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第2回国連障害者の権利条約特別委員会

仮訳 デイリー・サマリー第2巻第6号 2003年6月23日(月)

NGO 地雷生存者ネットワーク
監訳:長瀬修・川島聡

午前のセッション

開始時刻:午前10:15

終了時刻:午前10:45

議題7(d) 新文書と既存文書の相互補完性

特別委員会議長は、NGOの代表のリストしかなく、各国政府代表の発言者のリストがないと語った。まず、政府代表者で発言したい者がいないか尋ねた。3カ国がこれに応じた。

ギリシアは、欧州連合(EU)の見解を再確認した。「障害者によるあらゆる人権の享受に関する新しい条約は、障害者が直面する特定の状況に適宜対応させることを目指して、既存人権条約の特定の規定を発展させるべきである。したがって、特別委員会の作業は、そのような既存の条約、特に6つの中心となる人権条約に基づき、その規定と完全に矛盾がないようにすべきである。新しい条約は、他の人権文書の規定を損なったり、その単なる重複であったりしてはならない」。ギリシアはさらに「EUは、国連の基準規則を政策決定および活動のための文書とみなしている」と補足した。しかし、基準規則には改善と更新が必要であることを認め、障害者によるあらゆる人権の享受に関する新しい条約を作成することにより、基準規則の改定作業を遅らせるべきではない、と強く主張した。このような文脈で、「政策とプログラムが必要とされている。これは、インクルーシブで、地域社会や家族を支援し、すべての人にサービスとプログラムへの平等のアクセスを保障するものでなければならない」。ギリシアは「条約策定過程は、中心となる6つの国連人権条約のモニタリング・メカニズム(監視の仕組み)に障害の観点を組み込む具体的な努力と並行して行うべきであるとEUは強く信じていることを強調して発言を終えた。「そのような複合的で調和のとれた行動を通じてこそ、障害者によるあらゆる人権の平等で効果的な享受が確保されるのである」。

カナダは、 特別委員会に対して、「二つの観点から相互補完性の問題を検討」するよう勧めた。「第1に、新しい条約と、障害者の人権と関連する既存の条約や拘束力のない文書との相互補完性の問題がある。第2に、これらの様々な文書のもとで設けられたモニタリング・メカニズムの相互補完性の問題がある」と述べた。カナダは、障害者の人権を促進するために過去に国連がなした様々な努力を支持してきたと述べ、既存の文書の欠落部分を埋めることによって、障害者の権利と尊厳の効果的保護のための包括的枠組みを提供できるように、新しい条約の構想を注意深く練るよう強く求めた。しかし、「重複の可能性や、様々な文書の一貫性を維持する必要に気を配らなければならない」と警告した。とはいえ同時に、カナダは、「基準規則は、あらゆる法的拘束力のある文書を補完する上でこれからも役に立つ」とも考えている。カナダは「新しい条約の監視が、基準規則や世界行動計画、既存の条約のもとで設けられたモニタリング・メカニズムとどのように影響しあうかについて、創造的な提案を歓迎する」と述べ、発言を終えた。

オーストラリアは、「国連人権高等弁務官事務所と関連して準備された報告書が、提案された文書を作成する上で重要な資源になると思う」と発言した。同国は、報告書の中の多くの結論、特に「いかなる新しい文書も、既存の人権文書を補完すべきであり、これを損なってはならない」という勧告を支持した。オーストラリアは「条約機関は、障害問題にもっと力を入れるべきである。締約国は、報告書の中で、障害問題を福祉または医療問題ではなく人権問題としてみなすべきである。条約機関および締約国は、条約のプロセスへのNGOの参加を促進すべきである」という報告書の勧告に合意した。オーストラリアは「既存の文書による障害者の保護が十分に承認され明確化されることを確保するための努力を一層することにより、新しい文書が作成されるべきである」という信念を述べ、発言を終えた。

議題 7(d) NGOの発言

あらゆる形態の障害を含む(知的障害と精神障害を含む)7つの構成団体のネットワークを代表して、国際障害同盟インクルージョン・インターナショナルが発言した。「ピープルファースト」(まず何よりも人間としての存在がある)もまた両団体の信念であるが、多くの国における障害者の実態は「負け犬」のまま変わっていない。人間としての障害者の価値、すなわち自分は「誰なのか、何なのか、地域社会に何をもたらすか」によって価値あるものとされる、障害者の価値を保護する国際条約を支持する。障壁を克服し、虐待や無視、品位を傷つける取扱いという苦しみを改善するには支援が必要である。障害者の中には「檻に閉じ込められ、満足に食事を与えられておらず、家族や外界との接触がない者もいる」ので、事態の緊急性は明白であると述べた。両団体は、障害者は「悪い扱いを受けていない」場合でさえ、「まだ、他の市民と同じ扱いではない」と語った。特別法が「保護するのではなく…権利を奪っている」ことが多いのが現状である。時代遅れの後見法は「たとえ、それが、善意で作られたものであっても、多くの苦しみを生んでいて」、特に知的障害者または精神障害者の場合、どこで、どのように生活するのかを制限するのに利用されていると述べた。「国際条約の起草に参加」することを全関係者に求める。依然として両団体の目標は、障害を持たない市民と同じ平等な権利を持つ人として障害者が扱われるように、世界のあらゆる場所で人々を支援することにある。同代表は、あらゆる人が完全に利用でき、「普通の人が」簡単に読める平易な英語の文書が最良の草案であると、個人的な信念を述べた。また、障害者の参加なしに条約を作成することは、障害者の人間としての価値を下げることになるという見解を述べた。障害者は「障害を持って日々の生活を送っているために、障害の役割について卓越した知識を有する」として、「私たちのことは、私たち抜きで決めてはならない」という言葉を繰り返した。

世界ろう連盟(WFD)は、国際障害条約コーカス(IDC)を代表して、テーマを絞った条約が現行人権体の主流に障害を組み込む努力を損なわせるかという点について、過去の議論に触れた。このことは人種差別や性差別の場合にも子どもの権利条約の場合にも生じなかったので、現在のテーマを絞った条約でも問題にはならないだろう。障害者は多くの場合「忘れられた存在・・・不可視の市民」なので、この条約は、障害者を「社会に可視化」させるだろう。テーマを絞った条約は現行国連人権体と矛盾しないというWFDとIDCの見解は、6つの既存文書における障害の主流化を加速すべきとした国連人権高等弁務官事務所の報告書と共通するものであった。新たな条約は、既存の人権文書から障害を排除するという望ましくない結果をもたらすものではなく、その正反対である。新たな条約の監視機関は、障害に関する実際上の専門的判断を下す場所を人権システム内に初めて設けることになろう。この専門性が権威や信頼へと成長するにつれ、その他の監視機関が障害について一層関心を払うようになると期待できる。このようなパターンは女性差別撤廃条約の採択後に見られている。さらに、国連人権委員会決議1998/31で言及されたように、基準規則に反するあらゆる取扱いは、障害者の既存の権利の侵害となる。最後に、条約によって基準規則の現行が更新され補足されることは、障害者への認知を高めるためにきわめて重要である、と述べた。以上を要約すれば、この団体は「マルチトラックアプローチ」を支持したことになる。「私たちのことは、私たち抜きで決めてはならない」。

世界精神医療ユーザー・サバイバーネットワーク(WNUSP)は、相互補完性の問題について取り上げ、国際人権章典が「精神障害のレッテルを貼られた人々の権利の促進について取扱ってこなかった、もしくは、誤った取扱いをしてきた」という強い確信を示した。関連して取り上げられた障害問題として、次のものが挙げられた。

  1.  精神医療サバイバーから基本的権利が取り上げられている。具体的には、しばしば終身の施設への強制収容がある。
  2.  治療の問題も含まれるかもしれない。
  3.  平和的な集会、結婚、投票その他についての障害者の権利を表明することが阻止されている。
  4.  社会的、経済的および文化的権利の分野でも同様の状況がある。
  5.  いわゆる「授産所」または精神病院で強制労働が行われている。
  6.  虐待が広範に行われている。子ども、女性、少数民族も被害者となる。
  7.  多くの国の政府機関、非政府組織および草の根の障害者団体から、残虐で、非人道的な、品位を傷つける取扱いが報告されている。

WNUSPは、「現行の国際人権章典は」この分野における実効性をみずから「十分に証明してこなかった」との見解を明確に述べた。これについて、精神障害のレッテルを貼られた者が施設に強制的に収容されている例や、精神病院その他の施設内で人権が実現されていない例が挙げられた。WUNSPは、時代遅れの医療モデルが、これからも恩着せがましい態度を生み、強制的収容の法的基盤となるであろう、との信念を述べた。WUNSPは、「包括的な法的拘束力を持つ条約・・・がなければ、解決策は」効果を持ち得ない、と今なお「強く信じている」とした。WUNSPは、他の既存の文書*は、この新たに生まれつつある条約の前提であり、新たなモニタリング・メカニズムが組み込まれ、国連の諸委員会を強化するものとなるべきことを強調した。モニタリングを適切に実施するには、障害者とNGOを既存の人権機関に有意義に関与させることが必要である。

午後のセッション

開始時刻:午後 3:15

終了時刻:午後 6:03

特別委員会議長は、各国に対し、「法的拘束力を持つ文書に関するコンセンサスを得るために最善の努力」をするよう求めた。議長は、条約策定に向けた特別委員会の準備を「歴史的な決断」と呼んだ。これは、すべての国連加盟国の見解、とりわけ障害者の団体という「重要なグループ」に属するすべての人々の見解を含んだ、透明性のある交渉過程に諸国を関わらせる決断である。議長は、文書をインターネット上に掲載すると発表し、すべての人の知識の助けとなる、まとまった文書を作るため、参加者にその見解や批判を加えるように勧めた。議長として、交渉過程の透明性を維持するために、いつでも迅速な説明を求める準備をすると保証した。議長は、国連加盟国の過半数の判断の妨げとなるような戦術や「隠れた思惑」は認められない、と述べた。

「障害の定義に関して新たに生まれつつあるアプローチ: 概念的枠組み、変容する定義の事情、障害者の権利の促進への含意」 に関するパネル・ディスカッション

特別委員会議長は、このパネル・ディスカッションの目的は、障害の定義に含まれる人の定義を導くことではなく、条約の範囲の決定を促すことであると述べた。

アメリカの連邦教育省のスコット・ブラウン氏は、自分の発言は、自分自身の意見と、国連での仕事の結果のものであり、アメリカ政府の意見ではないと述べた。ブラウンは、パネルに対して、この討議を第2週目の会合で行うことを歓迎した。というのは、会合は、障害の専門的、臨床的、医学的な討議から始まることが多く、「機会均等やアクセスの問題は、後に追いやられることが時々ある」からである。ブラウンは、今日見られる障害の「新たな領域」や障害につながる多くの条件(エイズ、人口の高齢化)が、20年前なら討議の一部にもならなかったであろうと述べて、女性や子どもの条約の場合とは異なり、「誰が障害者であるのか、という見方は時が経てば変わるかもしれない」と強調した。条約が「生きて、呼吸している国際文書」であるならば、変容や変化を認めなければならない。

ブラウンは、障害者インターナショナル(DPI)が用いている定義を取り上げて、自身の主張を説明した。DPIの定義によれば、「障害とは、物理的または社会的障壁を起因として、他の人々と平等に通常の社会生活に参加する機会が失われまたは制約されていることをいう」。この定義は、アドヴォカシーの目的にとっては有用であるが、条約の文脈で用いられる場合には問題が生じるかもしれない。というのも、障害が、ほぼ人権侵害そのものとして定義されているからである。DPIの定義によると「障害 = 機会の否定」であり、このことは「女性は、ジェンダーを理由に差別されるまでは、女性ではない」という考えに相応する。ブラウンは、通常の社会生活に参加する機会が失われまたは制約される「おそれ」があるかもしれない、機能的条件を持つ人々に伴った「状況」として、障害を考えるべきであると提案した。

ブラウンは、障害者は「アクセスについての基本的権利を否定された場合、他の分野でその権利を行使することができない」ので、アクセスの定義を検討することが必要である、と強く主張した。ブラウンは、検討され得るアクセスの定義を提案した。「アクセスとは、行為または状態ではない。アクセスは、入り、近づき、伝達し、行き来し、または状況を利用する自由である」。 障害は、人権へのアクセスの問題に固有の注意を払った状況に照らして、考察される必要がある。ブラウンは、この条約において検討され得るアクセスの7つの要素を提案した。(1) 情報の定位または交換、(2) 独立または選択、(3) 移動性、(4) 占有時間、(5) 社会的統合、(6) 経済的自足、(7) 移行(次のライフステージへの)。

フランス出身の国際障害分類・国際生活機能分類の専門家で、雑誌「ハンディキャップ」の編集長のキャサリン・バラル氏は、条約に必要とされる主たる三つの条件を提案した。

  1.  障害者に関する社会構築的な関係への人権の視点の編入。
  2.  実施についての政治的意思の存在。
  3.  参加型民主主義に対する信頼と、障害者団体の積極的な役割および判断。

社会は、時を経るごとに、障害者との「特定の関係」を構築しつつあり、「インクルージョン(参加)―エクスクルージョン(排除)」という動態的な連繋は、構築された社会的関係の類型と関連する。さまざまな局面において各種の社会集団に分けた場合、どの障害者が、どのように、どの程度まで「インクルージョン―エクスクルージョン」の影響を受けるかを確定することが必要である。「機会の喪失」に取りかかり、理解するさまざまな方法がある。バラルは、社会学の研究者、ヘンリー-ジャック・スタイカー氏とジーン-フランソワ・ラボード氏の名前を挙げた。この二人は、次のように、障害者の排除の類型について詳述しているという。

  1.  除去(例えば、医学的「治療」のための遺伝学的スクリーニングや強制不妊手術が挙げられるが、除去の「最も徹底的な形態」は死である)
  2.  ケアの放棄と剥奪(例えば、親権の譲渡)
  3.  隔離、すなわち、インクルージョンとのわずかな相違(例えば、「戻ることのない回り道」という帰結を生む、短期間を想定した特別施設への移転)
  4.  支援を通した排除、または「条件付きのインクルージョン」
  5.  周辺化(すなわち、ノーマライゼーションを通したインクルージョン、規範からの「逸脱」を減らす試み)
  6.  差別、すなわち、平等な人間を不平等に扱う行為。

バラル氏は、法の下の市民の平等に基づいて規律される近代社会の中心的な価値基準の条件を、障害者の側から平等にする必要があると述べた。

コフィ・マルフォ教授は、スライドを用いて、次の二つの仮定に基づくプレゼンテーションを行った。(1) 条約の起草過程は、障害者サービスに携わる者が世界中で直面しているのと同じ課題に直面しており、「普遍的な過程」を見出すことはそれらの目的にとって大いに役立つ。(2) 深遠な文化的差異という現実を認め尊重することは、「文書を生み出すこと」を困難にする。マルフォは次のことを強調した。広範な文脈において障害を理解する必要があり、また、条約を世界的規模で実効的に実施するという問題について議論する際には、ローカルとグローバルの両概念を考察する必要がある。

マルフォは、時が経るにつれ、障害の定義がどのように進化してきたかを述べた。また、どのようにして障害が、もはや単なる生物学上の観点(疾患、疾病、機能障害、能力障害、社会的不利)からでなく、「機能障害が個人の活動をどのように制約するのか」という観点から定義されようになったかを述べて、活動が参加に及ぼす影響の仕方を強調した。

グローバル・コミュニティーは、障害のローカル概念について取り組まなければならず、また、伝統や原理、信条、形而上学的基礎が障害の定義にどのように影響を与えるかについても取り組まなければならない。そして、この点に関しては、社会文化的な文脈において理解されなければならない。とりわけ、マルフォは、途上国における障害者のケアの責任に関して、家族と地域社会の重要性を強調し、これらの構造を政府のプロセスに置き換えることに対して警戒した。というのも、政府のプロセスは、ローカル・レベルで機能している、これらの仕組みを「侵食してしまう」かもしれないからである。マルフォは次のことも強調した。ローカルの視点で見た障害の概念と、ナショナルの視点で見た障害の概念とは、どのように異なるのか。そして、条約が世界のあらゆる場所で実効的に活用されることを確保するためには、このような差異にどのように取り組まなければならないのか、と。

マルフォはこの差異に関して述べ、それについて、文化的レベルと心理的レベルの両方から、どのようにアプローチすることができるのか、という点を強調した。マルフォは、シカゴ大学のリチャード・シュエダー教授の文化的差異モデルを引用し、三つの視点から、差異についてどのようにアプローチすることができるのかを述べた。すなわち、(1) 普遍主義的視点、(2) 進化論的視点、(3) 相対主義的視点である。我々の用いる視点は、我々が選択する論理的思考の類型に影響を与え、また、障害やリハビリテーションの性質その他のアプローチに影響を与える。マルフォは、次のように主張した。プログラムの実施に関して、地方レベルの事情を理解することが必要である。この差異の問題は、心理的レベルからもアプローチすることができる。障害は、個人に帰属するものとして、あるいは、「個人レベルと背景因子との相互作用の発現」として見なされ得る」。

質疑応答

ベニンは、障害については必要に応じてさまざまなアプローチがとられる必要がある、というマルフォ教授のステートメントを再確認した。ベニン代表は、ガーナにおける障害と、ローカルの視点で見た社会的不利の概念について説明するよう、マルフォに求めた。マルフォは、アフリカ社会における障害を一つのレッテルで表現することはできないから、いかなる議論も用語の分析を組み込まなければならない、と述べた。マルフォは、社会、家族および地域社会の責任が、ガーナの人々の障害へのアプローチに及ぼす影響力を強調して、次のように述べた。とりわけ途上国において、社会が責任をどのように考えるかは、文化的価値という観点からのみでは理解できない。というのも、社会的および経済的要因が、文化的価値と相互に作用し合い、それぞれの影響力を決定するからである。

EUを代表して、ギリシアは、そのバックグランド・ペーパーにおいて概略を示したように、このような条約検討過程の初期段階では、障害の定義に焦点を当てることは適切でない、との立場をとった。ギリシア代表は、以下の質問をした。

  1.  障害の定義は、条約を作成する際に不可欠であるか。
  2.  障害の定義は、とりわけ障害と差別との違いに関して、国家レベルで取入れられ得るか。
  3.  ある定義が適切とされ成就されるとして、この論点に関する議論の時機について、パネルはどのように考えるか。

一つ目の質問に対して、マルフォは次のように答えた。定義を創り出すことは、特別の信念を有する場所のみならず普遍的なレベルにおいて、条約が実施され得る方法に影響を与える背景的諸価値を理解するほどには重要ではない。二つ目の質問には、次のようにブラウンが答えた。現時点では、障害の定義が国家の法的枠組に翻訳され得ることはないであろう。もっとも、このことは、障害の定義に関する論点を議論すべきでないという意味ではない。なぜなら、条約を作成する際には、異質性と多様性に関する論点は重要であるからである。バラルは、条約の必要性に疑問を呈し、条約は普遍的に適用され得るのかと問うて、個人とその個人が住む社会との関係の結果として障害を理解することが重要であると繰り返し述べた。つまり、障害は「ある状況から生じた産物または結果」である、と述べたのである。EUの三つ目の質問に答えて、ブラウンは、この時点で定義はできないということでパネルは合意した、と述べた。

タイは、障害の定義に関係なく、この条約においてアクセシビリティを「定義し、説明し、組み込む」必要があることを再確認した。そして、いかなる条約も、ローカルの視点で見た障害の概念との相異のみならず、あらゆる障害者集団のニーズの複雑さについても、取り扱わなければならない、と主張した。

南アフリカは、障害の定義を明確にすることをためらった。そして、ブラウンに対して、国際生活機能分類(ICF)が特定の環境における機能について説明しているかと尋ね、また、それがこの条約にどのように適用され得るのか、明らかにするよう求めた。ブラウンは、機能が「行うもの」でありアクセスが「持っているもの」なので、機能とアクセスの間には重要な区別があると述べた。人権とはアクセスのことであるとして、障害ではなくアクセスの定義に焦点を当てるよう忠告した。条約で各状況に対処するのが、いかに不可能であるかを強調し、世界的状況と開発問題を考察する必要性を強調した。「ローカルとナショナルを考慮したグローバルな文書を作ること」は「困難な仕事」であるが、バランスのとれたアプローチが必要であると述べた。条約は人権文書なので、障害の経験、社会的および経済的背景、その経験に対する解決策を含むくらいの広がりを持たなければならないが、広範すぎてはならない。バラルは、ICF の分類モデルが適用可能であるとの確信はないが、細心の注意を払うに値すると述べた。バラルは、さまざまな環境において障害の定義に影響を与える種々の可変要素に対する注意を呼びかけた。

ジャマイカは、前に欠席していたにも関わらず、条約作成に対する「支持」を表明した。同代表は、環境因子がいわゆるハンディキャップ(社会的不利)を生み出すという認識に照らして、「ハンディキャップ」という用語を使うことに「嫌悪感」を示した。もっとも、障害者はハンディキャップのある人々として言及されることもある。同代表は、障害の定義に関するEUの主張に言及しつつ、次のような逆説を持ち出した。「最も聡明な知性」がここ何年も定義の問題に「取り組んで」きたのであって、「我々が3時間で定義を成就することは期待できない」。とはいえ、さまざまな国と地域の「視点を起草に携わる者が理解する」ために、「いくつかの問題を簡単に考察する」ことは「適切」である。

ブラジルは、1999年に採択された障害者差別撤廃米州条約(「グアテマラ条約」)に言及した。この条約の第一条には、次の定義がある。「障害」とは、永続的であるか一時的であるかを問わず、日常生活に不可欠な一つ以上の活動を行う能力を制約し、かつ、経済的および社会的環境により生じまたは悪化し得る、身体的、精神的または感覚的な機能障害をいう。同代表は、この定義への反応をパネリストに求めた。マルフォは、個人の「機能障害(インペアメント)」の外にある、ローカルの可変要素と条件を理解する必要がある、と繰り返し述べた。特別委員会議長は、ブラジル代表に対して、この定義の繰り返しを二、三回求めた。ブラウンは、「この定義の中心」は「機能障害」としての障害であると述べた。バラルは、この定義とは「大きく」意見が異なるとし、「覚えておかないであろう」と述べた。マルフォは、恐れていることの一つは二者択一の考え方で、この定義は「確かに不十分である」が、指摘された機能障害は「一つの構成要素」であり、この定義を作った人たちは「機能障害の一因となる、特定の地方に限られた特有の環境的条件に気づいていたかもしれない」と述べた。

マリは、パネルが提起した要点の明確さと適切さを高く評価した。だが、マリ代表は、隔離と差別の区別に関する、バラル氏の追加的な説明に加えて、パネリストが「自分たち自身の定義を疑問視している」ようなので「本質的な説明」を要求した。バラルは、「隔離と差別の境界はあまりはっきりしていない」が、隔離は構造(施設化の「制度全体」)であるのに対し、差別は誰かを選び出し、違っていると同定する行為であると述べた。

ニュージーランドは、条約は幅広く包括的であり、権利に基づくアプローチと矛盾せず、「機能障害(インペアメント)の経験」と「障害(ディスアビリティ)の過程」の間を明瞭にする必要がある、という見解を繰り返した。同代表は、ニューヨークの地下鉄システムを例に挙げて、字を読んだり、階段を昇降したり、手先がきかなくて運賃カードを機械に読ませたりできない場合や、混みあった場所・暗い場所で不安を感じたり、「自分が邪魔をしていると感じさせられたり」した場合のアクセスの難しさを説明した。同代表は、パネルに対して特に質問はないと述べた。

特別委員会議長は、 国際労働機関(ILO)代表に対して、そのステートメントが書面で入手できるという事実に照らして、そのステートメントを質問にまとめるように指示した。障害者とは、「正当に認定された身体的、感覚的、知的または精神的な機能障害のため、適当な職業に就き、これを継続しおよびその職業において向上する見通しが相当に減少している者をいう」、とする ILOの障害者の定義は、「雇用について具体的に」扱っているが、これは、「さらに専門的な定義の基礎となる」かもしれない。

国際障害同盟(IDA)は、定義に関する討議は「後回し」にして最後に検討する項目とすることを提案した。特別委員会議長は、IDAの「短いステートメント」に感謝した。ランドマイン・サバイバーズ・ネットワークは、障害に関する複数の側面と要素について指摘し、多くの国で、地雷の被害者は障害者とされ、そのため排除され、権利が否定されていると述べた。DPIは、 障害という広く使われている言葉が、文化によって「理解が異なり」、「実用的な定義」はないと述べた。障害コーカスは、パネルが紹介した社会学的な見方は「非常に有益」であると述べ、いかなる定義も「簡素さ、広範さ」を保ち、障害者の「生活実体」を正確に反映したものにすべきだと主張した。


ディスアビリティ・ネゴシエーションズ・デイリー・サマリーは、ランドマイン・サバイバーズ・ネットワークが発行する。このネットワークは、地雷の被害を受けた6つの途上国において手足を失った者の支援網を持った、米国に拠点を置く国際組織である。このサマリーのスタッフには、ジャグディシュ・チェンダー、マーガレット・ホールト、ジェニファー・ペリー、マーシャル・タラスター、およびザハビア・アダマリー(編者)が含まれる。このサマリーは、翌日の正午までにwww.rightsforall.orgwww.worldenable.netのオンラインに掲載され、スペイン語、フランス語(ハンディキャップ・インターナショナル)および日本語(日本障害者リハビリテーション協会)に翻訳される。質問については、ザハビア・アダマリー宛て(Zahabiaadamaly@hotmail.com)にメールを頂きたい。