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地域移行後の障害者地域自立生活を支えるスタッフ教育のあり方に関する基盤的研究

Ⅲ.結果

職員への聞き取り調査の中から、現状の問題点として次の7つのポイントが浮かび上がった。

  1. 方向性・速度・やる気のズレ
  2. 職員の連携のなさがもたらすもの
  3. 仕事や会議の非効率的・非効果的運営
  4. 職人芸ではまわりきらない
  5. 責任の所在の不明確さ
  6. 部下の育成と自己変革の失敗
  7. 自ら伸びていくことの失敗

以下、この7点について、詳述していくこととする 。

1.考え方・働き方の不一致

今回のインタビュー調査の中で、一番多くの職員から聞かれたのは、各職員間での考え方や働き方がバラバラで一致していない、という点であった。

「個人個人で考え方が微妙に違うからなのかもしれません。施設全体としては一つの考え方でやっているかもしれないけど、個人個人の思いが強いように思う。自分の考え方で仕事をしていて、自分の裁量で担当をして・・言ったことがなかなか認められない、とか」

「縦社会なのか横がつながってるのか分からない。指示系統がばらばら。自分の感情でいいこと・悪いことを判断する土壌が根強い。仲良しサークルのようで、成熟しきってない。」

「僕たちの世代は対価もらって当然だから『いつまで束縛するの』というのはある。サラリーマン的な人もいて、考えが離れてる。こっちの人にも生活重視の人もいるが、世代の差があるから、違うところで離れている。」

2.職員の連携のなさがもたらすもの

 しかしながら、この施設はもともと職員間での不一致が多かったわけではない。この施設では開設以来、重い障害を持つ当事者の地域生活支援に関して文字通り、無から有を生み出し、本人の想いに沿うために、と次々に事業拡大をしてきた。また開設当初の、スタッフも利用者も懸案事項も少なかった時代には、職員会議や年に一度の総括などで徹底的に議論も深め、問題解決に努めてきた。

 だが、開設以来年数が立ち、当事者もスタッフも事業展開も懸案事項も増大する中で、肝心のスタッフ間での連携より目の前の問題解決が優先されてきた。その結果は様々な点に現れていた。

「職員の連携ができてないから、しわよせが当事者にいく。」

「(連携は)仕事以外が出来てないですね。『ここまでするけど、ここはしないよ』みたいな、責任はとるけど、ちょっと手伝おうとか、どうなの?と気にかけるとかがあまり無い気がする。頑張っておいてね、みたいな。お互い『最近どう?』とか、チーム間でいろんなことが聞けるようなのがあまりない。」

「相談は上司にしない。同僚にもしないし、そういう場がない。」

「この施設について職員同士で話し合うことが減っていること。本人について話し合うことは減っていない。世代の違いを感じたりもする。今は仕事仕事していて、距離を感じる。」

この不連携は個人として、組織としての「疲労感」をうんでいた。

「皆疲れきっている。その日その日の支援が必要で、日中活動からは人が抜けていく。本来は計画をみっちりするものだったのに、人は少ないし、しかも若い人ばっかりだし、ベテランは疲れきってるし、新しいことしようという気が起きなくなっている。できてないけれど、現状維持に必死。ずるずる下がっている。」

「運動体としての動きが閉塞しつつある。昔はやろうとする意欲が見えていたけど、今は見えない。昔はみんなで話し合うことが多かったが、今は日々の問題を話し合うのでいっぱいで、とても総括の時に全部話しきれない。」

3. 仕事や会議の非効率的・非効果的運営

 施設の規模が大きくなり、職員間での連携が空回りし始めると、従来その施設において肯定的に評価されていた価値観が、次第に欠点と認識されるようになってきた。それは、次の6点にまとめることができる。

①夜を徹しての議論→終わらない会議

「みんな会議疲れしているのでは。毎晩なにかにつけて会議があるので・・モチベーションも下がる」

②自由な気風→決まり事が守れない、ルーズ

「時間通り始まらないこと、時間にルーズ、会議長い。」

③上下の関係のなさ→なれあい

「仲良しというのが邪魔してたり。仲良しでなぁなぁになっている。例えば本人との関係の中で、『それってしたらダメだろう?』と思ってるけどでも言えないことがある。」

「職員間の関係が馴れ合いに陥りつつある。遅刻などの些細な点で現れ始めている。最低限のことはしっかりしなければならない。ただ、馴れ合いになるのは上のせいもあるかもしれない。厳しさがひょっとすると足りないのかもしれない。」

④やった者勝ち→無責任、やらなくてもよい

「ここは自主性を重んじる職場です。要するに、『これがしたい!』と言った者勝ちなんですが、最近の若手には通用しなくなってるんです。やったことないものをやろうとするのは自信がないと若手は言うのです。それでは本人が損をしてるんですよね。若手にはやったもの勝ちみたいなタイプの人間は減っている。」

「やったもの勝ちの世界で最初の一歩を踏み出せないのは危険。なぜなら、それはやっていないのと同じことだからです。」

⑤楽しむ→楽しくない、仕事的

「内容が仕事的になっているというか。楽しくなる施設じゃなくて、介護面であったり、介助面や医療面が増え、やることが増えた。皆で楽しいことを、本人も楽しいことを、というのを求めてた頃は、仕事的じゃなかった。」

⑥無から有を作り出す→抱え込み

「家庭に本当に踏み込んで、全てを受け止めようとしてることが増えてきた。良いことなんだけど。以前していて、今家で出来なくなったことをこの施設に持ち込んでいるような。」

「この人がずっと地域で生きていけるように、無いから私たちがする、ではなく、無いなら作ろうにならないのがすごく嫌。突き詰めると、この施設が大きくなるだけじゃないのか?施設中心な感じ。」

「利用者がこんなに増えた中で、この施設内で全て済まそうとしているのが変。むしろ、職員で話し合い、私たちでしかできないことを追求すべき。」

「自由な気風」「上下関係のなさ」「やりたい人ができる」「楽しむ」「無から有を作り出す」といった価値観は、それが支配的である間は、職員にとって仕事のインセンティブになっているものであり、自分たちが就業時間帯以外での残業や休日出勤を無給でも行う際の大きな支えになっていた。だが、これらのインセンティブが欠点として認識されるようになる中で、職員の仕事に対する意識は大きく変化する。だが、意識の変化にはもう一つ大きな問題があった。

4.職人芸ではまわりきらない

 この施設に限らず、福祉施設の中には職人気質なところもある。つまり、当事者への接し方や関わり方は、教わるものではなく、先輩職員のやり方を盗んで(見よう見まねで)覚えるもの、自分で取得するもの、という個人プレーの気風である。

「後から入ってきた人がよく怒られてたが、できないときにうまく育てるよりも、できないんだ、と思ってフォローより突き離されるようなところがある。最近でこそチームワークだったが、昔は個人プレーが多かった。」

「(新人教育に)統一したものがない。新人はそれが一番困ると思う。自分も困ったので。ある程度のマニュアルが少しはあっても良いのではないかと思う。それを踏まえた上で、あとは自由で自習でもいいと。」

 上下のない自由な気風の組織では、“指導する・指導される”という関係が職員間にもなかったため、後輩教育や引継などにはあまり力が入れられてこなかったのだ。だが、対象者やスタッフの人数、事業規模が増えると、“その人と私”の閉じた関係で完結せず、その人の支援について、誰がいつ見ても分かる記録が大切になってくる。そこで、支援プランを始めとした引継に関する「書き物」の数が飛躍的に増えるが、書式や手続き、引継、マニュアル、には慣れていない職員も出てきた。

「本人のことに皆長けてるが、記録や連絡の事務に長けてない。介助とか上手いが、それも大事。自分で完結しようとする人多い。共有化せずに。」

またこの「書き物」に対する認識もばらばらであった。

「(書き物は)すごく大変だけど、それぞれに意味がある。書き始めてから、職員としての資質を問われてることだし、いいことだなと思った。」

「書類を書かないとだめで、それで疲れちゃってる。本人との関わりがそれが原因で面倒くさくなってる。本当は本人とのやり取りがしたいのに書類が邪魔?な感じ。」

「同じことばっかり書いて、『これ1回で済むんじゃないか』と思いながら書いている。1回で全部済めばいいのに。」

5.発言しにくい雰囲気

 この組織は、社会福祉の専門教育を受けた専門家集団によって始められた組織ではない。もともと地域活動をしていた、福祉学部ではない大学生たちが、大変重い障害をもっているがために自宅から出ていけなかった人々と出会い、彼ら彼女らが当たり前に地域で暮らすことができる社会を作りたい、と願って社会運動的に作り上げてきた組織である。つまり、発足当初のこの組織は“想いあふれる素人集団”で始まった、ということができる。また、素人同士なので、上下関係などもなく、全てが話し合いで進められてきた。

 だが、年数と経験を重ねる中で、もともとの生え抜き“素人集団”は、いつの間にか“玄人集団”となる一方、後から入ってきた中堅・若手はなかなかこの“玄人集団”に入れない、とこぼしていた。


「自分も含めて、細部に関しては言ってるが、大枠に関して意見言えてない。今まで大枠の形成に参加してなかったのは大きい。作ってきた経緯の話しを聞いても、その場に居なかったとか。」


また、現在でもこの組織においては、決定事項は原則的に民主的な話し合いに基づいているのだが、その一方で、若手や中堅が発言しにくい、という状況もある。


「上の言うことはこの施設を代表して意見しているという気がする。」


そんな中で、表面的には対等だが、実のところ昔からの古株職員が権限を握る、というダブル・バインド(二律背反)の事態になってきた。


「以前から『若い世代を前面に』という話はあったけど、とりあえず権力を持たせようという風にしか見えない。」


「(若手が意見を)言えないということは聞く側にも責任があります。つまり、組織のせいもあるということです。そもそも、そういう場がないですね。」

6.部下の育成と自己変革の失敗

 これまで述べた組織的・構造的な歪みの中で、組織構成員一人ひとりにとっても問題が生じてきた。この個々人の問題は、大きく分けて、幹部職員と中堅・若手職員の二つの種類に分けることができる。

 幹部職員に関しては、部下の育成と自己変革の二つに関する問題点が指摘されていた。組織の創設以来、介護や生活支援を全面的に展開して、現在も役職業務に就きながらも通所施設における日中介護の担い手を続けている幹部職員たちにとっての大きな悩みは、“部下に任せられない”という事である。 

「したい人に試させる度胸が無い。『利用者へのプログラムを考えなさい。(実際にその試行プログラムを)しているときは茶々いれないから』ぐらいの度量が必要。」

「若手にさせたいことをさせてみて、その結果に責任を持ってやる土壌が消えていっている。若手も言いたいことを言わないし、上からの指示が増えている。若手とベテランのベクトルがバラバラになっている。これらの力を合わせればすごいことができるはずなのに。昔と比べてみんながバラバラになっている。」

「邪魔しちゃいけないがほうっておけないというジレンマがある。陰になっても支えきれない。」

「性分として若手に任せ切れてないところはあります。任していても、自分の段取り通りでないとすごく気になるし。」

「伝えるより自分でしたほうが簡単だから、自分でしてしまう。楽なほうに流れるのを打破しようとはしているけど、できてない。」

 また、自分たちは無から有を作り出してきた幹部職員たちは、既に“有る”ものとしての施設に入ってきた後輩に対して、自分が育ってきたのと同じような成長過程を期待していることも分かってきた。

「始めは素人なのに、職員の成長過程が待てないし、育てる土壌も無い。アセスメントができてない。」

「待てないんでしょう。他の組織で『待つこと大事や』と聞いて、先輩も言っていたが、それは本人のこと。じっくり本人が理解して楽しんだりできるようになるまで(昔待てなかった)待とうと。職員に対しては待てなかった。」

この若手職員に対して「待てなかった」ことにより、次のように述べる若手職員もいた。

「この施設がこれまで行ってきた運動で『こういうことでやってきたんだ』と言われたらそうかもしれない。できないといったら辞めていかないといけないのかと思うとさびしい。一人が「難しい」ということはこの施設の職員としてはふさわしくないのかもしれない。」

ここまで若手職員の側が萎縮する理由はなぜだろうか。これを考えていく上で大きな手がかりになったのは、ある幹部職員の次のような発言であった。

「若手に自分たちが動けるような環境を作るために、どうしたらいいのか。引き出し方とか。上に喋りが多いし、皆圧倒してグループ会議でも半分喋ってしまう。聞くようにするんだけど、言わさないようにしてるのか?意見出ないとつい喋っちゃう。」

この「つい喋っちゃう」あるいは“ついやってしまう”といったような行為は、成長した子供にも、つい口も手も出てしまう“子離れできない親”を想起させる。また、このような状態に対する若手からの批判も聞かれた。

「上の人こそもっと自分の仕事を整理してほしい。プライベートと仕事を分けてやってほしい。」

「上の人は責任を取りきれていない。責任が何かが分からない。」

そして、「上の人」の中には、この若手の批判を十分に理解している人もいた。

「一番僕らがどう変われるかが大きい。そうでないと、なんで(自分たちが)こうなってきたかという後ろには、失敗してもいい、僕らが考えながらやって作ってきたからいろんな面白さがわかり、やりがいもあった。いつからか、(若手はすでに)あるものに入ってきた。なんでも、作ってきた人間は手順見ながら分かる。新しい人にとったら、あるもの。『○○しなければあかんらしいで』みたいな。」

無から有を作り出してきた幹部職員にとっては自明なことでも、既に有るものの枠組みの中に入ってきた中堅・若手には、それがどのようにして無から有になったのかもわからない。そんな中で自分なりに試行錯誤をしようと思っても、上の職員が成長を待ってくれなかったり、”つい”口出しや手出しをされてしまうことによって、中堅・若手がいつまでも取るべき責任を果たせないだけでなく、幹部職員が幹部としての責任をも果たせていない、ということも明らかになってきた。

7.自ら伸びていくことの失敗

 前述のように、この組織においては幹部職員が中堅や若手職員に“つい”口出しや手出しをしてしまう“子離れできない親”のような存在となっている、という現実が見受けられた。そして、中堅層・若手はそんな“子離れできない親”の影響をもろに受けていることも明らかになった。

「自分は弱腰になって意見言いにくく、聞くだけになっている。他の事の話が聞けなくて、そんなこんなで、何をどう引き継いだらいいのか分からない所がある。自分たちがやってることで、見えることは引き継いでも、抱え込んでることを引き継ぐのが難しい。引き継げといわれても『ちょっと待って』みたいな。」

「中堅として取るべき責任を果たせていない。中堅がズルク生きてきて、先輩たちの陰に隠れているというか。僕たちに任せて欲しいと思うこともあるが、場面によっては上に黙っていてくれとは言えない。」

「今の若手は企画力が低下している。それに、以前なら若手の企画が職員全体を巻き込んで、一つになっていったが、最近はみんなで話し合って企画することもない。」

このように「弱腰になり」「取るべき責任を果たせていない」中堅間では、幹部職員とは違って職員間で連携する場も少ないことも明らかになってきた。

「中堅の意思疎通が必要。チーフ会議はあくまでもグループの代表としてであり、中堅としての意識があまり持てていない。誰かまとめていく人物は必要です。」

「同じ世代の人たちが話を持つ場(グループワークのような)があって、自分たちの問題を自分たちで明らかにし、先輩の良い所・悪い所・先輩への要望をそこから上げていく風にする。自分たちが集まらないとできない。今まで出来てないのに、人から言われてもできないだろう。ピンとこないようになってしまってるので。」

中堅クラスではきちんと自分たちの課題も見えている。だが、その課題を真正面から見据えるよりも、1対1の関わりに「逃げている」中堅・若手もいる、という指摘もあった。

「本人との1対1の関わりに逃げて見えなくなってる。皆と言いながらそれをしない。組織集団でなく、本人とグループワークとかの中にも見え隠れ。」

「担当制の矛盾で、あなたも母親になるなと。ここで起こってることは、自分の担当のことは自分が良く分かると思いたい。だが、自分が全てではない。担当がいろんなことできる状況を作って楽しめることが大事と思う。そうしないと、職員というのは、自己満足、最終的には主従関係(介護関係)じゃないというが、奥底にそれがあるような気がする。」

「他に出て行こうとしないこと。行きたいけど行けない、じゃないのは分かる。行かないでいいならいいや、みたいな。この仕事で人との関わり嫌だったら、それがセンスというか、向いてないと思う。   本人と関わる仕事なのに、人と関わるのは苦手というのは、うそと思う。それでもいけちゃってる、向き合った二人との世界にずっと入っていく。」

中堅・若手も、自ら果たすべき責任をとりきれていない中で、いつしか自分がやらなくても最終的に上の人が何とかしてくれる、という依存体質を持ってしまうようになった。

「この施設の上のほうの職員は個性強い、発言を強く主張する人が多い。それが続くと、言う元気が無くなるというか。この施設の理念に基づいてる船に乗ってたら運んでくれるという、そんな時期が続いたのでは?だから僕らにも原因ある。」

「『やりたがり』の第一歩のハードルが高くなっている。結局上の人が決めるんやろう、っていう意識があって、やるならとことんやったほうがよいが、そこまで思い切れない。」

「(他での学習会なども)幹部が聞いたら良いや、と思ってないか?と。ややこしいところはそこにまかそうというとこあるんじゃないかと。今何の研修しても行くメンバーは決まってる。指名されて行ったって、次に生きない。」

ここから分かることは、中堅や若手職員は、“子離れできない親”のお陰で、“親離れできない子供”の状態になってしまった、ということである。

 つまり、単に古株・中堅・若手の世代間格差の問題ではなく、施設職員全体である種の共依存的な状態に陥っている、とまとめることができる。