総括所見にみるアジア諸国の障害者事情-シンガポール

「新ノーマライゼーション」2023年4月号

法政大学現代福祉学部教授/日本障害者リハビリテーション協会国際委員
佐野竜平(さのりゅうへい)

特徴を活かして未来を見据えるシンガポール

東南アジアの一角で600万人弱の人口規模であるシンガポールは、華人に加えてマレー系やタミル系など多民族で構成されています。徹底した2言語教育(英語と各民族の言語)によって、多くの人たちが国際的なコミュニケーションに通じています。国境を超えた人を呼びやすい地理的・社会的環境を活かしていますが、日本と共通の課題も抱えています。晩婚化に加えて高齢化で「育児と介護の同時対応」を求められる人が増えており、出生率は過去最低の1.05%(2022年)となっています。ちなみに人口の約3割が外国人です。

アジアに多大な影響を与えたリー・クアンユー初代シンガポール首相は、1965年の建国当初から「資源が乏しい中、人材は決定的な要素」としてきました。実際、歳出に占める教育予算の割合は、2022年段階で日本の2倍以上となっています。なお、2016年の義務教育法改正により、中度から重度の障害をもつ生徒に対する義務教育の機会(6歳~12歳)が確保されるようになっています。

2022年の障害者権利委員会第27会期において、日本やインドネシアと同じくシンガポール(2013年に批准)の初回審査が行われたところです。また、2030年以降の具体的な変化の実現に向けた進捗を見据え、定量的な指標とターゲットが含まれた「第4次イネーブリングマスタープラン(EMP)」を念頭に、今回出された総括所見を眺めてみます。

簡潔な記述にとどまる「肯定的な側面」

世界唯一の著作権分野における人権条約である、略称「視覚障害者等による著作物の利用機会促進マラケシュ条約(2013年)」の履行を目的に、東南アジアで初めて法制化したのはシンガポールです(2014年に著作権法改正案が可決)。そこに触れつつも、A4サイズ半分以下(英語で100ワード超)とさっぱりした形で「肯定的な側面」が記述されています。内容としては、(a)第3次EMP(2017-2022)策定、(b)第4次EMP(2022-2030)策定、(c)建築建設庁(BCA)による「建築環境のアクセシビリティ基準(2019年)」、「アクセシビリティ基金(2007年開始)」、「公共の場におけるユニバーサルデザインガイド(2016年)」、(d)著作権法(2021年)、です。

これらを一部補足します。例えば、建築建設庁(BCA)は「EMP2030で描かれる包括的なシンガポールのビジョンを補完するもの」として、すでに基本的なアクセシビリティを備えている建物を含む適用基準を拡大しつつ、「アクセシビリティ基金」を2023年以降も当面維持する見込みです。また、ユーザーフレンドリーな機能についての認識と理解を深める目的で、説明文や写真例を掲載した「ユニバーサルデザイン指標(UDi)」が、2022年に公表されています。

「障害の定義」および「労働及び雇用」

審査対象となった障害者権利条約第1条から第33条のうち、今回シンガポールに対する総括所見(英文15頁)で特に言及がなかったのは、「移動の自由及び国籍についての権利(第18条)」、「個人の移動を容易にすること(第20条)」、「ハビリテーション及びリハビリテーション(第26条)」と「文化的な生活、レクリエーション、余暇及びスポーツへの参加(第30条)」です。日本への総括所見(英文19頁)がすべての条文に触れていることと対照的です。

日本と共通した論点は多岐にわたりますが、紙幅の制限から「一般原則及び義務(第1条~第4条)」に関連した「障害の定義」と「労働及び雇用(第27条)」を深掘りします。

(1)障害の定義

「障害」および「障害者」の定義はシンガポールのどの法律にも明示されておらず、権利保持者としての障害者による社会参加を困難にしているのは否めません。障害者権利委員会の委員から「精神保健は障害の定義に関連するか?」等の質問が出された背景には、精神科病院や一般病院の一部で非自発的入院や望まない医療が維持されており、「障害当事者を中心とした参加型の取り組みはまだ道半ば」ということが念頭にあるためと推察されます。

総括所見で提示された懸念事項と勧告事項のうち、関連内容を抜粋したものが以下です(表1)。

表1

懸念事項
(抜粋)
(a)国内の法律や政策が、障害の人権モデルを体系的に取り込んでおらず、大部分が医学モデルを採用しており、機能障害を理由とする障害者への体系的な差別を生んでいること。
(c)本条約第1条に適合する正式な障害の定義が国内法制に存在せず、既存の評価・認証メカニズムが国内の障害関連法全体で調和されていないこと。
勧告事項
(抜粋)
(a)第3次EMPを含む既存の障害者関連法・政策をすべて見直し、そこから障害の医学モデルの名残をすべて取り除き、それらを全面的に障害者の人権モデルに基づくようにすること。
(c)知的障害者、精神障害者、自閉症者を含むすべての障害者の人権を守るために、国内法制度全体で法律上の障害の定義と評価・認証メカニズムを調和させること。

出典:シンガポール初回審査の総括所見から抜粋(筆者翻訳)

(2)労働及び雇用

新型コロナ禍前後で、シンガポール政府は障害者の労働および雇用に関するさまざまな手立てを矢継ぎ早に講じました。障害者支援を進める政府機関であるSGイネーブルを中心に、実施されている主なものは表2のとおりです。

表2

イネーブリングマーク 2020年に開始。障害者雇用におけるベストプラクティスと成果を示す組織を全国レベルで認定する枠組み。
オープンドアプログラム(ODP) 社会家族開発省とワークフォース・シンガポールが出資する取り組み。障害者の雇用、訓練、インクルージョンを進める目的。登録後、機器購入や職場改修、業務の再設計を支援するジョブ・リデザイン奨励金、研修費用、人材・職業紹介、就職支援サービスなどを受けることが可能。
イネーブリング雇用クレジット(EEC) 2025年までの時限政策。13歳以上で月収約40万円以下の障害者を雇用する雇用主に対して支給。障害のある従業員の月収20%(最大約4万円)を上限とする賃金補填。6か月以上未就労の障害者の場合、雇用開始から9か月間、さらに賃金補填(月収の20%、最大約4万円)を実施。
インクルーシブビジネス・プログラム 従業員の20%以上が障害者である場合に適用。HDB(集合住宅)の一部を直接割り当てることでインクルーシブビジネスを支援。中小企業がインクルーシブビジネスを志向する場合、入居後3年間賃料が30%割引かつさらに3年間の更新可能。
イネーブリングアカデミー 2022年に開始。障害者の生涯学習を促進。学ぶ力を活かしつつ、働くことができるインクルーシブな社会の構築が目的。

出典:SGイネーブル資料や現地関係者への聞き取りを参考に筆者作成

今回の総括所見では、懸念事項および勧告事項ともに上記に連動する形で踏み込んだ記述が目立ちます。政策の深まりを期待しつつも、実践における隙間や不十分な点を指摘しています(表3)。

表3

懸念事項
(抜粋)
(a)障害者の失業率が比較的高いこと。低賃金にとどまる障害者雇用が不当に多いこと。障害者がシェルタードワークショップに隔離されていること。
(c)ODPの下で資源が配分されているにもかかわらず、障害者雇用を促進する措置が、知的障害者、精神障害者、自閉症者にとって、他の者と平等を基礎にして開かれた労働市場へのアクセスを確保するには不十分であること。
勧告事項
(抜粋)
(a)障害者が開かれた労働市場で労働および雇用にアクセスでき、他の者との平等を基礎として民間および公共の職場環境に含まれることを保証するために必要な法律と期限のある政策および基準を採択すること。シェルタードワークショップを根絶していくこと。
(c)特に脱施設化プロセスに参加している障害者、自閉症者、知的障害者、精神障害者に対する長期的な支援を提供するため、ODPを拡充すること。

出典:シンガポール初回審査の総括所見から抜粋(筆者翻訳)

先進国「シンガポール」から学ぶ

シンガポール政府による次回の定期報告書提出は2027年10月です。国連の最新統計ではシンガポールの1人当たりのGDP(国内総生産)は日本の2倍近くとなっており、特に「労働及び雇用」について学ぶ点があると受け止めています。その際、筆者がたびたび訪れた際に感じた「障害者に向けた社会的な支援は、いわゆる社会サービス機関が提供している(ので十分)」という気風には留意したいものです。対シンガポール初回審査の結果がどのように政策と実践に反映されるか、今後も追いかけていきます。

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