ピアサポーターとしての10年間

「新ノーマライゼーション」2023年4月号

社会福祉法人はらからの家福祉会 地域生活支援センタープラッツ ライフパートナー
三宅康雄(みやけやすお)

私は中学生の時に統合失調症を発症して以来、66歳の今日まで、苦しい人生を送ってきました。精神科病院への入院経験も2回あります。私は精神の病で苦しむ一方、自分の病気体験を何らかの形で社会に役立てられたらと、漠然とですが若い頃から思っていました。

16年前、1年3か月入院した精神科病院を退院して以来、はらからの家福祉会に所属しています。10年前、ポスティングのアルバイトをしていた時、事業所スタッフからライフパートナー(以下、LP)に誘われました。LPというのは、はらからの家福祉会がピアサポーターにつけた名称で、生活の伴走者という意味です。

LPの基本的なポリシーは「病院は治療のための場所」であって住むための場所ではないというものです。ですが現実には8年~9年どころかなかには入院して50年近くたっている方もいて驚きます。

我々LPはスタッフと一緒にいろいろな精神科病院を訪問して入院している方と交流します。トランプや積木のジェンガなどのゲームの時も、キャッチボールやバレーボールなどのスポーツの時もあります。料理を皆で作って一緒に食べる時もあり、一緒に食べるせいか、とてもおいしく感じました。

勉強会系の活動もあり、例えば薬に関するいろいろな自分の体験を話しました。39歳の時、A病院に入院して1日30錠以上薬を服用したら親戚の叔父さんから言われた言葉が頭の中を駆け巡るという症状は鎮静化したけれど、今度は20代の時に苦しんだ確認強迫行為がぶり返してどんどんエスカレートしていき家族も巻き込んでにっちもさっちもいかない状態になり、B病院に入院しました。そうしたらB病院の先生は薬を大幅に減らし簡素化して1日10錠ちょっとにしたのです。そうしたら症状がかえって改善したのです。多剤大量処方から、単剤少量処方への世界の精神医療のトレンド転換など、一介の統合失調症患者にすぎない私にわかるはずがありません。実体験を通して初めて知ったことです。ヘルパー利用の体験も話しました。ヘルパーはとてもありがたい存在で、特にありがたかったのは料理のスキルのない私に料理の作り方を教えてくれ、認知症の母親のところに料理を作りに行くことができるようにしてくれたことです。訪問看護師さんの話もしました。私が訪問看護師さんに来てもらいたいと思った最大の理由は睡眠障害です。ひどい時は1日2時間くらいしか寝れませんでした。訪問看護師さんと話しているうちに何となくわかっていったのですが、何とかして眠りにつこうとウイスキーのジュース割りを飲んでいたのが逆効果なことがわかり、寝酒をやめたら普通に寝られるようになりました。ある時は服薬以外に精神衛生のために気をつけていることというお題をいただいて話したこともあります。この時は他のLPは散歩をして気分転換することと答えていました。私は「友達をつくらないこと」と答えました。そうしたら隣に座っていた方から「人を信じることは大切ですよ」と言われました。私は声には出しませんでしたが、内心では「人を信じるなと言っているわけではない。人間は人を信じなければ生きていくこともできない存在だ。私が言いたかったのは、障害の有無に関係なく人としての相性があり、しかし、お互いに精神の病がある場合は気を付ける必要があるということだ」と思いました。

我々LPは事業所スタッフの行えない支援をサポートする存在だと思います。スタッフはそもそも病人ではないし、精神科病院に患者として入院した体験もなければ、薬を飲んだ体験もありません。そこに「体験が専門性」というLPのユニークネスがあると思います。

2020年初頭に始まったコロナ禍は大打撃でした。病院に入れなくなってしまったのです。今は1日も早くまた病院訪問ができるよう祈るだけです。

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