家族の声

「新ノーマライゼーション」2023年9月号

NPO法人いわて高次脳機能障害友の会イーハトーヴ 代表
堀間幸子(ほりまゆきこ)

たくさんの支援を受けて一人で生活をする息子

私の息子は、26歳の時に交通事故が原因で受傷しました。記憶障害、注意障害、地誌的障害、遂行機能障害、易怒性、執着などの社会的行動障害の他に、身体の障害もあります。

受傷から13年経過した39歳の時、独立行政法人生育医療研究センターのリハビリテーション科で働くことになりました。就労と言いますが、重度の高次脳機能障害者が、受傷後初めて一人で生活する、働くことは、たくさんの福祉サービスがないと成り立ちません。

まずは住むところ。障害者に理解があり、本人に身体障害があっても生活が可能なアパートを探さなければなりません。しかも徒歩で通勤できる範囲での場所。次は食事。週3回夕食作りのヘルパーさんが入り残りの日は自分で何とかする。週1回退勤後ヘルパーさんと合流し必要な買い物をする。5日間は勤務、生活リズムを崩さないように、土曜日に生活訓練の活動を導入、身体障害者手帳では利用できないので、精神障害者保健福祉手帳を交付していただきました。毎朝出勤前に生存確認のためのヘルパーさんも入ります。通常は就労に同行ヘルパーは付けられないのですが、地誌的障害があるので特別に1か月間付けてもらうも定着せず3か月間順路を体で覚える訓練。それでも迷うことも。

困ったら最終的に「東京のお母さんかお兄さんに連絡すること」。息子は人の名前を覚えられませんが1年でも年長者は尊重するので当然年長者を配置。このように柔軟かつ臨機応変に対応できる支援事業所の支援と行政区のサービスがなければ、息子のような高次脳機能障害者の暮らしと就労を守ることはできません。職場では、仕事の指示の伝達、分からないことを聞くための息子専任の作業療法士さんを付けてくれました。本人の大事な記憶の補助具はスケジュールボード。何度も確認。空欄には担当の方の年齢が書いてあります。その日の予定が終わればその予定を確実に消す。自分には未来しかない!と。周りのたくさんの支援を基に息子流のルールで必死に生きてきたと思います。

本人支援や家族支援に必要なこと

まずは家族たちの意識を変えることが先決だと思います。私をはじめ親や介護者は「私が動けるうちは、私でなければ」という思いからなかなか離れられません。障害当事者だけではなく家族も、人様に頼ること、制度の利用は悪いことではないことに慣れることが肝心。福祉制度もサービスも利用者がいないと発展しません。

息子の東京暮らしで支援事業所や職場の支援の在り方を学ばせていただきました。岩手では、高次脳機能障害者が地域で一人で暮らしていく上で、必要な支援は何か? 足りているのか? 会員たちと一緒に検証したいと思います。これが家族が安心して、人様にお任せできる材料になるからです。

最後の1年間は自立訓練の施設で入所生活を送っています。息子が戻るまでに高次脳機能障害者用のGHをつくるという目標は間に合わずにいますが、息子は、困ったら自ら発信しないと生きていけないことを体得でき、それが今後のお守りになると思います。

9年前39歳で岩手を出る時は高次脳機能障害者とはいえ、それなりに対応する能力も体力もありました。それが、45歳になり、48歳となったら急激にそれらの能力が落ちて、仕事も続けられなくなりました。今後は住み慣れた地元で暮らしたいという本人の希望で岩手に戻ります。親の思考能力が落ちてしまわないうちにどのような生活を送ることが本人や家族のためなのか、家族会のみんなとともに考えていこうと思います。

現在、東京でお世話になっている相談支援事業所と岩手で日中活動の受け入れ先のスタッフたちが息子を迎えるに当たり対策を練っています。10年間、東京で学んだ支援の在り方、受けたご恩を今度は岩手の地で、岩手ならではの支援の在り方に生かしていきたいです。

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