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パネルディスカッション 前半

パネルディスカッションの様子

パネルディスカッションの趣旨

藤井●
 皆さん、こんにちは。これからシンポジウムを開始してまいりますけれども、今年のJDFフォーラムはおわかりのように特別の意味があるフォーラムです。批准の承認案件がどうなったか、電話で連絡を取っているのですが、本当は正午に批准の案件は承認される予定だったんですけれども、肝心の参議院の本会議が国会の波瀾含みもありまして、なお開催されていません。今日はどうなるんですかと伺ったら、わかりませんねというのが与党・野党の消息筋の話であります。しかし、与党・野党とも担当している議員さんの話によると、多分何とかなるでしょうという言葉でした。多分、このパネルディスカッションの途中で連絡が入るかもしれません。いずれにしましても昨日の参議院の外交・防衛委員会で4時間コースで審議がされて、そして採決、全会一致で可決していますので、委員会としては。滅多なことがなければ心配ないのではないかと思いますけれども、気になります。しかしここまで来ていますので、批准を前提にして今日は議論をしていこうと思います。
 この場で挙手による緊急アンケートを取ります。今日は大勢いらっしゃっていますが、このJDFフォーラムに初めて参加したという方はどれくらいいらっしゃいますか? ……15~16人。ほとんどはもう何度か参加されているということですね、わかりました。つまり、権利条約の概要はおよそは知ってらっしゃるということで話を進めていこうと思います。
 それでは本パネルの趣旨説明をします。参加者の中には新しい人もいらっしゃいますので簡単に振り返ってみましょう。2001年11月10日、メキシコのフォックス大統領が国連総会の場で障害者権利条約について、これを国連で制定しようと呼びかけました。そして同年の12月に権利条約を専門に検討するための特別委員会の設置が国連総会で決議されました。残念ながら日本政府はこの特別委員会の共同提案国に名乗りを上げなかったのです。翌年から特別委員会が都合8回、と言っても1回当たりが2~3週間ですから、延べ勘定をすると作業部会を入れて100日くらい審議をしました。そして第8回特別委員会の最終日、2006年8月25日でしたが、特別委員会としての仮採択がなされました。ブラッシュアップをして同年2006年の12月13日、第61会国連総会において全会一致で本採択をみたわけです。しかし、これで各国において法的な効力を有することになるかというとそうではありません。
 各国政府が権利条約について署名というセレモニーをしなければ、批准手続きに入れません。日本政府は、2007年9月28日に当時の高村外務大臣によって書名が行なわれました。これで形の上では日本も批准手続きに入れることになったのです。なお、権利条約は批准国が20カ国に達したことをもって自動的に発効となりますが、発効日は2008年5月3日です。偶然ですが日本では憲法記念日にあたります。覚えやすい日だと思います。その後着々と各国の批准が続き、一番新しいデータでは、EUを含めて138の国が批准しています。
 こうした中で日本も態度が問われていました。私たちJDFの基本姿勢は一貫していて、あくまでも形だけの批准は避けるべきとしてきました。名誉ある最終ランナーグループでもいいのではと言ってきたのです。
 2009年3月、日本政府は批准しようという動きに出ました。国会に提出するための「条約の締結を求める案件」を閣議で決定しようとしたのです。私たちJDFはこぞって反対の立場を取りました。政府が批准しようというのを民間が反対する例は稀かと思います。結局はJDFの意向が通って、閣議の案件から外されたのです。
 その後の障がい者制度改革推進会議やその後継組織である障害者政策委員会の動向、これらによってもたらされた5タイトルの意見書、さらには障害者基本法の改正や障害者差別解消法の制定などをみれば、この時の判断は誤まっていなかったと言っていいのではないでしょうか。
 そして今を迎えました。もちろん完全ではありませんが、それなりに機が熟したと言っていいのではないでしょうか。まだまだ課題は残っていますが、批准後の権利条約には法的な効力が付与されます。政治的にも効力が出てきます。私たちの運動にとっては明らかに、新しいベースキャンプを築いたことになります。そういう意味では批准要件を満たしての締結というよりは期待を込めての批准と言った方がいいかもしれません。

パネルディスカッションの狙い

藤井●
 次にパネルディスカッションの狙いについて述べます。大きく三つあります。一つは、コメンテーターの東さんを含めて、パネリストのみなさんから、批准が確実になった今の時点での感想を述べてもらいます。
 その上で、メインの柱になるわけですが、権利条約の50カ条の本則に照らして日本の現状をどうみるのか、現状や実態についての評価をしてもらいます。加えて、現状にみる問題点や課題をどう解決していくか、この点についても言及してもらいます。
 三つ目は、権利条約の周知、普及についてです。先日の参院での参考人招致でも出ていましたが、権利条約の社会への浸透は皆無に近いと思います。少しでも社会に知ってもらうための戦略、戦術をどうするのか、これについても語り合ってもらいます。
 今日は4時半まで長丁場ですが、フロアの皆さんからも率直な質問や意見を出してもらおうと思います。フロアからの発言については指定発言者をあらかじめお願いしてありますので、この方の発言を優先させながら、同時に広く皆さん方からも参加いただいて、参加型のパネルにしていこうと思います。
 進行の方法としましては、1人が長く発言するというよりは、テーマや柱に沿って小分けにして議論をしていきます。公開ディスカッションと言うのでしょうか、NHKの「日曜討論会」風にしていこうと思います。
 なお、後半で東さんのコメントをいくつかもらいますけれども、最後の方で今日の基調講演者のヴィクトリア・リーさんからも率直な感想をいただければと思っています。
 それでは早速、批准が確定的というこの時点での感想をお一人ずつ伺いましょう。トップバッターは田畑さんです。

障害者権利条約の批准についての感想

田畑●
 皆さん、こんにちは。眠くないですか? 実は、自慢話と言い訳なのですけれども、私、民間企業で働きながらいろいろな団体に出ているので、月曜日にフルタイムで仕事をした後に夜行でバンコクに行って、昨日、バンコクでイベントに参加してまた夜行で今朝帰って来ているので、めちゃくちゃ眠いです。ボケていたら申し訳ありません。
 批准間近ということで、私は主に世界盲人連合=WBUに参加をしているのですけれども、海外に行くとよく言われるのです。一体日本はいつ批准するんですかと。1ヶ月ほど前に韓国に行きましたが、そこでアジア太平洋障害フォーラム=APDF、JDFも参加していますけれども、APDFの方にも、日本はまだ批准しないのかと、イライラしているような雰囲気を感じていました。これでやっと皆さんに胸を張って、日本も仲間入りしましたよと言えるのをとても嬉しく思っております。
 特に私は、障害とは全く関係ない仕事を普段しているから余計に感じるのですけれども、日本では、差別とか権利とか人権とかという言葉にすごくアレルギー反応がある人がいて、障害のある人や障害者と関わっている健常者の人でも、権利という言葉が出ないのに権利のようなことを言うとすごく過剰に反応されてしまったりすることがあるので、権利条約が批准されそうだったり、差別解消法がこの世に生まれたり、そういったものは未だ不完全は不完全ですけれども、よくここまで来たなというのが実感です。
 WBUの方では、条約は各国単位で取り組まなければいけないことですけれども、国際ネットワークということで、何ができるかというのをいろいろ考えます。本日お配りしている資料にもあるように、国際的なアドボカシーのコーディネートをする人をインドのバンガロールで1人、有期的に採用しています。彼のおかげで、先ほどヴィクトリアさんからいろんな人権条約をどんどん使っていきましょうと言っていただきましたが、例えば女性差別撤廃条約の委員会があるのでそれに向けて視覚に障害のある女性の問題についてペーパーを出したりしています。
 それから、WBUの方でネットワークを作りました。WBUは6つの地域に分かれているのですけれども、それぞれに権利条約のコーディネーターを置きまして、その中で各国の権利条約に詳しい人たちのネットワークを作って、そこで情報交換をしたり、地域のイベント、例えば総会やセミナーといったところで、加盟団体の能力強化を図っていこうと考えています。
 こういったものを見るにつけ、今までもですけれども、権利条約などがこの世に出てきた今となっては、ますます国内の障害者の取り組みと海外の取り組みというものの連携が求められてくるし、それは一つの大きなチャンスなんじゃないかなと思っています。 ここにいる皆さん、またここに来られなかった皆さんと一緒に、権利の実現に向けてみんなで一緒に頑張っていければいいなと、改めて気持ちを胸に秘めております。どうもありがとうございました。

藤井●
 ここでNHK速報ならぬJDF速報をお伝えします。障害者権利条約の批准は、先ほど13時38分に参議院の本会議で可決され、承認となったそうです。我々も拍手をもってこれを確認しましょう。(拍手)
 これから国連の事務総長に対して、日本政府より批准書が寄託され、おそらく来年の2月中には発効になるはずです。事実上の批准と言ってもいいと思います。それではパネルディスカッションを再開します。山本さんから発言をお願いします。

山本●
 こんにちは。全国「精神病」者集団の山本と申します。私どもは1974年に結成された全国の精神障害者のネットワーク、連合体です。歴史だけは古いんですが非常に弱小団体でございまして、JDFの他の団体のような大手の団体さんとはとてもとても比較にならず、ジャコのトトまじりといつも言っております。
 私どもは刑法改悪の問題であるとか、元無実の死刑囚の島田事件の赤堀政夫さん、精神障害という差別ゆえにでっち上げられて死刑判決を受けた赤堀政夫さんの救援運動をしてきました。再審で無罪を勝ち取りましたけれども。
 そういう関係で人権関係のNGO、死刑廃止の団体というところと結構お付き合いがありました。私どもも自由権規約の第1回、第2回の政府の報告書審査に、当時はカウンターレポートと言っていたと思うんですが、NGOとしてパラレルレポートを出しました。WNUSP(世界精神医療ユーザーサバイバーネトワーク)の仲間によると、精神障害者団体で国連の委員会にそういうものを出したのは、おそらく私どもだけじゃないかと言われました。そういう関係で人権条約には興味を持ってまいりました。
 しかし、でもね、どうせ精神障害者だもんねとか、ちょっとひがんでおりまして、障害者権利条約の話が出た頃も、どうせまた適正手続きとセーフガードで強制入院をちゃんとやりましょうって話になるんじゃないの? と冷たく見ていたんです。しかし今、この批准ということで感慨にふけっております。2002年からほぼ10年かかりましたけれども、本当に感慨無量です。
 この過程というのは、私は一度もニューヨークには行っていないんですが、おかげさまで今はインターネットというのがありますので、おかげでほとんど睡眠不足にはなりましたけれども、逐一、国際コーカスやWNUSPが流してくれますし、いろんな議論にも参加することができました。
 本当に私たちで私たちの人権条約を作っているなという実感を感じています。第8回までの特別委員会の間、本当に勉強になりました。私自身は法律の教育も受けていません。英語も正式の教育は一切受けておりませんが、本当に勉強になりました。そしてとても感動しました。
 私も他障害の方とはあまりお付き合いはなくて、赤堀さんの救援の中で脳性マヒとか身体障害者の方とは若干お付き合いがありましたけれども、ほとんどお付き合いのないまま、本当にお互いの障害には無知なままでお付き合いを始めた。そしていろんな場面で、お互いにとんでもない意見なども飛び交うわけですけれども、条約という目標に向かって障害の種別を超えて、地域も超えて、南北、東西を超えて、本当にまじめな議論を重ね、団結して取り組めたと思います。
 国内でももちろんそうです。私どもは条約ということがなければほとんどお付き合いのなかったような大きな団体とお付き合いさせていただきました。他障害の団体間でも、「私たちのことは私たち抜きに決めるな」という原則を貫いて、視覚障害の問題については視覚障害者本人の意見を聞く、精神障害のことは私たちの意見。それが絶対正しいということではないけれども、それをもとに議論をするという、非常にまじめに率直に議論できました。これはおそらく日本の障害者運動の歴史の中でも初めて。もちろん世界でも初めてだと思います。そういう議論もできたんですね。条約ということで一つの大きな障害者運動の発展があったと思います。 なぜこの条約が必要だったかということを私はいつも言うんですが、私たち障害者って実は人間じゃなかったんですよね。今までの法律というのはどういう人が人間となっているかというと、男性で壮年で障害がなくて金がある、そういうのが人間、基準。その人に合わせて世の中の法律も何もかもできているんです。そのうちに、あれ、貧乏人というのもいたな、女ってのもいたな、あら、障害者もいたわねというふうになってきたというふうに私は考えています。
 ですから障害者となった途端に、本流の社会から分離された別の道に分離されてしまう。これに対してメインストリーム、先ほどヴィックが何度も言いましたね、障害の主流化ということ。私どもの団体の運営委員で、ガンで亡くなったんですが、その方が、国連でこの条約が採択されたときにこう言いました。「この条約がどういう意味かと言えば、いろんなところにあらゆる場面に障害者がいて当たり前という世の中を作るんだよね」と。これだと思います。これがメインストリーミング。あらゆるところに障害者がいて当たり前。ですから実質的に他の者との平等な権利を保障するためにこの条約がある。
 そういう意味では、今、条約委員会が一般見解の草案を二つ公表していますが、12条と9条。9条の方はちゃんと読めていないんですが12条の方は私が素人の訳を皆さんにお配りしました。これは墨字だけだそうなので、墨字が読めない方は外の全国「精神病」者集団のパンフを売っているところにメールアドレスをお伝えいただければデータをお送りします。
 この12条とは何か。つまり、すべての人は人である。障害があろうとなかろうと、人です。そんなもの当たり前じゃないかと皆さん、思うかもしれないけど、障害があると、この人はものが判断できる、できない、能力がないから代わりに判断してあげましょう、あるいは自分で決めちゃダメよという制度があるわけで、それが最も本質的な我々の人権否定である。あるいは法的能力が認められなければこの条約全体がその認められていない障害者には意味がないものになってしまう。この12条の話はまた後でしますけれども、非常に重要な点であり、かつ非常に誤解されている条文だと思います。少なくとも精神の業界の専門職は全員誤解していると言っていいと思います。
 今、本当に新しい時代が、後見人制度と強制医療、強制入院制度を廃止するという物差しができて日本が批准したという歴史的な日にこういうところで話せて、本当に感慨無量です。ありがとうございます。

藤井●
 それでは次に、尾上さん、お願いいたします。

尾上●
 DPI日本会議の事務局長の尾上です。本当に歴史的なタイミングのフォーラムになったなというのが率直な実感です。JDFは予知能力とかを持っているわけではないんですが、ちょうどセミナーをやっているときに批准手続きの承認が参議院で可決された。これから締結の手続きに入っていく。そういうときにこういうフォーラムができ、そして全国の皆さんと一緒に集えたことを、まず心から喜びたいと思います。
 午前中から多くの方のご挨拶の中でも触れていただきましたけれども、この10年間というのは日本の障害者団体、JDFを中心に結集をし、力を合わせ、まさに今日この日のために活動してきた。この10年間が報われた瞬間なのかなというのが率直な実感であります。 こういった流れというのは1970年代くらいから障害者の権利を求めた運動として、進められてきましたが、特に21世紀に入っての10年の活動というのは大きな意味があったと思います。そしてその中でJDFの小川前代表や、JDF副代表もさせていただきましたが、DPIの議長をしておりました三澤、JDF代表者会議のメンバーでありましたJDの勝又さん、板山顧問、そういった方々が急逝された。去年から今年にかけて日本の障害者運動の最初の時代を作ってこられた方々が亡くなられるという、非常につらい時期でもありますが、本当にそういう人たちが命をかけて、人生をかけて活動をしてきたから今日の批准を迎えることができた。そういう方々とともに、その意味をかみしめたいと思っています。
 特に私たち日本の障害者にとって権利条約を作るプロセスから、そして今後さらにモニタリングを含めた完全実施に向けてのプロセス、そのすべてにおいて「Nothing about us, without us=私たち抜きに私たちのことを決めないで」の精神を大事に取り組んできたということの意味も改めて確認をしておきたいと思います。権利条約を検討していたアドホックで、今日もコメンテーターで来ておられる東さんに政府代表団に入ってもらうように障害者団体として働きかけ、そして毎回毎回のアドホック委員会にJDFから傍聴団を多数派遣する。そういった権利条約を作る段階から私たちJDFが力を合わせて参加してきました。そして以降、今日の批准に至るまで、2009年に幻の批准という動きがありました。しかし、しっかり法整備をしたうえでの批准をということで、あのときJDFで一丸となって、ちゃんと法整備をしてからお願いしますということを言ってよかったなと思います。もし2009年3月、批准手続きに入っていたら、基本法の一部手直しくらいはあったかもわかりませんが、少なくとも差別解消法や総合支援法といった動きはなかっただろうと思います。歴史に「もし」というのはないのかもしれませんが、あのときにもしJDFの団結が崩れていたらどうなっていたか。逆に言うとJDFの団結があったからこそ、今日までの国内法整備の上で批准ということが実現できたということを評価点として確認をしておきたいと思います。
 そして何よりも、障害者団体の障害の種別を超えたネットワークがJDFという形ででき上がってきたということは、今日、午前中にヴィクトリア・リーさんからお話をいただいた今後の条約批准後のプロセスにおいても非常に重要な財産になっていくと思います。というのは今後、政府報告を作っていく中でモニタリングということ、あるいは障害者団体としてNGOとしてパラレルレポートを作っていく。その中で、これまで以上にJDFとして力を合わせて当事者の声、「Nothing about us, without us」ということを今後もさらにさらに磨きをかけて活かしていきたい。
 権利条約の批准というのは、この10年間の一つの到達点だけれども、次の大きな10年に羽ばたいていくため、さらにステップアップしていくためのスタートでもあるということを確認したいし、今日のシンポジウムの中で今後の次のステップに何が重要なのかということを一緒に議論していきたいと思います。

藤井●
 ありがとうございました。次の発言者の迫田さんを紹介させてもらいます。NHKのエグゼクティブ・ディレクターで、特にEテレの障害分野の番組に長年携わっていらっしゃいます。Eテレは総合テレビとは違って、視聴率はそれほど高くありませんが、しかしボディーブローのようにじわじわと社会に影響を与えています。権利条約についても一貫してウォッチングをしてもらってきました。迫田さん、どうぞよろしくお願いします。

迫田●
 どうもありがとうございます。皆さんとともに今日、この一番大切な日に、この場に一緒にいられたということを私は本当にうれしく思います。そして光栄に思います。
 私は2003年に福祉の番組に携わるようになりました。それまで解説委員など別の仕事をしていたんですが、現場で取材をしたいということで2003年、ちょうど10年前に福祉番組のディレクターになりました。JDFの設立が2004年ですよね。その頃から皆さんに取材をさせていただいたり、現場に行かせていただいたり。会場にも取材をさせていただいた方が大勢いらっしゃいます。
 10年間そのプロセスを見ていた中で、当事者の皆さんの力がどれだけ大きかったかをひしひしと感じます。2006年12月に権利条約が国連で採択される直前に、ラジオの「視覚障害者のみなさんへ」という番組でキキさんのスピーチ、藤井克徳さんに教えていただいて「私たちのことを私たち抜きに決めないで」をご紹介しました。当事者の力は、本当にすごいものだと、その後もずっと思いました。
 2010年の障がい者制度改革推進会議の第1回の会合も、うなぎの寝床のような会場でしたが、私も傍聴していました。当事者の皆さんが次々発言され、しかも車いすユーザーの東俊裕さんが室長でいらっしゃいました。政府の会議で政策を決める場にこうした皆さんが一堂に会しているということがどれだけすごいことかと思いました。何回か番組にさせていただいています。
 例えば医療ですと医療基本法というのはまだありません。しかも医療のいろいろな審議会などで患者が参加するというのはつい最近のことなんです。しかも半分なんかいません。医療制度を決めるのに医療者と保険者と、あと学識経験者といわれる大学の先生などで決まっていったりする。医療でしたら私たちみんな当事者なんですが、患者代表として加わるような仕組みが、一部を除いてまだきちんとできていません。そういう意味ではこの皆さんたちの活動がどれだけ大きなものを変革しているかと思います。
 これからの問題として重要だと思うのが、前文に「障害が発展する概念であることを認め」という文章です。国会の参考人質疑でもありましたが、“障害とは何か”を固く決めてしまわないで、社会と当事者との間の相互作用によって起きていること、としている。つまり困難な状況にある人たちの状態を表している、と考える。困難な状況にある人たちを守る、つまり人権ですよね。人権の問題であるということを強く意識しながら、理解する仲間を増やしていくということ、あるいはそのための努力をするということが大事だと思いました。
 比較になるかどうかわかりませんが、日本は1985年に女子差別撤廃条約を批准しているんです。30年近く前です。私はその前から、80年から仕事をしていましたので、そのあたりのことをよく覚えています。国会で雇用機会均等法を成立させた直後に批准する形になり、そのときはうれしかったんですが、皆さんご存じのように現時点で日本は女性の地位は世界で105番目です。30年前に批准したけれども、85年に批准したけれども、その後まだ進んでいない。意識がなかなか追いつかなかったり、あるいは当事者同士の連帯みたいなものがもしかしたら薄かったりするのかもしれない。そういう現状です。
 ですから、批准をした、でもこれから先どれだけいろいろな思いをみんなでつなげながら進めていくかという課題を、また背負ったんだなと、私自身は思いました。
 今日は、本当にうれしく思います。ここにいられてうれしいです。ありがとうございます。

藤井●
 ではコメンテーターの東さんからも一言いただきます。少し紹介しますと、東さんは皆さんご存じのとおり、今、内閣府の障害者制度改革担当室の室長をされています。さっき尾上さんからお話がありましたように、第2回の特別委員会から最後の第8回まで、日本政府の代表団に、民間からの特別顧問として加わってもらいました。東さんは弁護士であり、ご自身も障害をもたれています。また、ご出身の熊本県での活動もされながら、条約の動きにずっと関わってきましたので、感慨もひとしおかと思います。一言感想をいただきましょうか。

東●
 ありがとうございます。内閣府の東と申します。1時38分、批准が承認されたということで、あとは政府の手によって批准の手続きが進むということになります。思い起こせば随分長くかかりました。さまざまな困難な局面もありました。しかしながら批准にまで持ってきたということは、やはり日本の障害者団体が総力戦で勝ち取った成果だろうと思います。
 権利条約はいわば障害者にとっての憲法です。その憲法がやっと私たちの手に入る、そういった時代を迎えることになります。ですのでこれまでとは違った新たなステージが始まると思います。しかしながらこれまでの制度改革のように集中した期間の中で課題を明確にして変えていくという動きとはまた別の困難な課題も出てくるかと思います。しかしながら困難であっても「Nothing about us, without us」という、みんなが連携して力を発揮するというやり方は、やはり普遍的な価値のあるやり方だと思います。
 今後ともJDFは本当に頑張ってもらわなければいけません。私がいる今の立場はどうなっていくのか、よくわからないところもありますが、私としてはそろそろという時期に来ているのかなと思っています。
 今後、特に監視機関として政策委員会がどういうふうに機能していくのか、非常に大きな課題を背負っていくことになります。そういうことも含めて今後、障害者運動をどうしていくのか。こういう場で皆さんと一緒に議論できる機会を与えていただき本当にありがたく思っています。よろしくお願いします。

障害者権利条約に照らした日本の現状と重点課題

藤井●
 ありがとうございました。恐らく会場の人たちも含めて、みなさん簡単に口で表せないくらいの、万感の思いなのでしょう。しかし、各パネリストからの発言にもありましたように、大切なのは、これからであります。次の柱の方に移ってまいります。
 今日のメインの柱になりますけれども、私たちはこの批准を受けまして、これからの課題を考えていかなければなりません。恐らく、多岐にわたると思いますが、今日は時間の制約もありますので、その中でも重点的なもの、急ぐべきものに絞って、午前中のヴィクトリア・リーさんからのサジェスチョンも頭に入れながら、探っていこうと思います。
 その後の三つ目の柱では、こうした課題を実現していく私たちの主体的な力ということも、話し合おうと思っています。
 では、条約に照らした現状の評価にも触れていただきながら、みんなで意見を出し合っていきましょう。尾上さん、トップバッターで、お願いできますか?

尾上●
 ありがとうございます。まず、もし2009年に幻の批准があったらという話をしましたが、それ以降、2013年に至るまでの期間、何があったかということを確認しておきたいと思います。
 東さんを室長に迎えて、私たちJDFの仲間の多くが参加をする形で障がい者制度改革推進会議が始まりました。その中で第一次意見というものをまとめました。第一次意見の中で特に横断的な3つの法律をしっかりつくって、その上で批准をしようということが示された。一つは障害者基本法の改正。先ほど、石野さんから手話言語法、情報コミュニケーション法の取り組み報告がありました。その一番の大元になったのが障害者基本法の改正の中の第3条に「手話は言語である」ということ。そして、法律上は「意思疎通」という言葉ですけれども、情報コミュニケーション保障のことが入ったというお話もありました。そういった改正基本法があり、そして2012年に総合支援法。これはあくまで3年後見直しという附則があった上での総合支援法と私たちは理解していますけれども、その3年見直し付きの法律が成立した。そしてさらに今年の6月に障害者差別解消法というふうになったわけです。
 今から思えばですが、最初の障害者基本法の改正をしっかりやっておいてよかったと思います。この第4条に「障害者差別の禁止」ということが入ったからこそ、基本法を具体化する法律として差別解消法が今回ぎりぎりのところで成立したんだと思うのです。もしこの改正基本法が、2009年のときのようにせいぜい施策推進協議会の「意見具申」という4文字ぐらい、それで批准だということだったら、とても差別解消法はなかった。
 障害者基本法、総合支援法、差別解消法、私たちから見たときに、これで国際社会に胸を張ってとまで言えるかどうかは別にして、ぎりぎり権利条約に批准できるなと思ってきたわけです。
 とは言うものの、この4年間、推進会議から政策委員会の中で当事者の声を中心にしていろいろ提言をし、あるいはJDFとしては運動をし、いろんな法律を何とか制定してきました。でも決して十分に満足がいく状態でもないということです。
 これからのスケジュールをみていきましょう。今年、第3次障害者基本計画というのを決定しました。そしてこれからいよいよ差別解消法の基本方針策定の議論に入っていきます。そして来年4月から総合支援法の中で、まだまだ日本はパーソナルアシスタンスは道遠しというところですが、重度訪問介護の対象拡大やグループホームの一元化等々の総合支援法の実施分があります。そして来年度には差別解消法の各省庁ごとのガイドラインを作っていく作業に入ります。そしてさらに2015年にはもう基本法の3年後見直しになります。総合支援法も2年後の見直しが控えています。2016年に総合支援法の見直し。そして次の2017年には今の基本計画の次、第4次基本計画と。
 向こう5年間をとっただけでも毎年これだけの課題がある。権利条約を批准して少しホッとできるかなと思ったら、それどころではないということが、わかると思います。
 もちろんこういった国内的課題と並行して、まさに密接にリンクした形で。批准後2年以内には、午前中の講演にもありましたとおり、日本政府は報告を出さなければなりません。それに対して政策委員会でモニタリングをしっかりしていかなければいけませんし、同時に民間からのパラレルレポートの準備もしていかなければならない。特に直近では、差別解消法の基本方針やガイドライン、そして3年後見直しと言われてきた総合支援法もあと2年。来年、再来年、ちゃんと準備をしていかなければ本当に意味のある見直しになるかどうかというところだと思っています。
 もちろん今申し上げたものはすべてに関わる横断的な課題であって、今日特別報告がありました情報コミュニケーション法や手話言語法、あるいは教育や労働に関しての法律、あるいはさまざまな課題、障害のある女性あるいは子どもの複合的差別等への取り組みがあります。今日午前中の講演でも非常に強調されていたのはこの障害のある女性や子どもの複合的差別の問題だという印象を持ちましたが、そういった課題に対してしっかりJDFとしても意見提起をしていけるような準備が必要なのではないかと思います。
 まだまだしゃべりたいことがありますが、他の皆さんの時間を奪ってもいけませんので、とりあえずこのぐらいにさせていだたきます。

藤井●
 いまのご発言は、時間の制約もあって共通点ということでお話しいただいたため、少し総論的になりました。次は各論に入るかもしれませんけれども、山本さん、田畑さんの順でご発言をお願いします。

山本●
 私、先日、成年後見法のことで民法が大変なことになるという問題提起の学習会にまいりました。講師の方は成年後見法に非常に批判的な方で、私、お叱りを受けました。条約12条を障がい者制度改革推進会議及び障害者団体はなぜまっとうに議論しないかと。ちょっと皆さんいろいろ事情があって棚上げという実態で、私はその方に非常にお叱りを受けました。
 それはもっともなことで、まじめに条約を読んで、条約委員会のこの間の最終見解を読んでいれば、12条というのがどれだけ重要な条文であるかということは当然わかるわけです。その講師の方は障害者団体の方ではなくて社会福祉士、ソーシャルワーカーでしたが、何で障害者団体は12条を問題にしないという当然の疑問が出てくると思います。しかし、障害者施策は実は後見人制度をもっと使いましょうというふうにどどっと流れているんです。今、社協とか福祉関係の施設に行くと、後見人を使いましょう、活用しましょうというポスターがいっぱい貼ってあると思います。それから障害者計画の中でも政策委員会の意見とは違って、政策委員会の意見では後見人制度を「見直し・検討」という表現だったと思いますが、障害者計画だと「促進」になっています。全く意味合いが違うような位置づけになっています。その他、予算とかの面でも後見人制度利用促進ということの方向が出ています。これは条約から見ればとんでもない話です。
 もう一つの強制入院の方はどうかと申しますと、精神保健福祉法改正のために実は新規の強制入院は増え続けています。例えばずっと遡ると、大体87年に向けて新規の措置入院というのは減ってきています。ところが87年に2,000人を切っていたものが、2012年には6,685人。3倍以上に増えています。人口が3倍に増えたとも思えないし、自傷他害のおそれという病態のかたを一応認めたとして、それが3倍になったというのもいかにも不合理です。
 それから医療保護入院の方も大体2.3倍になっています。政策が強制入院を減らすという方向にいっていないのです。増やすという方向にいっているのです。例えば精神科救急、夜間・休日というのは原則強制入院。それからとても点数の高い救急用の精神科の病棟というのは、6割を強制入院にしなければならないという形で、辻褄合わせの強制入院が実は現場で増えています。これは先日、精神病院の労働組合が厚生省と交渉した際に暴露していました。彼らの現場でそういうことが起きています。
 このように精神障害者にとっては全く逆行した流れかできている。残念ながら批准は素直に喜びたいけれども、この逆行の反動については、私は今、ため息をついています。
 さらに、象徴的なのは前国会で差別解消法が成立しました。よかったと思います。しかし同時に精神障害者が免許を取ったり更新するのが難しくなる道路交通法の改悪がされました。それと同時に、精神障害者が重大事故を起こすと、同じ事故を起こした障害のない人より重く罰するという危険運転罪というのも継続審議になり、今国会で成立しました。さらに今、大問題になっている特定秘密保護法では、特定秘密を使う適正調査の中に精神疾患かどうかということが入っています。つまり男で壮年で病気も障害もなくて金がある人。そういう人が適正だ。つまり借金があるかとか。さらにひどいのは、家族に重病の難病のお金のかかる人がいるか、お金のかかる障害者がいるか。そこまで調べるということも出てきています。そういう形で今、障害者にとっては非常に厳しい時代であるし、予算を見ても財務省の財政建議というのを見ても、社会保障を一斉に切るという時代ですので非常に厳しいとは思います。
 しかし、私たちは条約という物差しを今、勝ち取れたわけです。これは基準です。物差しです。これで明日から突然、予算が5~6倍になるという効果はないでしょう。あるいは明日から突然、障害者差別がなくなるという効果もないでしょう。でもこの物差しを持って、後見人をなくすとすればどうやってなくしていくのか、強制入院をどうやってなくしていくのか、法制度を使っただけではダメです。やはり強制入院や後見人制度を必要としている状況を変えていくしかないわけです。
 その意味でオルタナティブが必要です。これはWNUSPの条約履行マニュアルです。単に法制度を変えるというのではなくて、オルタナティブを作っていくということが紹介されています。オルタナティブというのは、もう一つ別なやり方。病気になった=精神病だ=入院だ、具合が悪い=強制入院だ、自分では判断できない=代理人が決定しようではなくて、そういったやり方に対してもう一つ別のやり方をオルタナティブと言います。例えば原発のオルタナティブは太陽光発電です。代替のやり方です。そういうものを私たち自身が作り上げていく。そういう決意を持たなければいけないと、私は今、思っております。さまざまなオルタナティブの研究と同時に、しかし法制度も根っこから変えていくということが必要だと思います。
 そうした取り組みは今、非常に厳しいですけれども、むしろ財政がないというなら違うだろう。我々自身が我々自身の手でやるんだったら、少なくとも精神医療に関しては、あの膨大な精神病院入院費を節約するということは可能です。
 それともう一つ言います。今許せないのは、皆さんのところにビラが入っていると思いますが、精神科の病床が人口比で日本は世界一というのはもう何十年も国際社会から批判されています。その解決にいい手があったと言ってとんでもない案が出ています。精神科の病床を明日からは病床と呼ぶのをやめて居住施設にしましょうと。2階までは病院ですが3階は住まい。2階から3階に移ったら退院、おめでとうございます、おかげさまで病床も3分の1になりました、地域移行、退院促進もできましたなどという案が出ています。
 こういうごまかしを私たちは決して許してはならない。少なくとも3階に移れる人を私たちが地域に取り戻していかなきゃいけない。地域でともに生きる。少なくとも障害者基本法は「分け隔てなく」ということを言っています。それを実現する道を私たちは考えていかなければいけないと思います。その意味でもう一度、物差しとしての障害者権利条約をしっかりと握り直したいと思います。

藤井●
 最後に言われた問題に関しては、山本さんたちも我々も今から5~6年前に厚労省と話し合いをしました。そのときのテーマは、精神科の病院敷地内にグループホームを国が作るんだという考え方についてでした。それは違うんじゃないかと申しあげました。病院敷地内であればグループホームづくりなどで反対運動に会うこともなく、そうしないと病床が減らないと言っていました。何とか了解してほしい、いや了解できませんという平行線のままの議論でした。ところが今度は、敷地内どころか病床自体を居住施設とみなしてしまうという議論です。これでいいんでしょうか? 権利条約の19条に抵触すると思うのですが、そんな問題が今、折しも条約の批准というこの時期に、二月ほど前から急浮上しています。本当は深い論議が必要かと思います。
 先ほどの12条問題は後で柴田さんからも指定発言がありますので、少し論議ができると思います。
 では田畑さんからご発言をお願いします。

田畑●
 ありがとうございます。先ほど石野さんからもお話があった情報アクセス、コミュニケーションに関する問題。これはご承知のように視覚、聴覚、盲ろう、難聴、それから知的の方と今、連携してやっています。視覚障害者にとっても情報アクセスというのは多分、問題の中でも特に大きな問題の一つだと思います。ご存じかもしれませんが、世の中に出てくる書物の中で視覚障害者が読める形になっているものは全体の5%しかありません。だから95%の本は最初から私たちは読めません。
 ウェブがいろいろ進化しています。国際基準うんぬんというのもいろいろ出ていますが、独立的にどんどん進んでいってしまうのでついていけないという不安を持っている視覚障害者の声はよく聞きます。他にいろいろ技術が発展して開発されていますけれども、結構みんな不安に思っています。そういった情報に関する技術がちゃんと視覚障害者が利用できるような形にしてもらわないと、私たちはますます情報から取り残されてしまいます。この情報アクセスに関する法規制をきちんとして、条約が認めているような情報アクセスに関する平等を実現させる必要があります。
 それからかなり個別の話になってしまいますけれども、先ほど申し上げたように私は民間企業で働いています。民間企業に入るとやはり経済原理で動きます。今、差別解消法は民間のところでは努力義務になっていると思いますが、努力義務で努力をしてくれる人は努力義務がなくても努力をしてくれます。雇用の場でも。実は昨日、バンコクに行ったのはインクルーシブビジネスに関する表彰の会に出ていたのですが、日本の雇用も教育のように、どちらかというと隔離されていることが多くて。それをもって雇用が増えているということになっています。確かに仕事がないよりいいのかもしれないですが、本当にそれでインクルーシブ社会なのでしょうか。それが本当に条約で言っているインクルージョンなのでしょうか。
 それは恐らく民間に対する努力義務で果たしてどこまで実現できるのか、もちろん運用にもよるかもしれませんが、やはりもう一段、民間企業にもきちんとやってもらう形が必要なのではないかと思っています。
 それから、私はどちらかというと国際関係のことに携わることが多いです。この中でも経験がおありの方がいるかもしれませんけれども、社会福祉法人や公益財団法人などいろいろな法人の形があると思いますが、法人の分類によっては政策的に国際協力があまり推進されていない形になっているという経験をお持ちの方、多分いらっしゃると思います。条約の中では障害のある私たちが率先して他の国、特に途上国の人たちの国際協力、開発活動に携わっていく、私たちこそリソースであり、私たちこそが専門家であるというふうになっています。社会福祉法人は障害のある人たちのリソースがたくさんあるはずですので、国際のためにわざわざ他のことをしなければいけないという無駄な行政コストはなくして、社会福祉法人の人たちがそのままそのリソースを途上国の同じ障害のある仲間に生かせるような、私たちがもっと専門家として生かせるような国際協力になってほしいと思っています。個人的な経験ばかりですが、ありがとうございます。

藤井●
 いやいや大変大事なことです。今日の話の中では優先順位が下がってしまったかもしれないですが、条約の第32条に国際協力があります。さきの障害者基本法の抜本改正の中では国際的協調が基本原則に入り、かつ国際協力も強化されました。その中で、今言われた、社会福祉法人が国内での貢献のみならずもっとその制度の枠を超えるべきだいうのは、具体的にはどういうイメージなのでしょうか。社会福祉法人と国際協力との関係をもう少しお話しいただけますか?

田畑●
 これは特に税制とかで国際活動の方には税の優遇がききにくくなっていたりしますので。社会福祉法人というのは厚生労働省の傘下が多いと思いますが、国際をやりたかったら外務省へ行ってくださいと皆さん言われてしまうようなので。本当はそういう社会福祉法人とかに障害のある人たちのリソースはあるので、それをもっとスムーズに国際、開発に生かしていけるようになってほしいと願っています。

藤井●
 日本は今、アジアでもかなり緊張関係にありますが、今こそ人権や、障害分野での外交、貢献において、存在感を発揮していくことが、大事なソフトパワーだと思います。ODAもどんどん削減されています。今日はすべてを議論し尽くせませんが、これも大事なテーマです。考えていきましょう。
 迫田さんは少し立場が違いますけれども、現状の評価と、これから当面重点を置くべくテーマについては、どんなふうに見られていますか?

迫田●
 個別な話は皆さんの方がご専門でいらっしゃるので、私は少し総論を話します。
 日本の社会保障制度ですが、ご承知のように家族中心、企業中心の制度でした。企業に働くサラリーマンとその妻、子ども2人というモデルででき上がってきていて、そこを補完する形で、何かが起こるとつぎはぎだらけのパッチワークの制度として今の仕組みになっている、というふうに私は認識しております。
 その中で例えば制度の改革とか介護保険の改正とか医療制度の仕組みとかというときに、そのつぎはぎをまた作っていくというような形になっています。先ほども山本さんやいろんな方からお話があるように、これからの制度改革がどうなってゆくのか、基本的には自己負担を増やしていくというように見える、公正さとかユニバーサルという言葉の名のもとに、基本的に自己負担が増えるという動きがあるわけです。
 そう考えたときに今回の権利条約の大きなものの考え方、つまり一番困っている状態を社会との関係の中でどういうふうに解消していくのかということこそが「人権」……という言葉でいいと思うんですが、そのベースがあれば、この制度はおかしいとか、この考え方は違うとかということが見えてくるのではないかと思うのです。
 例えば、私は被災地を取材することが多いのですが、被災地で生活不活発病で動けなくなってきた、被災後うつ状態になってきた、いろいろ複合的な要因からどうしてよいかわからない、自分で手を挙げなければ制度にもつながらないし制度の壁は非常に高い。そうしたこぼれ落ちていく人が今、たくさん出てきている。ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)という考えがあります。インクルージョンという言葉を日本語にするのは難しいのですが、こぼれ落ちない、誰一人取りこぼさない制度としてどういうものが必要なのかという視点で考えていく必要があると思っています。同じような状況になる人はこれから大勢でてくるのではないか、と危惧します。
 難病の制度も今後どうなるか注視しなくてはなりません。制度として、ユニバーサルとか公正さを追求する、という言い方で、逆にこぼれ落ちる人、生きていけなくなっていく人を作ってしまうのだとしたら本末転倒です。これに対してものを言っていくために、考え方の基盤として、この権利条約が非常に大きいのではないかと考えます。
 今後、大事なのは、地方自治体の取り組み、動きだと思います。取材をすると、自治体によってあまりにも格差があります。何が異なるのか、それが、自治体の窓口の人たちのものの考え方だったりするのです。ある、ソーシャルワーカーが言っていました。制度にはまらない人が出てくると、あるいは複合的なものがあってどう扱っていいかわからないと、その困っている人を見ない振りをしてしまう。見なければ、「困っている人はいません」ということになります。窓口の人だけを批判しても酷かもしれません。解決の仕組みを持っていないと、問題そのものをなかったことにしてしまいがちになるのです。一番身近なところで、本当に困っている人のための窓口的な機能をどう作っていくのか。どういう人を置いていくのか、人材をどういうふうに育成していくのか、その後の解決の仕組みをどうやってつくりあげてゆくのか、そういうポイントも重要なのではないかと思っています。

藤井●
 それでは東さんから、中間的なコメントも含めて、またご自身の考えもあると思いますので、当面の重点課題について述べてもらいましょう。

東●
 おっしゃったようにさまざまな課題があります。権利条約に批准できるような状態になったとしても、条約自体はさまざまな権利が書かれてありますので、その権利から見て現状はどうなのかということは引き続き議論し検討し、改革していく必要があると思っています。
 その上で、どこがそれを担うのかという点が現実的には大きな問題であると思います。先ほど、権利条約は障害者の憲法だと言いましたけれども、憲法と違う点が少しあります。どういう点かと言うと実施手段というものが条約にはあるわけです。ご存じのように国際的なモニタリングと国内的なモニタリング。この二つによって条約を実施していこうという仕組みがあるわけです。そこが憲法とちょっと違うところ。憲法はもちろん最終的には裁判所によって担保されるということになっています。しかし条約の場合はもう少し具体的な形での履行のシステムがあります。これをどう使っていくのかが大きな課題になるわけです。
 国際的なモニタリングの関係で言えば、先ほどのリーさんの報告からわかるように、2年後には政府が政府報告書を出すわけです。それに対して恐らく障害者団体は違う意見を持つということになると思います。問題なのは、政策委員会がどう絡むかということでもあります。政策委員会は条約の33条2項の国内監視機関に該当するということになろうかと思います。そうした場合、条約の実施についいて政策委員会がどういう意見を持つのか。それと政府が出す政府報告書、2年目なんですが、そこをどういうふうに絡ませていくのか。それが一つ大きな課題として現実的にはあるわけです。
 今、政策委員会は最初は障害者基本法の基本計画について議論をし、現在においては差別解消法の基本方針を議論しています。基本的には障害者基本法上の役目としては、国内の障害者施策の実施状況を監視していく。必要であれば意見を述べて勧告もできるということになるわけです。当然、勧告の中身としては法制度についての意見も含まれるわけです。ですのである意味、本体的なそうした機能を政策委員会で果たすということになって、そこでの大きな議論というのが今日出されている個別の問題に関わることになると思います。
 もちろん障害者に関してはいろいろな審議会の中にメンバーとして入って議論が進んでいるわけですけれども、他の審議会とは違い、勧告権限を持つ委員会です。やはりJDFとしても政策委員会にどういう形で臨んでいくのかという議論も必要ではないかと思っています。
 個別問題で言えば、この問題はどちらかというとこの団体が一番関係が深い、あの問題はこのあそこの団体だと、バラバラになるのかもしれませんけれども、全体的なモニタリングとの関係の中で、障害者団体がどう活動していくのか、そういった議論をしてもらいたいというのが個人的な意見です。

藤井●
 今のように東さんを室長にした制度改革担当室の貢献は、機構上も人物上も、非常に大きかったと思います。人物はさまざまな方がいらっしゃるかもわかりませんけれども、この機構上の形はどうなっていけばいいのでしょうか。あるいは、そこと連携する内閣府の障害者施策担当部署のあり方というのはどんなふうに考えていけばいいでしょうか?

東●
 当初は障がい者制度改革推進会議の事務局機能という形で、障がい者制度改革推進会議の担当室ができたわけです。それが障害者基本法の改正によって政策委員会というのができましたので、そこのお世話係みたいな形で続いてきたわけです。
 基本的には障害者の当事者参画というのは政策委員会に体現されていると思いますけれども、それは事務局的に支える部分として障害者が参画してやっていくべきだというのがこの間の皆さんのご意見だっただろうと思います。それにつきましては直接的な法律というのはないわけです。基本的にはその時々の政権が決めることになるだろうと思っています。私どもは民主党政権のもとで政治的な認容ということで入った人間であるわけです。新しい政権になったわけですから、その枠組みはどうするのかという問題は、やはり新しい判断が要るのだろうと思っています。去年の12月に政権が変わりましたので、本来的に言えば私どもも12月で辞職するということが、あるべき話だったんだろうと思いますけれども、差別解消法、差別禁止の法政をやっていくということだったので、それができるまではということでおりましたけれども。やはり新しい政権のもとで、その部分については検討し具体化されるべき問題だろうと私個人としては思っています。それに対してどういうふうにあるべきかということは、皆さん方がきちんと新政権に伝えて、それを実現させるように働きかけるということが流れかなと思っているところです。

藤井●
 「Nothing about us, without us=私たち抜きに私たちのことを決めないで」というフレーズは皆さんもお聞きになったことがあると思うんですけれども、障がい者制度改革推進会議、その発展形である障害者政策委員会で実感できたと思うのです。ようやく我が意を得たりというのでしょうか。その一つの裏打ちは、やはり担当室の存在だったと思います。今言われたように、今後これを含めて行政部署をどうしていくのかも、大きなテーマになってくるというのが今日の宿題かと思います。
 古い歌謡曲で、「終着駅は始発駅」という歌がありました。大分古いですよね。誰も知らないですかね。まさに我々の状況は一旦ここで終着を迎えたけれども、まさに今日が始発駅であると思います。そこにおける課題は今、縷々出ましたので、これらを念頭に置いておきながら、この後、休憩を挟んでフロアからの発言をいただいてから、もう少しこのことを深めていって、最後のコーナーに進みたいと思います。
 3時20分まで休憩に入ります。