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発達障害のある学生を取り巻く日本の状況及び展望

●井上
私が個人的によく知っている学生さんの例ですが、この方は理科系の大学院まで進みました。残念ながら修了することはできませんでしたが・・・。わりと読み書き算数はそれほど支障なくいったというより、高校までは平均以上の学業成績でしたが、コミュニケーション、いわゆる対人折衝が苦手なタイプだったようです。大学の学部生時代には家族的な雰囲気の研究室のなかで、それは日本の大学のいい面の一つでしょうが、わりと順調に学生生活を送れたようです。しかし大学院ともなりますと、やはり主体的かつ計画的に日々の勉強や研究活動を進めていかないとダメなわけです。研究指導担当の教授と頻繁に連絡をとり、経過報告しながら進めていくわけですが、それができなかったようです。結局修士論文を完成することができずに、辞めてしまいました。
きちんと統計をとったわけではないですが、発達障害のある大学生の場合いわゆるアカデミック・スキルの方面でのサポートも絶対に必要なのですが、それ以前に大学生活、キャンパスライフというのですか、その方面への支援がないと、なかなか難しい人が多いのではないかという気がいたしました。

日本では一部の大学では入学がフリーパスに近い状態になっていて、本来なら大学教育についていけるだけの学力を持たない学生さんも入学してきています。LDの学生さんのうちで基礎学力不足であっても、対人関係がよくて温情主義という言葉が当たるかどうかわかりませんが、まあいいやということで卒業させることもあるみたいです。本当にその人にとっていいかどうかは別ですけれども。
親の会をもう20年近くやっていての経験ですが、昔は大学まで行くLDの人はなかなかいなかったのですが、今ではだいぶ増えてきています。しかしその中で少々困った現象があるように思います。つまり高校卒業後の行き場がなくて、あるいは進路決定の単なる先延ばしとして大学進学するということです。そうではなくて将来の職業に直結する専門学校などへ、たとえば調理師とか、自動車整備とか、いわゆる「手に職」をつける目的で進学する場合はまだよいのです。たとえば大学の○○学部には入りました、でも将来の職業には結びつかず就職試験でも落とされてしまう、というような例が今後増えていくのではないかと思います。このあたりの支援が必要だと思います。
もう一つは、アカデミックなスキルが高い人たちのことですが、このような人たちの中には、対人面やいわゆるソーシャルなスキルが身に付いてないため、大学生活で孤立してしまうことがあり、周囲からの情報が入ってこず、その結果、就職はおろか、大学卒業もままならなくなってしまう例があるように思います。 大まかにLDの人たちでいうと、このような二つのタイプがあるのかなと思います。支援の質や内容も、少しずつ異なってくるとは思います。

いずれにせよ日本でも、LDなどの発達障害の大学生の数が増えてきていることは確実と思いますし、大学の先生方でも気がつかれて、支援を始められている方も一部出始めているわけです。もう一つは特別支援教育が始まりまして、今後小・中学校さらには高校で具体的支援を受けた児童生徒が大学に進学するにつれて、大学に対して要望がでることで、大学の先生方の間にも認識が広まってくるはずです。 ただ、アメリカ流の競争社会の中で自己の権利を絶えず主張しながら、チャンスは平等に与えられるけれども、ある一定の水準に達していない場合にはアウトであるという、そういう流儀がはたして日本に馴染むのかなという気はしています。それは文化の違いですので、どちらがいい悪いではなくて、大学での日本流のいわゆる家族的雰囲気でのサポートの部分も活かしながら、なおかつ綿密にプログラムされたサポートが加われば、まさに鬼に金棒なのかな、という気がいたしました。 これは勝手なことを言っていると怒られるかも知れませんが、大学では膨大なコストをかけなくても、案外とサポートできる部分があるのかな、という気がしてはいます。むしろ小学校に対しては、特に人的な面での教員配置についてなどしっかりコストをかけて進めて頂かないとダメだと思っています。ちょっと希望的な観測を含めてお話ししました。

●河村
井上さんは、もう一つありますよね。

●井上
著作権法改正のことを言い忘れました。改正に向けてなかなか着々とは進みませんが、ようやく明かりが見えてきました。しかしながら具体的なニーズの実態が先行しない限り、法律の文言がいくら整っても実効性を伴ってこないだろうと思います。いま私が関係しているLDの人たちの場合で言うなら、当事者の方や保護者の方たちの声が高まり、その結果として法改正に向け動いてきたという面は少々薄いのです。むしろ障害者団体のほうの動きが先行していて、これは自分自身反省すべき点だと思っています。
確かにLDの人たちの中でも、特に読み障害の方というのは発見がされにくくて、ご本人自身も気がつかないままのことも多いようです。漢字とアルファベットという文字の違いもあるのかなと思いますけれども、それはよくわかりません。今後は当事者の方、現実に困難を感じている方たちの声やニーズをくみ上げていかなければ、いくら法律が変わったとしても、大きくは動いていかないなという気持ちであります。

●河村
ありがとうございました。では萩原さん。
現場も抱えていらっしゃるし、いろいろ抱負もお持ちかと思いますので。

●萩原
はい。
アメリカの実践をお聞きして、率直なところ日本はただ遅れていて、そこに追いついていないだけなのか、また日本の大学は別の方向を目指すべきなのかというのがちょっとよくわからないなと思いました。 基本的に日本では個別の支援しかまだほとんどなされていないと思うんです。しかも、受ける入口としては学生相談室くらいだと思います。そこでも、正直カウンセラーがみんな発達障害のことがわかるかと言ったら決してそんなことはなくて、今スクールカウンセラーなんかもそうですけど、一所懸命勉強しながらやっている状態です。

個別の支援自体もどんどんスキルアップしないといけないし理解を深めなければいけないと思うのですけれども、それだけではぜんぜん対応が追いつかないだろうと思います。特別支援教育で、一応高校まではそれなりに形作られてきていて、その生徒が大学に入ってくるときに、到底今の学生相談室の体制で受けられる人数ではなくなってくるだろうというのは、実際的な話だと思います。 大学としての支援というのは本当にこれからだと思います。多少大学内でも動きがあるんですね。大学内でシステムとして作っていくとか、それから大学の中の、そういう部署をプロジェクトとして立ち上げている大学もあります。 今後大学内で一層問題になると思われることの1つは、学生に対するサービスの平等性です。必要な学生に、適切なサポートをするために、誰がサポートの必要性を判断し、どこまでのサービスを提供できるのか。今のところ基準がまるで明確ではありません。医師や学生相談室、教員がどのように判断し、関わっていくかの基準や方針を決めていく必要があると思います。 これから大事だと思うのは、やはりシステムを作らないと進まないという部分だと思いました。先ほどのDSSではありませんが、学長の下とか、ある程度力を持った部署がしっかり相談場所としてあって、バックアップもしてということが必要だと思います。また、先ほど聞いていていいなと感じたのは、差別とか不満があったときに訴える場所があるということですね。大学にはハラスメント委員会などはありますが、そういう場所が障害に対してもできるといいなと思いました。 このようなシステムや基準を確立していくには、大学内で決めていくことも大切ですが、やはり法律等の後押しが必要だと思います。

あとは連携をどうやって行なっていくかということです。アメリカではかなりいろんな機関と連携されているようですが、連携をすれば確かにコストをかけずに、工夫してできることも出てきます。たとえば学内のサークルをもうちょっと使えないかなと思います。履修を選ぶときに、この授業は大教室でやるよ、とか、この授業は先生が板書を使わないよとか、そういう情報は学生のほうが持っているので、そっちで聞いてもらったほうがいいのだろうなとも思いました。そうするとサークルとも連携しなければいけないし、あとは学習指導の先生というのが学内にいらっしゃるので、その方とももっとやらないといけないな、と思います。 大分、カウンセラーが、何かの機会に先生達に話すことが場面としては増えてきているので、学内に理解や知識は少しずつ草の根的に広まってきています。ボトムアップ的なことを一所懸命やらなければいけないというのと、やはり、トップダウンではありませんが組織的な動きとしてやっていかなければいけないのかな、と思いました。

●河村
ありがとうございました。それでは、渡部さん、まとめをお願いします。