A大学医学部は過去に聴覚障害学生が1名在籍していた。調査者は平成20年11月にA大学医学部を訪問し、聴覚障害学生の支援に携わった准教授に聞き取り調査を行った。(記録①-1)
報告書の教訓でもふれたように、聴覚障害学生の教育支援のリソースを、各大学で保持していくのは困難であり、リソースをプールし、必要なときに取り出す仕組みが必要である。また、聴覚障害学生の支援には、各大学が個々で取り組むのではなく、社会的なバックアップが必要である。そのための、各大学で個別の障害学生支援センターを設置すると同時に、各大学の経験を交流し、外部からの指導助言を行うことのできる「支援センター」の設置が望まれる。
「教養課程から専門課程へ進む中で、学習量の急激な増加や実習カリキュラムの追加など高校までの当該学生の学習方法では到底対応できない状況が生まれる。」「専門課程になると、科目数が増え実習が入り、情報量が莫大となる。当該学生にも、あふれる情報を、選択し、取りまとめる力が求められるようになる。」ことについて、個別的な支援の必要性が印象に残った。
想像を絶するメンタル面でのストレスに対応するためのカウンセリング等の継続的な支援の必要性である。
また、「日常余談・雑談から得ている情報を得ることができない」「副次的情報の蓄積による主たる情報の取得」といような作業ができにくいという特性がある。同じ「場」を共有している集団内での所謂「暗黙の了解(メタレベルでの共感)」を読み取ることに課題があるとの指摘がある。
最終的には、同級学生が「障害学生と一緒に学んでいくことに対してマイナス評価はなく、医者になる上で、貴重な体験だったなどの評価を得ることができた。」と評していることが多いことが教訓になるのではないかと思われる。すなわち、当該学生のみに支援の視点をあてるのでなく、繰り返し行われたFDも含め、一緒に学ぶ同級学生に対する適切なアドバイスや支援が不可欠であり、その条件が整えば、障害学生の学習教育権の保障は、大学全体の質の向上にもつながっていくということである。
調査者:近藤 幸一
■専門用語が多用される授業での支援内容とその効果および問題点
講義にFM送信機を利用するとともに、口話の読み取りを円滑にするため前列の席を確保した。また、事前に講義で使用する用語を学び、講義での口話の読み取りを円滑にするために、事前教材(パワーポイント資料)を当該学生に提供した。
講義準備でのパワーポイント資料作成になれていない教官には、資料提供のための準備負担が大きい問題点があった。一方、事前資料の提供は、他の学生にとっても学習効果があがった。
■室内の実習での支援内容とその効果および問題点
実習開始前に実習担当教官を対象としたFDを数回実施した。FDの内容は、聴覚障害のコミュニケーションについて実践的な理解を促すことに重点を置いた。聴覚障害者独自の情報獲得方法や、音声を中心に講義の「主情報」「副情報」それぞれの要素別の情報補填のあり方などを共有した。
実際の実習にあたって、会話は1 対1 で行う、テーブルに座っての実習では、教官に一番近く口元の見やすい位置に座るなどの配慮をお願いした。
■集団学習(ゼミ、グループワーク等)での支援内容とその効果および問題点
集団学習は教養課程を除いて、主要な学習方法となってきており、当該学生の学習保障にとって最も困難な学習場面の1つであった。
支援内容の主なものは、グループ編成上の工夫である。当該学生の要望を聞き、グループメンバーを選定し、グループの基本的な了承を得て、当該学生の所属グループを決定した。また、特定のグループに当該学生を固定した場合特定のグループに「負担となる」ため、一定の期間でグループを変更してほしいとの要望もあった。
集団学習は、集団でのディスカッションを通じてコミュニケーションスキルを磨き、医師としての問題解決能力を養成することを目的としている。そのため、コミュニケーション支援を必要とする学生に対するコミュニケーション保障を含めた学習保障は大きな課題として残った。
■患者などの安全確保や同意の方法および問題点
病院内の実習フロアに「聴覚障害学生が実習をしている」旨の説明文を貼り患者・関係者に周知することとした。
患者への診察時は、監督教官同席のもと当該学生から患者へ「耳が聞こえませんが、良いですか?」と尋ね、患者の了解を得て診察等を実施した。患者とのコミュニケーションは口話を中心として行い、分からない場合は、再度患者に確認するよう指導した。概ね大きな問題は起こらなかった。
「知るウオッチ」を利用して、医療機器のモニター音の判別に有効かどうか試みようと準備したが、実際には使用しなかった。
■病院などのスタッフへの周知の方法および問題点
(1)ピンク色の白衣着用
病院内での実習は、「患者の安全確保」が最優先課題である。当該学生の実習にあたっては、「緊急時の患者搬送などの場合に支障があるのではないか」などの問題点が懸念された。それを回避するために、ピンク色の白衣着用により当該学生が聴覚障害学生であることを医師、看護師などスタッフへ周知するために、障害学生支援室で協議し、当該学生の了解を得てピンク色の白衣着用をお願いした。結果的に、緊急対応等でピンク色の白衣を着用する必要性はないことが分かった。
(2)実習担当医師へのFD実施
医療機器の活用上の問題点や診断手法などについて、「主情報」「副情報」が視覚や聴覚を通してどの程度獲得できているのかなどを事前に点検した。
また、当該学生より直接自らの現状について説明をおこなった。
(3)実習チェックノートの活用
実習指導教官(医師・看護師)に実習チェックノートにて、聴覚障害があるために起こる問題に限定した問題点等を記してもらった。実習チェックノートは、支援室に返却後、問題点への対応方法を検討し問題点の解決を図った。この取り組みを通して、問題点を実習担当科全体で共有できるようにした。
手術実習時は、マスク着用のため口話が読み取れない。また、手術のスキル獲得向上のためには、手術部位を注視しながらの音声言語による指導、助言が不可欠である。手話や字幕による情報の取得のために当該部位から視野を外してコミュニケーション行うことはできない。この点でコミュニケーション保障が大きな課題となった。
■CBT実施上の支援内容および課題
パソコンを使用し行う知識試験であり特に問題点は見られなかった。
国家試験受験の1年前より厚生労働省と折衝。「口話の読み取りがしやすいように前列への配慮を」要望したところ、別室にして受験する方法で試験を実施した。1年前からの折衝もあって、国家試験合格後、医師免許は問題なく取得した。
当該学生はA大学付属病院で実習を実施。
■当該学生への相談支援の有効性
(1)担当者の継続性
当該学生への相談支援担当者は、6年間継続して同一の教員グループが担当した。担当者が聴覚障害者の特性を知り、誤解の原因は聴覚障害があるために起こっていることを同級学生・教官に説明することで当該学生への人格否定の回避が可能となる。
継続した支援を行わず、当該学生の自主性にのみに頼ることは無理がある。当該学生は、医学教育内容や目標については、初めて経験することなので、十分理解できないのが通常である。そのために、当該学生が教育現場の現状になじまない「コミュニケーション対策」を求めるような状況になった場合「わがまま」などの周囲の誤解を生むことにもなる。
したがって、継続した相談支援を通して、当該学生自身の、支援内容に対する意見表明、教官・支援室側から当該学生に対するフィードバックを実施することが有効である。
(2)当該学生に対するメンタルヘルスの必要性
教養課程から専門課程へ進む中で、学習量の急激な増加や実習カリキュラムの追加など高校までの当該学生の学習方法では到底対応できない状況が生まれる。専門課程になると、科目数が増え実習が入り、情報量が莫大となる。聴覚障害学生にも、あふれる情報を、選択し、取りまとめる力が求められるようになる。一般に、情報を選択し取りまとめる経験が乏しい障害学生の留年する可能性も高まる。また、膨大な学習量への対応とスピード、専門用語など学習方法の変換が迫られ、心身の疲労もきわめて大きくなる。その場合のメンタル面でのストレスは想像を絶する。
当該学生へのメンタルヘルスは重要な要素である。障害学生支援室は、精神科医師や保健管理センター職員も構成員であり、当該学生にメンタル面で問題がある場合、保健管理センターでカウンセリングを実施した。
(3)相談支援内容の特性
聴覚障害学生は、他の学生が日常余談・雑談から得ている情報を得ることができない。「副次的情報の蓄積による主たる情報の取得」といような作業ができにくいという特性がある。同じ「場」を共有している集団内での所謂「暗黙の了解(メタレベルでの共感)」を読み取ることに課題があり、集団内のメンバーから当該学生の意見に対する批判がでたり、集団内での信頼を失いやすいということがあった。そのような場合、当該学生に対する相談支援を通して、「曖昧な時や分からない事項が生じたら、一歩後ろに引いて、後で確認するという方法もある」ということを繰り返し指導した。「判断に困った事項が生じたら、前に出て尋ねるのではなく、一歩引いてみるという判断方法」である。
A大学の場合は、当該学生と教官の相互信頼に支えられこのような指導が行われ、当該学生の努力とあいまって問題解決につながることが多かった。しかし、一般にはこのような関係がとりにくい場合も考えられる。誰かがそれを教え解説し、教育していくのかが課題となるだろう。
このような場合に手話通訳者を活用することで、周辺情報の保障が一定あれば、問題状況の改善も期待できるのではないか。
■支援学生のための担当教員の配置
基礎教養課程での同級学生の支援は、一般大学同様の支援方法で対応可能である。しかし、基礎課程から、専門課程へと進むにつて、同級学生の支援についても、大きな課題が見られるようになる。その対策のために、支援学生の悩みに対応する支援学生専門担当の教員を設置。当該学生支援教員とは別の教員を配置した。
特に、専門課程では、手段的なコミュニケーションを通した、実践的な学習が中心となる。コミュニケーションが機能しにくい障害学生の存在は、ややもすると、「全体の足を引っ張る」ことになり、集団とのトラブルが生じる可能性が高くなる。このような状況下では、同級学生にとって「支援したいが、支援をすると自分の勉強ができない」というジレンマが生じる。このジレンマが同級学生を悩ますことにもなる。「無理な応援はしなくて良いから、自分のことをしなさい」とのアドバイスができる、支援学生専門担当の教官の設置が重要である。障害学生との共同学習の体験は、このような支援体制があってこそ、同級学生にとっても重要な学習機会となる。
卒業前に、同級学生へのアンケート調査を実施したが、障害学生と一緒に学んでいくことに対してマイナス評価はなく、医師になる上で、貴重な体験だったなどの評価を得ることができた。
■障害者支援室の役割
大学には当該学生に教育を保障をする義務がある。その観点にたてば、障害学生を学内全体で支援をする障害学生支援室の役割は大きい。障害学生支援室は、当該学生の教育保障を行うために、教員間の共通認識・意思疎通がとれる環境の整備を行ううえで大きな役割を果たした。
■大学を支援する総合支援センター
学生支援を各大学任せにするのではなく、統括して支援し相談(学生相談、教員対応、教育方法など大学対応全般)する総合支援センターの設立が必要である。障害者の運動によって、欠格条項の撤廃については、大きな成果があったが。その後、実際の障害学生の受け入れは、大学と教員の善意と自己努力に依存している。各大学への指導助言が行える体制づくりが望まれる。
■同級学生の支援組織の必要性
A大学は同級学生による自主的な支援組織があり、支援体制があった。当該学生は、教養課程から専門課程において1年留年したが、結果的に支援グループが1年先行して学んだ内容を当該学生にフィードバック(勉強方法、ノート支援など)する結果となった。
国からの障害学生支援補助金の支給(備品費・人件費含)があるが、A大学は国の補助金では、対応しきれない費用が生じた。人工内耳のレシーバー交換費、実習時の「知るウオッチ」設置などの費用である。
国の補助金で対応できない部分は、A大学にある障害者支援基金より永久貸与で当該学生へ貸出した。国としての障害学生支援基金、学生支援助成制度が必要である。各大学任せでは対応しきれない。各大学が障害学生支援費を負担している現状では、一定の自己負担を求める可能性もあり、障害学生にとっては、家庭の経済条件により医学を学ぶ機会が少なくなる可能性がある。
■障害学生支援と普遍化の課題
(1)聴覚障害学生の教育支援のリソースを、各大学で保持していくのは困難である。リソースをプールし、必要なときに取り出す仕組みが必要である。
(2)聴覚障害学生の支援には、各大学が個々で取り組むのではなく、社会的なバックアップが必要である。
(3)聴覚障害学生に、膨大な情報から必要な大切な情報を自分で取捨選択する方法を支援する必要がある。他の学生は、この情報の取捨選択方法を経験上できているが、聴覚障害学生はその機会が少ない。
(4)支援センターを設置(各大学の支援をする支援センター)し、当該学生を支援する学生や、支援学生を支援する教員。それらを支える専門的な機能を配置する必要がある。
■その後
現在、当該学生は、A大学病院で、研修医として研修中である。専門分野としては耳鼻科を目指している。耳鼻科については、一般に短時間で多くの患者を診療する傾向があり、患者とのコミュニケーションにゆとりがないといわれる。また、手術では、顕微鏡等を活用しながらの治療等が必要な場合があり、スキルの獲得が懸念される。以上の情報を提供した上で、当該学生本人の意志により、耳鼻科を選択した。
T県にあるB大学薬学部は最近設置された6年制のカリキュラムで、聴覚障害学生が1名在籍している。調査者は平成20年12月にB大学薬学部を訪問し、聴覚障害学生の所属クラス担任のS教授および当該学生本人に別々の聞き取り調査を行った。(記録②-1、②-2)また、T県聴覚障害者情報提供施設も訪問し、高等教育機関で学ぶ聴覚障害学生への支援について聞き取り調査を行った。(記録②-3)
在籍する聴覚障害学生は両耳ともに100デジベル以上の聴力損失があり、1対1で相手の音声による話を聞き取る方法には比較的対応できるが、集団の中では対応できない様子である。当該学生の発話は発音が明瞭で相手や周りが理解できているようである。そのために、大学ではとくに講義での教員や学生の発言が読み取れないという問題が起きている。聴覚障害学生の所属するクラスの担任教員がこの問題を担当し、学部内での協議及び当該学生との話し合いの中で情報保障の方法を検討し、実行に移している状況である。
ノートテイクの方法は、当該学生が薬学部が開設されて最初の学生であるため、依頼できる上級生がいないという特別な状況の中で断念している。同大学は他にも学部が以前から運営されているが、講義の内容の専門性によりノートテイクを依頼することは難しいという判断がされている。
そこで、授業担当教員に対しては細かい資料を配布する努力、同じクラスの学生に対してはノートのコピーの提供の協力を依頼する方法としている。当該学生自身は教室での発言内容が100パーセントは理解できずとも、細かい資料とノートのコピーの提供を受ける方法で、「問題はないと話している。
ただし、講義ではなくゼミや実習が始まったときに、細かい資料とノートのコピーの提供で対応することは考えられないことを当該学生本人は認めており、筆談や口話で乗り切るしかないと考えているようである。実習を始めるにあたってOSCE(客観的臨床能力試験)を受けることが国によって定められているが、患者への対応を見る場面ではパソコンのディスプレイを設置して筆談と口話にて対応する方法をクラス担任教員との間で確立している。
当該学生は全国に薬学を学ぶ聴覚障害を持つ学生が多くいることを知っているが、大学における情報保障の方法など情報を得ている状況は見られない。また、親元を離れて生活しているT県でも聴覚障害を持つ知人や友人を持っていない。
聴覚障害者情報提供施設では、B大学薬学部に聴覚障害学生が在籍している事実を把握していなかった。薬学の専門性からノートテイク派遣などの支援をすぐに準備することは簡単ではないようであるが、これからの聴覚障害者の医療など専門分野への進出を支援していく必要性からも、このような課題には前向きに取り組んでいく気持ちと用意が同施設所長以下職員の皆さんにあることが確認された。
B大学薬学部に学ぶ聴覚障害学生が生活面でも腕時計型の振動式目覚まし時計の提供など、同施設ができる支援はいくつかあるので、聴覚障害学生が在籍していることの連絡、相談、支援要請を受けられるようなシステムがほしいという意見があった。
この調査で浮かび上がった課題は、①孤立的な状況にある聴覚障害学生自身が学外、全国の同じ問題を抱える聴覚障害学生と連絡を取って、情報収集及び聴覚障害学生としてのアイデンティティの確立を行えるような仕組みが用意されること、②医療系高等教育機関における情報保障および学生生活の両面で相談を受ける全国レベルの機関を中央に設置し、当該高等教育機関、中央の支援機関、地域の支援機関(県聴覚障害者情報提供施設等)の間にネットワークを構築し、役割分担を明確化することにあると考える。
調査者:大杉 豊