高次脳機能障害者支援法(仮)の制定に向けて

「新ノーマライゼーション」2023年9月号

NPO法人日本高次脳機能障害友の会 理事長
片岡保憲(かたおかやすのり)

高次脳機能障害のあるAさんの事例と脳の損傷によるさまざまな障害

交通事故で脳を損傷して20年になるAさんには高次脳機能障害がある。特に社会的行動障害により、暴言、暴力行為をはじめとする、社会のルールやモラルから逸脱する行動を日々繰り返している。感情をコントロールできずパチンコ屋で喧嘩をしたり、見知らぬ女性に声をかけ口説きだしたり、警察をみかけると喧嘩を売りに行ったり…。グループホームは退所処分となり、近所の人や大家に言いがかりをつけながら、今はアパートで独り暮らしをしている。お酒をのんだ時、Aさんは、いつも、「寂しい」「孤独だ」とつぶやいている。

Aさんは、出会い系サイトで一人の女性と出会った。Aさんは、まだ見ぬその女性とのメールのやり取りに夢中になった。毎回数百円支払って返すメールのために、お酒を控え、電気代やご飯代まで節約した。ある日、Aさんは、Aさんが通う事業所の向かいのアパートに女性が出入りする姿を目にした。その日以来、Aさんは、その女性のことを、今メールでやり取りしているまだ見ぬ女性だと思い込むようになった。Aさんは毎日手紙を書き、女性が住むアパートのポストに入れた。そのうち、その女性が乗る車のワイパーにも手紙を挟むようになった。その女性は新婚で、小さな子どももいた。女性はその手紙に恐怖を感じ、警察に通報した。Aさんの書いた手紙であることはすぐに分かり、Aさんは警察からの事情聴取を受けた。自分の気持ちを必死に説明するAさん。警察から説明される事実を受け入れることができず暴れ出すAさん。その姿は、また「孤独」に戻ることを予期したAさんが、そうなることを避けるためにもがいているようにも見えた。Aさんは警察からの事情聴取の後、厳重注意処分となった。

Aさんのこういった行動は、高次脳機能障害によるものであるが、周囲の理解が得られにくく、本人の「生きづらさ」につながっている(Aさんのその後について、本文の「最後に」で触れている)。

脳を損傷して、こういった社会的行動障害に苦しんでいる人がたくさん存在する。その他にも、同時に複数のことに注意が向けられなかったり、集中力が欠如してしまい、家庭や職場でたくさんのミスを繰り返している注意障害のある人。日々の記憶が全く残ることがなく、毎日、新しい朝を迎えている記憶障害のある人。計画が立てられず、いつも約束が守れなかったり、遅刻をしてしまう遂行機能障害のある人。こういった注意障害や記憶障害、遂行機能障害、社会的行動障害などを総称して、高次脳機能障害と呼ぶ。

高次脳機能障害の現状と課題

何をもって重度なのかは置いておいて、全国に30万人、50万人いると推測されている高次脳機能障害者の中には、集中的な支援を必要としている人が数多く存在する。

高次脳機能障害の診断基準が確立され、支援普及事業が全国的に展開されている今でも、高次脳機能障害がある人を取り巻く環境には多くの課題が山積している。

〇高次脳機能障害の普及・啓発の課題

いまだ、社会では高次脳機能障害という言葉すらも十分に周知されているとは言えず、社会の理解が得られていないという現状がある。支援普及事業は展開されているものの、相談支援やサービス支援の体制や予算において、地域格差が存在している。

〇医療機関と地域・福祉の連携の課題

医学的リハビリテーション、地域リハビリテーション、社会的リハビリテーションを十分に受けることができず、時間不足のまま在宅や職場へ復帰し、ドロップアウトしてしまうという事例が多く存在し、地域包括ケアシステムに乗りきれない青壮年層の高次脳機能障害者が多数存在している。

〇医師の診断の課題

高次脳機能障害に関し、正しい診断のもとで、精神障害者保健福祉手帳の診断書や障害年金(精神)、労災における診断書、自賠責後遺障害診断書、介護保険主治医意見書、障害者総合支援法における意見書等を記載できる医療機関や医師が極めて不足している。

〇親亡き後の問題

高次脳機能障害者を介護している親世代から、親亡き後の高次脳機能障害者の生活の場および介護者の存在について、絶え間なく、不安の声が聞かれている。

〇生活・就労支援活動における課題

高次脳機能障害の中でも感情のコントロールができない、他者理解能力に乏しい、欲求を抑えることができない等の社会的行動障害が原因でトラブルになるケースが多数存在する。そういった方々に対する医療機関、保健福祉機関等の地域の受け皿は不足しており、当事者とその家族は、社会的孤立に追い込まれている例が少なくない。

〇高次脳機能障害に対し社会的支援を行う支援者の育成の課題

地域の支援者が高次脳機能障害者への対応や支援について学べる場は少なく、その結果、障害特性に応じた現場対応を習得している支援者は、極めて少ない現状がある。

〇触法行為の問題

高次脳機能障害による脱抑制、分別の希薄さから、軽犯罪等を累積しているケースが確認されており、司法の理解も乏しい状況がある。

高次脳機能障害者支援法(仮)の制定に向けて

こういった課題を少しでも解決していくために、高次脳機能障害当事者とその家族は、高次脳機能障害者支援法(仮)の制定を強く望んでいる。

冒頭で紹介したような事例を社会で受け止めるべき、という主張をしたいわけではない。高次脳機能障害者支援に関する基本理念を定めることを目的とする法律が制定されれば、高次脳機能障害の周知・啓発、つまりは、高次脳機能障害のことをみんなに知ってもらうことができ、集中的に支援が必要な高次脳機能障害がある人を、社会で受け止めるすべはないか、という議論が社会全体でできるのではないかと考えている。

高次脳機能障害は、「今日、もしくは明日、自分自身の脳が、あるいは自分の身近で大切な人の脳が損傷を受けることは誰にでもある」という当事者可能性の高い障害である。高次脳機能障害者支援法(仮)制定の先に、社会全体の知恵を集結させて、高次脳機能障害者支援に関する議論がスタートする日が来ることを信じている。

最後に

最後に、冒頭で紹介したAさんの現在を少しだけ記しておきたい。数年前に、Aさんと一緒に、隣県で開催されたバリアフリー演劇の公演に行った。Aさんにとっては、事故以来、25年ぶりの県外、25年ぶりの外食という経験だった。その旅以降、明らかに他者とのトラブルが激減し、現在では警察沙汰になることもほとんどなくなっている。

この経験以来、私たちは、非日常の中に、行動障害を抑制できる要素があるのではないか、と考えている。今更ながら、人には、食事や排せつ、歯磨きやお風呂などとは違って、「やらなくても命に別状がない」という非日常の中にこそ、心が躍ったり、安心したりする要素があり、そういった経験がその人なりの心の居場所を構築していくのだと感じている。

近い未来の社会が、高次脳機能障害がある人も含めて、誰もが自分の居場所のある社会になっていることを期待している。


【参考文献】

1)僕らはいつも旅の途中-共生社会の未来をひらく5人の実践者たち,(監)曽根直樹,中央法規,2022年

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