就労支援制度を利用して-私は働き者になった-

「新ノーマライゼーション」2023年5月号

一般社団法人日本ALS協会相談役
(NPO法人境を越えて理事長)
岡部宏生(おかべひろき)

私の障害について

岡部宏生と申します。ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者当事者です。

はじめに、私が罹患しているALSについて簡単にご説明します。ALSは運動神経だけを選択的に侵し、徐々に全身の随意筋が動かなくなり、個人差がありますが、3年から5年で呼吸もできなくなり、人工呼吸器をつけないと生きていけないという進行性の神経難病です。

ALSにより運動神経は障害されますが、視覚や聴覚などの五感は障害されないといわれています。意識ははっきりしているのに、思うように自分の体を動かすことができなくなってゆくのです。

この病気のために私たちは身体的な障害者になります。しかも、厚労省も認める最重度の障害です。全身不随になって生きるか、生きることを諦めるかを、自分で選択しなければならない極めて過酷な病です。

私は2006年にALSを発症して2009年に胃ろう造設(2月)、気管切開・人工呼吸器を装着(9月)しました。発病から3年半で気管切開をしたので平均的な進行の患者といえます。

現在、私は右足の一部と眼球を動かせるのみです。透明文字盤という道具を用いて、私の眼球の動きを介助者が読み取ってコミュニケーションをとりながら日々の生活はもちろん、仕事をしたり、今回のように原稿の執筆をしたりしています。全般的な身体介助、医療的ケア、特殊なコミュニケーションを要しますが、東京都の江東区にて独居をしながら24時間365日介助者とともに生活をしています。

介護事業所を運営することにした経緯、事業の内容、就労支援制度を利用できるようになるまでの私の就労はすべてボランティア

私のような重度障害者は介助者がいないと生きていくことができません。私は2009年に生きることを決意したわけですが、生きるためには介助者と社会資源(重度訪問介護の時間数)が必要であることを知って愕然としました。発病したことほどではなかったですが、かなりのショックを受けました。生きる決意をすることと生きていけることとは別であることを知ったからです。

気管切開直後の在宅生活は、毎日シフトの調整に追われ、生きるために介護を受けているのではなくて介護を受けるために生きているようで本当に大変な生活でした。その時に強く自分で訪問介護事業所をつくりたいと思いました。自分の介護体制を築くとともに同じ病気仲間に少しでも介護者を派遣したいという思いと、ALSなどの介護者を少しでも増やしたいことと、質を高めたいと思ったからです。

それから半年後にこの人がいれば事業所が立ち上げられるという人をスカウトできて実際に事業所を設立しました(その事業所は現在13年目を迎えました。ALSの利用者3~7人にサービスを提供しています)。

私は会社の社長ですから介護の仕事ではなくて会社の経営をしています。会社の経営で最も大事なことは確かなサービスや製品を顧客に提供することです。介護事業所の場合は介護の提供です。いかに介護を受ける人が安心で安全に生活できるように介護を提供するか? ということになります。それが実現できることによって会社が安定した経営が可能になり、従業員に安定した報酬と仕事がもたらせるのです。従業員を大事にすることは良い介護を提供できることの要件になります。

私は透明文字盤以外にも視線の動きで操作するOriHime eye + Switchも使用していますが、文字盤の方がずっと早いので、仕事はよほどプライバシーに関わること以外は文字盤で行っています。まず、私の文字盤を読む人とその文字を記録する人のペアが必要です(写真)。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で写真はウェブには掲載しておりません。

私は土日を除いた週に5日間、夕方の16時から17時と21時から25時の間の3~4時間を就労に当てています。また、週に1回は事業所の事務所に通勤をしています。この通勤も就労支援制度を活用しています。

この制度を使うに当たっては管轄の自治体の理解にずいぶん助けられていると思います。メールを読んでもらってそれに対する返信を送ることや事業所の経営(利用者さんとのトラブル対応やシフトの調整や労務管理、資金繰りや収支の計画と実行など)についての指示をすることが私の主な仕事になります。利用者さんのお宅へ自ら出向く時もあります。

訪問介護事業所の運営以外にも、障害当事者団体の役員やピアサポート、広報啓発活動(メディア対応や講演など)、立ち上げたNPO法人の活動などを行っていますが、報酬を伴っているのは一部の講演や講義だけであり、ほとんどは無償(ボランティア)でした。介助者の支援があれば仕事が可能なのに、介助者をつけての就労は認められていなかったので、訪問介護事業所の経営についてもボランティアとして行っていました。

しかし、2021年の8月より重度障害者等就労支援特別事業を東京都の第一号として利用できることになり、訪問介護事業所の仕事のみ報酬を得ながら仕事ができるようになりました。

この制度を利用して良かったこと、現状と課題

私はこの制度を個人事業主として利用しています。この場合は、就労時の介助者の事業所と自治体の理解と協力があれば活用できます。介助と就労時の区分けも不要なので、事業所の請求作業が増加するだけです。実質、重度訪問介護に近い活用が可能になっています。

この制度を利用することによって、私は自分の経営している事業所から報酬を受け取ることが可能になりました。10年以上実質的に経営を行ってきましたが、就労中は重度訪問介護の利用ができないのでボランティアでやってきました。

私は喀痰の吸引や経管栄養の注入、呼吸器の管理、特殊なコミュニケーションを必要としており、24時間の介護体制が不可欠なので、就労中であっても介助者が必要です。このたびの制度利用によって、報酬が得られるようになったおかげでプライベートにもお金を使えるようになりました。ただし、被雇用者しての就労支援制度の利用の場合は雇用者である法人などの理解と協力が必要となります。

負担も発生するので果たして雇用する側はこの制度を積極的に利用しようとするでしょうか?

また、重度訪問介護と利用形態が異なる部分も出てきてしまいます。介助の時間と就労の時間の区分けは極めて難しいです。重度訪問介護の活用を実現できないものでしょうか?

一つには財源の問題があると仄聞(そくぶん)しています。しかし、一方では障害福祉サービスの重度訪問介護の利用において就学や就労が認められないことが告示によって示されていることで利用に制限がかかっているとも聞きます。これは障害者にとって大きな壁になっているのではないでしょうか? 障害者に就労の機会を与えようとするなら重度訪問介護の利用でできるようにすることが必要だと思う次第です。

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