基調講演 リハビリテーション・スポーツの果たす役割

 高岡 徹
横浜市総合リハビリテーションセンター センター長

 改めてご挨拶を申し上げます。第44回総合リハビリテーション研究大会の実行委員長をつとめております、横浜市総合リハビリテーションセンターの高岡です。本日ご参加いただきました皆様方には、心から御礼申し上げます。

 実は、この横浜での研究大会は、もともと2年前に開催する予定でした。そうです。2020東京オリンピック・パラリンピックが行われた直後、まだ、興奮や感動さめやらずといった中で、障害者のスポーツと総合リハビリテーションについて、ディスカッションしていきたいと計画しておりました。ところが、皆様もご存知のとおり、現在も続く新型コロナ感染症のため、2020年は中止、昨年はオンラインのみの研究会の実施となって、今年を迎え、準備を進めてまいりました。

 結局、当初の計画を立てはじめてからは、3年以上が経過してしまいました。本日、無事開催にこぎつけることができ、ほっとしております。

 さて、今回の全体テーマは、リハビリテーション・スポーツの果たす役割とさせていただきました。東京オリンピック・パラリンピックが1年前に閉幕しており、今さら障害者スポーツを取り上げても、盛り上がりに欠けるのではないか、などという議論も改めていたしました。

 しかし、パラリンピックというめったにないイベントを振り返ることも大切と思いましたし、横浜市総合リハビリテーションセンターと横浜ラポールで長年取り組んできた、障害者に対するスポーツ活動支援の成果や課題をご報告する機会になればと考え、大きなテーマは変更いたしませんでした。残念ながら、当初予定しておりましたスポーツの体験であるとか見学といったプログラムは中止とさせていただきました。今日からの2日間、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 本題に入る前に、まず我々の事業団の紹介を、簡単にさせていただきます。

 本日、会場へおいでの方には不要なスライドですが、オンライン参加の方もいらっしゃいますので、当センターの場所をお示ししたスライドから始めます。東海道新幹線やJR横浜線、市営地下鉄の新横浜の駅から歩いて10分ないし15分程度で到着します。新幹線はすべての車両が停車するなど、交通の便のよいところです。ワールドカップのサッカーやラグビー、昨年のオリンピックの競技などが行われた日産スタジアムがすぐとなりにあるという位置関係になります。

 当事業団は、昭和62年、1987年に、横浜市の地域リハビリテーションの中核施設として設立されました。今年で35周年となります。

 私の所属する横浜市総合リハビリテーションセンターや、本日の会場である障害者スポーツ文化センター横浜ラポール以外に、ラポール上大岡、3箇所の福祉機器支援センター、4箇所の地域療育センターがあります。また、リハビリテーションセンター内に横浜市の障害者更生相談所が設置されています。スライドには、リハビリテーションセンターにおける法定施設や事業を列挙してあります。

 障害のあるお子さんの通う施設、いわゆる療育施設から、主に成人の方が利用する生活支援施設、就労支援施設、医学的リハビリテーションを行う診療所、高次脳機能障害支援センター、在宅リハビリテーションの部門、研究開発部門などがあります。さらに、スポーツ文化センター横浜ラポールなどが設置されています。こうした様々なサービス資源を用いて、障害のある方の社会参加を支援しています。

 では、そろそろ本題に入ります。初めに、10年ほど前に実施された東京都民のスポーツ活動に関する世論調査の結果をお示しします。スポーツは、どのような効果をもたらすと思うかという問に対する回答結果です。重複回答ありです。

 ちょっと見にくいと思いますので、次のスライドで主な結果をまとめました。

 スポーツは、どのような効果をもたらすと思うか。健康の維持増進が85%、体力の維持・向上76%、ストレス解消73%、仲間(友人)ができる55%、生活習慣予防49%、生きがいづくり32%などという結果でした。

 もう少し生きがいづくりという割合が高くてもいいのかなと個人的には思いました。いずれにしても、みなさんもだいたい想像されたとおりの結果ではないかと思います。身体的、精神的、そして社会的効果を、みなさん期待されているということです。本調査は、障害のある方に関する調査ではありませんが、このスポーツの効果は、障害者であろうが、健常者であろうが、変わらないものだと考えます。

 ここで障害者のスポーツと健常者のスポーツについて、マラソンを例に比較してみたいと思います。男子マラソンは、もうすぐ2時間を切るかもしれないといったすばらしい記録が、ケニアのキプチョゲ選手によって出されています。

 実は、このスライドを提出した時点では、スライドの通り、2時間1分39秒が世界記録だったのですが、つい先日のベルリンマラソンで、同じくキプチョゲ選手が2時間1分9秒、自らの世界記録を更新したというニュースが入ってきております。非公式の記録では、やはりキプチョゲ選手が2時間を切っているようです。

 一方、同じ距離の車いすマラソンの世界記録は、男女ともに2時間をゆうに切っていて、圧倒的に速いわけです。もちろん、車いすという用具を使用しての記録ですので、単純な比較は意味がありませんが、障害者スポーツのすごさが伺えるのではないかと思います。

 障害者スポーツに関する名言には、いろいろなものがあります。ここにお示しした2つは、わざわざ提示するのが恥ずかしいと思うくらい、知られている名言だと思います。

 まず、グッドマン医師による「失われたものを数えるな、残っているものを最大限に生かせ」。スポーツに限らずリハビリテーションに対する考え方の一面が含まれていると思います。スポーツを積極的に治療に取り入れられたとか、ストークマンデビル競技会を行い、パラリンピックに発展させたというグッドマン医師の言葉です。

 次に、「健常者は運動した方がいいが、障害者は運動しなければならない」。これは自身も車いすマラソン選手であるハインツ・フライ選手の言葉。もちろん健常者も運動すべきと思いますが、なかなか継続できないのが人間というものです。我々は自分のことは棚に上げて、日常診療においては、運動しましょうと患者さんに言います。有名な選手もこう言っているんだからと、使わせていただいています。

 この言葉は文字通り、身体を動かすことの重要性を伝えるものではありますが、実は単に運動に限られるものではなく、社会に出なければならない、と置き換えてもいいと思います。

 さて、こうした障害者スポーツには生きがいや趣味活動としての側面はもちろん、急性期、回復期における治療的な意味での、いわゆる回復訓練から、パラリンピック等における競技スポーツまで、幅広い領域を含んでいます。スライドに示す、1競技スポーツ、2市民スポーツ、3健康管理のスポーツは、ほぼ自分の意思で行われるものです。一方、4のリハビリテーション・スポーツと、3の健康管理の一環として行われるスポーツの一部は、治療の一環としてやらされるという形で始めることも多いのではないかと思います。今回の研究大会のテーマとしては、特にリハビリテーション・スポーツを念頭においています。しかし、障害者のスポーツ全般の話も混在していることをお断りしておきます。

 では、リハビリテーション・スポーツとは何かを考えていきます。スライドは、今回の大会で一緒に計画を立ててきた横浜ラポールのスポーツ指導員である宮地が執筆した論文から引用した文章です。

 リハビリテーション・スポーツとは、「個々の障害やそのレベル、体力や運動能力に応じたスポーツ技術の獲得と、生涯スポーツ、ライフロングスポーツとしての定着を図るために行われる活動」と述べています。日本リハビリテーションスポーツ学会というものがありますが、こちらの定義も示しておきます。「リハビリテーションスポーツとは、疾病または障害のある人々がその種類や程度にかかわらず、スポーツが持つ特性と力を利用し心身機能や運動能力の向上と体力の増進を図りつつ、自己実現と社会参加を最終目的として医療、教育、介護、社会活動などで行われるスポーツのすべてを言う」、と書かれています。内容はとてもよく理解できると思います。しかし、こう言ってしまうと障害者のスポーツすべてが含まれるという印象があります。今回我々がリハビリテーション・スポーツとしてお話しするのは、先ほどの宮地が示した定義を基にしたいと思います。

 例えば、脳卒中や骨折などで治療が必要な場合は、まず急性期の病院を受診して治療が行われます。その後、入院でのリハビリテーション治療の必要な患者さんは、回復期リハビリテーション病棟などに移り、継続したリハビリテーション治療を受けます。入院治療の継続が不要な場合は、直接自宅へ退院し、外来でのリハビリテーション治療が行われる場合もあります。そのうえで一般就労に戻ったり、福祉的な活動をしたり、スポーツ活動をしたりと、社会参加につながっていくわけです。いずれの場合も、急性期からの一貫した治療、リハビリテーション治療が重要です。

 そうした中で、総合リハビリテーションセンターなどの関与が必要な方もいらっしゃるわけです。前のスライドで見ていただいた急性期病院や回復期リハビリテーション病棟での第一の目標は、自宅へ帰って日常生活を取り戻すことです。そのためのトレーニングを十分な医学的管理の下で実施します。しかし、一般就労はもちろんのこと、社会活動を自主的に行うためにはさらなるレベルアップが必要です。日常生活レベルとは、大きなギャップがあります。

 そのため、ADLレベルの体力から社会生活レベルの体力を獲得することや、意欲の向上を含めた精神面の改善などが求められます。身体的なトレーニング目的だけでなく、社会参加の一環やQOL向上の目的でもリハビリテーション・スポーツを導入して、医学的リハビリテーションと社会リハビリテーションや職業リハビリテーションとの橋渡しをするツールとして利用します。

 では、どのようにプログラムを進めるのかを示します。宮地は、大きく3期に分けて説明しています。はじめは導入期です。身体面や精神面などの機能評価を行い、基本的なトレーニング内容を具体的に設定し、定着を図ります。併せて、生活環境や個人的な因子も評価することが大切です。したがって、この段階では医学的な知識や技術が求められるわけです。医療とスポーツが一体となって、あるいは連携を持って対応することが理想的です。

 次に展開期です。それぞれの機能面を考慮しながら、本人の興味や嗜好も考えてスポーツ種目を選択します。障害の種類や程度、運動能力などに合わせて、具体的なスポーツ種目を体験していくことになります。基礎的なスポーツ技術の習得を図るとともに、自律的な活動や心理面での向上を図っていくことも目的となります。最後に完成期では、自主的なスポーツ活動を実施し、積極的な仲間作りと継続できる生涯スポーツの確立が目的となります。

 繰り返しにはなりますが、リハビリテーション・スポーツは、医療の段階から、社会参加までをつなぐ架け橋として位置づけられます。スポーツを通じて、体力や意欲の向上、健康管理、仲間づくりなどを図りながら、次の社会参加を考えるきっかけを提供する手段の一つです。

 症例を提示します。脳梗塞を発症した50歳の男性で、右の上下肢の麻痺と、失語症を認めます。画像を見ると、けっこう大きな脳梗塞で、脳萎縮も見られています。右の上下肢は痙性麻痺で、手は実用的な使用は困難、歩行はなんとか可能になる、日常的なやりとりはやや困難といった機能障害を認めます。

 こうした患者さんが、今、目の前にいらっしゃると想像して、これから何をしていくのかということを考えていただきたいと思います。非常に情報が少ない中で申し訳ないのですけれども、いろいろ想像していただければと思います。その際、国際生活機能分類、ICFを念頭において考えていくのが、やはり整理しやすいと思います。病気や障害だけでなく、自宅の中や周囲の環境とか、家族状況、仕事のことなどもよく聴取して考えます。

 ここでは妻と子供2人の4人暮らし。持ち家一軒家、営業部の管理職である会社員です。

 心身機能、身体面ということで言いますと、右の片麻痺や失語症を認めます。活動という点では麻痺等によって歩くことが困難、お話、コミュニケーションを取ることが難しい。今まで、会社員をされていましたが、現時点で参加という観点で見ると、制約があるなという状況になります。こうしたときに、医学的にはいろいろなトレーニングは、もちろん行うのですが、下肢装具などの福祉用具なども利用していくということになります。特に今回は、この患者さんにリハビリテーション・スポーツを導入することを考えます。

 まずは下肢装具の作製を含めた医学的リハビリテーションは十分に実施されたことを前提とします。その結果、屋外歩行は、単下肢装具を装用して、自宅周囲ぐらいは自立、入浴以外のADLは自立、失語に関しては、配慮があれば日常会話が家族以外となんとか成立するという機能状態で、無事自宅に退院されました。

 わざわざ「無事」と言いましたが、ここには微妙なニュアンスが含まれます。実際的には、回復期のリハビリテーション医療としての役割、成果は、十分達成されています。しかし、ここにいらっしゃるみなさんであれば、気になっていらっしゃると思いますけれども、この患者さんの今後を考えると、決してこれがゴールではないわけです。まだまだ、やることが残されています。それらを念頭において、退院後の計画を立ててバトンタッチしていくことが必要です。

 この方は、当センターの外来を紹介受診されました。医療としての言語機能訓練を継続しながら、並行して、リハビリテーション・スポーツを導入しました。既に機能面での評価は行われていましたので、家庭環境や職業面の評価なども行いながら、スポーツを開始しました。まず身体機能的には歩行耐久性、全身持久力の向上を図ること、精神面では、ややうつ的な気分の改善や、集団活動によるコミュニケーション場面の拡大を図ることを目的としました。将来的に、なんらかのスポーツを生涯スポーツとして行っていただくこともよいとは考えましたが、当面は復職を目標に置きました。

 当初、必ずしも意欲は高くなかったのですが、拒否されることもなく、まじめに継続してくださいました。すると、しっかり歩けるようになってきた、体力がついてきたというスポーツ等の効果の実感が得られてきます。そうなってくると、精神的にも意欲が高まり、機能的にも改善が得られる、さらに楽しくなる、という好循環が生まれました。その結果、次なる復職という具体的な目標に向かっていこうという合意ができるわけです。

 もちろん、全ての人が、こううまくいくとは限りません。本事例も、本日はかなりいろいろ省略をしていて、必ずしもスムーズにいっているわけではないのですが、この方は、こののち就労移行支援施設でのサービスを実施して、復職を目指しました。

 スライドには、現在のリハビリテーション医学の分野をざっと示しましたが、非常に多岐にわたっています。スポーツも1つの分野として位置づけられています。しかし、患者さんの今後の生活を考えていくときに、回復期での医療中心のリハビリテーションだけでは、やはり不十分であるという場合も少なくないと思います。

 今回の事例では、スポーツと職業を特に取り上げましたが、公共交通機関を利用するためのトレーニングや自宅内の環境整備、特に入浴に関してなども支援する必要性がありました。

 次に、私とラポールの職員の皆さんとで行った調査研究をご紹介します。10年近く前の調査なので少し古いですけれども、スポーツ活動を継続している慢性期脳卒中者の体力は5年間でどのように変化したかという演題名でまとめたものです。なお、慢性期という単語を使っていますが、今は生活期と呼ぶことが多くなっています。

 はじめに。横浜ラポールでは、片麻痺者のスポーツ教室を年間通して開催していました。現在、コロナの関係で十分できていませんが、この頃は年間を通してスポーツ教室を行っていて、そこを卒業した方に対して、年1回、体力測定の案内を送付して、ラポールで体力測定を実施しておりました。だいたい毎年100名を超える参加希望者がいらっしゃって、測定を実施しました。その中から、5年間にわたって体力測定をした方の体力変化を調査したというものです。

 対象は2011年度に体力測定に参加した142名のうち、5年前にも測定を実施した片麻痺の方、45名です。男性38名、女性7名です。ちょうど5年前というと2006年度だったのですが、その年は136名の参加者がいました。調査項目はここに挙げたものです。握力、6分間歩行距離、10m歩行速度、反復横移動、その他、QOLとしてのSF-36、外出頻度などの聴取を行っています。

 結果です。原因疾患はこちらに示したとおりです。

 今回の調査時の年齢は、平均68歳。5年前は63歳です。発症から今回の調査まで平均は11.7年。5年前であっても発症から5~6年ですので、十分に慢性期の方たちとなります。

 ラポールを継続して利用している方は35名で、日常的には使ってないけれども体力測定にはいらっしゃった方が10名という結果でした。

 測定結果です。ざっと見ると、ラポールに継続している方35名で見ていくと、若干6分間歩行が低下している、反復横移動も低下していましたが、10m歩行速度はむしろ速くなっていました。継続していなかった方10名では、6分間歩行、10m歩行の最高速度は有意に低下しているなど、全てにおいて低下している状況でした。

 このスライドは、ラポールを継続して使っている35名に対して、どんなことをやっているか聞いたものです。フィットネスやプール、これらは1人でできる活動ですが、何らかの集団的な活動をしていた方が29名。重複回答なので、かなり多くの方が集団活動に参加していました。どれくらい使っているかが、このスライドです。かなり多く、週3回来ている方も40%いらっしゃいました。週1~2回は46%と、かなり多くの方がコンスタントに使っていることがわかりました。こちらは、ラポールを継続して使っている方が、ラポール以外も含めてどのくらい外出しているかの結果です。週5回以上の外出が65%、3~4回が26%ですから、ラポールに来ているような方は毎日のように出かけていることが分かります。

 このスライドは年齢で分けたデータです。70歳未満が19名、70歳以上が16名。継続利用を2群に分けました。70歳未満の比較的年齢が若い群では、赤い丸をつけたのが改善しているデータですが、むしろこの5年間でよくなっています。しかし70歳以上になると全てのデータが低下しています。年齢の違いというのも如実に出ていることがわかりました。

 考察です。この写真は握力測定や6分間歩行をしている場面です。

 まず6分間歩行距離の変化です。ここに示した青色の棒グラフは、文科省の新体力テストのデータから計算したものです。年をとるごとに低下していく。これはしょうがない、といったことになります。今回のデータは平均年齢67歳だったので一緒に当てはめました。印象としては全体データよりも下がり方が少ないと見えます。握力の変化では、握力も全体データとしても年齢を経るごとに下がりますし、今回の継続群でも下がっていきました。

 健常者のデータをみると60歳以上になると、体力は年齢とともに直線的に低下していくことがわかっています。今回、継続群では測定項目によって、特に年齢が若い群では体力が維持若しくは向上していたという結果です。

 スポーツ活動以外にも外出の機会が非常に多いということがよい影響を与えているのではと推察します。加齢の影響や筋力の低下そのものは避けられない可能性は高いですが、それでも、まだまだ維持向上することが分かります。ただ、体力測定にわざわざ来ていただける方たちというのは、それだけ意欲があり、頑張ってらっしゃる方なので、この調査にはバイアスがかかっていることは事実です。

 脳卒中発症後の機能・体力回復のイメージ図です。発症すると、体力的・身体能力的にはガクンと落ちるのですが、その後のリハビリテーション治療等でどんどん回復します。ただ、退院後、何もしないと黒い線で示したように、加齢とともに低下していくことが考えられます。退院後も医学的リハビリテーションを行って、緑色の線になりますが、少し向上したとしてもやはり年齢とともに低下していく。そこにスポーツを追加すると、黄色い線になりますが、医学的リハビリテーションのみよりもさらに向上して、しかしどこかで年齢には逆らえないためある時点からは緩やかに低下していくということが、イメージ図としては描けるのではないかと思っています。

 スポーツを定期的に行うこと、あるいは外出をすることが、身体機能面に良い効果を及ぼすことは、至って当たり前の結果と思います。しかし、当たり前と思われることを明らかにしたことが重要だったと考えます。

 次に、当センターでかなりの割合を占めている高次脳機能障害の方のスポーツ活動について考えます。主として運動機能障害のない高次脳機能障害の患者さんを想定しています。必ずしも高次脳機能障害に限らないのですが安定した家庭生活の達成、継続、社会参加の達成、継続、拡大を目標として支援を行うことが多いと思います。

 社会参加のステップとしては、まず医学的なリハビリテーションを行い、社会リハビリテーションや職業リハビリテーションを経て日中活動につなげます。あるいは、直接、復職を含めた就労に至ることもあるかもしれません。いったん日中の活動を継続することで、経過を見た後に、改めて就労支援を実施して一般就労を達成する場合もあります。経過、状況をモニタリングしながら必要なサービスを適宜提供することが重要です。こうした中に、スポーツ活動もプログラムの一つとして位置づけています。

 スライドにお示しした職業準備性ピラミッドは、職業リハビリテーションの分野ではよく見られる図だと思います。この職業的な支援の中にも、リハビリテーション・スポーツを利用しています。健康管理や体調管理、体力向上といった面から、生活リズムの構築、対人技能、基本的な労働技能にも有用と考えます。

 次に少し話がかわりまして、チェアスキーの話をしたいと思います。

 本日の次のプログラムのシンポジストである大日方さんが、長野パラリンピックで金メダルを獲得されたときの新聞記事です。大日方さんの許可なくスライドにしましたが、先程ご了解を得ました。新聞記事で公開されていますので、お許しいただければと思います。

 私自身もこのときのことはよく覚えているのですけれど、スライドの新聞記事は、後で名前が出てきます当センターのエンジニアである飯島さんが、大事にスクラップブックに保存されていました。それをお借りして取り込みました。

 長野オリンピック・パラリンピックは、24年前に行われましたが、オリンピックでは印象的なのは、スキージャンプ団体での原田選手ですよね。団体のところで、「船木~」と言いながら、祈っていた場面を思い出します。パラリンピックでは大日方さんはもちろん、土田和歌子さんなどの活躍が記憶にあります。しかし、チェアスキーに関しては、この長野のパラリンピックにいたるまでには長い歴史がありました。

 ここからの話も、私が直接関わった仕事ではありません。日本におけるチェアスキーの創成期から、開発に関与してきた当センターの飯島さんから、直接ヒアリングさせていただいたり、資料をいただいたりしてまとめました。

 1975年、当時は神奈川のリハビリテーションセンターに所属されていて、車いすの研究開発を始めていた田中さんと飯島さんが、身体障害者スキー大会を視察したことから開発が始まったそうです。当時は主に、切断の方が滑ってらっしゃったというくらいで、車いすの利用者の方はなかったということです。そこで田中さんと飯島さんが、車いす利用者が楽しむことができる用具を開発しようと一念発起されて、1976年に試作機ができたそうです。左の上の図1-1という、ちょっと薄くなっていますけれども、試作機ができたそうです。はじめは2本のスキー板がついていたようです。実際、すべらせてみたら回転ができない、停止ができない。スキーは2本ですべるから2本にしたということで作ったらしいですが、うまくいかないなということがわかった。ただ、お二人はここから逆に開発意欲が高まったとお話されています。

 次に1号機、左下が1号機で、あと右の上が2、3、4と進みます。1号機は、スキー板1本となったのですが、転倒防止のために、サイドフロート、横にちょっとついています、そうすると、小回りがきかないなどの欠点があり、楽しみとはなっても、競技スポーツとしては限界だったということです。その後、2号機、3号機、4号機と改良を重ねて、長野モデル、ここには示していませんが、長野モデルに到達したということです。この開発には、決して、エンジニアの力だけではなく、スポーツ関係者やリハビリテーション専門職の関わり、何よりも、障害のある当事者の協力や意見が必要でした。まさに総合的なプロジェクトであったと言えると思います。

 この写真も勝手にいただきましたが、トヨタイムズのホームページから拝借した写真です。これが現在のモデルのようですが、トヨタと車いすメーカーである日進医療器が共同で、これほど洗練された、かっこいい、いかにも速そうだなあというチェアスキーを開発しています。大企業に所属する選手がいらっしゃるということもありますが、現在はこうした世界のトヨタの技術と、車いすに長年関わってきたメーカーが共同して作り上げるという時代になっています。ここに至る過程には、長い歴史があったということをご理解いただけたと思います。

 こうした新しいチェアスキーの評価の一つとして、海外の新聞には、「パラリンピック選手に高速エッジを与える日本製シットスキー」と評価される記事が掲載されていました。高速エッジってなんだと思ったのですが、スキーでエッジを立てるとか言うので、きっと速く滑るということかなと思うのですが、大雑把ですみません。褒められているということだと思います。

 また、下の緑色のほうは、チェアスキー、これは和製英語なので、英語ではシットスキーと言いますが、このシットスキーを教えるためのテキスト、プログラムがネット上に公開されています。いろいろな情報があふれているこういう時代なんだなと感じました。

 また、滑ることだけではなくて、スライドの左のように、座席が持ち上がるような機構をチェアスキーに付随、追加開発することによって、リフトに乗れる、リフトの乗降ができる工夫も加えられたということです。この機構があることで、当初はスノーモービルで移動して上からすべったと聞きましたけれども、そういう必要がなくなり利用の幅が広がったということです。

 右の上の図は、お子さんが1人では滑ることができないけれども、子どもにも楽しんでもらいたいという親の願いから生まれたチェアスキーです。後ろから、ボーゲンで一緒に滑っていくことができます。私は一人だったら滑れますけど、子どもを連れてというのは、自信はありません。

 また、右の下は、ボッチャ競技のための用具の開発にも関わっているという図です。ボッチャは、やはりパラリンピックで有名になりましたので、どのような競技かの説明は省略したいと思いますが、手でボールを投げるだけでなく、足でけってもいいですし、こうした用具を用いることもできるわけです。

 今回はスポーツ関係のリハビリテーション工学、エンジニアの関わりを紹介しましたが、絵を描くとか写真を撮るといった仕事や趣味活動への工学的サービスもリハビリテーションの医師や療法士と一緒に提供しています。

 本日の次のプログラムは、パラリンピック・レガシーと題したシンポジウムです。東京パラリンピックでの日本選手、また、海外選手の活躍も未だ印象に残っています。競技スポーツのエリート選手育成は必要ですし、さらに進んでいくものと思います。その一方で、競技レベルまでは難しいけれど、日常的には楽しみたいという障害児・者のためのスポーツ参加の場や、体験する機会も増えてほしいと思います。また、その際には、様々な種類や程度の障害のある利用者が対象となってほしいと期待します。そして、スポーツが新たな社会参加のきっかけとなればうれしいです。

 新たなスポーツ活動への参加者を増やすためには、まずはリハビリテーション・スポーツが重要です。今までお話してきたように、リハビリテーション・スポーツは、実際に指導を行うスポーツ指導員だけが担うものではなく、リハビリテーション医療の専門職から、社会参加のための福祉職、看護師、栄養士、義肢装具士、工学技士、あるいは当事者同士のピアサポートなど、多職種・多機関が関わる必要があり、総合リハビリテーションの活動そのものでもあると言っても良いのではないでしょうか。こうしたリハビリテーション・スポーツにおける関係職種の広がり、社会参加の広がり、さらには多くの地域に広がってほしいという期待を込めて今回の研究大会のその他のプログラムも策定されています。

 2日目の最後には、総合リハビリテーションのあり方を考えるための報告が予定されています。あり方の議論は決して1つの答えがあるというものではありませんが、継続していくべき根本的な問いであると思います。そこで、最後に私なりのリハビリテーションの考え方をお示しして終わりにしたいと思います。

 まず、日常生活や社会生活を送っている人が、病気やけがによって入院や通院が必要とされる生活となります。ここは例えば、災害による避難生活という通常とは違う生活に置かれる場合、あるいは新型コロナ感染症により外出を控えるようになってしまった状況も同じように考えることができるかもしれません。一方、先天性の疾患や障害、あるいは進行性の疾患などは、こうシンプルには描けないのかもしれません。こうした状況から、できる限り元々の生活と同じ状態に戻るための治療や支援が行われるわけです。当事者本人にももちろん、いろいろな意味で頑張っていただきます。結果的には必ずしも元と同じ生活とはいかないこともあるでしょう。むしろ、より適切な生活、もっと大げさに言えば人生をデザインすることができるかもしれません。この治療や支援には様々なリハビリテーションが含まれます。人によっては医学的リハビリテーションだけで十分な場合があります。職業リハビリテーションを必要とする人もいらっしゃいます。また、スライドには描ききれていませんが、リハビリテーション工学やスポーツが必要な方もいらっしゃるでしょう。必要とする領域のリハビリテーションサービスが、総合的に提供されることを総合リハビリテーションと呼ぶことができます。

 最後のスライドになります。

 しかし、これらの各領域のリハビリテーションサービスが個別ばらばらに提供されただけでは、真の意味での「総合」とは言えません。その方のゴールを見据えた、計画的な連携が必要です。また、それぞれの分野の具体的なサービスを提供するのは、各分野の専門職になります。しかし、例えば医療職は、社会のことを知らなくていいのかというと、あるレベルまでは理解していないと、ほかのリハビリテーションサービスを利用することがそもそも想像できません。様々な分野のリハビリテーションに携わっている我々一人一人が総合リハビリテーションの考え方と知識を身につけていることが求められると考えます。

 以上で私の基調講演を終わらせていただきます。2日間のプログラムを通じて、リハビリテーション・スポーツの果たす役割や必要な環境、さらには総合リハビリテーションについて、さまざまな立場の皆さんと考えることができれば幸いです。ご清聴ありがとうございました。

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