ひと~マイライフ-自分の可能性を信じて~ママアスリートとして~

「新ノーマライゼーション」2023年4月号

亀澤理穂(かめざわりほ)

1990年10月28日生まれ、東京都杉並区出身。感音性難聴で4歳の娘がいるママアスリート。小4から卓球を始め、2009、2013、2017、2021年デフリンピック4大会に出場し、銀メダル3つ、銅メダル5つを獲得。現在、住友電設(株)勤務。YouTube(佐藤兄妹チャンネル)などのSNS発信もしている。

『デフリンピック』という言葉をご存知でしょうか?また、その『デフリンピック』2025年大会が『東京』に決定したことをご存知でしょうか?

私は生まれつき聴覚障がいを持っています。普段は基本的に補聴器をつけていて、相手の方が手話ができるできない、話せる話せない等、その人に合わせて会話をしています。またマスクの生活になってからは、筆談や音声認識アプリも使うようになりました。

卓球を始めたきっかけは、親が卓球をやっていたからです。私がオリンピック・パラリンピックに並ぶ『デフリンピック』の言葉を初めて知ったのは、小1の時です。デフ卓球の合宿に初めて参加した日にちょうど元世界チャンピオンの講演があり、そこで『デフリンピック』の言葉を初めて目にしました。その時はそういうものがあるんだ!という『憧れ』の存在でした。中1の時、初めてデフ全国大会に出場して3位という結果を残したことで、もっと頑張れば憧れの舞台に出れるかもしれないと、『憧れ』から『夢』に変わりました。その後、初めての国際大会(アジア大会)でメダルを獲ったことでデフリンピックでもメダルを獲りたい!と『夢』が『目標』に変わり、2009年台北デフリンピックで遂に初出場を果たし、銀メダルを獲得することもでき、目標を達成できたことを実感しました。その4年後、金メダルを目指し出場したブルガリア大会は私も社会人となり、練習時間も限られ、体力面でも大変でした。結果として2つのメダルを獲得しましたが、目標の金メダルには届きませんでした。『次こそは』と、練習やジムの頻度を増やす等工夫して3回目の挑戦となったトルコ大会の結果は銅メダル…。急に世界のレベルが想像以上に上がってきたことに衝撃を受けました。

この後、ママになりしばらく卓球からは離れましたが、体が落ち着いた頃に軽い気持ちでデフ全国大会に出場すると、優勝することができ、ママアスリートとしてもう一度金メダルを目指したい!という気持ちが芽生え、活動を再スタートしました。しかし当時はフルタイムで仕事をしていたため仕事、育児、卓球等でワークライフバランスをとることが難しく、子どもの体調次第で予定が狂うことは日常茶飯事でした。仕事も残業が発生して個人レッスンをキャンセルしたり、保育園のお迎えに行くために切り上げ、家で仕事をすることも多く、納得のいくトレーニングができませんでした。今のままでは世界に勝てないという危機感を強く感じ始めた時に、引退か、パラアスリート雇用を求めて環境を変えるか、という決断をしなければなりませんでした。数か月悩みましたが、私は簡単に卓球を諦めることができず、2022年2月に勤めていた企業からパラアスリート雇用がある住友電設(株)へ転職しました。今は以前より時間に余裕ができ、活動に関する諸費用の支援等サポートを受けつつ、仕事と育児の両立の上でデフリンピック東京大会での金メダルを目指し日々活動しています。

人生は何が起こるかわかりません。やりたいことはやる。結果的に必ず自分のためにもなると信じていいと思います。

最後に私から読者の皆さんにお願いです。デフリンピックの認知度は国内で約16%しかありません。認知度を向上させるためには皆さんの力も必要なので、ぜひ広めていただきたいと思っています。

デフリンピックは2025年東京大会でちょうど100周年を迎えます。ぜひ、身近である東京で多くのデフアスリートの姿をたくさんの方に見ていただきたいです。私たちも多くの方に感動と勇気を届け、日頃の支援の恩返しができるように日々頑張りたいと思いますので、応援よろしくお願いいたします。

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