分科会 3−2 コミュニティ主導の社会参加イニシアチブについて 2023年3月16日

”地域に根差して“率先される社会参加

報告:松崎良美(東洋大学社会学部・社会学科 助教)

本報告の参加者は、40名ほど収容可能な教室が8-9割ほどの参加者で埋められる状況であった。筆者も、本セッションの中で報告する機会を得ており、緊張しながら参加していたためおぼつかない記録になる可能性がある。よって、ここでは報告者のひとりとしての記録としての性格が強くなることをあらかじめ断っておきたい。本セッションは、障害者と障害者が暮らす地域の人々がどのようにかかわりながらCBIDの実践に取り組んできた/取り組んでいるのかといった点にフォーカスした報告によって構成されていたように思う。報告タイトルは、以下の通りである。

  1. Protecting mental well-being of the person with disabilities through Peer responder support
    「ピアによる応答を通じた支援が支える障害者の精神的な健康/well-being」
    バングラデシュより、Taslima Akter , Zakia Rahman氏による報告
  2. Collaborative Community Needs Assessment and Program Designing for Inclusive Education: Stakeholder Reflections
    「インクルーシブ教育のための地域間連携に必要な評価とプログラム設計:各ステークホルダーの反応から」
    フィリピンより、 Jay Allen Villon氏、 Jackielyn Ruiz氏、Kristel Faye Roderos氏らによる報告
  3. A home study support, “Manakiki Foster Plan,” sponsored by members of communities
    「地域の人々によって支援される家庭学習支援-まなキキフォスタープランの試み」
    日本より、松崎良美(筆者)による報告
  4. Situational Analysis for Persons with Autism in Cambodia, a bilateral partnership research
    「カンボジアの自閉症者の状況分析-二者間パートナーシップ研究」
    カンボジアより、 Dalin MONG氏による報告

セッションのそれぞれの報告に共通して言えることは、第一に、不可視化されている課題を、どのように地域のそれぞれのステークホルダーを巻き込みながら可視化し、その対処の取り方を想定していくことができるのか、といった課題に取り組んだものであったといえよう。第二に、その課題解決のプロセスが、“地域に根差した”ものであることが、問題解決においてどれだけ有効に機能し得るかを共通して指摘していた点にあるように思われる。

第一報告は地域の精神障害者に目を向け、当事者のひとりでもあるピアが、支援に携わるステークホルダーの一員として加わることの意義を指摘するものであったし、第二報告は、地域のインクルーシブ教育を構築していくうえで、行政や教員、家庭など多様なアクターを巻き込んだ取り組みを実践し、そのうえでそれぞれの参加者からのフィードバックを得る質的調査の結果をベースに報告されていた。様々な立場で参加した人たちが、取組後の情報共有の機会を通じて、自分にはない他者の視点から気づきや学びを得る相互作用があり、そのことが問題の把握と問題への対峙の方向性を建設的に想定していくきっかけになりうる可能性が報告されていた。第四報告でも、未だカンボジアの特定の地域では自閉症についての認識が共有されていない点に言及し、地域を巻き込んで自閉症の認知度を上げていくことこそが、自閉症当事者が適切な支援にアクセスしていくきっかけになりうることを強調したものであった。

ある種、障害者じしんが中心となり、主体的に進めていくようなプロジェクトとしての報告ではなく、障害者とともに生きる地域の住民が、課題に気付き、自分以外のさまざまな属性や立場の人々を巻き込みながら、インクルージョンの実現を目指そうとするプロジェクトの実践報告が本セッションの趣旨ともみなせるだろう。

筆者じしんは、筆者が津田塾大学に所属していた際に、障害学生支援に取り組む津田塾大学インクルーシブ教育支援室の有志のメンバーと立ち上げたLearning Crisis研究会(愛称=まなキキ・プロジェクト;以下、まなキキ)の実践について報告する機会を得た。まなキキは、2020年の新型コロナウイルス感染症拡大を機に、障害や事情があって学びづらさを抱えている子どもたちの学びを支援することを目的に立ち上げられた組織だ。当時、「学びの危機」として深刻に捉えたのは、全国規模の学校休校や、授業時数を取り戻すことに捉われ、感染症対策に追われる学校のありようが、子どもたちから「努力して学ぼう」とする意志を奪ったのではないか、という点であった。新型コロナウイルス感染症は、実は子どもたちばかりではなく、大学で学ぶ学生たちもアルバイト先の休業で収入源を奪われ、学業継続の困難におかれたり、教員を目指していても「教える」経験を積むことのできない「学びの危機」や、地域コミュニティに暮らす人々もまた、社会貢献の場や生涯教育の機会を失う「学びの危機」を引き起こしたといえ、社会全体にとっての「学びの危機」であった。こうした地域のさまざまなアクター/ステークホルダーが、「学びの危機」に直面したことを受けて着手されたプロジェクトであったことを強調して伝えられたように思う。

まなキキのプロジェクトとして、特に今回の報告内容の中心を占めたのは「まなキキ・フォスタープラン」という家庭学習支援の取り組みだ。これは、ZOOMなど遠隔会議システムを用いたオンラインで行われる支援だが、この取り組みを支える仕組みそのものが、まさに地域を巻き込み、社会全体で問題に対峙するための仕掛けとして機能するよう工夫されていることが特色のひとつであった。先述のとおり、本プロジェクトは(1)障害や事情があって学びづらさを持つ子どもたち、(2)教える機会を失った大学生・大学院生、(3)地域の人々の三者をつなぐことが目指された。家庭学習支援で子どもたちの家庭教師役を担うのは、大学生・大学院生だが、彼らは無償で家庭教師役に取り組むのではなく、有償ボランティア代を得て「教える」経験を積む。その有償ボランティア代が、地域の人たちの出資によって成り立つ仕組みが、まなキキ・フォスタープランだ。社会全体で子どもたちや若い世代を育てていくような仕組みをつくりたい、という思いから「フォスター」という語が用いられており、そこには、将来の社会を担って立つ子どもたちや若者-次世代への投資としての意味合いも込められている。実は、この支援の担い手となる重要なステークホルダーが障害のある働き手の方たちだ。

まなキキでは、いくつかの障害者就労支援施設とコラボレーションさせていただきオリジナルのコーヒーやナッツを販売している。このコーヒーやナッツの売り上げの一部が、地域の方々からいただくご寄付として、プロジェクトの運用に充てられることになるのだ。丁寧に作られたコーヒーやナッツは、地域の方がたが継続的に購入してくださるような高品質なものでもある。文字通り、障害のある働き手の方々があってこそ、まなキキのプロジェクトは成立し、子どもたちや大学生・大学院生の学びが支えられる、という仕組みだ。

本セッションの第一報告でも、地域におけるインクルージョンの課題に取り組むステークホルダーの中に、障害のある人じしんが含まれていることの意味や意義が指摘されていたが、筆者による第三報告で用いた「地域の人びと」という呼称も、障害のある人たちも含んだものとして用いた。コーヒーやナッツといった商品が、「生産者」および「購入者」として障害のある人たちを地域社会に位置づけているのだ。報告では、他にもいくつかの論点を挙げたが、本セッションでの他の報告者の方々と通底していた点は、地域をいかに巻き込み、地域に根差そうとするか、という試みであったといえるだろう。

報告に対して、多くの方が質問を寄せてくださりもした。特に、まなキキ・フォスタープランにかかわるステークホルダーがよい相互作用を持って機能しているようである点は高く評価していただけたように感じている。具体的に家庭学習支援の対象はどのような子どもたちであるのかという点や、学習内容が正規のカリキュラムとどのように対応しているのかといった踏み込んだ質問をしてくださる方もおられた。また、COVID-19を受けて、確かに「学びの危機」があったという点に共感してくださる方もおられ、まさに全世界的な課題としても位置付けられるようなものであった可能性についても考えさせられた。第二報告でも、COVID-19で顕在化した教育格差が背景で触れられていたが、今回筆者が提起した「学びの危機」も、第二報告で言及された「格差」も、おそらく、単にCOVID-19によって引き起こされたものというよりかは、COVID-19によって可視化させられたものとして位置づけられるのだろう。そのような意味でも問題意識を共有する機会を得られたことが、非常に有難いことであったし、大変勇気づけられた。

また、障害のある人とともに、“地域に根差した”インクルージョンの課題に取り組んだ様々な事例に触れることができ、今後のインクルーシブな社会を志向していくうえで、障害者や多様な属性や立場にある人たちと協働していくことの意味や意義を見直すことにつながる大変貴重な時間となった。

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