員会)と再三にわたり協議を重ねた。そして6月20日,全国大会の中四国地区予選会をリハーサル大会として実施した。3チーム参加という小規模であったが,それなりに成果が得られた。夏期国体が成功裡にに終り「くにびき国体」ムードにやや押され気味になった。しかし,幸い競技会場が勤務先であったことにより,合い間に仕事をすることが出来た。そして国体成功の波により「ふれあい大会」はスムーズに運営することが出来た。天候にも恵まれ多数の観衆の中で皇太子,同妃殿下をお迎えし,すべての面で大会を無事終了することが出来た。
たとえ聴えなくても,コート内ではお互いにはげまし合い,1つのボールを皆んなで必死に追いかける姿にスポーツ本来の意義を見い出した人も多かったと思う。近年心身に障害のある人が増えているという。誰でももっと気軽にスポーツの出来る環境づくりが必要ではないだろうか。大会に参加しなかった人も多くあったと思う。選手の皆さんの今後の御活躍を期待すると共に,大会に寄せられた数々の御支援に対し御礼申し上げます。
2.第31回国際ストーク・マンデビル競技大会
イギリス グッドマン障害者スポーツセンター
昭和57年7月26日~31日 参加32ケ国
選手約500人 役員約250人 計800人
日本選手14人 役員10人 計24人
番号 | 氏名 | 出身地 |
---|---|---|
1 | 中島 雪江 | 東京都 |
2 | 野口 美一 | 千葉県 |
3 | 松永 武夫 | 秋田県 |
4 | 田中 久美 | 長野県 |
5 | 徳永 祐政 | 兵庫県 |
6 | 富田 謙一 | 神奈川県 |
7 | 椎名 光男 | 宮城県 |
8 | 前川 信親 | 名古屋市 |
9 | 角田 好雄 | 神奈川県 |
10 | 中澤 正行 | 神奈川県 |
11 | 照井 寿治 | 埼玉県 |
12 | 木村 淳一 | 大阪市 |
13 | 四塚 康則 | 大阪市 |
14 | 永尾 嘉章 | 兵庫県 |
(註)東京都久保田実男は,出発直前に交通事故により参加不能となった。
車椅子競争
番号 | 役職 | 氏名 | 現職 |
---|---|---|---|
1 | 団長兼医師 | 初山 泰弘 | (国立身体障害者リハビリテーションセンター) |
2 | マネージャー | 井手 精一郎 | (日本身体障害者スポーツ協会) |
3 | コーチ | 藤原 進一郎 | (大阪市身体障害者スポーツセンター) |
4 | コーチ | 射場 義光 | (大阪市立矢田中学校) |
5 | コーチ | 金田 安正 | (国立身体障害者リハビリテーションセンター) |
6 | コーチ | 北村 昭子 | (国立箱根療養所子) |
7 | コーチ | 高垣 勝勅 | (神奈川県総合リハビリテーションセンター) |
8 | 看護婦 | 市村 珠子 | (国立身体障害者リハビリテーションセンター) |
9 | 通訳 | 山岸 行人 | (日本赤十字社語学奉仕団) |
10 | ISMG理事 | 中村 裕 | (太陽の家理事) |
11 | 参与 | 金織 則夫 | (日本自転車振興会) |
日程表
日数 | 月日(曜) | 都市名 | 発着時刻 | 交通機関 | 摘要 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 7月22日(木) | 東京(成田)発 | 22:30 | JL405 | 大型航空機にて,アンカレッジ,コペンハーゲンを経由してロンドンへ (機中泊) |
2 | 23日(金) | コペンハーゲン着 コペンハーゲン発 ロンドン着 ストーク・マンデビル着 |
07:40 08:50 09:25 11:30 |
JL405 専用車 |
着後,専用車にて専用宿舎へ (専用宿舎泊) |
3 | 24日(土) | ストーク・マンデビル滞在 | - | - | 大会出席のため練習及び調整 (専用宿舎泊) |
4~10 | 25日(日)~31日(土) | ストーク・マンデビル滞在 | - | - | 第31回ストーク・マンデビル競技大会出場 (専用宿舎泊) |
11 | 8月1日(日) | ストーク・マンデビル発 ロンドン着 |
午前 | - | 専用車★午前,専用車にてロンドンへ 着後,ホテルへ (ロンドン泊) |
12 | 2日(月) | ロンドン滞在 | 専用車 | - | 終日,ロンドン市内身体障害者との交流及び関係施設視察 (ロンドン泊) |
13 | 3日(火) | ロンドン発 パリ着 |
08:10 10:15 |
JL423 | 午前,日本航空機にてパリへ 着後,専用車にてホテルへ (パリ泊) |
14 | 4日(水) | パリ滞在 | 専用車 | - | 終日,パリ市内身体障害者との交流及び関係施設視察 (パリ泊) |
15 | 5 日(木) | パリ発 | 15:00 | JL426 | 大型航空機にて,アンカレッジ経由帰国の途へ (機中泊) |
16 | 6日(金) | 東京(成田)着 | 15:35 | - | 着後,空港ロビーにて解団式 |
競技記録
成績
金メダル…4 銀メダル…3 銅メダル…2
計…8
入賞者
100 m木村5位(21″20)中澤5位(23″70)田中6位(25″70)
200 m木村4位(41″60)中島5位(4′5″90)田中4位(47″10)
400 m木村5位(1′35″00)照井(6位(1′38″60)中島5位(1′38″40)田中5位(1′59″70)
800 m木村4位(3′08″40)田中4位(4′16″90)
1,500 m木村5位(6′12″10)照井(6′45″50)中島3位(6′46″50)
5,000 m中島2位(20′31″00)
スラローム木村1位(1′04″10)照井4位(1′07″80)永尾1位(51″90)中澤1位(51″30)中島1位(1′04″80)田中3位(1′09″10)
ローンボール(ペア)中島・田中2位(3対28)
バスケットボール(Aグループ:日本,イスラエル,スウェーデン,イギリス)4位(0勝6敗)
木村,角田,照井,椎名,中澤,野口,松永,徳永,富田,前川
(Bグループ:オーストラリア,ブラジル,南アフリカ,ノルウェー)
- | 日本 | イスラエル | スウェーデン | イギリス |
---|---|---|---|---|
負 | 46 | 63 | - | - |
負 | 61 | - | 74 | - |
負 | 56 | - | - | 74 |
負 | 47 | 73 | - | - |
負 | 51 | - | - | 68 |
負 | 60 | - | 79 | - |
第31回国際ストークマンデビル競技大会選手団報告
概要報告及び会議状況
(概要) 団長初山泰弘
- 大会出席者など
参加国32ケ国
選手数550 名 役員約250 名 計約800 名
各種委員会
○団長会議
○medical committee
○technical committee (競技種目別)
○medical sport association
○ストークマンデビル病院に於ける脊損の管理法の紹介(講義)
○ストークマンデビル病院,脊損ユニット見学 - medical committee (医学委員会)(別記)
7月28日(P.M.2:00~4:00)- Identitycard(証明書)
案提示,3年間継続
Qualified examinen
12月クリスマス会議
(ISODとの関係) - Technical Committee との関係
- JACOB Van Der
MASSのmemorial - winter Sport
- medical classification
切断者-バスケットボールに組み入れ決定。
(Dr.Strohkendleの分類法の導入)
切断者の範囲,新分類によるクラス分けの時期などは不明。
ゴールドカップ(1983年カナダ)との関係。 - minimal disahilily(軽症例)拡大する方針で……。
脊損61点以上,ポリオ50点以上 - その他
喫煙,ストラッピイング,世界記録の再チェック。
McCannからの要望
- Identitycard(証明書)
- medical sport association (別記)
7月29日(p.m.7:00~9:00)- 概要説明
- クラス分類Dr.Strohkendleの分類
- 今後の方針
- technical committee
- 基本方針Exzective Committee の役割。
- 従来の基本線
脊髄麻痺者の社会復帰のためのスポーツ - Wheel Chair Userのためのスポーツ
- 車椅子競技大会
- 切断者のバスケットボールへの参加
- 軽症例の参加
- 分類法の再検討
- 新分類法の導入(Dr STROHKENDLE)
- 従来の6段階を拡大
- 車椅子の改造
スポーツ用→競技別車椅子
記録重視の方向。 - 検討を要する点
○基本方針,a,b,c
○分類法と障害別参加範囲(ISODとの関係)
○車椅子の改造
○その他
- 従来の基本線
〔概要報告〕
1.medical committee
2.medical sport accociation
3.医療班報告
4.ローンボールに関する協議会
5.付図(競技場見取図)
◎医学委員会(medical committrr )報告(初山)
7月28日 pm. 2:00~4:00pm.
(Prince Margriet Hause 内会議室にて)
出席Dr McCann,Dr Grant以下12名
- Dr McCann より日本医師初山が初めて出席と紹介。
- Identity card (証明書)の件
Dr McCann よりIdentity card のひな型が提示される。10×5㎝大で写真,クラス別,等の項があり,3年間利用出来る様にしたい。
有資格の医師のサインが必要。
クリスマス会議にかけ決めたい。
有視覚検査医師団のバッチを作る。
質問 : ISMGF用のはか,ISODとの関係はどうするか。
個人的に連絡をとり調整したい。
有資格の検査医師を追加する。
(medical check 用) - Technical Cammiteeとの連絡。
調整に努め,医学面からの助言をする。
各競技種目毎に医学委員会から医師を送る。
例 アーチェリー Dr Tricot(ベルギー)
バスケット Dr Ohry
卓球 Dr Mennicke(ドイツ) - JACOB VAN Der MASSの追悼について
- Winter sport
来年はなんとか進めたい。
winter sportに興味ある医師はいないか。 - 医学分類について(medical classification)
バスケットボールに切断者を入れることになったため分類について混乱しているが,従来の方法にDr Strohkendleの分類法を加へ十分時間をかけて検討したい。
各委員にアンケートを送るので意見が欲しい。
クリスマスの会議には提出したい。
Dr Grant急激な変更は避けるべき,クリスマス会議で検討してはどうか。
Dr Strohkendleの案は1975~1977年にかけて提案されたが放置していた。バスケットボールが取り上げることになるであろう。
進行性の病気については,現在対象とする考えはない。(例 進行性筋萎縮症など) - 軽症例(minimal disability)に対して。
従来は脊損61点以上ポリオ51点以上は出場出来なかったが,取り入れる方向で検討する。
U.S.Aでは点数制限はない。
Dr性不明,70点までクラス4として入れている。それ以上は健康人と同じだ。 - 喫煙(Smaked rule )について
特に室内競技については規制する。
(アルコールについては医学的問題というよりpolicyの問題なので本委員会は触れない。) - strapping
現在は医学的な問題に関してのみ記入する。 - 世界記録:新しい参加者,特にT10前后の不完全損傷(クラス3~4)について慎重に再チェックする。
以上の結果をmedical council のメンバーで検討し報告書を作成する。
以上
[追記:委員会終了後,委員長Dr.Mccann に呼ばれ,委員会の内容を理解出来たかどうか,現在迄の経歴について質問を受ける。
Dr.Mccann より,選手のチェックが大変忙しいので是非協力して欲しい。そのためには開催日の数日前に来てチェックに参加して欲しいとの申し入れがあった。
これについては確約は出来ないが,努力する由回答をしておいた。]
◎medical sport Association (初山)
7月29日(木)pm. 7:00~9:00pm.
於Floyd Auditorium Postgraduatc Ceatre Stoke Mandeviulle Hospital
出席(初山,藤原,金田,北村,市村)
司会 Dr.McCann
sport medicineについてmedical commitee, technical commite, exzective committee, 医師,看護婦,コーチ,訓練士すべてが加わった協議会としたい。
課題または対象として
- 研究(臨床器具)高速フィルム,バイオメカニクスetc
- 生理学的面:エルゴメーター,神経筋活動の分析
- 予防と治療:強さ,耐久力などの訓練方法の開発
- 全身管理:(最近はスポーツ心理学も盛んになって来ている)
- クラス分類
(A)ISMGF System,CPISRA
(CP International sport recreatiomal Association)
(B)Heteocgenous(異なった障害)
(切断,CP,麻痺,その他)
頸損を除いた脊損についての分類の比較。
現行のクラス分類 | STROHKENDLEの分類 | |
胸髄2~胸髄5 | 2 | 胸髄2~胸髄8(4段階分類) |
胸髄6~胸髄10 | 3 | |
胸髄9~腰髄2 | ||
胸髄11~腰髄2 | 4 | |
腰髄3~腰髄4 | 5 | 腰髄3~腰髄4 |
仙髄1~仙髄2 | 6 | 仙髄1~仙髄2 |
理由:100ダッシュ,砲丸投げ,円盤投げの成績を分析すると第9胸髄を境として変化している。
体幹バランス検査法(スライド)
- 座位での回旋(T5~T8)
- 前屈位からの伸展(chest downからのextension )
(両手を伸展して……下位腰背筋の検査) - 頸に(後頭部)手を当てて起す。
- 躯幹の回旋:床のボールを持ち上げ頭上をクロスして反対側に置く。
(円転筋のトッツク運動に注意)
討議○完全麻痺と不完全麻痺についてどうするか
(USA ブルーム)
自分は14年間脊損,10年間本大会に出場しているが訓練の良い指導書がない。
クラス4に入っているがクラス5の分類で出場しメダルを取っている。
クラス6の出場に入っているかクラス5の分類で出場しメダルを取っている。
クラス6の出場分類も作って欲しい。
(車椅子使用者)
検討して70点位まで認める様にしたい。
胸髄5を境として心肺機能が可成り異なること無視してはならない。
討議の結果
この様な会議を毎年開催したいので職種に関係なく興味のある人々は参加して欲しいとの要請があり終了。
この他,スポーツ外傷に依る脊損の発生率に関する簡単な報告あり。
◎医療班報告(初山,市村)
成田空港を発し帰国する迄に要した医療は件数延62件である。
その内訳は次の通り示される。
- 飛行機中気分悪くトラベルミン投与→軽快1件
- 7月24日午后より前川(ポリオ)発熱,39.0℃悪感,抗生物質投与を行うも効なく高熱継くため5%糖液500㏄点滴する。3日平熱となり軽快28日より出場する。
- 褥創形成のため連日包帯交換を要した者4名(徳永,四塚,中島,照井)
- 7月29日中島,足背趾部に火傷(第2度)処置を行う。
- その他風邪,下痢各2件,外傷2件などであった。今回は気候が低く炎天下の競技が殆ど行われなかったためか,泌尿器系の障害を訴える者が少なかった。
使用薬剤の主なものは
抗生物質(シンセベン,アクロマイシン5)
下熱剤(PL)
整腸剤(内ビオ,その他)
鎮静剤(トラベルミン)
その他(ビタミン剤…………
外用薬(レスタミンコーチゾン軟膏)
(シッカニン水)
(湿布剤)
消毒薬(ヒビラン,アルコール)
(包帯材料が少々不足,逆にカテーラル等は今回殆ど用いられなかった。)
障害等級区分の変遷について
日本身体障害者スポーツ協会医学委員会委員長
(国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所長)
初山泰弘
毎年開催される全国身体障害者スポーツ大会には多くの障害者が一堂に集まる。これらの障害者が互いに対等の立場で覇を競うことができるように障害の種類・程度により出場種目が細かく区分されている。この障害区分は,身体障害者競技規則集の中に盛り込まれている。我が国の競技規則は1964年東京パラリンピック開催に当って国内向きに制定されたものであるが,その後の競技大会の発展と共に内容も変わり現在までに10回におよぶ訂正または修正が行われている。この障害区分の判定は関係する医師の大切な役割の一つである。
切断者のように外形から判断できる例は比較的簡単であるが,脊髄麻痺者のように個々の障害レベルの異なる場合には,出場前にひとひとり判定しなければならない。車椅子バスケットボールは,選定の損傷レベルによってここの持ち点が決まり,試合する5人の合計点数が常に11点以下と規定されている。このためとくに障害区分の判定は慎重に行うように努めている。
以前は,全国大会開催の前日は出場選手の障害判定のため医師団は手分けしてかく県選手の宿舎を廻っていた。宿舎が分散した場合や,選手団の到着が遅れるとこの判定が深夜にまでおよぶことがあった。判定の結果,合計点数がオーバーしたためチームが組めなくなり監督に泣きつかれて“本年限り”と目をつぶった事や,優勝チームの選手に対して判定が甘いと他チームから苦情が持ち込まれることも幾度があった。大会の出場選手が増えるに従ってこの方法は,物理的に手が廻らなくなってきた。
幸い車椅子バスケットボール連盟は,国内でもいくつかの競技大会を開くようになり,出場選手も前もって障害判定を受ける機会が多くなってきた。この時点で症状が固定したと判定された選手に判定カードを持たせる体制が整ってきた。
このためわれわれ医師団の大会前の判定は,新しい参加者および症状の不安定な車椅子をチェックすればよいことになり,大変らくになってきた。
国際大会でもこの障害区分の判定はひと仕事で,これを円滑に進めるために,国際ストーク・マンデビル競技大会でも再度出場者に対しては,3年間フリーパスの制度を取り入れ始め,57年度の大会でオランダのパラリンピックに出場した日本選手に対してこのフリーパスの特権が与えられた。
国際大会に出場する機会が増えるに従って我が国の障害区分も徐々に国際規則に近づきつつあるが,脳性麻痺の区分はなお基本的に異なっている。国際大会では,脳性麻痺者をA,B,C,Dの4クラスに分け軽症のC,D,2クラスのみ出場が許されている。この点わが国の区分の方がふ簡明で優れていると思われる。
近年障害者スポーツが盛況になるにつれて軽症者を参加させようとする傾向が内外とも強まってきておりこれに対応するため障害区分の改正の動きが活発となっている。競技に活気を与え観客にアピールする意味では効果があるかもしれない。しかしこの傾向は強まり重度障害者の出番が狭められるようになっては身体障害者スポーツの基本理念に惇ることになる。
より多くの身体障害者が参加できるようにまた公正な判定が行なわれるように障害区分の変遷を見守っていきたいと思っている。
(参考)選手14名中脊損11名 ポリオ3名であった。
◎ローンボールに関する協議会
Lady Guttmann's Bowls Center
7月30日 4:30~5:00pm. (出場初山)
英国,アイルランド,日本,スエーデン,デンマークより出席
- ローン・ボール競技に人気がない。競技を発展させるために良い意見を出して欲しい。
最初に各国の現状を話す
- デンマーク
一般的でなく,障害者を中心に屋外で行っている。
屋内ではカーペットをしいて行う。 - 日本
極く限られた範囲内,障害者の訓練用として利用。
競技会はない。 - アイルランド(早口で十分聞きとれず)
比較的広く行われている。但しどうしても卓球が中心になってローン・ボールは二の次になってしまう。 - スエーデン
行われているが,スエーデンは現在,良く似ている競技でボッチヤーゲームがより一般的である。
一度機会があれば紹介したい。
討議として
- ローン・ゲームの一般化している国同士で国際競技を行う。(フランスなども加える。)
- 握力の弱い頸損用により小さい軽いボールを使用してはどうか。(デンマーク)
- 男子,女子の混合ペア,または国同士の競技でなく各国で個人ではどうか,例えばスエーデンの男子と日本の女子がペアとなるなど。(スエーデン)
国際大会では無理との意見あり。 - ローン・ボールが理解し易い解説書なり指導書なりあれば紹介して欲しい。(日本)
(追記 これに対しては,31日,英国より一冊寄贈される。) - やはり興味あるかが大切だ,日本選手は最初だというが本当か,試合後の感想は。(イギリス)
- 最初の者が殆んどだ。コーチも大変興味を持っている。(日本)
- 最初とすると大変良い素質を持っている。来年も是非出場して欲しい。(イギリス)
来年も多数の参加を期待するという(司会者)ことで散会。
Stoke Mandeville Sport Stadium
Stoke Mandeville Sport Stadium
車椅子競争
主題:
創立20年史 No.28
発行者:
財団法人日本身体障害者スポーツ協会
発行年月:
昭和60年3月31日
文献に関する問い合わせ先:
〒162
東京都新宿区戸山1-22-1
戸山サンライズ内
TEL 03-204-3993