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THE TOKYO GAMES FOR THE PHYSICALLY HANDICAPPED

PARALYMPIC

TOKYO 1964

パラリンピック 国際身体障害者スポーツ大会 写真集

No.4

バスケットボール

 11日午後、皇后陛下がはじめて会場においでになり、皇太子ご夫妻の御案内で、日本対イギリスのバスケット・ボールやアーチェリーをごらんになった。
は皇后さまを中にご親子でご観戦中の皇太子ご夫妻。上右は次の会場に向わせられる三殿下。下左は、拍手をもってお迎えするイギリス選手。下右は試合前の練習をするアメリカチーム

上は皇后さまを中にご親子でご観戦中の皇太子ご夫妻。下右は次の会場に向わせられる三殿下
拍手をもってお迎えするイギリス選手 試合前の練習をするアメリカチーム

 バスケットボールは、車イスの操作とスピードと変身の訓練になる。1チーム5名、各国2チームが出場する。屋内と屋外の2つの会場で試合が行なわれた。
ルールは多少変更されているにすぎない。完全マヒと不完全マヒチームに区別されて競技が行なわれ、交代は7名まで認められる。

アメリカ対イギリス 日本対イタリア
イギリス対日本で、戦い終って互いに握手

 上左、日本対イタリア。上右、アメリカ対イギリス。はイギリス対日本で、戦い終って互いに握手。なお、ゲームはスコア(41対20)の示すように、日本の負けであるが、車イスゲームに日の浅い日本としてはよく健闘したといえよう。

屋外バスケットボールコートで熱戦を展開中のイスラエル、イタリア、両国チーム
“シュート”ゴール前で健闘中の日本選手 はげしいボールの応酬

 、屋外バスケットボールコートで熱戦を展開中のイスラエル、イタリア、両国チーム。下左、“シュート”ゴール前で健闘中の日本選手。下右、はげしいボールの応酬。

 バスケットボールは、かなりスピーデーなゲームで、ときには車椅子がひっくりかえりそうになることがある。そういうときには、敵味方の別なく、近所にいる選手がおこしてくれる。日本は関東労災チームと大分県チームが出て、アメリカ、イギリス、イスラエル、フィリッピンなどと善戦したがおよばなかった。

試合前フェアプレーを約束する、日本、アメリカ、両国選手達
フリースローを与えられた日本組
落車したアメリカトーマス選手にかけよる係員 試合前、車イスの調整

 、試合前フェアプレーを約束する、日本、アメリカ、両国選手達。、フリースローを与えられた日本組。下左、落車したアメリカトーマス選手にかけよる係員。下右、試合前、車イスの調整

重量あげ

 ウエートリフティングは、胸と両腕の筋肉をつよめ耐久力をつける。ヘビー級、ミドル級、ライト級、フェザー級にわかれて行なわれる。日本の選手はフェザー級にだけ出場している。選手は特別の訓練をうけたもので、心電図などの検査をして医師の出場可能である診断書を提出しなければならない。
仰向けとなったままの選手は、腕だけの力でぐっとバーベルをもちあげる。盛りあがった胸と緊張する両腕の筋肉、観るもの思わず息をのむ。ウエートリフティングは大会の圧巻であった。

ウエイトリフティング会場、試技中の選手はイギリスのロング選手 上、技前の精神統一、神に祈る?フランス選手。その下“エイッ”とばかりに一気にバーベルを押し上げた瞬間
日本、米山喜代寿選手が試技成功の一瞬

 、ウエイトリフティング会場。試技中の選手はイギリスのロング選手。下左、日本、米山喜代寿選手が試技成功の一瞬。右上、試技前の精神統一、神に祈る?フランス選手。その下“エイッ”とばかりに一気にバーベルを押し上げた瞬間。

上、参加人員1人というフィージーのナカタブラウンター選手の力のこもる試技、(ミドル級5位入賞)。下、歯をくいしばっての奮闘 満員の観衆に見守られながら試技するオーストラリア選手
順番を待つあいだも声援、拍手をする各国選手達

 上右、満員の観衆に見守られながら試技するオーストラリア選手。左上、参加人員1人というフィージーのナカタブラウンター選手の力のこもる試技、(ミドル級5位入賞)。左下、歯をくいしばっての奮闘。、順番を待つあいだも声援、拍手をする各国選手達。

スヌーカー

 スヌーカーは精神の集中と力の協調によい。英国式の撞球台で22の球(赤15、黒、ピンク、青、褐、緑、黄白の各1コ)を1セットでポケットに入れる競技で、日本選手は参加していない。

上、スヌーカー会場、試技中のアメリカ、ベセラ選手(2位)。下、妙技を見まもる観客
玉を見る真剣な目。イギリス、シェルトン選手(1位) マルタのポルテリ選手(4位)

、スヌーカー会場、試技中のアメリカ、ベセラ選手(2位)。、妙技を見まもる観客。下左、玉を見る真剣な目。イギリス、シェルトン選手(1位)。下右、“あ・うん”の呼吸の“あ”でキューを突き出すマルタのポルテリ選手(4位)

卓球

 卓球は、車イスの操作と臨機応変の素早い動きや注意力などを身につけさせる。シングルスとダブルスの2種類があり、車イス選手のためのルールがある。卓球は日本のお家芸で、はじめから期待されていたが、そのとおり男子シングルスで2位(山崎武範選手)3位(大塚一成選手)、男子ダブルスで1位(猪狩、渡辺選手組で、これは本大会で唯一の日本獲得の金メダル)、女子ダブルスでも3位(小笠原、井上選手)が入賞し強味を発揮した。

 常陸宮ご夫妻は、10日午後、国立屋内総合競技場本館においでになり、日本選手が出場する卓球を熱心にごらんになり選手のファインプレーに拍手をおくられた。

卓球を観覧される常陸宮ご夫妻、バックで応戦するのはオーストリアのクーネル選手(B級1位)
対戦中の日本、渡部藤男選手 対戦中の外国選手

 、卓球を観覧される常陸宮ご夫妻、バックで応戦するのはオーストリアのクーネル選手(B級1位)。下左、対戦中の日本、渡部藤男選手(渡部選手は猪狩選手と組んでダブルスで金メダルを獲得した)。、対戦中の外国選手。

 卓球は、日本のお家芸、入賞可能の一つとして期待され、見物したいという希望者も相当多かったが、会場の関係で、僅かな入場者しか収容できず、関係者を残念がらせた。

卓球の会場、自国の選手を応援するアルゼンチン選手たち
奮戦する日本戦手 混合ダブルスで楽しそうにプレーする外国選手たち

 、卓球の会場、自国の選手を応援するアルゼンチン選手たち。下左、奮戦する日本戦手。下右、混合ダブルスで楽しそうにプレーする外国選手たち。

すばらしいサーブを見せるイギリス選手
男子シングルスC組3位となった大塚一成選手のスマッシュ 奮戦中のママさん選手小笠原文代選手
左、ダイナミックに打ち返すイギリスのブライアント選手。右、上品に打ち返すオーストリアのサマーソファー選手

 、真剣な表情の選手たち、すばらしいサーブを見せるのはイギリス選手、中左、男子シングルスC組3位となった大塚一成選手のスマッシュ。中右、奮戦中のママさん選手小笠原文代選手。
下左、ダイナミックに打ち返すイギリスのブライアント選手。下右、上品に打ち返すオーストリアのサマーソファー選手。

フェンシング

 フェンシングは、素早い変身と体幹の訓練になる。フルーレ、エペ、サーブルの3種がある。フルーレ(突のみ)は男5本試合6分、女4本試合5分、エペ(突のみ)は5本試合6分、サーブル(突きときり、裏刃きり)は5本試合6分で、各種目とも個人と団体がある。日本選手はサーブルだけに出場した。

 非常に動きの早い競技で、長い訓練と技術が必要なので、当初から日本選手の入賞はあきらめられていたが、国立箱根療養所の青野、原沢、斎藤の3選手が、よく敢斗して団体2位に入り、人々をおどろかせた。

フェンシング会場 団体優勝したイタリアチーム(中、トーソー選手。左右がモナコ姉妹選手)
対戦中のイタリア、エ、モナコ、アメリカ、ウォーターマン、両選手

上左、フェンシング会場。上右、団体優勝したイタリアチーム(中、トーソー選手。左右がモナコ姉妹選手)、対戦中のイタリア、エ、モナコ、アメリカ、ウォーターマン、両選手。

フェンシングの試合の様子 フェンシングの試合の様子
フェンシングの試合の様子 フェンシングの試合の様子

 フェンシングは、貴族的騎士的なふんいきをただよわせる。
白いヨロイをつけた剣士が、細長いフェンシングを光らせて、虚々実々のたたかいを交える姿は、観るものを16世紀の時代にさそいこんでしまう。選手たちは、車イスを、自分の1部のように自由自在に操って妙技をみせたが、伝統をほこるイギリス選手が案外にふるわなかった。

フェンシングでは礼儀が大切
               フェンシングでは礼儀が大切
フェンシングでは礼儀が大切

 、“軽い気持でやりましょう”、“お互にがんばりましょう”、“フェアプレーでいきましょう”。…フェンシングでは礼儀が大切。

アメリカ、コックス選手対、イタリア、トーソー選手の熱戦
ドイツ、モース選手 コーチから作戦を授かるアメリカ選手
左、日本のお茶を飲む選手。右、戦い終わってまずいっぷく、イギリスのトーマス選手

 、アメリカ、コックス選手対、イタリア、トーソー選手の熱戦、中左、ドイツ、モース選手。中右、コーチから作戦を授かるアメリカ選手。下左、日本のお茶をいただいて、ゆっくり観戦しましょう。下右、戦い終ってまずいっぷく、イギリスのトーマス選手。

水泳

 水泳競技は、第2日目の9日から、第6会場、都立屋内水泳場で行なわれた。水泳は、浮力を利用して、上半身の筋力の調整、強化に役立つ。男女それぞれマヒの程度によって、25m、50m、平泳、メドレー、仰向自由型、俯伏自由型の6種が行なわれた。
男女ともアメリカ、イギリス選手の活動が目立ち、ついで女子ではアルゼンチンが良い成績をあげた。日本選手は、あまり期待されていなかったが、完全マヒ50m仰向自由型で青野繁夫選手が2位に入り、完全マヒ50m俯伏自由型では3位に牧岡節善選手、4位に丸岡正宗選手、同3級では4位に原沢茂夫選手、完全マヒ50m平泳では4位に磯崎吉蔵選手、5位に丸尾正宗選手、馬尾神経マヒ50m俯伏自由型の4位に青野繁夫選手がそれぞれ入賞し、水泳日本のため大いに気をはいた。

スタート位置についた各国女子選手たち 背泳の力泳
水泳場のコース全景。自国の選手をプールサイドで応援する選手たち
クロール 力強いフォームで力泳する女子自由型選手

 上左、スタート位置についた各国女子選手たち。上右、背泳の力泳。、水泳場のコース全景。自国の選手をプールサイドで応援する選手たち。下左、クロール。下右、力強いフォームで力泳する女子自由型選手。

コース全景、力泳中の各国選手 日本選手も力泳
プールサイドに陣取ったアルゼンチン選手たちの熱烈な応援
左、ゴール寸前のタッチ。右、ゴールインして、相手の健闘をたたえあう選手たち

 上左、コース全景、力泳中の各国選手。上右“日本選手も力泳”、プールサイドに陣取ったアルゼンチン選手たちの熱烈な応援。下左、ゴール寸前のタッチ。下右、ゴールインして、相手の健闘をたたえあう選手たち。

プールサイドに高鳴る拍手

 50mの屋内プールをはさんで、選手と観衆がいっぱい。競技が行なわれるたびに、さかんな拍手がおこる。しかし、その拍手も、オリンピックのように世界新記録が出たからとか、接戦をくりひろげたからというのではなく、選手の敢斗、努力をたたえる拍手ばかりである。タイムは問題でない。選手の不屈さに対する拍手である。

背中の手術跡もいたいたしいイタリアのマルティーノ選手 健闘をたたえあって握手をする選手
プールサイドで談笑する各国女子選手たち

 上左、背中の手術跡もいたいたしいイタリアのマルティーノ選手。上右、健闘をたたえあって握手をする選手。下左下右、プールサイドで談笑する各国女子選手たち。

 車イスの選手と水泳、はたして泳ぐことができるのだろうかと思う人も少なくなかろう。もちろん、オリンピックのように、水しぶきをあげて分秒をあらそうというような水泳ではない。介添えに抱きかかえられて水にはいり、浮かんだままの姿でスタートする。
つねに、介添えが警衛してついてゆく。したがって、胸と手だけの水泳であるから非常に疲れるし、これはスピードというよりもむしろその距離をほめるべきだろう。

介添えのたすけをかりてプールに入るオーストラリア選手 介添えに励まされてスタートへ
スタートラインにつかまって、イタリア選手。下右、ゴールイン(重軽髄25m。後泳は警衛者)

 上左、さあ、プールへ。介添えのたすけをかりるオーストラリア選手。上右、“頑張って!介添えに励まされてスタートへ。下左、スタートラインにつかまって、イタリア選手。下右、ゴールイン(重軽髄25m。後泳は警衛者)

ともに励ましあって

 身障者の水泳では、とくに介添え役がたいへんであることが予想された。東京パラリンピックでは、この協力を“東京都水泳協会”が担当、約80名の役員、審判、助手、奉仕者などを動員した。写真は、そうした介添え役のプールサイドにおける活躍風景で、文字どおり、手をとり足をとっての介添えである。

介添えを担当した東京都水泳協会の活躍 介添えを担当した東京都水泳協会の活躍 介添えを担当した東京都水泳協会の活躍

表彰

 パラリンピックの表彰は、オリンピックのように1競技毎に行なわず、まとめて表彰式を行なった。(最終回には例外あり)。式場は国立総合競技場本館をあて、表彰台は車イスでものぼれるように、スロープの尾をつけた凸字型の段である。表彰式はオリンピックと同じで、まずパラリンピック・ファンファーレに続いて優賞者にそれぞれ金、銀、銅メダルがおくられ、国旗掲揚、国歌吹奏をするもの。

洋弓(団体)の1位ローデシア国旗掲揚 メダルをおくるグ博士 水泳第5級の銀メダル受領の青野選手代理(磯崎選手)

、優賞者の栄誉をたたえて国旗掲揚。これは洋弓(団体)のもので1位ローデシア。日本はこのとき3位に入賞(松本、安藤)、はじめて日の丸を揚げた。(右ページ右上がそのときのもの)。は、メダルをおくるグ博士。は、水泳第5級の銀メダル受領の青野選手代理(磯崎選手)。

自衛隊による優賞国歌吹奏 はじめて日の丸あがる(洋弓団体3位同位)
泳メドレーリレー表彰、1位アメリカ2位ローデシア3位イスラエル 優賞者にメダルをおくり、握手をする葛西会長

 上右、はじめて日の丸あがる(洋弓団体3位同位)。上左、自衛隊による優賞国歌吹奏、下左、水泳メドレーリレー表彰、1位アメリカ2位ローデシア3位イスラエル。下右、優賞者にメダルをおくり、握手をする葛西会長。

パラリンピック(第1部)の入賞者に与えられる金、銀、銅3種のメダルは、SMG本部から提供された。表には国際ストーク・マンデビル競技大会と1964年東京大会の文字をきざんだ共通のものであるが、裏には種目毎に、それぞれの競技を示す絵と文字が入っている。このメダルは、イギリスの身体障害者がデザインし、ハンドマシンを使ってほったものである。参加章は日本側が提供した。

表彰台の上でお互いに健闘をたたえあう入賞者 パラリンピック優賞メダル
表彰台の上でお互いに健闘をたたえあう入賞者 パラリンピック優賞メダルを示すアメリカ選手

 写真上左下左は、表彰台の上でお互いに健闘をたたえあう入賞者。上右は、パラリンピック優賞メダル。下右はそれを示すアメリカ選手。

お互いに金、銀、銅のメダルを見せあう入賞者 円盤投げD級2位のアルゼンチン(コチェッティさん)
それぞれメダルをおくられて大喜びの入賞者たち

 上左、お互いに金、銀、銅のメダルを見せあう入賞者。上右、最終日は閉会式との関係からフィールドで行われた表彰式、これは円盤投げD級2位のアルゼンチン(コチェッティさん)。、それぞれメダルをおくられて大喜びの入賞者たち。

選手村スナップ

 代々木の選手村は、もとの代々木っ原に、進駐軍の住宅が建ち、そのあとをオリンピックの選手村に使い、その選手村の建物をパラリンピックが借りて、選手を収容することになったもので、代々木の森の木立ちにかこまれた静かな環境である。約50ヘクタールの広さで、103戸の建物に分宿した選手は、車イスのためのつくられたスロープを伝って、構内を散策したり、娯楽場や食堂に行って、仲間と談笑し、静かに一日をおくる。
なお、選手村内の業務に従事した人員は、第1部、第2部合計16日間で、延5278人におよんだ。

朝のロンドン通りを散歩する外国選手
日本の新聞に載った自分たちのニュースを説明して貰うイギリス選手 上、東京広場前でフィジー選手に記念スナップをしてもらうイタリア選手。下、宿舎前で記念写真を撮るフィリッピン選手団

 、朝のロンドン通りを散歩する外国選手。左下、日本の新聞に載った自分たちのニュースを説明して貰うイギリス選手。、東京広場前でフィジー選手に記念スナップをしてもらうイタリア選手。右下、宿舎前で記念写真を撮るフィリッピン選手団。

朝の散歩をするイギリス選手 宿舎前で、日光浴を楽しむイギリス選手
中央食堂へ行くドイツ選手たち 本部前のロンドン通り。左手に中央食堂があり、道の奥が原宿ロゲート

 上左、朝の散歩をするイギリス選手。上右宿舎前で、日光浴を楽しむイギリス選手。下左、中央食堂へ行くドイツ選手たち。下右、本部前のロンドン通り。左手に中央食堂があり、道の奥が原宿ロゲート。

語らいも楽しく

パラリンピックの一つの大きな目的は、全世界の同じような境遇にある者たちが、一堂に集り、国境を越えて交歓することである。
もちろん、どの選手たちをみても、この“交歓”のひとときがいちばん楽しそうである。

村内巡回バスに乗って中央食堂へ
食堂 テラスで親しくなつた給仕さん(東洋大短期生)たちとお互いの国語を教えあう 中央食堂へのスロープ、ブリッヂ
食堂のテラス

 、村内巡回バスに乗って中央食堂へ。中右、中央食堂へのスロープ、ブリッヂ。中左、食堂 テラスで親しくなつた給仕さん(東洋大短期生)たちとお互いの国語を教えあう。、食堂のテラス、向うに屋内競技場の屋根が見える。

 村内中央食堂(富士)は調理業務を日本給食指導協会に委託し、配膳などのサービスは、東洋大学短期大学が担当した。なお、衛生方面は東京都衛生局が支援した。ちなみに、選手の給食材料費は、普通の倍を見込んだものであった。
写真は食堂内の給食風景と配膳風景

食堂内の給食風景
食堂内の給食風景と配膳風景

このひとときを忘れ得ず‥

 選手の交歓の場であるインター・ナショナルクラブには楽器、飲みものなどをおいて娯楽と休息がとれるように配置された。毎日のように大学生や職場の軽音楽クラブが奉仕的に出演して、選手たちをなぐさめ、ともに歌い、ともに語りあって、たのしいひとときをすごした。

大学生のハワイアンバンドの慰問
腕に自信のある選手は自ら舞台へ 女優マジョリ・グレイナーさんら6人と葛西会長や、寺田、堀場企画委員

 、大学生のハワイアンバンドの慰問。下左、腕に自信のある選手は自ら舞台へ。下右、折から東京の日生劇場“ウエストサイド物語”に出演中の女優マジョリ・グレイナーさんら6人が、寄付金をもってパラリンピックを慰問。美女連にかこまれた葛西会長や、寺田、堀場企画委員もすつかりゴキゲンの様子。なお、背景になっている大型扇は、小児マヒの大学生加藤裕泉さんが届けてくれたもので、世界の郵便切手1万24枚をはりつけて作ってある。これは、インターナショナルクラブに飾られて選手たちを慰めた。

舞台から見たクラブの中 アルゼンチンタンゴの郷愁がながれる
左、めいそう的なピアニスト、右、夜も更けたロンドン通り

 上左、舞台から見たクラブの中。上右、アルゼンチンタンゴの郷愁がながれる。 下左、めいそう的なピアニスト、この人の前身は何であったろうか。下右、夜も更けたロンドン通り、食堂の燈だけが明るい。

結ばれる心と心…

 パラリンピックの、目的の一つは、世界の身体障害者が、スポーツ大会を通じて、親しくなり、仲よくなることである。同じからだの不自由な人々が、一カ所につどって、いたわり、理解し合うことである。言葉はちがい、皮膚の色はちがっていても、人間として、希望し、期待するものは同じである。いっしょにたたかい、いっしょに歌い、たのしむところに、言葉を必要としない、心と心の結びあいがうまれる。

ドイツチームと合唱する自衛隊支援群隊員 さっそく友だちになった女子学生奉仕者と選手たち インターナショナルクラブで日本選手も楽しく談笑

、ドイツチームと合唱する自衛隊支援群隊員。、さっそく友だちになった女子学生奉仕者と選手たち。、日本選手も楽しく談笑、インターナショナルクラブで。

おもわずイスから立ちあがって身振りするイスラエル選手
ともに唄って楽しむ選手たち イタリア選手の生きるよろこび

 、おもわずイスから立ちあがって身振りするイスラエル選手。下左上下ともに唄って楽しく。下右、イタリア選手の生きるよろこび。

感動の閉会式

 閉会式は12日午後5時から、第3会場(屋内競技場別館)で行われた。まず、会場のライトが消され、ファンファーレとともに再び照明が明るくなると、大会名誉総裁、皇太子殿下ご夫妻がご到着(写真上)つづいて22カ国の国旗がさかんな拍手によって入場(写真上)。つづいて女性合唱隊百名(上野学園大生)のパラリンピック讃歌が感動的に流れる。
やがて、美智子妃殿下がフロアに降りられて、競技の優秀チーム代表にそれぞれトロフィーを授与された。
つづいて、葛西会長ならびにグットマン博士のあいさつがあって、大会旗の降納。さらに次期開催国メキシコの紹介があって、やがて“螢の光”が会場を流れると、その感動はきわまった。

22カ国の国旗がさかんな拍手によって入場 大会名誉総裁、皇太子殿下ご夫妻がご到着
一同に集まった各国の選手たち
パラリンピック讃歌を合唱する女子学生 大会旗の降納 正面貴賓席。あいさつするのはグットマン博士
左、日本唯一の金メダル(卓球、渡部・猪狩組)の渡部選手へ、トロフィーを授与される美智子妃殿下。右、フェンシング(サーブル)に優勝したフランスチームへ銀の剣を授与する美智子妃殿下

 上左、パラリンピック讃歌を合唱する女子学生。上中、大会旗の降納、スルスルと旗が降りはじめた。上右、正面貴賓席。あいさつするのはグットマン博士。
下左、日本唯一の金メダル(卓球、渡部・猪狩組)の渡部選手へ、トロフィーを授与される美智子妃殿下。下右、フェンシング(サーブル)に優賞したフランスチームへ、“銀の剣”を授与される美智子妃殿下。

再会を誓いあって

またメキシコで会いましよう!

大会旗の降納 日本選手団の解団式
閉会式場の開場を待つ一般人の長蛇の列

 上左、大会旗の降納。感激のうちに大会旗が降りる。上右、日本選手団は、式後、解団式を行った。役員を中心に万歳を三唱。、閉会式場の開場を待つ一般人の長蛇の列。

 オリンピックの閉会式が、予想外の感動的場面へと展開していったように、パラリンピックでもそれは同じで、去りがたい選手たちの歓声が、場内にこだました。上右、フェンシングの優賞者(セルジュ選手)は、熱狂したファンに“銀の剣”をかざして応えた。

上、和服姿で参加したアルゼンチンのオラルテ選手。その下、次期開催国メキシコで国旗をかかげて紹介 熱狂したファンに“銀の剣”をかざして応えたフェンシングの優賞者(セルジュ選手)
“またメキシコで会いましょう”と名残りを惜しむ選手たち。

上左、和服姿で参加したアルゼンチンのオラルテ選手。その、次期開催国メキシコで国旗をかかげて紹介。、“またメキシコで会いましょう”と名残りを惜しむ選手たち。

日本の秋を楽しむ

 研究視察部会主催の参加選手の都内観光は新宿御苑内の日本庭園を観賞、咲きほこる菊の香に嘆声をあげ、九段、宮域前、首相官邸などを見物して帰村した。

都内観光として新宿御苑内の日本庭園を観賞、九段、宮域前、首相官邸などを見物する参加選手 都内観光として新宿御苑内の日本庭園を観賞、九段、宮域前、首相官邸などを見物する参加選手
都内観光として新宿御苑内の日本庭園を観賞、九段、宮域前、首相官邸などを見物する参加選手

勲三等旭日章をおくる

 11月18日正午、厚生大臣室で、神田厚相からグットマン博士に勲三等旭日章がおくられた。これは、グットマン博士が身障者治療にスポーツをとりいれて効果をあげ、身障者のスポーツ大会を興し、わが国の関係者や身障者対策に大きな影響を与えた功績に対するものである。

神田厚相から勲三等旭日章を送られるグットマン博士 厚生大臣室で、神田厚相からグットマン博士に勲三等旭日章がおくられた

箱根遊覧

 身障者施設の視察をかねた箱根観光は、秋晴れの14日午前7時、4台のバスに分乗、白バイに前後を守られて出発、第2京浜国道、江の島、小田原をとおって箱根に到着、富士の雄姿に讃嘆しながら箱根園で昼食、芦の湖の景観をながめながらスカイラインを下り、横浜バイパスを経て帰村した。

上、箱根観光で子どもたちの歓迎を受ける選手を乗せたバス、下、箱根園での昼食風景 箱根観光の様子
芦の湖の景観をながめる選手たち

サヨナラ

 選手たちは、いろいろな思い出を旅行カバンにいっぱいつめて帰国のしたく。デパートやショッピングルームでおみやげを選んだり、はじめて東京の街にでて、そのにぎやかさにびっくりする選手もいる。短時日の東京滞在ではあったが、一生の思い出となろう。

上、東京の有楽町を見物するフィリッピン選手。下、介添えの自衛隊さんとお土産を買う選手 デパートの着物売場で着物の撮影 車イスも機上に積まれて、ヨーロッパへ帰る
通訳嬢たちと別れを惜むイタリア選手

 上中、“ワンダフル、キモノ!”デパートで撮影。中下、すっかり親しくなつた通訳嬢たちと別れを惜むイタリアッ子。左上、東京の有楽町を見物するフィリッピン選手。左下、おみやげにはアレコレと迷って、介添えの自衛隊さんもご苦労さま。、車イスも機上に積まれて、ヨーロッパへ帰る。

 帰国する選手団の最後は、グットマン博士以下8カ国の1行であった。去る選手たちは、日本で示された好意と、手厚いもてなしに感謝することばをくりかえし、自衛隊送迎班の見送るうちに機上の人となった。飛行場を流れる螢の光は、夜空を圧する大合唱になってひびきわたった。

上、お別れの胴上げ。その下、陽気なイタリアッ子も大声で“グラーツェ”  自衛隊送迎班の人垣に送られるグットマン博士
帰国選手団のしんがりをつとめたエールフランスのチャーター機を見送る

 上左、お別れの胴上げ。その、陽気なイタリアッ子も大声で“グラーツェ”。上右、自衛隊送迎班の人垣に送られるグットマン博士。、帰国選手団のしんがりをつとめたエールフランスのチャーター機を見送る。

第1部 国際競技終る

〈活躍した日本選手〉

パラリンピックの塔
 第1部5日間の国際競技に、参加した51人の日本選手は、全力をつくしてよく健闘した。弓では、国際弓技連盟ラウンドで、団体2位に松本毅、安藤昇一、斉藤定一選手。またアルビョンラウンドで、団体2位に松本毅、安藤昇一、安藤徳次選手。またダーチャリーで3位に、松本毅、安藤徳次選手組が入賞、はじめて日の丸をあげた。さらにフェンシングではサーブル団体で2位に斉藤定一、原沢茂夫、青野繁夫選手が入賞した。フィールド競技では、残念ながら体力の劣る日本選手は不利だった。しかし、車イススラロームで小笠原文代さんが4位に喰いこんだ。その他のトラック競技では、外国選手に一歩をゆずるという結果だった。しかし、日本のお家芸の卓球では、男子シングルスでC級2位に山崎武範選手、3位大塚一成選手。とくにダブルスC級では猪狩靖典・渡部藤男選手組が、日本選手団唯一の金メダルを獲得した。女子ダブルスC級では、小笠原文代・井上千代及選手組が3位に入賞した。水泳では第5級・完全麻痺50m仰向自由型に青野繁夫選手が2位に、第4級・完全麻痺50m俯伏自由型に牧岡節美選手が3位、丸尾正宗選手が4位に、第3級・完全麻痺50m俯伏自由型に原沢茂夫選手が4位に、第4級・完全麻痺50m平泳に磯崎吉蔵選手が4位、丸尾正宗選手が5位にそれぞれ入賞し、水泳は良い成績をおさめた。また閉会式の折、卓球ダブルスC級優勝の猪狩、渡部組は特に優秀なチームの代表として、ドイチェ・マンシャフト・トロフィーを美智子妃殿下より授与され、表彰された。

左、渡部藤男さん、右、猪狩靖典さん
渡部藤男       猪狩靖典
松本 毅さん
松本 毅
安藤昇一さん
安藤昇一
安藤徳次さん
安藤徳次
斎藤定一さん
斎藤定一
青野繁夫さん
青野繁夫
原沢茂夫さん
原沢茂夫
磯崎吉蔵さん
磯崎吉蔵
丸尾正宗さん
丸尾正宗
大塚一成さん
大塚一成
井上千代乃さん
井上千代乃
牧岡節美さん
牧岡節美
小笠原文代さん
小笠原文代
山崎武範さん
山崎武範
   

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主題:
PARALYMPIC TOKYO 1964 パラリンピック 国際身体障害者スポーツ大会 写真集 No.4
84頁~124頁

編集発行者:
パラリンピック・国際身体障害者スポーツ大会編集委員会

発行年月:

文献に関する問い合わせ先:
財団法人 国際身体障害者スポーツ大会運営委員会