海外への支援活動-知的・発達障害者にやさしい地域創り~カンボジアの住民活動~

「新ノーマライゼーション」2020年6月号

公益社団法人日本発達障害連盟
沼田ちよこ(ぬまた)

1.日本発達障害連盟と開発途上国支援活動

公益社団法人日本発達障害連盟(以下、連盟)は、開発途上国と日本国内の知的・発達障害者支援を目的に1974年に設立されました。連盟の開発途上国支援事業には、海外の人材を日本や第三国に招聘して行う研修事業と、海外に日本の人材を派遣して支援する事業があり、掲題の活動は後者の一つです。

本稿では、カンボジアにおける活動「地域住民による知的障害者支援」をご紹介します。

2.なぜ、住民活動か

障害のある当事者に対する支援ではなく、住民活動の支援を行った理由の一つは、知的・発達障害者の障害特性にあります。彼らは日常的にかつ生涯にわたり周りの人々の支援を必要とすることから、日常生活を共有する地域の人たちから支援を受けられる状況が望ましいのです。そして、もう一つはカンボジアの経済的事情です。活動の第一歩を踏み出した2003年当時、同国で何らかの支援サービスにアクセスできる人は知的・発達障害者の4%程度であると報告されていました。このような理由から、すべての知的・発達障害者を視野に入れたサービスを目指す時に支援資源となり得るのは、人件費が発生しない彼らと日常生活を共有している地域の住民だったのです。

3.活動の概要

活動地はカンボジアの45村で、2005年に始まり現在も継続中です。活動の主体者は各村の住民で、住民が知的・発達障害者の実態とニーズを調べ→それに従って支援計画を作成して→実行しました。そして、活動のプロセスで住民による知的・発達障害者への理解が進み、彼らにやさしい地域が生まれました。なお、住民活動は自然発生したものではなく、連盟が住民に「一緒にやりませんか?」と持ちかけて実現しました。活動における連盟の立ち位置は住民の伴走者といったところですが、活動が安定した2011年に手を引き、その後は住民が継続しています。

活動には、知的・発達障害者個人を受益者としたタイプと彼らを含めた村全体が受益するタイプがありますが、両者の間にはっきりとした線引きがあるのではなく、個人を対象に始めた活動が村全体の受益につながったケースが多いです。

活動の核となったのは住民ファシリテーターたちです。彼らは特別な教育や資格をもつ人ではありませんが、聞き上手で住民からの信頼が厚い人たちです。なお、彼らへのファシリテート手法伝授は連盟が担当しました。

4.活動事例

例1.活動内容:収入創出 受益者:Aさん(男性、20歳、知的障害者)

Aさんは農家の次男で両親や兄弟と暮らしていました。収入のないAさんに対する家族の態度は冷たく、身体的虐待もありました。この状況を改善するために住民はさまざまな収入創出活動を行い、その一つが出稼ぎです。カンボジアには雨季と乾季の2期があり、農作業のない乾季に男性たちは都会に出稼ぎします。現場は単純作業が多いことから、村人たちはAさんにできる仕事があると考えたのです。ただ、現場には他村からも労働者が来ており、彼らとのコミュニケーションは知的・発達障害のあるAさんには容易なことではありませんでした。そこで、村人たちは常にAさんの側にいて彼を守りました。さて、出稼ぎは毎年続き、Aさんも仕事に慣れたある日、彼は自分の給与が他の人の半額であることを知り激怒しました。給与額は生産高により定められているのですが、Aさんには理解できず怒りは収まりません。そこで、村人たちで相談し、Aさんを含めた全員の給料を一旦集め、それを平等に分けることにしました。こうして、Aさんは収入を得るようになり、家族に認められ、後に結婚して家庭を築きました。

例2.活動内容:識字教室 受益者:B君(男性、19歳、知的障害者)

B君は農家の3男です。6歳で小学校に入学しましたが、いじめられて1か月で退学しました。村民や子どもたちからの暴行を怖れた家族は彼の外出を禁止し、家族が畑に出払ったあとB君は終日一人で何もせずに過ごしていました。知的・発達障害者にとって、長時間を一人で過ごすことは辛いことです。やがて独り言が増えうつ傾向になりました。この状況を改善するため、住民はB君に料理を教えて家庭内での役割を与え、また、近所の人たちがチームを作っていじめや暴行から彼を守りました。活動を続ける中、彼の教育が話題になりました。しかし、彼は学校に行きたがりません。そこで、牛飼いのDさんが家庭教師を務めることになりました。牛飼いの仕事は朝早くと夕方が中心で日中は時間があります。Dさんは、牛の放牧場に古い白板と小学校の教科書を準備し彼に字を教え始めました。記憶力が弱いB君は覚えたことをすぐに忘れます。そこで、Dさんは実物を触らせながら文字を教えました。なお、B君とDさんは2人とも静かで優しい性格です。居心地の良い彼らの「教室」に学校帰りの子どもたちが集まるようになり、次に農作業の一服をする住民もやってきて、村人のたまり場になりました。

例3.活動内容 就労促進 受益者Cさん(女性、21歳、知的障害者)

Cさんは貧しい家庭の長女で、夢は村の若い女性たちが勤める靴工場で働くことでした。そこで、住民は工場にCさんを雇用するように頼みましたが、答えはノーでした。理由は、Cさんの能力が低いことと住民カードがないことです(カンボジアでは知的・発達障害者に住民カードを発行しません)。そこで、住民はコミューン委員会を通じて州を説得し、住民カードを手に入れました。また、靴工場で働く村の若い女性たちは、Cさんの不得手な仕事は彼女たちがカバーすることを条件に工場主に雇用を談判しました。

Cさんの夢がかなったのは2009年です。素早い作業が苦手ですし失敗もありますが、村の女性たちに助けられながら働き続けています。

5.住民の変化

活動前の2003-2004年当時、住民は、知的・発達障害者を「役立たず」「困った人」「かわいそうな人」「人間じゃない」と表現し、彼らに対する暴行やレイプを仕方のないこととして処理していました。そして、2005年に活動が始まり、住民は日常的に知的・発達障害者のことを話し合い、また、支援する年月を過ごしました。そのプロセスで、住民は知的・発達障害者に対する理解を深め、やがて、彼らを「仲間」と呼び、「私たちが支援しなくて誰がするの?」と言うようになりました。

また、住民は、「自分たちで考案した支援で、知的・発達障害者が変わった(成長した)」ことに大きな自信を得ました。そして、活動は村の誇りとなり、2020年現在、住民は「カンボジアで知的・発達障害者を一番知っているのは私たちだ」と言っています。

6.終わりに

連盟は2011年に手を引きましたが、今も各村での活動は継続・発展しています。例えば、知的・発達障害児と非障害児の交流の場として始まった子ども会は村で最初の統合保育園に姿を変え、活動の発端となった知的障害児(現在は成人女性)をその保育補助員として雇用していますし、住民の支援でさまざまな職業を経験した男性は一人前の農夫になりました。そして、2011年以降に発見された新たな知的・発達障害者たちも住民の支援を受けて一村民として暮らしています。

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