2.地域への導入実践と課題(西伊豆町)

奥田 真美
(NPO法人共育庵そな~れ デイサービスそな~れ 介護職員)

 皆さん、こんにちは、奥田真美です。私は、昨年の春まで約20年間、静岡県の西伊豆地域でデイサービスの介護職員として働いていました。そこでのリハスポーツの関わりについて本日発表します。静岡県伊豆半島の西海岸にある、西伊豆町と松崎町が西伊豆地域と呼ばれています。西伊豆海岸は電車が走っておらず、交通の便が良くありません。また県内で最も高齢化が進んだ地域で、西伊豆町の現在の高齢化率は50%を超えています。少子高齢化が地域の最大の課題となっています。

 私が勤めていたみんなの家は、NPO法人が運営する1日の定員が10人の小さなデイサービスです。デイサービスでは、リハビリを兼ねて、ほぼ毎日、外出活動を行っています。

 デイで出会った利用者Kさん、多発性脳梗塞による体の麻痺と失語症が徐々に進行し、周りとのコミニュケーションが難しくなり、孤独感からふさぎ込むようになりました。西伊豆地域には、病院にも老健にもST不在の状況がずっと続いていました。Kさんが抱える問題は地域自体が抱える問題でもありました。

 リハビリテーション病院を退院して失語症患者の受皿を作りたい、失語症者のピアカウンセリング的な場を作りたいという思いから、2009年に失語症者の当事者会、西伊豆いろは組を発足しました。いろは組は月1回集いを開催して、そこへSTを派遣してもらい集団言語訓練を行いました。

 特徴は、ST不在地域で、失語症者が生きやすい社会をつくるため住民の中から会話ボランティアというのを募り、失語症者と会話ボランティアがペアを組んで、集団言語訓練を行っていくというスタイルをとりました。この障害当事者と住民ボランティアがともにというスタイルが、リハスポーツの普及にも生かされています。

 いろは組メンバーの発病以来、1回も旅行に行っていないという言葉をきっかけに、いろは組で年1回の1泊旅行が始まります。東京ディズニーランドや山梨の桃源郷、長野の善光寺などに行きました。やがて、この旅行経験をもとに、西伊豆を訪れる障害者の旅サポートをしようと高齢者・障害者の西伊豆旅行サポートセンター、ラクタビストを立ち上げました。ここでのサポートの担い手も旅サポーター西伊豆という住民の中から養成した有償ボランティアです。この写真は松崎海岸で水陸両用車椅子を使って東京から来られた障害者の方の海水浴をサポートしている様子です。

 障害者の旅サポートの講演会で、横浜ラポールの宮地先生を講師でお招きした際に、宮地先生から、旅行もいいけど、スポーツはより多くの障害者が参加しやすいというアドバイスをいただきまして、障害者のスポーツ体験教室を西伊豆で開催しようと動き出しました。

 財源は助成金で、指導者は、横浜ラポールから派遣していただき、ボッチャ、グラウンドゴルフ、水泳の3種目を体験する全6回の体験教室を企画。地区回覧にチラシを入れて、地元在住の障害者の参加者を募り、同時に住民の中からサポートボランティアも募りました。体験教室終了後もスポーツ活動を続けていく際には、サポートボランティアの存在が欠かせないと考えたからです。

 まずは、ボッチャです。ちょうど東京パラリンピックに向けて、ボッチャという競技の注目度が高まっていたころだったので、多くのサポートボランティアが集まりました。ここにあるように、参加者7人に対して、サポートボラが16人も集まっていただきました。参加した障害者たちは初回、とても不安げで、緊張していましたがスポーツで得られる爽快感、一体感、終わったあとの心地よい疲労感などを体感できて、今後の体験教室への期待が一気に高まっていくのがわかりました。

 2種目は、グラウンドゴルフです。片麻痺の方が、片手でどうスティックを振り抜くのか、ちょっとしたコツを宮地先生から教わることでボールが格段に転がるようになりました。やはり楽しいと感じてもらうことが入り口として重要で、そのためにはリハスポーツの指導者に来てもらうと一人ひとりの障害にあわせたアドバイスをもらえるのでとてもよいと思いました。

 最終種目は、水泳・水中運動です。3回に渡って行いました。輝水会の手塚先生にも、西伊豆まで指導に来ていただきました。水泳の1回目の日に片麻痺の参加者が入水直後に、水中でうまくバランスがとれず恐怖の表情でしたが、健側の足でけんけんをしながら、水中でバランスを保つなど、ポイントを教わることで、その日の最後の方には久しぶりの水の感触とか、地上で味わえない浮遊感を心地よく感じるまでに至りました。

 水泳で困ったことが2つありました。1つは水着はちょっと…ということで、ボランティアがなかなか集まらなかったことです。もう一つは、松崎町の町営プールが、だいぶ昔に建てられたもので、全くバリアフリー構造になっていないという点です。様式トイレもないですし、更衣室には手すりもなく濡れた体で補装具を外した状態で、移動や水着の着脱介助など本当に困りました。とにかくすべてはボランティアの人数でカバーするしかありませんでした。この写真はサポートボランティアが水中リラクゼーションの介助方法を教わっている場面です。

 全6回の体験教室が終了した時点で、参加障害者から今後もスポーツを続けていきたいという声があがりボッチャであれば、サポートボランティアの助けを借りながら、自分たちでなんとかやれるのではないかということになり、障害者ボッチャサークル、ハッピーい伊豆ら!が誕生しました。月1回、町の体育館に集まり練習を始めました。

 ボッチャを通して世界を広げよう、新たな出会いをしていこうということで、単に練習するだけでなく、いろいろなところへとお出かけする機会も盛り込んでいきました。発足わずか2カ月後には横浜ラポールに遠征をして、交流試合をしてもらいました。当然ながら、1勝が遠くて、でもこれを機にハッピーい伊豆ら!のメンバーたちのもっと上手になりたいという気持ちに火がついたように思います。

 余談ですが交流試合の前日から横浜に乗り込んで、みなとみらいや中華街を観光し夜はカラオケで盛り上がりました。

 皆さんもよくご存じの東京パラリンピックボッチャ個人金メダリストの杉村英孝選手ですが伊東市の介護施設の職員で、当時はリオの団体銀メダリストということでした。同じ伊豆半島ということで、ハッピーい伊豆ら!のメンバーとぜひ会ってくださいと、杉村選手に頼み込み、快く時間を作ってくださいました。一緒に試合までさせてもらって、目の前でスギムライジングの大技も見せていただき、大変感動しました。東京オリンピックの際は必ず会場に応援に行きますと約束して、チケットまで購入したんですが、無観客開催となってとても残念でした。

 ボッチャは、障害の有無にかかわらず楽しめるユニバーサルな競技です。ハッピーい伊豆ら!としても、地元で試合できる機会があると、練習しがいがあるので、町民の健康増進を目的に町が行っていた軽スポーツ教室でボッチャを紹介しました。

 また、町がボッチャセットを購入し、町民に無料で貸し出すという体制もできました。道具の整備は普及する上でとても大事だと思います。こうして、地区の老人会やサロンでボッチャを取り入れるところが出てきました。地区の公民館のスペースに応じてコートを設定して。田舎の公民館ですから、畳ばりだったりするのですが、そうするとボッチャの球が畳の目やヘリに沿って転がったりしますが、それも込みで作戦を立てて楽しんじゃおうという感じでやっていました。

 こうして町全体でボッチャがだんだんと浸透していく中で、みんなの家主催で、西伊豆ボッチャ大会2019を開催しました。回覧板で参加チームを募ったところ、多数の申込みがありました。ハッピーい伊豆ら!の他に、老人会チームや職場の同僚チーム、町長さんもお子さんたちとファミリーチームを組んで出場しました。子どもからお年寄りまで、障害のある人もない人も、同じ場に集まってボッチャを楽しむ素敵な時間を作り出すことができました。

 ちなみに、翌年から、町が主催者となってボッチャ大会が開かれるようになりました。試合は緊張もするけれども、目標にもなります。ついにハッピーい伊豆ら!は県の障害者スポーツ大会に出場します。おそろいのTシャツも作りました。

 一方、水泳に関しては、一人ひとりに合わせた専門的な指導がないと泳げるようにならなくて、もう1年、横浜ラポールから指導員を派遣していただき、ボランティアの人数が少なくても何とかなるように、バリアフリー設備が整っているお隣の下田市のプールで水泳教室を続けました。2年間がかりで、そういう取り組みをするなかで、ようやく参加障害者の泳力がアップしていって、自主的水泳サークルとしてボランティアの助けを得ながら活動を始めるに至りました。

 バリアフリー環境が未整備な田舎でも地元も障害者がスポーツを楽しんでいる姿、頑張っている姿を周りに見せるなかで、徐々に改善が見られるようになっていきました。ボッチャをやっている西伊豆町の体育館には、洋式トイレが1つしかなかったのですが、そこにバリアフリートイレが設置されました。

 そして松崎町の町営プールは、縦ばしごを上がり下がりしてプールの中に入るようになっていますが、そこに下田のプールにあったような入水時の手すり付階段を設置してほしいと、サークルから町へ要望書を出し、それが議会を通って、入水時の手すり付階段が設置されました。町営プールは温泉の水を使った温水プールです。高齢の町民の人たちが健康のためにとか、膝が痛いからということで、水中ウォーキングに利用しています。そういう方々にとっても、手すり付階段でプールのなかに出入りできるのは、大変助かるものです。

 田舎ではリハスポーツはみんなもの、ということですが、西伊豆地域は高齢化が進んでいて、人口自体が少ないので、そうなってくると、若い障害者の数も元々非常に少なくて、まずはスポーツに取り組んでみたい障害者を集めてくるのにとても苦労しました。ただ、一方で、高齢者の数は多くて、町の行政の立場としても、町民の健康維持が近緊の課題となっています。参加対象者のイメージを広く持って、要支援者やフレイルの人も取り組んで活動を盛り上げていく必要があると思いました。そうすることで、行政の協力も得られやすく、活動が行えやすくなります。また、リハスポーツの継続には、参加障害者の仲間意識という点が欠かせない要素になっていると感じました。仲間と楽しむリハスポーツ、これが暮らしを豊かにしてくれます。

 人的、物的資源が乏しい田舎でも、リハスポーツを導入、展開することは可能だと思います。そのためには障害者と専門の指導者と住民ボランティアがタッグを組んで取り組むことが大事だと思います。カギとなるポイントは3つあると思います。1つは、導入時にはリハスポーツの指導者に来てもらうこと。個々の障害に合わせた指導が受けられれば、上達が実感できて、継続への意欲が生まれます。

 2つ目は、リハスポーツを継続していくためには、導入時というか、初期の段階からサポートボランティアを導入することがおすすめです。地元の元気な高齢者にとっても、ボランティアの参加機会は、自信の健康増進ややりがいに繋がります。

 3つ目は、課題としての残ったのですが、導入時は、それこそ横浜や東京から指導者に来てもらったのですが、やはり長期的にやっていくとなると、近くに指導できる人を養成する必要があると思います。私の場合は、退職された体育の教員のところへ行き、協力してほしいと依頼しましたが、興味を持っていただくことができませんでした。

 遠くから指導の専門家に来てもらうとなると、費用はどうする?ということになっていくので、そこが大きな課題として最後まで残りました。以上が私の発表となります。ご清聴ありがとうございました。

小田/奥田さん、ありがとうございました。社会資源の少ない田舎でリハビリテーション・スポーツを導入した、その動きだしが大きなポイントになると思います。入れ物ありきではないということを学ばせていただきました。報告から、どう作り出していったのか何からはじめていったのか、リハビリテーション・スポーツの導入では注目しなければなりません。

 また、共通する課題として活動する場の確保が挙げられています。さらにはアクションをおこしながら、活動の場を作り出して整えていく、そういうことも考えさせられました。?

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