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幼稚園・保育所と専門療育機関の連携について

三浦幸子

項目 内容
発表年月 1994年12月
転載元 立教女学院短期大学紀要26

はじめに
 私たちの生活する社会は、時代とともに少しずつ変化し、乳幼児期に起こる様々な心身の「障害」についても、「発達の障害」という言葉が多く用いられるようになってきた。これは、基本的には、“発達期に起こる様々な心身の障害”を指し、“子どもは発達しつつある存在である”という認識のもとに、“その発達が何らかの理由によって妨げられている状態”であるという理解を前提としている。このような理解が広まる中で、子どものあるがままの全体的な発達の過程を理解し、その発達が妨げられる条件を排除して、発達が促進されるための条件に積極的に働きかけることが求められるようになってきた。
 「障害」の要因はそれぞれの子どもによって、出生時あるいはその後の出来事などにより様々であり、また、明らかな「障害」とは言い切れない心配をかかえた状態が続く場合もある。そのような子どもを育てる親たちの中には、医療や訓練などのために専門療育機関に通いながらようやく子どもが幼児期に達し、たくさんの不安と期待を抱えながらも、一人の子どもとしての地域の集団体験を求めて、幼稚園・保育所での生活をスタートしている場合も少なくない。発達を促すという意味においても、幼児期の集団体験の重要性は高く、それらは、専門療育機関では実現されにくい質の経験であるが、発達につまずきのある子どもたちにとっては、はるかに複雑で多様な関係に身を投じることになり、そのプロセスにおいては、少なからぬ混乱やとまどいが生じるため、とりまく大人たちの配慮が不可欠となる場合が多い。

1. 目的と方法

 本研究は、そのような発達に臨床的な課題を持つ子どもとその親を囲む幼稚園・保育所と専門療育機関との連携・協力がどのようになされるとよいかについて、専門療育機関の立場から検討を試みようとするものである。
 その方法は、本研究者の所属する専門療育機関Sセンターにおける発達臨床活動(発達援助活動)から3事例をとりあげて考察する。
 Sセンターは、心身に「障害」をもつ子どもたちのための総合的な医療療育相談機関で、治療・教育・社会的援助を目的とする専門スタッフによる統合的なチームアプローチが、個々の必要に応じて展開されている。本研究者は、Sセンター内では臨床心理科に所属し、心理発達相談を担当している。これは、子どもの発達について、心理学的、医学的又は教育学的方法などを用いて、発達の評価及び発達の援助のための適切な治療・指導を行う役割である。心理面接は、通常、1セッション1時間で、1組の親子に対し、本研究者が同室で担当しており、その頻度は、個々の課題に応じて異なるが、週1回の場合から、夏・冬などの長期休みごとに設定する場合など様々である。
 本研究の対象となった3事例に共通する点としては、専門療育機関への通所を経て地域の幼稚園又は保育所に入園していること、入園後に何らかの「間題行動」が生じ、保育者と本研究者が直接面談していること、その結果、親子をとりまく関係に変化が見られて子どもの人間関係が広がり、卒園後に地域の小学校の普通学級に入学していること等が挙げられる。なお、本研究者との心理面接は、不定期であるが、現在も継続中である。(以下、本研究者を「臨床者」と記す。)

2. 3事例の経過と考察

[事例1] “体に軽いまひがあり、幼稚園で話をしないA子”

1. 概要
 母親の主訴:「幼稚園であまり話をせず、行きたがらないこともある。」
 家族構成:父親、母親、A子、弟の4人。
 生育史:出生時に仮死があり、新生児けいれん、くも膜下出血を起こす。その後、大学病院、地域保健所等を経て、1才6か月よりSセンターへ。医学的診断名は、“脳性まひ(軽度左片まひ)”で、医療と運動機能訓練プログラムが中心であった。

 1才頃に始語(マンマ)、1才9か月歩行開始。人見知りは、あまりはっきりしない。
 2才時に都内から近郊の他県に転居し、弟が生まれた。排泄を知らせることはでき、食事も自分で食べることができた。
 3才時に幼稚園入園(3年保育年少組)。かぜで休んだ後行きたがらないことがあった。生活習慣は身についてきたが、靴をはきにくく、ころびやすかった。家ではお喋りだが、友達とスムーズに会話をする状態ではなかった。
 4才時(年中組)、意図的に話そうとすると言葉にならないことがあった。
 5才時、心理面接へ。母親の話によれば、家では弟とはしゃぎ、喋り、よく遊ぶが、幼稚園では全く話さないらしい。自分ができそうにないことについて、非常に敏感に気に懸かり、身を引いてしまう。父親は、細かい所があり、不得手な左手でおちゃわんを持って食べるよう注意したりするので、A子は避けがちになっているとのことであった。

2. A子の幼稚園(保育者)と臨床者との関係の経過
 心理面接は、A子が5才3か月から5才8か月までの5か月間にわたり9回行った。毎回、A子・弟・母親と3人で来所し、同室で面接した。
 A子の幼稚園(保育者)と臨床者の関係は、直接の面談は、7回目の心理面接に担当保育者が来所した1回のみである。経過の内容は、心理面接中の母親からの話が中心である。

 10月上旬(年中組、初回):母親に幼稚園での様子をたずねると、「幼稚園とはあまりコミュニケーションがよくない。バスで行くからわからない。」と、あまりはっきりしない。保育者と話す機会をもつように勧め、必要なら臨床者が会って話し合うことができることを伝えてもらう。
 11月中旬(第3回):母親「担任の先生から電話をもらい、幼稚園での様子を聞いた。先生が1対1で話すと話をするが、第三者が入ると話しにくくなるらしい。」
 12月中旬(第4回):母親「初めて担任の先生と面談した。家では、電話にはじめに出ることなど、初めてできるようになったことが増えている。」保育者が臨床者との話し合いを希望していると言うので、母親に日程の調整を依頼する。(母親からその件で何回か電話連絡がある。)

 翌年2月上旬(第6回)母親「3学期になって、ほとんど幼稚園に行っていない。初めて担任の先生が家へ来て、『こんなに話すA子を見るのは初めて、信頼関係が不足していたのでは』と言われた。家では、活発で元気になってきた。伸び伸びしていて、父親にも時々甘えるようになってきた。」
 2月下旬(第7回):担当保育者と4人で来所。前半は、Sセンターでの遊びを見てもらい、後半は母親、保育者と臨床者の3人で話す。A子と弟は、同室の別コーナーで遊んでおり、時折、母親に声をかけたりしている。保育者との話し合いの中では、現状の不登園状態について、“自分がため”として意味のあるプロセスと理解しながら、無理なく登園のきっかけを作る具体的な方法を話し合う。また、A子と弟のそれぞれの活動の場を作ることをねらいとして、次年度からは、弟も入園する方向で母親とも話し合う。
 3月中旬(第8回):母親「ひなまつりの行事には参加した。放課後、随分長い時間、幼稚園で先生と遊んだ。家では、『私が一』と、自己主張することが出てきた。」
 4月下旬:母親から電話「始業式は、くれよんだけを受け取って帰宅した。2日目は、担任の先生に誘われて、以前、放課後に先生と遊んだ積み木をきっかけにして教室に入ることができ、以後、楽しみに通っている。入園式の日に、弟が泣いたので気遣っていた。」

 その後、母親が期待していたような活発な友達ができ、「いやがらずに行っている」ことが伝えられた。

3. A子の事例に関する考察
(1) A子のもつ「障害」の理解されにくさについて
 A子のもつ「障害」は、次の2つの理由から、A子をとりまく人々に理解されにくい面があったものと考えられる。その1つ目は、A子のもつ運動機能面の「障害」の問題である。これは、医学的には軽度の左片まひとされているが、生活の中で見ると、入園後間もない年少組の頃には、ころびやすさや靴のはきにくさが見られたものの、成長に伴って歩行も安定性を増し、利き手の右手に目立った問題がないことから、周囲からはその「障害」が見えにくいものであったと思われる。父親から不得手な左手でおちゃわんを持つよう指摘されたエピソードなどを考え合わせると、家庭内でも、A子のもつ機能的な意味の困難さに対する気遣いがもたれにくかったことが推察される。
 2つ目は、“あまり話をしない”というような、表に現われたA子の行動の問題である。A子の生育史を見ると、人見知りの不明確さにも現われているように、生来、何らかの自我形成の弱さがあったものと思われるが、これに2才ころの転居や弟の出生等の環境的な要因が少なからず影響して、A子の行動様式が形成されていったものと考えられる。さらに、先の運動機能面の困難さがあり、様々なことを試みる経験自体が少なくなりやすいこともあり、内面では豊かな意欲や自己についてのイメージをもちながらも成功感が得られにくく、その乖離から一層自己にこもるような話をしない状態が続いていたものと考えられる。しかし、このような表に現われたA子の行動は、周囲の者にとっては、ともすると引っ込み思案な性格であるように理解されたり、友達関係に対する意欲のなさと捉えられやすかったのではないだろうか。
 心理面接の過程では、A子の内面の意欲が次第に明らかとなったが、これは、A子のぺ一スに応じたやりとりで、しかも、母親と弟が同室内にいるという家庭に近い状況で面接を積み重ねる中で明確になってきた。母親も、そのようなA子の様子を共有することで、A子に対する理解が深まっていったようである。
 また、臨床者との遊びや発達検査などを通して、実際の技能面の困難さを明らかにすることにより、生活の中での援助や配慮の仕方を示す手がかりにもなった。
(2) 母親の主体的な役割と保育者の柔軟な協力体制について
 このようなA子のもつ「障害」の理解は、母親と臨床者と保育者の連携により、短い期間で深められ、それに基づいて適切な対応がとられていった。
 ここでは、A子の母親の果たした役割は大きく、臨床者にとっても、母親の印象が変わるほどであった。面接の開始時には、母親は、A子をとりまく状況について尋ねられても、なかなか明確に答えられないこともあったが、助言を受け入れて早急に保育者と連絡を取りながら日程の調整を進め、媒介的役割を主体的に担っている。このように母親が媒介的に存在することで、A子にとっては、家庭と専門療育機関と幼稚園という3つの場がつながり、自分のぺ一スを保ちつつ、早い時期に自己を発揮することができたのであろう。
 一方、幼稚園では、主として担当保育者によって早期に対応がとられ、電話連絡、家庭訪問、専門療育機関への来所、放課後の活用等、その内容が柔軟で幅広くなされたことにより、様々な形でA子が無理なく内分を表現する可能性が広がっていったのであろう。このような対応は、園長を始めとする幼稚園全体の協力の下に実現したものと思われる。

[事例2] “人への関心が伸びはじめたが、保育所で友達をぶつB男”

1. 概要
 母親の主訴:「新しく入った保育園でひどく乱暴する。」
 家族構成:父親、母親、兄、B男、妹、父方祖父母の7人。
 生育史:出生時は、特に問題は目立たず、乳児期は、おとなしく、ミルクを飲んでは寝ていることが多かった。2才年上の兄がB男の出生後不安定になって手がかかったため、母親がB男に接することが少なかった。
 人見知りははっきりしない。1才2か月に歩きはじめてからは“多動”傾向。
 母親は、発達について気掛かりであったが、父親がことばが遅かったということもあり、どこにも相談せずにきた。
 3才を過ぎて、ことばの遅れ、じっとしていられないこと、聞き分けがないことなどを心配して、Sセンターを受診。医学的診断名は、“言語発達遅滞”、“自閉傾向”であり、心理面接へ。

2. B男の保育所(保育者)と臨床者との関係の経過
 心理面接は、開始時は母親の心配もあり、隔週の割合で設定した。その後、母親の出産、保育所の入所、就学の相談などがあり、発達の状態に応じながら3才11か月から6才2か月まで2年3か月間にわたり、33回面接した。
 この経過に述べた保育所(保育者)と臨床者との関係は、B男が年長組に入所した5才3か月の春からの1年間の経過である。B男は、入所当時、両親が徹底して受容的な対応を積み重ねていたことにより、親への甘えなど人に対する愛着行動が急速に伸びてきていた。

 4月(入所当初):母親「B男は、新しい場の様子をうかがうように他児のようすを遠巻きに見ている。先生方は快く受け入れてくれている。全体的に“自由”な雰囲気の園で、席もその日毎に、子どもたちが自分で場所を選んで決めている。」
 5月下旬:母親「園長先生からB男が他児に激しい乱暴していることを指摘された。」園長が臨床者の話が聞きたいと希望していることが伝えられる。早急に、母親を介して日程を調整し、週1回の面接を再開する。
 5月下旬(保育所を訪間):現在のB男の状態及びB男をとりまく関係に直接触れる。園長及び担当保育者「動きの多い目立つ子どもに対して乱暴するが、自己主張だと思う。年下の気にいった女の子に対する乱暴が特に多いが、相手を選ばず叩くこともある。人とのつきあいは、1対1を好むようだ。暴れるようになってから、いい面も増えてきた。」臨床者からは、これまでの心理面接の経過や子どもの変化の過程、母親の思いの経過を説明した上で、現在の行動の解釈と具体的な対処の方法等について話をし(“自由”に行動することが現在のB男にとっては難しいこと、朝来た時にすることが決まっていた方が楽なこと等)、臨床者との面接は、頻度を増やすことを伝える。
 6月中旬(保育所を訪問):園長「大分、乱暴は減ってきた。承知してやっていることが増えてきた。始めは新しく入園したからとそれですんでいたが、周囲の子どもたちがそれではすませなくなってきた。なじんで入っていることが増えつつある。父母会で母親が辛そうにすると、周囲の母親がなだめていた。」母親からは、保育所での活動のレパートリーの豊富さ、子どもの主体性を重視した展開への感動と、B男なりのそこへの意欲的な参加ぶりが語られる。
 7月下旬(保育所を訪問):園長「大きな乱暴は、もうほとんど見られない。その代わり、他児のけんかをすぐ聞きつけて加勢してしまう。“お泊り会”を含む行事にも、みんなと一緒に参加している。」
 9月中旬:母親「人に対する柔らかな接し方が増え、ルールを理解して友達と楽しめることができてきた。」

 翌年1月下旬(保育所を訪問):園長「別人のようになった。“自由”がこんなに難しいことだったとは。父母全体を信頼していた。」

3. B男の事例に関する考察
(1) 発達上の「問題行動」をとりまく関係の中で理解することについて
 B男を理解する上で大切なことは、B男が示した“ぶつ”という「間題行動」を、B男自身の発達的変化の過程に位置づけて理解することと、新しい保育園の生活構造との関係で理解することの2つの視点である。
 まず、B男の発達的な変化を見ると、専門療育機関を訪れたのは、決して早いほうではなかったが、両親の徹底した対応により、極めて短い期間に急速に親子関係が深まっていった。しかし、B男にとっては、こうした行動上の変化が必ずしも着実に身についたものとは言えず、本来、子どもたちが相当の期間をかけて身につける行動様式を急激に体験したことで、少なからずとまどいもあったものと思われる。
 一方、この保育所では、子どもの自発性を尊重する方針がとられており、構造化された設定場面が非常に少なく、個々の子どもたちの動きも多様であって、自分なりの判断で様々な行動をとることが求められる場面が多い。しかし、このことは、B男にとっては、行動の手がかりが得られにくい状況であり、それがある種の混乱につながったものと考えられる。B男の人に対する関心は、ようやく広がり始めたものの、その具体的な関わり方のレパートリーは狭く、不器用さが残っていた。B男の“ぶつ”という行動は、こうした混乱の現われであるとともに、B男なりに他児の気をひこうとする自己表現という側面があったものと解釈することができる。
B男にとっては、整然としたきまり事が生活の中に位置づいていることが一つの手がかりであり、保育所において、自分の席や朝の活動など、構造化された生活が設定されたことにより、B男の不安や混乱も軽減していったのであろう。
(2) 保育所における集団経験の意味について
 この保育所の自由を尊重する方針は、当初はB男に混乱を生じさせたが、その後は、B男が更に発達的に飛躍する基盤となったといえる。
 このような保育所の方針の下で、B男が他児の伸び伸びとした生活ぶりに接したことは、直接・間接にB男の人間関係を豊かなものとし、人に対する柔軟な対応を身につけることにつながっていった。また、園長を始めとして保育者たちが、B男に対する配慮の視点を明確にした上で、柔軟に、他児と平等の対応を試みたことにより、B男にとっては、他児をモデルとして、行動の規範を取り入れながら対処する機会が用意された。そのような保育所全体の雰囲気から生まれる他児の父母の包容力に、B男の母親のみならず、臨床者も支えられる面が大きかった。

[事例3] “言葉は豊富だが行動がともなわないことが多く、集団行動が難しいC男”

1. 概要
 母親の主訴:「幼稚園から小学校(特殊学級)の見学を勧められてとまどっている。」
 家族構成:父親、母親、C男、妹の4人。
 生育史:満期産だが低体重出生、仮死分娩で新生児けいれんを起こす。

 乳児期は、運動発達におくれが見られ、中枢神経系の障害が心配される。
 幼児期は、一言葉は豊富だがやりとりになりにくく、ふざけてごまかす等の行動が目立ち、しつけのせいにされがちで、親も叱ることが多くなる。
 5才時、発達のアンバランスさを指摘され、他院よりSセンターへ。医学的診断名は、”情緒発達障害”。言葉や態度に妙におとなびた面があるにも関わらず、対人関係の中で他者の感情や情緒を理解することが難しいこと、集中しにくいことなどが指摘され二心理面接へ。

2. C男の幼稚園(保育者)と臨床者との関係の経過
 心理面接は、5才6か月時より小学校入学まで1年3か月間にわたり18回行った。
 C男の幼稚園(保育者)と臨床者との関係は、C男が5才8か月時に家族が転居し、翌月の4月に年長組に入園した春から卒園までの9か月間にわたり、連絡を取り合ったものである。C男は、転居前にも地域の幼稚園に通園していたが(臨床者は、その幼稚園も訪問していた)、両親は、転居にあたり、新学期の開始前に幼稚園に面接を求め、数日間にわたる話し合いがなされていた。

 6月下旬(母親から手紙):就学指導のため、地域の教育委員会のスタッフが幼稚園を訪問し、担任の先生から学校の見学を勧められた。
 7月上旬(幼稚園を訪問):臨床者は、C男の発達の偏りについて説明し、親のしつけのせいにされがちであること、そのような指摘を繰り返されていることから親が身構えがちな面があり、新しい場では信頼関係の形成に時間がかかること等を話し、就学に関しては、急ぐものではないことを確認した上で、親子が新しい場(住まい、幼稚園、そこでの人間関係)になれることを優先してもらうように話す。
 11月下旬(担当保育者から電話):「C男は、園生活の流れが分ってきたようである。友達に受け入れられる体験が積み重なってきて、居場所ができてきた。料理ごっこが得意になり、友達が“C君レストランごっこ”というコーナーを作ってくれる。先生にゆったり甘えることも増えて、かかわるきっかけになった。指しゃぶりやおちんちんいじりが減った。」

 翌年1月下句:母親「学校については、先輩のお母さんと話し、普通学級で始めて親も子も疲れたら方向を考え直せばと言われ、そうだなと思った。学校からの通知がきて、心配があれば連絡するように書いてあり、担任の先生に相談してみる。」と話される。
 3月上旬:母親「地域の小学校普通学級に入学が決まった。」

3. C男の事例に関する考察
(1) 発達のアンバランスに伴う親子の理解について
 臨床場面では、言葉が非常に流暢で、大人びた言回しも巧みに使いこなしながら、内容の理解が乏しく、行動が伴わない子どもに出会うことがある。この場合、日常的に接している親は、腹を立てたり、落胆を繰り返すことが多くなりがちになる。また、このような子どもは、叱られてもふざけているかのようにその場を回避するため、本人に何らかの困難さがあると気づかれないことが多い。そのため、親も、周囲の者から親のしつけの問題と指摘され、自分自身も困惑しながら子どもをただ叱りつけるなどして、親と子どもとの関係がこじれてしまい、子どもが二次的な“神経症的習癖”が見られることも少なくない。
 C男の場合は、まさにこのような関係であり、まじめで育児熱心な両親は、周囲からの指摘に傷つけられ、自己の子育てのイメージとのずれに悩みながらも、その場に応じて叱りながら、指摘に身構えるという習慣が身についていたものと考えられる。
 このような関係においては、子どものもつ難しさの理解とともに、そのような親の気持ちへの共感が重要である。したがって、親自身が子ども自身のもつ難しさを理解できるような解釈を明示し、その上で、これまでの子育ての苦労をねぎらいながら、適切な対応上の助言をすることが必要である。
 このような親は、幼稚園・保育所という新しい集団の場に臨んで、新たな批判に身構えてしまうことが多いが、保育者においても、こうした親の抱える問題を理解することが求められる。臨床者は、このような場合、媒介的にかかわる必要があろう。
(2) 就学の問題について
 就学の問題については、保育者は、地域の事情や情報に詳しく、卒園児の親との関係も豊富であることから、親からも、援助的な役割を期待されているように思われる。親は、幼児期の早い段階から、子どもが普通学級に進めるか否かを話題にされることが多く、臨床者に対しても、早くから学校について不安を語ることがある。親は、幼稚園・保育所という段階で、更に具体的な情報や助言を保育者に求めているのであろう。
 保育者も、親身な配慮の下に早くから学校について話題にすることがあるが、親子にとっては、幼稚園・保育所という新たな集団になじむこと自体に困難がある場合もあり、保育者がその親子を十分に理解するために時間を要することなどを考えると、就学の問題の取り上げ方には、時期や方法について慎重な配慮が求められる。C男の場合も、親は、保育者との信頼関係が深まるにつれ、学校に関する具体的な事柄を相談しており、就学の問題については、親と保育者との信頼関係の下で、現実的になされることが望まれる。

3.全体的考察

1. 専門療育機関の役割
 専門療育機関(臨床者)の役割としては、まず第1に、専門的な知識と経験に基づいて、的確に発達を理解することが挙げられる。これは、いわゆる発達テスト等による発達診断を含むが、さらに、子どもの生きている幅広い関係を含めた「関係診断」が大切である。その場合、親や兄弟姉妹という家庭内のみならず、幼稚園・保育所の方針や他児の育ち方といった、力動的な関係が子どもの発達に影響を及ぼしていることを考える必要があり、また、子どもをとりまく現在の関係に加え、個々の生育過程という過去の関係にも即して今ある状態を理解することが必要である。
 第2は、臨床的な課題をもつ子どもに対して、いわゆる治療的に働きかけることにより発達を促進することが挙げられる。これは、先に述べたような発達の理解に基づき、子どもや親と個別的な場を設定し、心理学的、教育学的に必要とされる方法を用いて、直接的に関わることによって行われる。この場合、子どもの変化を親と共有することにより、親の微妙な感じ方に触れることができ、親との関係でも、適切な対応をとりやすい場合がある。

2. 幼稚園・保育所の役割
 幼稚園・保育所は、子どもにとってはまさに生活の場であり、自分の家庭に近い地域の中で、日常的に、同年齢の子どもたちと共に互いに関わり合いながら、主体的に行動する場である。
 このような集団体験は、家庭だけでは実現できないものであり、子どもが様々な力を身につけ生活をより豊かなものにしていくという意味で、発達を促すことにつながっている。
 特に発達に「障害」をもつ子どもにとっては、このような集団体験によって経験の幅が飛躍的に広がる上、同年齢の子どもと共通した発達経験が得られることで、全体的な発達が促されるものと考えられる。

3. 幼稚園・保育所と専門療育機関の連携
(1) 共通の理解に基づく連携の必要
 先の3つの事例に見られるように、保育者は、発達に「障害」をもつ子どもの幼稚園・保育所の生活において、その子どものもつ発達的特徴を理解しながら、環境を整えていくことが必要である。その際、臨床者が専門的な立場からその子どもの状況や課題の理解の仕方を示し、保育者において日常の保育に様々な工夫と配慮を加えるといった連携が有効な場合がある。特に、子どものもつ「障害」が捉えにくい場合や、他児への乱暴など社会的に容認されにくい行動が目立つ場合などは、集団内における保育者の対応がむずかしいことが多いため、このような臨床者との連携が求められる。
連携にあたっては、子どもの状態や課題について、互いに共通の理解をもつことが重要であり、そのために、それぞれの場面で見られた子どもの行動や得られた情報を共有することが不可欠であろう。
(2) 様々な連携方法
 このような幼稚園・保育所と専門療育機関の連携には、様々な形が考えられるが、子どもの個々の課題と幼稚園・保育所の状況などに即してなされる必要がある。
例えば、連携の仕方としては、親を介して間接的に連絡をとりあう場合もあれば、手紙や電話による場合、直接互いに訪問して話し合う場合などがある。また、臨床者にとっては、保育者とのやりとりを通して、保育場面における子どもの行動やとりまく関係を具体的に理解できることによって、具体的な働きかけが見い出され、面接において親や子どもに個別的なはたらきかけを行うことも可能となるであろう。
(3) 親を含んだ連携の大切さ
 以上に述べてきた連携は、幼稚園・保育所と専門療育機関の2者にとどまらず、親を含めた3者の連携であることが大切である。この連携は、子どもの発達を支えるためのものであって、親は、子どもの発達を支える役割を、最も身近なところから直接的に担っているからである。また、親が、この時期に、養育の指針を得るとともに、主体的に様々な機関や制度を活用する視点を備えられるような援助も重要であろう。
 そのような意味においても、親の意向を優先し、その親子に即した柔軟な連携の仕方が求められる。親によっては、保育者に対し、専門療育機関との関わりを伏せておきたい場合や、これを先に知らせて、細かな経過を心にとめておいてほしい場合など、様々であろう。その具体的な連携にあたっては、時期や必要性等について、親自身が考えをめぐらす期間も大切であると考える。
(4) 今後の課題
 今回は、幼稚園・保育所と専門療育機関の連携の在り方について、専門療育機関(臨床者)の立場から考えてみた。今後は、幼稚園・保育所(保育者)の立場からの意見を含めながら、連携の在り方を更に検討する必要がある。専門療育機関が地域で果たしている機能が広く知られながら、保育者に活用されやすい場となる工夫も求められよう。

<付記>
本研究にあたり、畠中徳子教授に貴重なご意見を戴いた。また、たくさんの課題を提供してくれた3人の子どもたちと、快く協力を承諾下さったお母さん方、そして、本研究者に耳を傾けて親子を共に囲んで下さった保育者の方々にも心からお礼を申し上げる。

参考文献
1) 武藤安子編著 『発達臨床 -人間関係の領野から-』建帛社、 1993
2) 三浦幸子 「発達の障害」 武藤安子、春原由紀編著 『精神保健』 樹村房、 1994
3) 関係学会編 『関係学ハンドブック』 関係学研究所、1994
4) フィリップ・バーカー著 『子どもの臨床面接』 金剛出版、 1994
5) 小此木啓吾他編 『乳幼児精神医学の方法論』 岩崎学術出版社、1994


出典:
立教女学院短期大学紀要 26

著者:
三浦幸子

主題:
幼稚園・保育所と専門療育機関の連携について

発行年月:
1994年12月

登録する文献の種類:
研究論文(雑誌掲載)

情報の分野:
社会福祉、教育学、心理学

文献に関する問い合わせ先:
立教女学院短期大学
東京都杉並区久我山4-29-23