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スウェーデン社会における自閉症・ADHDへの支援体制

河本佳子
(マルメ大学総合病院ハビリテーリングセンター 作業療法士)

項目 内容
発表年 2003年

まず、支援体制を述べる前に一つ理解して頂いきたいことがあります。それは、スウェーデンでは自閉症、LD/ADHD、アスペルガー症候群など、重度から軽度に至るまでのなんらかの能力障害をもっている人全てを含めて「自閉症スペクトルム」と称していることです。これを念頭においてください。このスペクトルムは世界的に共通した分類方法で、日本語では傾向、連続体などと訳されています。その内訳は幅広く能力程度や機能程度の多少の変化や差によって評価診断されます。

低機能障害と高機能障害が逆矢印上に示された図

いわゆる自分の世界だけに浸り知的能力にも欠けている人たちを重度の自閉症として、スペクトルムを左から右へと一線を引くように分けるならば左端が重度、低機能に位置します。それからADHD/LD、アスペルガー症候群のように一般社会と接触があり日常生活を営める軽度の障害をもった人を高機能として右端に位置させます。実際には個人個人の能力の程度も社会的機能の程度もさまざまで左から右の一線上至るところに、あるいは普通児以上の能力を示す人なども右端を越えてこのスペクトルムの中に入ります。そしてそれぞれの障害の程度に合わせて対応の仕方や支援の方法が違うことはいうまでもありません。こういうスペクトルムに属する子供が発見されて診断されるまでの時間や年数はそれぞれ異なり、またその過程や経路もさまざまですが、結果的にはスウェーデン全国ほぼ同じなので、私が住むマルメ市を中心に説明致します。

私は、スウェーデンでも南部にある人口第三の都市マルメ市に定住しており、この町唯一の大学総合病院となるハビリテーリングセンターに作業療法士として勤務しております。ハビリテーリングセンターの概略を申しますとここには入院施設がなく、何らかの治療と訓練を必要とする患者が0歳から成人する20歳までの長い期間を必要に応じて自宅から通院してきます。患者のほとんどが生まれつき身体的、あるいは知的障害をもっている人たちで再生や復帰を表す「リ」を削除してリハビリとは言わずハビリといいます。このセンターには70名の各種医療スタッフがいますが、その専門家を幾つかの医療チームに分けて地域に住む障害者のサービスを担当するのです。

その中の一つに小児精神科と協力して作られた医療チームがあります。それがBNT(小児脳神経チーム)と呼ばれ、マルメ在住の「自閉症スペクトルム」に対応しているのです。そのチームに私も作業療法士として加わっています。

このBNTチームの専門職は、小児精神科医(2人)、心理士(2人)、特別教育教員(2人)、言語療法士(2人)、医療カウンセラー(2人)、理学療法士(一人)それから作業療法士(一人)の私で成立されています。専門家の人数は、それぞれ市の経済的援助や指導方針によって多少異なり、ウプサラ市のハビリテーリングセンターでは、一例としてですが作業療法士の役割が大きく、4人もいます。

さて、子どもが生まれ、その子どもがどこか他の子どもとは様子が違うことに気づいた親は、どのような経路をたどって援助を得られるのでしょうか。

マルメ市民であればほとんどの子どもはマルメ大学総合病院にある産婦人科で生れます。そこで身体に障害があればすぐに発見され、自動的にハビリテーリングセンターへ登録され、医療チームに属する理学療法士、言語療法士、作業療法士など専門家の助けが得られる仕組みになっています。でも自閉症スペクトルムの子どもたちはその障害が産後すぐにわかるわけではありません。往々にして子どもの成長を見守る地域の乳幼児保健センターで、乳幼児検診などで始めて評価されて発見されることの方が多いでしょう。

例えば、お乳を含ませても吸うという関心を見せない赤ちゃん、夜鳴きが激しい、身体的成長の標準に達せない乳児などがここで発見されます。また8ヶ月検診、二歳児検診、その他の検診で精神的発達に異常がある場合など、乳幼児保健センター専属の医者や心理士などがハビリテーリングセンターあてに専門的な検査の依頼書を送ってくるのです。

しかし、このように乳幼児保険センターでも発見されない軽度の子どもは、保育園や小学校で言語の遅れが顕著になったり、社会性が乏しいなどの問題が生じたり、教師が子どもの挙動を不審に思ったり、学校専属の養護教師によって始めて発見されるなどの場合も出てきます。大学総合病院内にある耳鼻咽頭科の言語療法課からは、言語治療に来た児童が言語障害だけではなく行動的にも問題があると評価し、そこからハビリテーリングセンターへ依頼が回されてくることもあります。また、両親が何らかの成長異常を察知して総合病院の小児科や精神科へ、直接相談しに来ることもあります。

以上のように、マルメ市に生れてくる子どもは、何らかの症状が表面化すれば、年数を隔ててもいつでもどこででももれなくマルメ市唯一のハビリテーリングセンターへ依頼がくるシステムになっているわけです。網の目状に、産婦人科、乳幼児保健センター、地域の各診療所、保育園、小学校、中学校とネットワークが広く組まれ、縦横に連携がとれる制度になっているのです。もちろん、ハビリテーリングセンターへの依頼は両親の合意によるもので、両親が依頼書、検査、評価、治療や訓練の有無に対して全ての最終決定権を持っていることを忘れてはいけません。ですから、早期発見できる準備は整備されてはいるものの、子供が小学校へ上がるまでハビリテーリングセンターの扉を叩かない人もいます。また、スウェーデンに移民として在住している家族などは文化的な相違により、子どもが自閉症スペクトルムに属することをひた隠しにしようとする人もいます。そのためにハビリテーリングセンターでは支援制度の紹介などを自国の言葉で理解できるようにとパンフレットなどを制作してはインフォメーションを与える努力をしています。

ではハビリテーリングセンターに依頼が来てからはどのような経路になるのかを見てみましょう。

ハビリテーリングセンターからウエイティングリストへの振り分け過程を示した図

BNTチームに届いた依頼書は、さらに自閉症スペクトルムの機能程度によって二つのウエイティングリストに振り分けられます。重度の低機能障害(重度の自閉症、重度の知的障害と推測されるもの)であれば緊急を要とするので短期間のリストに、短期といっても現在では6-9ヶ月待ちの後に専門家の診断を得られます。 軽度の高機能障害(知能は普通児とかわらない、あるいはそれ以上のアスペルガー症候群、ADHDなど)の場合は、残念ながら1年から1年半待ちのウエィテイングリストに登録されます。 チームのスタッフを増やせば、もっと早く診断を下せて、早めに援助も与えることができるのですが、不況の波は医療福祉にも影響を及ぼし、雇用ストップがかかっているため現在のところ残念ながらこれが精一杯なのです。

診断は精神科医の評価、心理士の評価、特別教育教員の評価、言語評価、あるいは、理学療法士と作業療法士による運動機能評価などに基づいて診断結果が一~二ヶ月後には出されます。診断結果を家族に話した後は、家族は知識を得るためにBNTチームが主催するいろいろな講習会に参加します。自閉症スペクトルムとは何か、アスペルガーとは何かなどのインフォメーションコースがあり、その場でいろいろな助言を得ることもあれば、同様に診断された他の家族と出会う機会も得られ、互いの悩みを共有し相談することもできるのです。

その他にも、個人セラピーだけではなく、グループサブセッションとして、スペクトルムに属する子どもの兄弟姉妹を集めてインフォメーションを与える場も設け、あるいは祖父母もそれに参加して周囲の理解を得るようにいたします。同時に医療カウンセラーとも早期に個人面談をして、経済的援助、教育機関の説明、介護休暇の使用方法、両親のための特別親睦会や各種協会の連絡など、利用できる豊富な福祉制度の紹介をいたします。

家族への対応策を示した図

国際診断基準でもあるDSM IVで軽度のADHD/LDと診断された場合は、子どもはそのまま、保育園や普通学校の通学を続けることができますし、スタッフからは両親への助言がある程度ですみます。幸いなことに注意力に欠けて衝動的多動性があっても軽度であれば、そのほとんどが成長と共に改善されてゆきます。ただ、その成長過程において不適応な注意や叱責を反復された場合などは、子どもも情緒的に不安定になりやすいし、親子関係も子どもの行動も悪化しかねないので周囲との協力と寛容さが最大限必要となります。小児精神科ではこれに対してさまざまな助言を与え、同時に短期の学習会などを設けては少人数でグループセッションなどをしています。また、さまざまなセラピー的活動の場(木工、絵画など)を設け親子で参加し楽しめるようにしています。

子どもが軽度で高機能ではあっても、さらなるハビリテーリングセンターの対応が必要であると判断されれば、例えば、ADL(日常作業)に支障を来たす、社会性に非常に欠けるなどとなると、BNTチームからスタッフが派遣されます。

特別教育教員と呼ばれる教育の専門家が、子どもや両親に直接に、あるいは普通学校の教師などへ、助言や特別な学習技法などを教示するために学校訪問したり、家庭訪問をするのです。

例えば、ADHDの子供がいるクラスでは、授業中に歩き回る、座席にじっと座れないで注意散漫になるなどの障害が往々にしてあります。そのため集中力を高める方法として、授業前にその子どもを含めて走りたい子どもに校庭を一周させたり、サッカーや鬼ごっこなどさせてとにかく身体をふんだんに使う運動をさせてみるなどの助言を与えます。学習方法などでは、算数の計算問題などがあれば、一つの問題を1枚の紙に書いて与え、それを10枚すると終るという風に最初から終わりが見えるようにしてあげるのも一つの学習方法でもあります。また、鋏を上手に使えない子どもには鋏で切る場所をマジックペンで幅広く線を引いてあげるのもよいなどと、こまごまとその子どもにあった助言を与えます。さらに、読み書きの苦手な子どもには自助具として、テープレコーダーのようなデイジー(Daisy)器を利用することもあります。視覚だけではなく聴覚も利用して読めなくても耳でクラスの仲間と同じ本を読むことができるのです。言葉の速さのスピードも調節して聴くことができる機器なので弱視ではなくても重宝されています。この機器は市立の図書館へ行けば誰でも簡単に借用できる制度となっています。

また、高機能の子供の中には自分に対しての要求が異常に高い子供がいます。社会的に友達と上手く交流ができない分、興味の対象になるものに没頭し、それに対しては限度も制御も効かず狭い課題を何度も深く掘り下げてしまうのです。ですから、最初から一日の予定表を具体的にしっかり作成しておくと、子どもも理解しやすいし納得して行動範囲を広げることができるのです。このように個人にあった予定表の作り方を教示します。授業に必要な学習課題は、この本を数ページ読む、次は友達と20分XXゲームをする、休憩が10分、トイレに行く、手を洗う、また別な本を読む、数行文字を書く、計算問題を10個クリアなどと前もって箇条書きにしておくのです。具体的に記述することによって、子どもは自分が次に何をすればよいのかその順番がわかるので心配しなくてよいのです。このように一日の行動を計画的にしかも綿密に行うことによって彼らは逆に安心感をもち、異常行動もコントロールできるようになります。

なぜこのような技法が必要かといえば、例えば、一つのジグゾーパズルをイメージしてください。普通の子どもは何も教えなくてもパズルをすいすいと頭の中で形や色などを整理して合わせていきます。ところが、自閉症スペクトルムの子どもたちは頭の中で整理すること自体が感覚的に困難なわけですから、整理の方法を頭の外でできるようにパズルの形や色を分けるテクニック(技法)を目の前の見える範囲で具体的に教えるわけです。このテクニックがつまり具体的な予定表であり、形を合わせる、色を合わせる、順番を覚えるなどと学習への鍵となります。これらを特別教員は学校の教師へ伝え、通院してくる子供に個人訓練します。

カードを並べる子供の写真

カードを選んで示す子供の写真

学校や家庭訪問をするのは特別教員だけではなく医療チームのスタッフ全てが必要に応じて訪問します。そこには医療機関や教育機関であるという分割された行政はなく、実際にバリアーを超えてスムーズに相互協力が行われています。そうすることではじめてその子どもの支援体制が充実しているといえるでしょう。

作業療法士としての私の仕事には幾つかの種類がありますが、まず子どもたちが、日常生活がしやすいように評価訓練をします。このスペクトルムの子どもたちは特に手と目の協応運動が精錬にできないことが多く、通常6歳になるまでにはよそ見をしていても、手や身体の感覚だけで衣服の着脱ができるようになるのですが、この子どもたちは多少の遅れがあるのです。そのために、衣服の着脱衣、ボタンをはめることや靴の紐を結ぶ訓練をし、食事の時に必要なナイフとフォークの使用方法、トイレの使用や手を洗う、髪を梳かす、衛生面の管理などと日常生活に必要な作業が潤滑に行えるように指導するのです。指導する場所は、ハビリテーリングセンター内だけではなく、家庭訪問をし、学校訪問をして実際の子ども達がいる現場で訓練します。往々にしてこの子どもたちは時間の観念が無く、授業に遅れる、クラブ活動に遅れるなど約束の時間を守れないのは日常茶飯事のことです。これに対して作業療法士としては各種のタイマーやデジタル手帳などを自助具として与え、それを設置する方法を指導します。さらにバスの時間表の見方、乗り方、クラブ活動に遅れない方法などの実用訓練することで彼らの自立を促進させるのです。

自助具の写真

そのほか身の周りの生活用品の整理をして使いやすいように環境を整えてあげるのも我々作業療法士の仕事です。わかりやすいように、分類別に色テープを貼る事もあります。

スウェーデンでは、自閉症スペクトルムに属すると診断されたからといって、そのまま自動的に療育施設に配属されるわけではありません。あくまでも地域にある教育機関の中で、普通の生活環境を維持させて行けるようにと努力します。もともとスウェーデンの学校では一律に全てを教えていく教育方法ではありません。ある程度の学習範囲はあるものの、子ども一人ひとりのテンポとレベルに合わせて個別の授業内容を組むことが当たり前になっています。小学校に成績表はなく中学の二年生になって初めて成績なるものがあるくらいです。学校間の競争も生徒間の競争も日本ほどなく、それぞれがゆとりのある教育を受けることができます。

ですから、LD児も普通児もなんら変りのない学校生活を、自宅から近い地域の学校の中で周囲となんらの摩擦もなく存分楽しめるのです。学習テンポにそれでも間に合わない、攻撃的で崩壊性もあり他の子どもの邪魔をするなどの問題が生じてきた場合は、問題が生じたその時点でBNTチームのスタッフと両親と学校の教職員とが一緒にミーティングを開きます。最適な解決方法として学校側に一人の専属アシスタントを雇用するか、少人数の特別グループをつくるかなど、いろいろと論議されます。学校側は、子どもを引き受けるために受け入れ体制を整えなければならないという義務があるからです。全ての子どもには教育を受ける権利があるという人権に基づいています。

私が担当している子どものなかには定年退職したばかりの高齢者がパートでアシスタントとしてついた子どももいます。授業参観にいくと20名ほどの生徒がいるクラスの一番後ろに、小学校3年生になるその子どもと大きな身体を小さく縮ませているアシスタントが二人仲良く並んで算数をしていました。数字を書くにも手が緊張して上手く書けないので、ちょっと太めの握りやすい鉛筆と重ための定規を自助具として前もって渡してあります。まるで蟻が右往左往するように数字がバラバラになるのを、アシスタントがノートを押さえて防ぎ一線上に答えが書けるように練習をしていました。このアシスタントは周りにいる他の子どもの勉強も手伝っており、みるからに微笑ましい光景でした。

スウェーデンには学校でクラブ活動を行わない代わりに、地域社会にある文化活動やスポーツクラブが盛んです。ハビリテーリングセンターでは少人数のグループ指導をして、スポーツのルールを覚え、自分の順番を待つ忍耐力など、各自の興味の対象であるクラブへ参加しやすいように訓練しています。

このように、子ども個人への対応策は、医療機関、教育機関、地域社会、そして家庭環境と一環して行われています。

子どもへの対応策を示した図

自閉症スペクトルムでも内向性の子供やアスペルガー症候群のように、没入型で狭い範囲のものだけに興味を示し、その分野においては他の子どもよりも秀でた能力を発揮するのに、社会性に非常に乏しく多動活動など普通の学校へ通学できない子どもたちもいます。こういう子どもたちのために少人数の特別学級がスウェーデンでは普通学校の一角に設立されています。最高6人ほどのクラスで、隣の席の人とは本箱で仕切られていて学習に集中できるように互いが見えないようになっている自分のコーナーが設置されています。全ての課題は左の本棚にあり、一つクリアする事に右へと置いていきます。これはティーチプログラムと言われ米国で自閉症スペクトルムの子どもを対象に発案された教示・学習方法です。例えば、予定表に書かれている、週刊誌の記事を鋏で切り抜く、糊でノートに貼るとあれば、左の本箱に週刊誌、ノート、鋏、糊の入った箱が置いてあり、目の前の机の上で作業をし、終れば右の本箱へ入れていくというような流れ作業の形をとっているのです。教師は担任と副担任の教師がいます。中にはパーソナルアシスタントが特別に雇用されている子どももいます。こういう風に個人に合わせた授業が臨機応変に進められ、休憩時間になると他のクラスの子どもたちに混じって遊び、全クラスが参加する学校行事にも、参加しています。

重度の低機能症児になると、ニーズはもっと大きくたくさんの専門家の助けが必要になります。家族は昼夜を問わず異常行動する子どもに振り回され、普通生活が営めず、通常の勤務は困難になります。そのために片親は仕事を諦め経済的にも援助が必要になります。医療カウンセラーは、スウェーデンという国が執行している福祉政策から、もっとも適合している援助を必用に応じて彼らに紹介していきます。経済的援助とは、仕事をやめても普通の生活が営めるだけの介護手当てが支給されることです。さらに、子どもに必用と見なされるパーソナルアシスタントを雇用するための費用は国が市と協力して全額支給してくれます。作業療法士としては、これら重度の子どもにかかわる割合は非常に高く、前述した彼らのニーズを評価するために日常生活の作業評価(ADL評価)をするのはもちろん、さらに重要な住宅改造をも担当致します。地域の保険事務所にいる福祉インスペクターは私が作成したADL評価に基づいて必要なアシスタントの時間と支給額を決めてゆき、支援のひとつとして家族に喜ばれる住宅改造があります。スウェーデンでは、バスルームに短い手すりを取り付けるというような簡単な改良からエレベーターを取り付けるなど高度の改良まで市が無料で住宅改造をしてくれます。これは以前では身体的機能障害がある場合だけに認可されていましたが、1996年、ハビリテーリングセンターに知的障害者が統合されて以来、知的障害者の住宅改造のニーズも表面化され、以来作業療法士が改良を目的に知的障害者の住宅改造も行ってきたわけです。そして現在自閉症スペクトルムの子どもにも住宅改造の必要性が重視されています。住宅改造の定義は、なんらかの機能障害があるがゆえに普通の生活費以上のコストがかかる場合には市が援助するというものです。

例えば、6才児で重度の自閉症のいる家庭を訪問すると、そこの子どもはお猿のようにとにかくどこにでもよじ登る、衝動的行動多発、崩壊性と発語もなく異常行動のような合併症があります。家に入るとカーテンも出窓に飾る植木もなにも無くてただガランと殺風景でした。バスルームのドアには大きな穴があいています。子どもの部屋の窓ガラスは壊れ、扉のノブははずれていました。両親は消耗しきった顔でどうすればよいのかと困り果てています。目的の子どもはあれよあれよという間に台所の高い棚の隙間に上り、そこから珍しい者が来たとばかりに眺めています。父親が手を伸ばすとすがるように下りてきました。ここでの私の仕事は、とにかく子どもが起こしやすい事故をなくすためにあらゆる危険性を防止することにあります。健常児であれば、言って聞かせるだけで危険はありませんが、彼らのようにコストのかかる修理や改造を重ねざるを得ない家庭では、通常の生活は決して営めないのです。

そこで私は、危ない包丁や鋏、洗剤、化学薬品が入っている全ての棚や引き出しに鍵がかかるように考慮し、扉の板の表には再び穴があかないように耐久性のプラスチック板を重ねました。レンジには、火事にならないように電熱を遮断するスイッチを隠れた場所に取り付け、料理をする時だけにスイッチを入れて料理できるようにし、窓ガラスも耐久性の特別ガラスに交換、ノブも特別に重厚な壊れにくいものに交換、姉妹の部屋には白木の垣根を取り付けて自閉症児が入れないようにしました。これは自閉症でない姉妹が自分の物を壊されずに遊べるようにと配慮しました。さらに居間にあった、鏡の上にもプラスチック版を重ねました。これは後になって解ったことですが、全ての改造を行った一週間後に、テレビの高音に反応して子どもがパニック状態に陥り、突如鏡に向って突進し頭突きをしたそうです。その結果鏡は粉々に砕けたのですが、プラスチックを重版していたために、鏡のかけらは散在しなくて、幸いにも子どもには怪我もなく済んだそうです。また、逃避癖があるために、少しでもドアが開いていれば外へ逃げ出します。家からは高速道路も近く事故にならないように、庭には逃げられない垣根を設置しました。

垣根の写真

これらの改良・改造は作業療法士として子どものニーズに基づいて対応策を証明するもので、実際の改造は市の建築科が私の作成する証明に応じて許可し専門の建築業者がしてくれます。このように危険性を予防するのが主に自閉症への住宅改造の目的です。これに対して、危険を予防することは子どもの行動を抑制し隔離してしまうのではないかという懸念が生じます。しかし結果的にはその逆で、危険性を無くすることによって彼らの行動範囲も広くなり、周囲の安全性も高まり家族との交流もより穏やかに行われることになるのです。

こんな風に自閉症スペクトルムの子どもを相手に仕事をしていて、緊急を要するだけに無料でしてもらえる住宅改造や自助具の配布などは、親や家族にとっては目に見える支援だけに非常に喜ばれます。これを考えると作業療法士の存在が医療チームとともにこれらの子どもの支援により必用ではないかと思慮するこの頃です。

国・県・コミューンなどの連携プレイを示した図

最後に、スウェーデンでは前述したように自閉症スペクトルムにいる子ども、そしてその家族はこのようにさまざまな支援を受けながら、自分なりの方向性を維持し普通の生活が営めるように寛容な医療・福祉制度に守られているといえるでしょう。

河本佳子(こうもと・よしこ)氏プロフィール

1950年、岡山市生まれ
1970年、岡山県立短期大学保育科を卒業と同時にスウェーデンに移住
1974年、ストックホルム教育大学幼児教育科卒業。
 以後、マルメで障害児教育に携わる。
1992年、ルンド大学医学部脳神経科作業療法学科卒業。
 その他、同大学でドラマ教育学、心理学の基本単位取得。
1999年、スコーネ地方自治体より25年間勤続功労賞を授与。
現在、マルメ大学総合病院ハビリテーリングセンターで作業療法士  として勤務。
著書:
「スウェーデンの作業療法士」(新評論、2000年)
「スウェーデンののびのび教育」(新評論、2002年)
「スウェーデンのスヌーズレン」(新評論、2003年)
訳詩:「ヨタヨタくもさん」(Stegelands Forlag,1981)
共著:”Surgery of the spastic hand in Cerebral Palsy"
The journal of Hand Surgery British and European,1998